第六章 救出

救出1








 前を歩くユキに黙ってついて行くと、ユキは一つの部屋の前で立ち止まった。エリスはこの屋敷に来たことがないので、その部屋が誰のものかは知らない。しかし、部屋から僅かに気配がするので、スレイが中にいることが分かる。それに、ユキはスレイのあとを追ったのだ。そこに他の人が一緒にいる可能性はあるかもしれないが、スレイ以外を追うはずはないだろう。部屋の中からする気配にエリスは首を傾げた。気配を消したり、感じさせたりとスレイが何を考えているのか分からなかったからだ。それにエリスは、スレイのことを分かりたいとも思っていなかった。だから、尚更スレイを理解することが出来ないのだ。エリスにとっては、理解出来なくても良いのだが。

 黒麒がドアノブを握り、後ろにいるエリスを見た。お互いの目が合うと、開いても良いという意味を込めてエリスは一度頷いた。すると黒麒はゆっくりと静かにドアノブを回し、壊れるのではないかと思う程勢い良く扉を開いた。開いた扉が壁に当たり、鈍い音を立てる。

 扉が開いたと同時に真っ先に部屋へ飛び込むユキ。黒麒は開いた扉が反動で閉じないようにと右手で押さえ、エリスはゆっくりと部屋へと入った。他に誰かがいるかもしれないと警戒をしていたが、部屋にはスレイ以外誰もいなかった。正直、エリスは誰もいないことに驚いた。誰かがいるから、この部屋に入ったのではないのかと思っていたのだ。

 今も下で戦っている白美とラアットの相手であるメイドと執事たちは、すでに死亡しているためなのか気配がない。だから、もしかすると部屋に誰かがいるかもしれないと考えたのだ。しかし、この部屋には隠れられる場所も見当たらないことからスレイしかいないことが分かる。スレイの机の下には僅かに隙間があり、もしも誰かが隠れていればそこから足が見えるはずだ。しかし、何も見えないので誰もいないということが分かり、エリスはせ礼を見た。

 スレイはエリスたちに背中を向けて窓の外を見ている。そんな様子のスレイに、ユキが唸り声を上げる。スレイは自分の後ろには机があるから襲われないとでも考えているのだろうか。机には書類や、白い毛玉のついた鍵などが置かれている。ゆっくりとエリスは机に近づいた。警戒は忘れない。

「まさか、シーアまで倒されてしまうとは。やはり、彼女は銃がなければ弱い……」

「彼女がスピカに似ているのは偶然なの? それとも……」

「あれが似ているのは偶然ですよ。何故なら、私はシーアのことが好きではなかったので。どちらかと言うと、嫌いでした。スピカと会うずっと前からね」

 そう言って振り返ったスレイの口元には笑みが浮かんでいた。スレイの言葉から、シーアはスピカと会う前にすでにメイドをしていたようだ。その頃からシーアのことを良く知り、屋敷で働いていたが好意を抱くことはなかった。そのことから、スレイはスピカを好きになったのは見た目が関係しているわけではないということが分かる。

 スピカと出会う前からスレイはシーアが好きではなく、どちらかと言うと嫌いだった。スピカを好きだと思った気持ちは、本物だったのだろうかとエリスは思った。何故なら、スピカと出会う前からシーアを知っていたからだ。たとえ、シーアが嫌いだったとしても、スピカのことを知っていたため知り尽くして好きだと偽ったのではないのかと。スピカに一目惚れをするのなら、シーアを見た瞬間に一目惚れをするのではないのか。

 ただ、雰囲気が異なる似た顔の人間だったから好きになったのではないか。そう思っても、人の本当の気持ちが分かるわけではない。サトリのように心を読むことの出来る者は、ここには1人もいない。だから、口に出すことは出来なかった。「好きになったのは、一目惚れをしたのは本当にスピカだったの?」という言葉を。本当はシーアのことが好きだったけど、仕事の幅を広げるためにスピカを好きだと偽り、結婚したのではないのか。仕事のことを考え、そうしたのではないかと少なからず思っていた。

「さて、貴方たちがここへ来てしまったのなら、私にはどうすることも出来ないですね」

「……抵抗はしないのですか?」

「出来ないんですよ。私は血で攻撃することは出来ても、血がなければ攻撃が出来ないのです。他者の血でしか何も出来ない。けれど、今は血を持っていないので攻撃が出来ない……」

