船に乗る4








******






 龍はゆっくりと羽ばたいて、城の庭へと降りる。翼を何かにぶつけないように、足で何かを踏まないように気をつけ、さらに羽ばたきで何かを飛ばしてしまわないように。

 近くに人が立っていることはわかっているのだ。それは、この城のメイドや執事。それだけではなく、国王であるウェイバーとその左には龍も知らない人物。

 もしも彼らに何かがあったら大変なのだ。だから降りる時は気をつけなくてはいけない。ヴェルリオ王国の城の庭とは違い、クロイズ王国の城の庭は少し小さいのだ。

 だからここへ降りる時は、いつも以上に気をつける。ツェルンアイも、龍の背中で静かに座って待っている。それはいつものことではあるが、はじめての場所に少し緊張しているらしい。

 ゆっくりと地面に足をつけると、手紙の入った小さな袋を手に、ツェルンアイは龍の背中から飛び降りた。芝生が敷き詰められているそこを、踏みつけてもいいのかと思っているツェルンアイの横で、龍は自分の体を翼で包むと人型に戻った。

 軽く伸びをしてから、ツェルンアイの左肩に触れる。そして、左手である場所を指示した。そこにいたのは、1人の男性だ。黒い制服を着て、同じように黒い帽子をかぶっている。それは、この国の郵便配達員の制服だ。

 最近は、ヴェルリオ王国でも同じ制服にするという話しなのだが、いつからなのかはわからない。そのため、ヴェルリオ王国の郵便配達員は現在私服である。

 その男性に手紙を渡せばいいのだと理解したツェルンアイは、手紙の入った袋を手にして男性に近づいた。

「こんにちは。手紙を届けにきました」

「ご苦労様です。はい、確かに受け取りました。それでは、私はこちらの手紙を本部へ持って行き、すぐに配達係へ渡します。では、失礼します」

 ツェルンアイから手紙の入った袋を受け取ると、男性は袋の中身を確認した。袋は縛っているわけでもないので、すぐに確認することができる。

 確認が終わると、男性は右手で帽子を取り一度頭を下げた。茶髪黒目の男性と同じようにツェルンアイも頭を下げると、立ち去っていくその後ろ姿を見つめていた。

 龍は何度かその男性とは会っている。今回ツェルンアイははじめてクロイズ王国に来たのだ。だから、郵便配達員との顔合わせも兼ねてツェルンアイに手紙を渡すことを任せたのだ。

 郵便配達員はツェルンアイをはじめて見たのだが、何も言うことはなかった。それは龍と一緒に来たからだろう。もしもツェルンアイ1人で来たのなら、袋に入った手紙が何かを説明しなくてはいけなかっただろう。

 だが、彼はそんな説明を求めることなく笑顔で立ち去ったのだ。立ち去った男性を見送ったツェルンアイは、先ほどと同じ場所に立ったままの龍へと近づいた。

 龍の右隣に立ち、龍を見て微笑むツェルンアイを見て、龍は漸くウェイバーへと近づいた。

 そしてウェイバーの左隣に立っている人物を見て首を傾げた。今まで城へ来た時には見ていない人物だったのだ。ウェイバーもそれがわかっていたようだ。

「こいつは、ルペンディ・ダブダフだ」

 そう聞いて、龍は彼がウェイバーの隣に立っていることに納得した。彼はエードと同じ立場の人間だ。さらに言うと、ソフィネット・オリマの似顔絵を描き、絵本の挿絵を描いた人物だ。

 先ほどの郵便配達員の男性と同じ茶髪黒目のルペンディは、龍と目が合うと軽く頭を下げた。龍とツェルンアイも頭を下げたが、龍はルペンディの目を見てあることを思った。

「ウェイバーは、彼をしっかりと休ませているのか?」

「え? どうして?」

「すごい眠そうだろ。無理させてるんじゃ……」

「わかってくれますか!?」

 突然龍は両手を握られた。それは確認しなくても誰に握られているのかはわかる。ルペンディ・ダブダフその人だ。未だに眠そうにしながら、話しを聞いてくれとでも言いた気な顔をしている。

 そんな彼の様子から、無理をさせられているのだろうということがわかる。アレースでさえそれなりに真面目に書類を片づけているのだ。ウェイバーならアレース以上に真面目に片づけるだろうと考えていた龍だったが、ルペンディの様子から違うのだとわかる。

