第三章 魔物討伐専門組織『ロデオ』

魔物討伐専門組織『ロデオ』1









 夕食を片づけているときに男が帰ってきた。可愛い子を抱きかかえて階段を下りてきた。全体的に白い子供。意識がないようで、男に抵抗することもなく眠っている。牢屋の鍵を開けて、手前に扉を開く。彼は牢屋の中に入ることなく、その子供を扉の近くへと横たえて扉を閉めた。そして、鍵をかけて男は言った。

「どうだい、ツェルンアイ。君の友達になってくれそうな子だろ? 今日から白龍と仲良くするんだよ」

 白龍。男が言ったのは、この子供の名前だろう。余程機嫌が良いのか、男は笑いながら奥へと進んで行く。機嫌が良くても、彼のやることは同じだ。ただ、機嫌が悪いときはその行為が酷いものとなる。見たことはないけれど、聞こえる悲鳴で分かる。

 私は白龍という子供を抱き上げるとベッドに座った。意識がないとしても、あの声を聞かせたくはなくて耳を塞いであげる。こんな幼い子供に、聞かせるものでもないだろう。それに、あのまま冷たい床には寝かせていたくはなかった。あのままでは風邪を引いてしまうかもしれない。男が言うように、この子とは本当に友達になれるような気がした。まだ目を覚ましていないため、一度も話したことはないがそう思った。

 ――それにしても……この子は男の子、女の子どっちなんだろう?

 聞こえてきた声をなるべく気にしないように、別のことを考えることにした。そういえば、聞こえてきた声はいつも聞こえる声の子とは違う。前の子はいったいどうしたのだろうか、と声を聞いてつい考えてしまった。きっと、また何処かへ連れて行かれたのだろう。連れて行かれた姿を見てはいないが、知らないうちにいなくなっていたり、新しい子が来ていたりする。そして、この声の子は新しく連れてこられた子か元々いた子。顔を知っていても声を聞いたことのない子が多いため、元々いた子なのかも新しく来た子なのかも分からない。

「ねえ、私はこの子と友達になれるかな」

 右手の青い毛のブレスレットに、小さな声で問いかけてみたけれど、声が返ってくるはずもなかった。これは、私の癖になってしまっているから仕方がない。

 眠る子供の耳を塞いで、どれだけの時間がたっただろうか。今日はなかなか男が戻ってこないどころか、別の声も聞こえてきていた。余程機嫌が良いのか、日が昇っても悲鳴は聞こえていた。小さくではあったが、絶えることはなかった。

 牢屋からは日が昇ったことは分からないが、朝食が運ばれてくると日は昇っているのだ。地下へと続く扉の前に朝食が置かれて、食事を運ぶのは両足に重い鉄球をつなげられた数人の奴隷だ。扉をノックした音を聞いて食事を取りに行く彼らは薄着で、鞭に打たれた跡がとても痛い痛しい。

 それが奴隷の本来あるべき姿なのだろう。私とは全く異なる衣服。彼らの目は闇のように暗く、全てを諦めているのか何も映していない。

 食事を牢屋の扉横の横にある搬入口へと入れる。トレーに乗せられた食事が入る程度の隙間しかない。その隙間から逃げられる人もいるかもしれないが、牢屋にいる人は全員鎖に繋がれているため逃げられない。ただ、この子供だけは鎖に繋がれてはいない。まだ繋がれていないだけなのか、それともずっとこのままなのかは分からない。このままだったら良い。首輪や鎖になんか繋がれて、窮屈な思いなんてさせたくはない。もしかすると、逃げるチャンスもあるかもしれない。そんなチャンスがあれば、無事に逃がしてあげたい。けれど、もしも失敗してしまったら。そう考えると怖かった。

 今日はどうやら私の食事だけではなく、子供の食事も運ばれてきたようだ。連れて来たことを知っていたのだろう。私の食事の半分程の量で、トレーは小さい。けれど、手をつけることはない。私は朝食は食べない。子供はまだ眠っていて、目を覚ます様子はない。だから、両方とも手をつけることなく下げられるのだ。この子は余程強い薬を嗅がされたのかもしれない。子供から仄かに香る甘い匂い。これが原因なのかもしれない。今匂いを嗅いでも大丈夫なのは、時間がたっていて効果が薄れているからかもしれない。

