10.魔剣適正

 2021年8月14日土曜日。神奈川県川崎市、アパート『隣人荘』2階、楠森家。

 午前7時15分。


 ジリリリリ、という鐘の音が目覚ましの合図。

 伸ばした右手の甲で乱暴に時計を制止させ、バジルは目を覚ました。

 いまだ視界にモヤがかかってよく見えないが、頭上に不思議な影と、後頭部に枕とは確実に違った柔らかい感触と温かさを感じる。就寝前にはなかった二つの点が気になり、バジルは無意識に「誰だ……?」と声を漏らした。


「――マイ」


「マイって……え?」


 上からの声でようやく明瞭になった、バジルの視界に映ったのは――大きな瞳と、自己主張の強いふくらみ、そして見目麗しい白磁の肌。間違いなく黒崎麻衣だった。

 なぜ自分の部屋に麻衣がいるのか、それ以上にバジルが気になったのは、


「なっ、な、なんで膝枕、ですか……?」


「ジルが起きないから」


「……なんか、だいぶキャラが違うような……?」


「それは、今までの彼女が演技だったからですよ」


 バジルと麻衣の緩い問答に、なぜか他の男性の声。

 不意に聞こえた高音に、勢いよく上体を起こしてバジルが振り向くと、玄関前に昨日の赤い髪の少年が佇んでいた。


「確か、ヴォルカン、さん……?」


「ヴォルカン・ローレンスです。呼び捨てで構いません」


「はあ……」


 朝の挨拶のごとく自己紹介を繰り出すヴォルカン。彼の顔を見て思い出されるのは、ビルの中で聞かされた奇妙な話だ。だが昨日の夜に彼は、日和からより細かな説明を受けていた。


          ×  ×  ×  ×


「いいかい、ジルくん。わたしや麻衣以外にも、学園に在学している同志は多い。そしてローレンス派の人間のほとんどは仮名を使っている」


「え――ひ、日和も仮名なの?」


「……アホか君は。わたしは恵光派だよ」


 一度の説明だけで理解できないバジルを、日和は容赦なく罵る。しかし事実を知ってなお、自らを遠ざけたりしない彼の態度に安心感を覚えている手前、それ以上の罵倒はなかった。


「実をいうと、わたしはあまり『新旧大戦』に関心がなくってね。細々した説明を君にしてあげるよう父親に頼まれたけど、ジルくんだって無駄に長い話を聞きたくはないだろ? というか理解できないか」


「最後は余計だけど、同感だな」


「だから今日聞いた以上の説明は、話す必要があるときに追って伝える。取りあえず、今すぐ君がすべきことは一つだけ……」


 緊張感を纏った日和の次の言葉に、バジルは固唾をのんで耳を澄ます。


「それは、同志の名前をひととおり覚えることだよ」


 断言した日和は満足げな笑みを浮かべながら、眼前呆けているバジルに向かって何かを差し出してきた。

 その分厚い冊子の表紙には「恵光・ローレンス派閥同盟」と書かれており、受け取ったバジルが中を確認すると、ひたすら人員の本名とプロフィールが記されていた。


「1日で記憶しなさい」


          ×  ×  ×  ×


 徹夜して名前を叩きこんだ脳を高速回転させたバジルは、


「……新川学園、高等部普通科の1年2組、萩谷はぎや赤和せきかず。本名のほうがヴォルカンか」


「大正解です。記憶力まで優れているとは、即戦力ですね」


「それで、えっと……黒崎さんは、確か……」


「カーマイン・ローレンス。マイって呼んで……?」


「は、はいっ!」


 バジルの適応力の高さに驚愕する二人とバジルは、改めて礼を交える。


「では、今日もご同行願います」


「今日は何をするんだ?」


 バジルが興味津々に訊ねると、ヴォルカンは充分に間を置いたのち、


「これから楠森くんに託される兵器――『魔剣まけん』とのファーストコンタクトですよ」


「えっ、魔剣……? 俺、そんな仰々しい名前の武器使うの?」


「先日も申しましたけど、かなり厄介な代物なので、それなりの名前がついているんですよ。ですが君の稀少な力があれば、遠からず使いこなせるようになるはずです」


 相変わらずのべた褒めで、ヴォルカンはバジルの関心と意欲の向上を促す。

 自身には強大で類い稀な才能がある――そう言われて嫌な人などいるはずもなく、バジルは迅速に着替えを済ませ、ヴォルカンとマイと共に再びビルへと向かった。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 同日、午前8時。

 楠森家をあとにした三人は、なぜか隣人荘の1階にいた。


 1階東側の隅――楠森家の真下の部屋は空き家のはずだったが、なぜかヴォルカンの持っていた鍵で扉が開いた。中はバジルや日和の家と同じ間取りだが、物は一切置いていない。