「あの人、自分で書類を片づけてくれないんですよ! 国王が必ずやらなくてはいけない書類だけはやりますが、それ以外は全て僕! それに、どんなに仕事が残っていようとも9時には就寝。子供かっての!」

 息を吸うことなく、一息で言いきったルペンディに龍は苦笑をするしかなかった。ルペンディとは一度も会ったことがなく、勝手に想像していた人物と大きく異なり僅かながらに驚いていた。

 龍が想像していたルペンディは口数が少なく、静かな人物だった。しかし、実際はその真逆。もしかすると疲れているため口数が多い可能性がないとは言えないが。

「改めまして、僕はルペンディ・ダブダフ。ウェイバーの補佐をしています。眠そうな顔なのは、いつものことなので気になさらず」

「俺は龍です。彼女はツェルンアイ・ガリン・ゲンファー。現在は主に俺の手伝いをしています」

 龍から手を離して、改めて自己紹介をしたルペンディはもう一度頭を下げた。それに龍も頭を下げて、先ほど名乗っていなかったため、自分の名前とツェルンアイの名前を告げた。ウェイバーもはじめて見るツェルンアイのことを気にしていたようだった。

 しかし、何故かツェルンアイの自己紹介をした時、ウェイバーは目に見えてがっかりしたようだった。どうしてがっかりするのかと、龍とツェルンアイは首を傾げた。

「てっきり、龍が結婚相手をつれて来たと思ったのに。……違うのか」

 今にも舌打ちをしそうに言うウェイバーだったが、ツェルンアイはどうやら照れたようだ。嬉しそうに微笑んで、両手で頬に触れるツェルンアイの顔は僅かに赤い。

 そんなツェルンアイを見て、ウェイバーとルペンディは彼女が龍のことを好きだと気づいたようだ。ルペンディはツェルンアイの左肩に手を置き、ウェイバーは頭を撫でた。そのことにツェルンアイは何も言わなかった。

「そう言えば、アレースと悠鳥はどうだ?」

 ツェルンアイの頭から手を離し、にやにやしながらウェイバーは龍に問いかけた。聞かれると思っていた龍は、ウェイバーの問いかけにどう答えるかを考えた。

 2人は城に住んでいるため、どうかと聞かれてもよくわからなかったのだ。もしかすると、ウェイバーはそれをわかってきいているかもしれない。だから、龍は自分がわかることだけを答える。

「城に住んでるからどうって聞かれても、わからない。見ていて幸せそうではあったけれど」

「悠鳥が好きだって認めたアレースの様子は?」

「別に変りはないけど」

「だろうな……。あいつはそういう奴だよ」

 ウェイバーもアレースとのつき合いが長いため、様子に変わりがないということはわかっていたのだろう。半笑いでそう言うウェイバーは、「どうせ俺がアレースに悠鳥が好きなんだろって言っていなかったとしても、勝手に気がついていたんだろうな」と隣にいるルペンディに同意を求めるように呟いた。

「まあ、あいつらの話よりも、俺の話を聞いてくれよ!」

 ――はじまった。

 そう思ったのは龍だけではなかった。ルペンディも同じように思っていた。しかし、ツェルンアイはクロイズ王国へ来る前に話していたようにウェイバーの話を真剣に聞くつもりのようだ。

 娘の話をするウェイバーだったが、ルペンディは龍の隣に立つと小さく呟いた。

「息子もいるのに、娘の自慢ばかり」

「え? 息子さんもいるなんてアレースには聞いてないけど……」

「彼も知ってはいるんですが、ウェイバーがあまり周りの人には言っていないのです」

「どうしてか聞いても?」

 真剣にウェイバーの話を聞いているツェルンアイを見ながら言われた言葉に、龍はルペンディを見て問いかけた。その問いかけにルペンディは龍と目を合わせると頷いた。

 ウェイバーの息子の名前はベリル・オーシャン。今現在7歳で、マリンの2歳年上の兄だという。そんな彼は、現在自宅でもある城には住んでいない。

 彼は現在、世界のことを学ぶことのできる施設にいるのだという。帰ってくることも可能なのだが、彼は今のところ戻って来る予定はないのだという。

 ベリルがそこへ入った時、国王の息子だということは隠していた。だからウェイバーも息子の話はあまりしない。思わず、その施設にいることを話してしまうかもしれないからだ。

 彼のいる施設は3年ほど前にできた学校のようなものだ。読み書きができ、理解することもできれば何歳であろうと入ることができるのだ。

 しかし、この世界には学校というものは存在していない。その代わりに、孤児院で毎回勉強を教えたり、週に一度城で教える人がいる。それらにお金がかかることはない。だが、ベリルの行っている施設はお金がかかる。

