カエデの祖父は、ハサンと名乗った。

 今年で百二十歳ということで、人族の感覚でいえば結構な年齢だが、ダークエルフにしては年齢の割にかなり年老いて見える。

 話を聞くと、魔力が少ないせいか老い方が人族とあまり変わらないとのことだ。

 ハサンの父、元ティファンヌ公爵は、没落したのちは公爵家を再興しようとはせず、家族をこの湖畔近くの村へ託すとすぐに姿を消した。

 家族にはなにも伝えず、彼は密かに魔界へと渡り、数年を費やしてある程度の地位を築くのに成功した。この頃、すでに帝国にとって魔界は経済的にも国防的にも無視できない、重要な国家であった。

 その庇護下に入ることにより、かつての政敵があとくされを失くそうと、万一にも一族に手出しできないようにと考えてのことだ。今現在、クロイツを名乗る直系のカエデたちは、元ティファンヌ公が晩年に迎えた妻が残した家族である。政変の際、妻や子、近しい親類をほとんど失ったと聞いている。帝国を見限り、魔界に入ったのもそんなところが働いていたのかもしれない。

 とはいえ、精霊の加護する湖を拠点とする元ティファンヌ家を、帝国は未だに煙たく思っているのは明らかである。下手に手をだせないなら、逆に搦め手だとばかりに、血族のカエデを取り込もうとさえした。

 ハサンは父の後に魔界入りしたが、数年前に歳のせいで引退し、息子とその長男を魔王近くに送り込んでいる。前回のカエデの件にしたって、どこか対応が生ぬるいと思ったら、なるほど皇帝は魔界に遠慮していたというわけだ。むしろ、あの時強力にしゃしゃり出てきたのは教会だった。


「お前がこっちの学校に来るちょっと前、世界の主要な国家が集まる会議があってな」


 ハサンは僕達を家に招いて、窓辺にある安楽椅子に「よっこらしょ」と腰を下ろした。続いて、カエデが勝手知ったる我が家のテーブルに僕達を誘った。

 その会議で、双方の世界の流通、交流が出来るよう努力する方向でまとまったらしいのだが、その少し前まで皇帝はあまり乗り気でなかったらしいのだ。それが、何を思ったのか急に意見を変えてきた。説得するつもりだった魔界陣営と教会は肩透かしを食らった形になったとのことだった。


「そういえば、カエデは教皇様を見たことがあったかな?」

「うーん、私はあまり村から出なかったから。例の件が切っ掛けで、アルヴィナに出向いたりはしたけど」


 そう答えるカエデにハサンは鷹揚に頷いて、魔王の護衛で大神殿に出向いたとき数回会ったことがある、と懐かしそうに話した。彼の話しぶりからすると、教皇に対してかなり好意的な様子がうかがえる。

 教会にあまり良いイメージがなかった僕は、少し意外だった。


「そのお方が、ここ数年身体を壊して度々臥せっておったのだが、此度、本当に危ないとの噂があってな」


 そういえば一年前、僕達を捕まえようとした例の大司教だったかが、教皇は病だとかなんとか言っていたような気がする。

 ずっと以前から、良くなかったのか……。

 他にも、大神殿近くの上空を翼のない生き物が浮いているのを見た、と大騒ぎになったとか。

 これには、僕達三人は思わず顔を見合わせて苦笑した。間違いなくリンのことだろう。

 ところで、ハサンが今でもかなりの情報通なのは、かつて魔界でそれなりの地位だったことで、そこそこ使えるパイプを持っているということと、現役で息子たちが魔王近くに侍っていることもあるのだろう。もちろん内部のことは漏らせないにしろ、帝都にしろ、魔界都心にしろ、いくらでも噂は流れるのだ。

 花嫁騒動の時に、ハサンがカエデを遠くへ逃がしてやると言っていたのも、魔界へ逃してやるつもりだったのかもしれない。もっともカエデは、それよりも前に飛び出してしまったのだが。


 僕らはその後、小屋に戻り、アリソンさんに挨拶をしてこの地を去ることにした。

 学校にいては手に入らない噂話をイロイロ聞けてよかった。

 知識の塔の人も、なんというか浮世離れしてる人が多いようで、こういう話はまったくしないからね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る