 先程攻撃していたことを口にしようとしていたエリスだったが、スレイの言葉を聞いて何も言うことはなかった。本当に他人の血液を持っていないのかは分からないが、警戒しているため、何か行動をすればすぐに気がつくだろう。懐に手を忍ばせたら、取り押さえなくてはいけない。何故なら、そこに血液を隠し持っている可能性があるからだ。

「それに……どうやら一緒にいた見知らぬ方のお仲間が来たようですしね」

 そう言ったスレイがさしている見知らぬ方というは、ラアットのことだろう。スレイは一度もラアットと会ったこともないし、見たこともないのだ。知らなくて当然だろう。ラアットは最近自警団に入った人間なのだから。何度もヴェルリオ王国に来ているといっても、1人1人の自警団の顔を覚えてはいないだろう。スレイの言葉を聞いてエリスが耳を傾けてみれば、1階が何やら騒がしいことに気がついた。1人や2人という人数ではなく、10人以上の声が聞こえてくる。

 ラアットの仲間とスレイは言っていた。ということは自警団だろう。それ以外、彼の仲間は考えられない。白美と出会う前であれば、不良と言えるような仲間はたしかにいた。だが、自警団に入ると決めてからは彼らと縁を切ったのだ。だから、ラアットの仲間と言うのは昔の仲間ではなく、自警団だ。しかしそうならば、自警団はここへはどのようにして来たのだろうか。聞こえるだけで10人以上はいるのだ。その人数がこの国へ入ろうとしても、簡単には入れてはもらえないだろう。たとえ、まともに仕事をしない門番であっても、自警団を国に入れようとはしないだろう。それに、他国の自警団を国に入れようとは門番でなくても思わないだろう。何故なら、この国には他国とは違い、奴隷が普通にいるのだ。たとえ、他国のため手を出せないといっても自警団という職業の人間は国に入れたいとは考えないだろう。それならば、どうやって彼らは屋敷に来たのか。

 そう思い、エリスが廊下に出て自警団の誰かに聞いてみようと思い振り返り、開かれた扉を見たときだった。ゆっくりと懐に右手を入れたスレイは、そこから折りたたみ式ナイフを取り出した。そこからの動きは、素早かった。懐に右手を入れた瞬間、誰もが扉を見てしまったということも原因ではあったのだ。

 しっかりと右手で折りたたみ式ナイフを握り力強く床を蹴ると、スレイは机に乗り上げてエリスに刃先を向けて飛びかかろうとした。床を蹴る音を聞いて意識を他へと向けてしまったことに後悔して、スレイを見ようとしたエリスよりも早く動いた者がいた。それは黒麒だ。黒麒もエリスと同じように扉を見ていたのだが、反応が早かったのだ。

 素早く机の上のスレイに近づき、ナイフを握る右腕を蹴り上げた。手加減をすることなく蹴り上げたからなのか、スレイの右腕は鈍い音をたて、本来曲がらない方向へと曲がってしまった。しかし、黒麒はエリスを守ることが出来れば攻撃してきた者が怪我をしようが死亡しようが構わなかった。だから、骨が折れようとも謝るようなこともしない。

 スレイが持っていたナイフは床に落ち、痛みにスレイは声にならない悲鳴をあげた。ナイフでエリスを刺そうとしたのか、それとも少しでも良いので血を流し、エリスの血で攻撃をしようとしたのかもしれない。もしかすると、人質に取り逃げようとしたという可能性もなくはないが、スレイの様子からそれはないだろう。ラアットの仲間が来たということが分かっているので、きっと大体の人数も分かってはいるのだろう。それならば、人質を取ってまで逃走をしようとは考えないだろう。大人数の中ではいくらスレイでも隙が出来てしまい、エリスを保護されスレイ自身は捕らえられる可能性が高い。だから、どちらかと言えばエリスを傷つけることが目的だったのだろう。

 落ちたナイフをユキは右前足で踏み、スレイが手を伸ばしても手に取れないように押えて牙を剥き出しにして唸り声をあげる。黒麒は痛みに唸るスレイの左腕を掴み、机の上から引きずり下ろした。そのときに、机の上に乗っていた書類などが床に落ちたが、誰も気にしなかった。スレイを捕らえるという目的には関係がないからだ。それに、スレイにとって大切な書類であったとしても、捕らえられてしまえば書類もいらないものとなる。しかし、このあと自警団がこの屋敷を調べるのなら書類も大事な証拠となるかもしれない。

 黒麒はスレイを床に俯せにして、左腕を背中に回して右足で背中を踏みつけて動かないように体重をかけた。スレイの右腕は折れてしまっているため、抵抗しても動かないため黒麒の下からは抜け出すことが出来なかった。