 施設が建てられてからベリルはそこへ行きたいと何度もウェイバーに告げた。国王になるための勉強をしながらも、その思いが変わることがなかった。だからウェイバーは行ってもいいと言ったのだ。他の国のことを知るのも悪くはない。しかし、国王の息子だと知られてしまえば贔屓されてしまうかもしれない。

 ウェイバーは、子供達が大きくなるまでは口外しないと決めていた。だから、たとえ街でベリルを見ても次期国王だと気がつく者はいなかった。

 隠しているからこそ、知っているアレースや他の者達には自慢をする。本当は息子の自慢もしたいが、娘や妻の自慢をすることで我慢をしているのだ。

「何事もなければ、来年には戻ってきますよ」

「それは楽しみだな」

「何が楽しみだって?」

 2人の話に、首を傾げて問いかけてきたのはウェイバーだ。自慢話をしていたのではないかとツェルンアイを見ると、どうやら彼女は疲れたのか苦笑いをしていた。

 ウェイバーの問いかけに素直に答えているルペンディを見て、龍はそろそろ戻って白龍を迎えに行こうと考えた。その前に懐からアレースに渡された手紙を取り出した。

「用事も終わったから、そろそろ帰るよ。それと、アレースからの預りものだ」

「手紙?」

 そう言って手紙を渡した龍は、封のされていない封筒の中から一枚の便箋を取り出したウェイバーを黙って見ていた。帰ると聞いて、ツェルンアイは龍の隣に並んで、黙ってウェイバーを見つめた。

「なんて書いてあった?」

「ん? しつこいってさ。それに、俺に言われなくても好きだということはそのうち気がついていたってさ」

 ――まあ、そうだろうな。

 スカジのことが落ちついてから、アレースは悠鳥が好きだと気がついていたのだ。ウェイバーに言われていたからというわけではない。彼に言われていた時は、どちらかといえば自分は悠鳥のことを好きではないと思っていたのだから。たとえ言われなくてもアレースは、自分で気づいていただろう。

「何かアレースに伝えることはあるか?」

「いいや、何もない」

「そうか」

 そう言うと龍はウェイバー達から離れた。立ち止まったのは、先ほど降りた場所だった。近くに誰もいないか確認すると、離れた場所にいたメイドと執事と目が合った。

 彼らは目が合ったことに気づくと、一度頭を下げた。今日は一度も挨拶をしていなかったと思った龍も頭を下げた。そして、近くに誰もいないことがわかると翼を出現させた。

 翼で自分の体を包み込むと、ゆっくりと広げていく。大きな翼を広げきると、小さく丸めていた体を伸ばす。

「もう問題なく『黒龍』になれるんだな」

「ああ」

 姿を『黒龍』へと変えた龍に近づいて、ウェイバーは左前足に触れながら言った。そんなウェイバーの隣で、ルペンディも龍に触れていた。はじめて触れたであろう『ドラゴン』に、口元に笑みを浮かべていた。

 2人の隣を通り、ツェルンアイは軽くジャンプをして龍の背中に乗った。首元に座ると、右手で軽く龍を二度叩いた。それは、いつでも飛んで大丈夫という合図だ。

「それじゃあ、2日後からは遠くに行くから仕事はできないが、何かあればアレースに伝えておいてくれ」

「わかった。いつ帰ってくるんだ?」

「わからない。だから、今入ってる仕事以外は入れない」

「そうか。急ぎならアルトあたりに頼むことにする。……気をつけて行けよ」

 右手で龍の前足を二度叩くとウェイバーは先ほど立っていた位置へと戻って行った。それはルペンディも同じだ。二度龍を撫でて、ウェイバーのあとを追った。

 これから龍は飛ぶために羽ばたかなくてはいけない。近くにいると龍が思ったように羽ばたけないだけではなく、近くにいる者が吹き飛んでしまうのだ。

 ゆっくりと羽ばたき、強く地面へ向けて羽ばたくと『黒龍』の重い体が浮いた。3回ほど強く羽ばたいたあとは、ゆっくりと羽ばたく。

 浮き上がり、落下することもなく上空へとたどり着く。庭の上で2回旋回をすると、手を振るウェイバー達を見て龍は城をあとにした。龍の背中でツェルンアイが手を振っていたが、彼らに見えていたのかはわからない。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る