「ここの床下に階段があります。『エコービル』の地下1階に繋がっていますので、用がある際には必ずここを経由してビルに来てください。これは原則なので」


 落ち着いたトーンで注意事項を述べると、ヴォルカンはリビングらしき部屋の真ん中の畳を丁寧に剝がして除く。すると彼の言ったとおり、地下ダンジョン的な階段が現れた。



『カン、カン、カン、カン』



 2分後、昨日見たばかりのタイルカーペットのフロアに到着した。しかし見たところ前方に通路はなく、恐らく左右合わせて四つのエレベーターが唯一の移動手段だ。

 無言で三人はエレベーターに乗り込むと、ヴォルカンは地下4階のボタンを押した。


「――へえ、このビルって地下7階まであるんだ」


「――そうですね。このビルに兵器生産やメンテナンスを行う開発部と、諜報員教育を行っている諜報部、さらには住居エリアまでありますので。ちなみに4階と5階は吹き抜けになっていて、そこは作戦部の戦闘員が訓練を行うスペースになっています」


「――確かに、文明レベルが桁違いだな」


「――他の派閥の方には『血の気が多い奴らだな』なんて揶揄されることもありますが、このビルが『新旧大戦』の拠点になる以上、仕方のないことです」


 そんな小難しい雑談がしばらく続き、ようやく地下4階に到着。


「では、僕と代表はこれで失礼します。頑張ってくださいね」


 堅苦しい挨拶と社交辞令的な一笑――ひどく不穏な空気を十二分に漂わせたヴォルカンは、バジルだけを残し、エレベーターで去っていった。



「……今の、だいぶフラグだった気がする」


 ――そう呟いた彼の背後で、謎の機械音声が鳴り響いた。


「やあ、昨日ぶりだねぇ。今日はよろしくぅ」


「ああ、はい。今日はよ――――誰?」


 振り向いたバジルの目に映ったのは、とにかく白い物体(人型)だった。

 初見ではエイリアンか新人類という名のUMAかと思ったが――光沢を帯びた真っ白い肌、小柄な少女のようにも見えるシャープなボディ、そして大きくて可愛らしい黒色の瞳。小さな頭部には頭髪の代わりだと思われる、鰹節かつおぶし型の白いツインテールがうかがえる。

 暴力的なまでに特徴を纏った少女? の胸部には『Harder』の文字が刻まれている。


「ボクの名前はHarder《ハーダー》。そのまんま呼んでねぇ」


「じ、自分は楠森です……バジルでも構いません……」


「ははっ、じゃあ日和ちゃんと同じ、ジルくんねー」


 自己紹介と共に二人は握手を交わす。

 そしてバジルはHarderに案内され、地下4階から階段を使って地下5階の広いスペースに移動した。

 広大なスペースは、テニスコート2面分くらいの敷地に芝が敷いてある。およそ都会の地下とは思えない、とても贅沢な空間だった。


「それじゃー早速、ファーストコンタクトといこうかぁ。『自在剣じざいけん』のこと、聞いてるぅ?」


「自在剣……? 次から次に変な言葉が……」


「自在剣っていうのは、ジルくんが使う魔剣の名前ね。見た目はビームサーベルの二刀流って感じだけど、勝手が全然違うから、覚悟してねぇ?」


 そう告げると、少女型ロボットは背部に手を回して――どこからか黒い物体を取り出した。


 

 その全体像は、漆黒の腕輪に剣の柄が備え付けられたもの。太くて大きな腕輪は、その禍々しいデザインから製作者の怨嗟そのものを感じ取れる。魔剣と言うからにはそれなりの機能があるはずだが、腕輪に剣の柄だけが加わったそれは、およそ武器とは思えない。なんなら琉球古武術で使われる武器のひとつ・旋棍トンファーの模造品にも見える。

 使用方法は恐らく――二つの腕輪を両腕にそれぞれ装着し、右手で左側の柄を、左手で右側の柄を引き抜いて使用するのだろう。すると、腕輪と柄の接する部分から、粒子のビームか何かの刀身が現れる仕組みのはずだ。



「……それ、もの凄くカッコいいなっ!」


 目の前の武器を装着した自分が、迫りくる敵影を次々と斬り捨てる。そんな妄想に一人昂奮するバジルに、少女型ロボットは上擦った声で、


「じゃあハイ、これ腕にめてねぇー。あっ、サイズはフリーだから心配しないでいいよぉ」


「本当のアクセサリーみたいだな」


 軽口を叩きながら、バジルはごつごつした腕輪を手首あたりに嵌める。サイズフリーというより、腕に通した瞬間に広がって、手首に到達すると自然に締まる仕組みだ。その付け心地はひんやり冷たくて、非常に気持ちが良かった。


