一 葬儀
雨。
しとしとと降り続く雨。
灰色にくすんだ雨の中、五条郁子の葬儀がしめやかに営まれていた。
葬儀場に設けられた豪華な祭壇。その中央に五条郁子の写真が掲げられている。大きく引き延ばされた郁子の晴れやかな笑顔。
五条郁子、美しい
すらりとした均整のとれた肉体。長く艶やかな黒髪。白く滑らかな肌。玉子型の顔。黒真珠のように濡れた瞳。涼やかに延びる鼻梁。笑うと、美しさに愛嬌が加わる口元。
五条郁子は、この春女子大を卒業、父親の会社、五条商事の有能な営業マン、原田真一との結婚を控えていた。幸福な二十三歳。
しかし、溌剌とした肉体は、今、白木の
僧侶の読経が続く中、人々の焼香が始まった。まず、喪主である郁子の父親の名前が呼ばれた。次に母親。泣きながら焼香する母親につられるようにすすり泣きの声が高くなる。次々に呼ばれる親族達。悲しみが紫色の煙となって人々を包んでいた。そして、婚約者原田真一の名前が呼ばれた。
ドン!
棺桶の蓋が跳ねあがって落ちた。
無音という空気がホールにいた人々の息を奪った。誰もが死んだ筈の郁子が起き上がると思って身構えた。空気が粘度を増す。
僧侶が気力を振り絞り棺桶に向ってカーッと一喝。
途端に呪縛が解けた。ホール全体からため息のようなほうっという音が洩れた。職務を思い出したスタッフ達が棺桶に走り寄る。棺桶の蓋はゆっくりと持ち上げられ、もう一度、郁子の上にそっと置かれた。
司会者が人々にむかって説明した。
「皆様、御焼香の所、こちらの手違いによりお騒がせ致しまして、誠に申し訳ございません。特別注文の棺桶だった為、密閉性がよく大量にいれたドライアイスが気化した結果、蓋を動かしてしまいました。誠に申し訳ございませんでした」
司会者は一礼すると続けた。
「尚、郁子様のご遺体にはなんの
司会者の説明に人々は再びほーっという長いため息を漏らした。弔問客の間に、郁子は死んでいないのではないか、そんな期待と不安の入り交じった雰囲気が漂っていたが、司会者の説明によって厳かな葬式に戻っていた。途切れていた僧侶の読経が始まる。棺は再び静かになり、原田真一の焼香はつつがなく終わった。続いて人々が次々と焼香して行く。やがて、葬儀が終わった。
祭壇から
「郁子、いくこー」
母親の五条香苗が郁子の遺体を前に泣き出した。それまで冷静に喪主の妻を演じていた香苗だったが、いよいよ出棺となり耐えきれなくなったようだ。喪主である郁子の父、五条喜一郎が、妻の肩を抱き寄せる。やがて、泣き声はすすり泣きにかわった。
最後に婚約者の原田真一が、真っ白なバラの花束を郁子の胸元においた。原田真一は改めて郁子の顔を眺めた。眠っているように見える郁子の美しい顔。真一は郁子が眠っているだけなのではないか、という錯覚に囚われた。郁子が起き上がって、「綺麗なバラ……」と花束を抱き締めそうな気がした。
が……。
(あなたは私の物よ!)
郁子の目がかっと見開いた。真っ赤な口。つり上がった眉。般若のごとき形相である。郁子が起き上がり真一の腕を掴んだ。郁子の手がぎりぎりと真一の腕に食い込む。
(あなたは私の物よ!)
真一の
「原田君、大丈夫か?」
原田真一はあたりを見回した。床に寝かされている。社長の五条喜一郎や郁子の母、香苗が真一を心配そうに覗き込んでいる。
「僕は……?」
「君は気を失ったんだよ。気が付いて良かった。大丈夫か?」
真一は「大丈夫です」と言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
周りにいた人々は、結婚を目前にして婚約者に死なれた真一がショックで気を失ったのだと思った。郁子の遺体は、やがて火に焼かれる。郁子の生前の姿を見るのはこれが最後である。皆、真一が郁子の遺体を前にショックで気絶したのだと同情した。
その夜、アパートに戻り喪服を脱いだ真一の腕には、細く長い指の痕がくっきりとついていた。
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