「くそっ!」

 悪態をつくスレイ。そんな彼を見て、黒麒が言う。

「私は戦うことが出来ません。ですが、それは魔法を使っている者や、剣や飛び道具で戦っている人に対してです。ナイフであれば、私も相手をすることは出来るんですよ」

 その言葉にスレイは舌打ちをした。無能な存在としか、黒麒のことを思っていなかったのだろう。そして、何かが見えた気がして扉を見た黒麒の視界にあるものが入ってきた。それを見たスレイは目を見開き、さらに暴れだした。暴れるスレイを見て、エリスはあることに気がついた。

「もしかして……犬が苦手なの?」

「苦手!? はっ! あんな主人の手すら噛む馬鹿な生き物はこの世からいなくなれば良い!」

 部屋を走り回るのは、エリスが召喚した『迷犬』だ。どうやらスレイは昔、犬に噛まれたことがあるため苦手のようだ。子供の頃に飼っていた犬にかまれたことに文句を言っているスレイだが、どうやら犬に向かって言うことを聞かないために金切声をあげていたらしい。犬はそれが嫌で、噛みついたのだろう。子供より自分が上だと、分からせるための行動だったのかもしれない。しかし、それが影響で犬が嫌いになってしまったようだ。だから、この屋敷には番犬がいなかったのかと納得がいく。

「たく……その犬、何なの? 部屋から出るのに迷って同じ場所を行ったり来たり……馬鹿なの?」

「だから、『迷犬』って言ってるでしょ」

 扉からゆっくりと入ってくるリシャーナの言葉にエリスが言うと、どうやら意味が分かったようで、リシャーナは溜息を吐いた。リシャーナは『迷犬』を『名犬』と思っていたのだろう。未だに部屋を走る『迷犬』を、まるで獲物を狙うかのような眼差しで見つめた。

 すると、『迷犬』はリシャーナに見られていることに気がついたのか、体をビクリと震わせた。そして、床の匂いを嗅ぐと落ちたものをくわえて走り出した。

 白い毛玉がついた鍵に見え、リシャーナの横を通り過ぎた『迷犬』は、廊下へと出て突き当りにある部屋の扉を開いて中へと入って行く音が聞こえた。それをくわえて、どこへ向かおうとしているのか。エリスに渡そうという考えがないのならば、龍に渡そうとしているのだろう。だが、龍に渡そうとしているのならばそちらに龍はいない。リシャーナは廊下に出ると『迷犬』に向かって言った。

「龍にその鍵を渡すのなら、こっちに来なさい。1人で行くと迷うのだから、大人しくついて来なさい」

 そう言ったリシャーナは、『迷犬』が向かった方向とは逆方向にある階段へ向かって行く。リシャーナの声を聞いた『迷犬』が暫くしてから、スレイの部屋の前を通り過ぎていく。リシャーナが階段にたどり着いたと同時に、横に『迷犬』がやってきた。リシャーナは『迷犬』の頭を一度撫でて階段を下りた。部屋から出てから擦れ違った者には軽く頭を下げたが、何も会話をすることはなかった。『迷犬』が大人しくついて来ていることを確認して、階段を下りると龍がいるであろう地下へと向かって行った。

 床に俯せになっているスレイは、『迷犬』がくわえて行ったものが見えていた。取り返すことも出来ないので、舌打ちをするだけだ。

 そんなスレイの様子に、『迷犬』が持って行ったものが、囚われた者を逃がすための鍵であるとエリスは気がついた。何故その鍵に白い毛玉がついていたのか分からない。もしかすると、他の鍵と区別をつけるためにつけていたのかもしれない。

 鍵は、机の上に置いてあり、黒麒にスレイが机から引きずり下ろされたときに、他のものと一緒に落ちたのだろう。机の上に、白い毛玉があったことを、エリスは覚えていた。他に白い毛玉はなかったので、あの鍵がそうだったのだろう。

 舌打ちをしてから何も言わないスレイに、口を開こうとしたエリスだったが、廊下から足音が聞こえてきたために口を閉ざした。黒麒がスレイをおさえていることを確認して、エリスは扉を振り返った。

 足音が近づき、姿が見えると、その人物は一歩部屋に入り開かれたままの扉を3回ノックした。口元に笑みを浮かべている人物を見て、エリスは目を見開いた。まさか、その人物がここへ来るとは思ってもいなかったのだ。

「貴方は……」












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