トラウマ

 翌日、わざわざ見送りに来てくれたジュドに、リュシアンたちは学園都市での再会を約束して別れを告げた。冒険者になれば、また一緒に活動する機会もあるかもしれないし、あのダンジョンを一緒に攻略できたら頼もしい仲間になるかもしれない。

 リュシアンたちが例のダンジョンの成長に立ち会ったと知ったジュドは、機会があれば是非にと言ってきたのだ。

 そうして、一行は朝一番のモンフォールへ向かう船で旅立ち、ドリスタンを後にした。


「エドガー準備できた?先に行ってるよ」


 各自、部屋で休憩していると、すぐに昼食の時間になった。

 部屋を出るとき声を掛けろと言われていたので、リュシアンは、エドガーの部屋の扉を軽くノックしてから歩き出した。

 ちなみに、好んで二人部屋をチョイスしたニーナたちは、中間層の一般客室に一緒の部屋を取っていた。

 食事は、甲板に出てすぐの野外で軽食を提供している場所と、最上階のブッフェタイプのレストランがある。部屋のグレードによって、利用できる施設は変わるが、取りあえずは昼食なので甲板での軽食にしようということになった。ニーナたちとは現地での集合である。

 

「おいこらっ、一人で行くな、待ってろ!」

「え、なんで。向こうで合流すれば…」


 足を止めて振り向いたリュシアンは、そう言いかけた口を、そのまま開けて二の句が継げなくなった。なぜなら、部屋からはぞろぞろと護衛を引き連れたエドガーが出てきたからだ。


「…どうしたの?何かあった?」

「馬鹿、お前のためだよ」

「え、僕?」

「呆けてる場合じゃねえぞ、もうすぐモンフォールだ。前回はみすみすお前を危険な目に合わせたが、今度からは俺が絶対守ってやるからな」


 酷く気負ったようなエドガーは神経質なほど辺りを見回し、誰か近寄ろうものならすぐにリュシアンを自分の身体の影に入れるように歩いていた。

 船に乗った時から、どこかピリピリしておかしいと思っていたが、どうやらそういう事だったらしい。当然、理由はわかっている。一昨年の帰郷の際に、ここでリュシアンが毒を盛られたからだ。

 とはいえ、これは…


「大丈夫だよ、エドガー。前とは状況が全然違うし、何もないって」

「油断は禁物だぜ、…また何を企んでいるかわかりゃしねえ」


 己の母親を容赦なく辛辣に語るエドガーに、思わずリュシアンは困ったような笑みを浮かべた。


「…イザベラ様とは、ちゃんと会ってる?」

「ばっ…、会う訳ねーよっ!だってあいつは…」


 いきなり大声を上げたエドガーに、びっくりして周りの目が集中する。慌てて体裁を整えるように小さく咳払いをして、改めて辺りを警戒するようにリュシアンをリードして歩き出した。


「すまん、取り乱した」

「…ううん、でも本当に何かあったの?」


 心配そうに見上げる瞳に、エドガーは思わず視線を外した。

 去年の夏、リュシアンは帰郷しなかったが、エドガーは王の命令もあってモンフォールへ帰った。

 その際、父である国王に、とある長い話をされたのだ。

 今までは侍女たちの噂話や、兄エルマン、そして弟リュシアンが、恐らくいろいろ気を使って話してくれた、部分的にしか知り得なかった真実のすべてを聞かされたのだ。その中には、リュシアンでさえ知らないことも含まれていたようだ。

 モンフォール三の妃、つまりリュシアンの母シャーロットと、兄の第三王子ミッシェル――

 エドガーの母、イザベラの陰謀の果てに謀殺された悲劇の妃と王子である。

 絹糸のような碧の髪に、澄んだ湖のような同じ色の瞳。シャーロットは、美しい心と容姿の持ち主で、王の寵愛を一身に受けていたという。

 あるいはイザベラの暴挙は、王位継承に限ったことではなかったのかもしれない。

 

 

 エドガーが十三才を迎える年、王は改めて正しく伝えておこうと思ったのだろう。

 その時初めて、エドガーはリュシアンの母の肖像画を見せてもらった。話でしか聞いたことがなかった、今は亡きシャーロット妃の姿。

 国内においてはリュシアンの身を守るため、シャーロット妃に関する情報はできるだけ秘匿されてきた。これら肖像画もその一つだ。

 その中には、リュシアンが一緒に描かれたものもあった。

 椅子に腰かけるシャーロットが胸に抱く赤ん坊を、リュシアンと面影の重なる幼子が愛しそうに微笑んで覗き込んでいる様子が描かれているものだ。

 赤ん坊がリュシアンで、それを見ているのがミッシェルだろう。もちろん現実には実現しなかった構図だが、のちに王が兄弟が揃った姿を書かせたものだった。

 それを見た時、エドガーは思わず大声で叫び出しそうになった。


「信じられるか!?あんな…、まだ赤ん坊に等しい子供を…、そして優しそうなあの女性ひとを、平気で…ッ!俺の…、俺の母親が!」

「やめてっ!」


 興奮状態で続けようとするエドガーに、リュシアンは少し厳しい口調で止めた。はっとして口を閉じたエドガーは、改めて注目を浴びていることに気が付いて、振り切るようにして再び歩き出した。


「…それはエドガーが苦しむことじゃないよ」


 そう諭されても、エドガーの背中はどこか丸まったままだった。

 思い返してみれば、去年の帰郷の後、しばらく心ここにあらずといった様子だった。変な失敗をしたり、妙にリュシアンを気にしたり…、今考えると、ずっと心に黒く落ちた滲みのようなものが残っていたのだろう。

 口に出すのも憚られ、もやもやと濁った澱のように感情を鬱積させていたに違いない。それがここ、母の罪が決定的になったこの場所で爆発したのだ。


 もうどうにもならない過去のことだ。

 悲しみが癒えることなどないし、彼女に対して許せるかと言えば、やはり許すことなどできそうにもない。取り返しのつくことなら、リュシアンは大抵のことなら我慢もできるし、場合によっては許すことも出来る。

 けれど、取り返しのつかないことはある。

 その一つが命である。

 こればかりは反省しようが、後悔しようが取り返しがつかない。だから、リュシアンが彼女を本当の意味で許すことは一生ないだろう。けれど、そんなリュシアンの怒りがエドガーを苦しめるなら、それを飲み込むことは出来る。


「エドガー、前にも言ったけど彼女は今現在も罰を受けている。新たに罪を重ねない限り、僕はこれ以上の制裁は望んでないよ」

「リュシアン…」


 むしろこの件で一番傷ついているのは、やはりエドガーだろう。彼の母親がしでかした罪は、その息子に一生消えない傷を刻み込んだのだ。

 デッキに到着して、みんなと合流するころにはエドガーは普段通りに戻っていたが、護衛は相変わらず厳戒態勢で周りを囲んでいて、なんだか非常に目立つ集団になり果てていた。

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