「じゃあ次……このステップに耐えれらんないと次にいけないから、頑張ってねぇー」


「はいっ! それで、どうすればいい?」


「利き手で、反対の柄を一度握ってちょうだいな。すると針が出――」


 少女型ロボットの説明の途中で、バジルは自分の右手で左側の剣柄を握りしめる。



『『バチュンッ』』



 刹那――鋭い音と極小の直線が、バジルの肉と骨とを貫いた。電撃に似た容赦のない痛みが一瞬で身体の神経系を支配し、感覚を貪り、意識を丸呑みにしてしまった…………。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――――――。

 ――――。

 ――。


「あれ、何してたっけ……?」


 目が覚めると、遥か上に小さな雲と真っ青な空――の色をした天井が見える。四肢と背部に感じるものは、生の温かさと若々しい柔らかな感触。首を捻って真横を見ると、それは薄緑の芝だった。


「痛みで卒倒する人は初見だったよぉ。大丈夫ぅ?」


 反対側から可愛らしい機械音声が聞こえて振り返ると、屈んだ状態でこちらを見つめる白いロボットがいた。確か名前はHarderだったはず……。


「俺はどうなったの?」


 バジルは大の字から起き上がって、不安げなトーンで少女型ロボットに訊ねる。


「採血用の針が刺さった時の痛みで、気絶したんだよ。見事な倒れっぷりだった」


「それ、絶対に褒めてないよな……」


「いいやぁ、そんなことないよぉ。でもジルくん、痛いのには早く慣れてよねぇ?」


「なるほど、痛みを伴うから厄介なのか……じゃあ頑張るよ」


 少女にもう一度、右手で左側の剣柄を握るよう指示を受けるバジル。

 最初の一回で、完全に恐怖を植え付けられてしまった身体は、本人の意思とは関係なく痙攣している。バジル自身も痛いのは苦手だが、彼の脳内で『自分にしかできない』という言葉が、繰り返し唱えられる。自分の才能の稀少さに酔いしれ、少しでも我慢強さを高めようと考えたのだ。


「よし……も、もう一度っ!」



『『バチュンッ』』



          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――開始から2時間。ようやく採血用の針による激痛に耐性がついたバジル。

 いよいよ最後のステップに移るため、少女型ロボットは剣呑な雰囲気で、


「柄があっても、剣がないとダメだよね。だから最後に刀身を創ってみよう」


 少女は「針を出して」と指示を出す。バジルが右手で左側の柄を握る――両方の手首から、再び鈍い音が鳴り響くが、バジルは苦痛に顔を歪めただけで、なんとか堪えた。


「次に……右手で思いっきり、左の柄を引き抜いてっ!」


 バジルはもう一度、右手で左側の柄を強く握りしめ、


「う――うぉりゃあっ⁉」


 思いっきり柄を引き抜くと――何もなかった柄から、おぞましい赤黒の刀身が現れる。


 色彩は、最近の出来事で血液を見慣れたはずのバジルでさえ戦慄く、正真正銘の血の色だ。刀身の形状は、先端に行くにつれて広がった霧状。恐らく柄から噴射されているのだろう。

 抜いた直後は感動で胸がいっぱいだったバジルだが……現状、顔色は最悪だ。


「え、えっと……Harder、本当にこれでいいの?」


「ああ、大成功じゃないかぁ! 良くやったねぇ」


 疑心暗鬼に陥ったバジルに、少女型ロボットはあからさまに嬉しそうな声で、称賛の言葉を送る。先ほどの剣呑な雰囲気は払拭され、少女の周囲には歓喜のオーラが充満している。


「……腑に落ちないなぁ」


 しかし納得のいかないバジル。右手に握る、漆黒と緋色のコントラスト比が素晴らしい刀剣に目をやると、どうしても鬱屈した気分になってしまう。


 ――そんな時、ふと彼は思った。刀身が霧なんだから、使用者の身体は貫通するんじゃないか、と。つまり今の所有者であるバジルの身体は、この剣では切れないんじゃないだろうか。

 好奇心旺盛なバジルは、すぐに試してみたくなった。

 そして、


「なあ、Harder。ちょっと見ててよ」


「えー、なぁにぃ?」


「いい? いくよっ――」



『バチュンッ』



 霧の刃を左ヒジに宛がった瞬間、超高圧のそれによる最高の切れ味で、心地よい音と共にヒジから先は前方に吹き飛んだ。まさにロケットパンチだった。

 切り口からは真っ黒な血潮が噴き出し、一部の勢いを失った体液は患部から滴り落ちる。

 腕輪ごと吹き飛んだ左腕は、減速して5メートルほど先に転がっている。

 そしてバジルは本日4度目、勢いよく昏倒した。バタンキュー…………。



「……もう、君はしばらく自在剣、使用禁止っ!」


 Harderの甲高い怒号が、虚構の青空にこだまし、血に潤った芝生たちを震わせた。

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