 暫くして、先程食事を運んでいた奴隷たちが朝食の乗ったトレーを回収していく。手をつけられていないそれに、文句を言うような人もいない。黙って回収していく。

「ツェルンアイ。白龍はまだ起きないのかい? 強い薬を使われたようだね。可哀想に」

 本当にそう思っているのか、牢屋の前を通り過ぎながら言う男。顔は良く見えなかったが、声からして笑みを含んでいるようだ。朝食を回収していった奴隷と擦れ違うようにして、男は地上へと戻って行った。

 白龍は目を覚まさない。翌日には目を覚ますだろうと思っていても、変わった様子はなく目を覚ますことはなかった。お腹は空かないのか、寝るだけでも体力は使うのに大丈夫なのかと不安になる。私は昼食も夕食も食べるし、水分もとる。けれど、この子は寝ているためそれらはとれない。優しくゆすって声をかけても、反応しない。

 それから、毎日声をかけてゆすってみるが、やはり反応はなかった。このまま二度と目を覚まさないのではないかと心配になってくる。もう、誰かが私の目の前で動かなくなるのだけは見たくなかった。

 それからこの子が目を覚ましたのはここへ来て5日目のことだった。心配になる程眠り続けていた白龍。お腹は空かないのか、本当に目を覚ますのかと不安な日々だった。

 ベッドに寝かせていた白龍がゆっくりと目を開く。数度瞬きを繰り返して、ゆっくりとベッドに上体を起こして部屋を見渡した。牢屋の鉄格子を見てから、ベッドに寄りかかり白龍を見上げる私を見下ろした。首を傾げる白龍は何も言わない私を見て、もう一度部屋を見渡した。

 私は何も言わない。先に白龍が聞きたいこともあるだろうと思ったからだ。それに、突然話しかけると怯えさせてしまうかもしれないから。だから、この子から話しかけてくるのを黙って見つめて待つ。

「ここ、どこ?」

 もう一度私を見て、首を傾げながら言う白龍に答える。場所は分からないが、地下の牢屋であること。白龍は男が頼んだ人物に誘拐され、その男に5日前に牢屋へと連れてこられたこと。男が誰なのか聞かれたが、私は名前を覚えていないので『主』としか教えてあげられなかった。名前を思い出せないのは、当時聞いていても自分や仲間に起こったことが受け入れられなかったからだろう。だから、聞いていたことの多くが記憶に残ってはいないのだ。とくに、そのときの自分にはどうでも良いと思っていたことは。

「白龍には、仲間はいないの?」

「仲間?」

「一緒にいた人とか」

「龍。他にエリス、たちといた」

 私の問いかけに何故か白龍は嬉しそうな顔をした。余程その人たちのことが好きなのだろう。もしくは、最初に名前が出た人が好きなのかもしれない。名前をあげたときの顔が嬉しそうだったから。まるで、愛しい人の名前を呼ぶかのように。『龍』という人はどんな人物なのか。私は何故か、会ってみたいと思った。

 仲間が何処にいるのか、いつ帰ることが出来るのか、いつ会えるのかを聞いてこない様子を見ていると、この子供は自分が帰ることが出来ないと分かっているのかもしれない。思っていたよりも冷静だ。少しは取り乱すと思っていたが、そんなことは全くない。状況判断が出来る子供なのかもしれない。もしも、ここで泣き叫ばれても私にはどうすれば良いのかも分からない。幼い子供の面倒は見たことが無いのだ。

 群れに幼い子供はいたが、その子供たちの面倒を見ていたのは狩りが出来ない年寄りや怪我をしていた仲間だった。だから、私は分からない。狩りをしていた私には、泣かれても困るだけだ。泣かないこの子に安心すると同時に強い子だと思う。この年頃の子供は、きっと知らない場所に知らない人と一緒にいるだけでも泣き叫ぶだろうから。

「あの、お姉さん……、仲間は?」

 私のことをなんと呼んだら良いのかと考えたのだろう。私はこの子供の名前を男から聞いて知っているけれど、白龍は私の名前を知らない。だから、教えてあげる。けれど、私の名前は少し難しい。だから、愛称も教えてあげることにした。その方が呼びやすいだろうから。けれど、普段の私だったら愛称を教えないし、呼ばれたいとも思わない。でも、白龍になら愛称を呼ばれても良いと思ったのだ。

「私はツェルンアイ。ツェルって呼んで。仲間は……いなくなっちゃった、かな」

「ツェル……大丈夫?」

 泣き出しそうな顔でもしていたのだろう。白龍は右手で私の左頬に触れた。久しぶりに他者から与えられる温もりと優しさに、涙が溢れてくる。愛称で呼ばれたのも久しぶりだった。少し言いにくそうに私の愛称を呼んだ白龍に涙がこぼれた。

