続・それぞれの思惑

「リュクはどうしてる」


 まだ夜の明けきらない食堂で、早めの朝食を取っていた屋敷の主エヴァリストは、開口一番わが家の謹慎坊主の様子を妻に聞いていた。


「きちんと大人しくしていますわ。あなたの書斎で、錬金と読書に明け暮れているようですよ」


 メイドに食事だけを運ばせると、アナスタジアはそうそうに人払いして夫の給仕を始めた。早朝の食事に、夫がわざわざ自分を呼び出したことを配慮してのことだ。


「あいつの場合、罰になっているかどうかわからんな」

「ふふ、そうですわね」


 薬草園で採れたハーブで作ったお茶を出しながら、アナスタジアはやがて表情を引き締めた。


「それで…、お手紙は、やはり陛下からですの?」

「ああ、どうやら王太子が行方不明らしい」


 さらりと返された返事に、思わず持っていたポットを落としそうになった。


「……学園都市に留学中の? いったい、いつ」

「ほんの数日前だ。情報開示はしていないが、王都はその話題で持ちきりだ」


 どうやら王太子失踪は護衛のすぐそば、それも衆目監視の中でだったらしい。まるで忽然と消えたようだ、と噂されている。


「それも例の…?」


 まさか王太子様まで…、アナスタジアは口元を押さえながら「なんて恐ろしいことを」と呟いた。


「いや、正直それはわからない。いくら奴らでも、あれほどの人前でそんな大それたことをするものかな」


 奴らとは、もちろんリュシアンを狙っている輩のことだ。


「実際、今回の騒動がきっかけで、陛下は数年前の第四王子失踪の捜索を強化して…」

 

 手紙をひらりと見せる。


「こうしてリュクにたどり着いたのだからな」


(まあ、陛下におかれては先日の五才の誕生日あたりから気が付いていておられたご様子だったが…、今回のことで黙認もできなくなった、というところか)


「……奴らにとっては藪蛇もいいところだ」


 なにしろ今まで秘密裏に事を進めてきて、穏便(?)に忘れられた王子を闇から闇へと葬り去ろうとしてきたのだ。本来なら小さな憂慮をきっちり排除して、それから万全を期して王太子を…という手筈だったはずだ。

 エヴァリストは、思案気に顎に手を当てて忌々しそうに舌打ちした。


「どちらにしろ、いい機会かもしれない。もとより敵にリュクのことが知れている以上、これからも狙われる。王宮に戻ることが危険だというのは確かだが、ここまで来れば決めるのは陛下と…、リュシアン殿下だ」


 アナスタジアは、黙って夫の言葉を聞いていた。

 小さな沈黙の中、窓の外では呑気そうな鳥のさえずりが聞こえてくる。すっかり陽も登って、やがて夏らしい日差しが明るく緑の大地を照らし始めた。

 かちゃり、と遠慮気味にエヴァリストがティーカップを持ちあげた。珍しく躊躇いがちな様子で口を開く。


「お前の姉、シャーロットが亡くなって、もう三年になるか…」

「ええ、お姉様と……ミッシェル殿下。あんなにお小さかったのに」


 それは第三王子ミッシェルが、まだたった二才の時だった。

 母親のシャーロットと共に、実家への一時帰省の途中でその事件は起こった。馬車が山賊に襲われ、彼女たちは重傷を負ったのだ。この時、すでにシャーロットは懐妊していた。

 護衛の騎士たちの命がけの働きで、隊の一部はなんとか王都へと戻り、シャーロットは辛くも命を取り留めた。

 けれどミッシェルは、その時の怪我が原因で帰らぬ人となったのだ。


 眩しいほどの朝日に目を眇めて、エヴァリストは手に持っていたハーブティーに口を付けた。

 緑豊かな庭を一望できる窓を、二人はどちらともなく眺めながらしばし己の思考の中へと入り込んでいた。

 と、その時。

 いきなりの衝撃と、遠くから鈍い轟音が響いた。

 食器が一斉に小さく振動して、皿に乗っていた銀のフォークがテーブルから転げ落ちる。


「何事だっ!?」


 とっさに立ち上がり、よろけた妻を庇うように抱き留めたエヴァリストは、扉の向こうにいるだろう者たちに呼びかけた。

 すぐに執事のギョームが、食堂に飛び込んできた。


「大変です旦那様、ま、魔物にございます」

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