 涙を流しながら大丈夫だと頷く私の言葉を信じられなかったのだろう。左頬に触れたまま左手で頭を撫でる白龍の行動に涙が止まらない。本来なら子供に頭を撫でられ、恥ずかしいと思うだろう。けれど、そんな気持ちよりも白龍に与えられた温もりが嬉しかった。ここに来てから他人の温もりなんか一度も感じてはいなかったのだ。あの男も私に触れようとはしない。だから、余計に涙が溢れてくるのだ。

 白龍は私が泣き止むまで黙って頭を撫でてくれた。そのため、暫く涙が止まることはなかった。この優しい子供を仲間の元に帰してあげたい。そう思わずにはいられなかった。会ったばかりの人にも優しく接する白龍を、このままこんな場所に閉じ込めさせてはいけない。私がこの子をここから出すことができるかは分からない。でも、いつか白龍をここから出すチャンスはあるはず。その所為で私の命が無くなろうと構わない。この子を明るい場所へ戻すことが出来るのならば、私がどうなろうと構わない。私を救ってくれる人を見ることが出来なくなろうとも構わないのだ。

 涙が止まると私は白龍に体は大丈夫かを尋ねた。ずっと眠っていたのだ。もしかすると無理をして起き上がっている可能性もある。しかし、無理はしていないようで体のどこかが痛んだりするということもないようだった。それならばお腹は空いていないか。トイレには行きたくないか。たとえお腹が空いていても今は食べ物はないけれど、あと数時間もすれば昼食が運ばれてくる。朝食はすでに下げられたあとだから、もう少し待たなくてはいけないのだ。もう少し早く起きていれば、なんて言っても仕方がない。

 白龍はお腹は空いていないと首を横に振った。不思議だった。寝ているだけだといっても、人は寝るということにも体力を使う。それは、何かを食べなくては体力が無くなるということでもある。だから、白龍は目を覚ましたのかもと思った。今お腹が空いていないのは、目を覚ましたばかりだからなのかも知れない。それとも、朝食は食べない子なのだろうか。たとえそうだとしても、今お腹が空いていないこととは関係ないような気がした。

 それに、それだけではない。白龍は不思議なことが多かった。眠っていた間、何度か汚れていた服を洗ってあげようと考えたり、寝汗をかいているから体を拭いてあげようと思ったのだ。だが、どれも出来なかった。服が汚れているからと脱がそうと思っても脱がせず、寝汗をかいているから拭いてあげようと思っても服がめくれることはなかったのだ。それどころか、汚れていた服は翌日には洗いたてのように綺麗になっているのだ。それに、寝汗で汗ばんでいた体もまるでシャワーで洗い流したかのように汗ばんでいなかった。

 そんなことが出来るのは人間や獣人のような生き物ではない。神に近い生き物か、神か。それとも、名前の通り『白龍』なのか。『龍』は確か、神と言っても良い生き物だ。けれど、『龍』は人間たちのいる地上には姿を現すことがほとんどないはずだ。仲間の誰かが言っていたことを思い出す。

 『龍』は時空の狭間から人間たちを見守っているのだと。たとえば、異世界というものがあったとしたらそこでも同じように時空の狭間から『龍』が人間たちを見ているのだという。だから、『龍』は地上にはいない。そう聞いていた。それなのに、白龍は何故地上にいるのだろうか。それだけではない。白龍が名前を出した龍という存在。その人も『龍』なのだろうか。もしもそうならば、何故時空の狭間ではなく地上で暮らしているのだろうか。私が考えても分からないことだろう。それに、それを白龍に聞いても良いものなのかも分からない。だから不思議に思っても、口には出さなかった。私はここでしか関わることの出来ない存在。そんな私が尋ねるべきではないだろう。

 ベッドから下りる白龍に私は狭い牢屋の中を案内する。案内といってもトイレとお風呂くらいしかない。服はお風呂場で洗濯をする。男が私には数日に一度新しい服を持ってきてくれるが、それ以外は自分で洗濯するしかないのだ。それ以外に、他には何もない。暇つぶしをするものもない。最初のうちは本を持ってきてもらい読んでいたが、今はそれもしていないためここにはないのだ。けれど、牢屋の中に話し相手がいるのは良いことだと思う。話すことが暇つぶしにもなるだろうから。

 聞いてはいけないこともあるだろう。たとえば、神のような存在である『白龍』が何故地上にいるのか。尋ねれば答えてくれるかもしれないが、私なんかが聞くべきではない。そう思ってそれには触れないことにした。






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