第二章 後悔

後悔1









 白龍は翌日の朝まで目を覚ますことはなかった。余程疲れていたのだろう。夕飯だからと龍が声をかけても返事はなかった。夜中に起きていることが多いユキだが、白龍が起きた気配もなかったことからずっと寝ていたのだろう。

 最近龍は、午前5時頃に起きる。同じベッドで寝ている白龍を起こさないようにリビングへ下りると、頭を上げたユキを撫でて出掛けることを告げて身支度をすると外へと向かう。

 朝早くから出かける龍にユキは何処へ行くのかと問いかけはしない。一度問いかけたことがあるため、行き先は知っているのだ。人型から獣型へとすぐになれるようにと訓練をするため城へと行くのだ。城の庭で訓練をすれば誰かに迷惑をかけることもない。だが訓練も6時まで。メイドや執事たちが本格的に動き出す時間のため、アレースは1時間程度は好きにしても良いと言っていたのだ。

 龍が城へと訪れた気配を目覚まし代わりにしている者もいるのだ。コックたちは4時頃には起きているため、訪れた龍に朝食の味見をしてもらったり、飲み物を提供したりすることが多い。誰もが龍を受け入れていた。

 今では訓練に角と翼を消すことも加えており、そちらがメインとなっている。たった1時間程度の訓練の終わりに、飲み物を持ってやってくるのはメイドか執事のどちらかだ。それを飲み、言葉を交わしてから帰る。それが毎朝の龍の日課だった。

 帰るとシャワーを浴びて汗を流す。そしてリビングへと戻ると、黒麒が朝食の準備をしている。エリスたちがまだ起きていないことを確認すると、2階へと上がりそれぞれの部屋をノックして声をかける。

 それぞれの部屋からはっきりした声や、起きたばかりであろう声が返ってくる。今日は珍しく、リシャーナもいたようだった。昨日の夕飯の時間に帰ってきたリシャーナだったが、今日は予定がないのか起きたばかりの寝ぼけた声だった。

 白龍も起こさなければと、龍は自分の部屋へと向かった。扉を開こうとドアノブに手をかけようとしたとき、扉が開かれた。龍の部屋にいたのは1人だけだ。

 左手で目をこすりながら出てきた白龍は、扉の前に龍がいることに気がつくと寝ぼけ眼で嬉しそうに微笑んだ。自分で起きれたことは喜ばしい。しかし、今の白龍を歩かせて階段を下りるのは危険だ。もしかしたら、落ちてしまう可能性もある。

「……おはよう」

「おはよう、白龍、よく眠れたか?」

「うん」

 しゃがみ目線を合わせる龍に、白龍は頷いて抱きついた。頭を撫でて抱きしめると、このまま抱き上げて下まで下りようと考えた。

「あれ、白龍ちゃんも起きたの?」

 いつの間にか部屋から出てきていた白美が、龍の横に立ち白龍を覗き込んだ。まだ寝ぼけている様子を見て黙り込むと、白美は何故か大人の女性へと姿を変えた。黙る白美に、姿を変た意味を理解して白龍から手を離した。すると、白龍も龍から手を離した。

 それを待っていた白美は、白龍を抱き上げた。驚いて捕まる白龍と白美の目が合う。大人の姿である白美を一度も見たことのない白龍が首を傾げた。

「誰?」

「この姿は、はじめましてだもんね。白美だよ」

 そう言われても白龍は信じることが出来なかったのか、しゃがんだままの龍を見下ろした。目が合うと頷いて、その女性が白美であると肯定した。

 驚いて数度瞬きを繰り返す白龍に、白美は微笑むと歩き出した。白美自身も身支度をしなければいけないため、まだ寝ぼけている白龍を抱いて階段を下りた方が安全であり一緒に身支度が出来る。龍がついていなくても、誰かがついていれば良いのだ。

 白龍を抱きかかえたまま階段を下りて行く白美を見てから、部屋から出てきた悠鳥を見た。意識ははっきりしているようで、龍に挨拶をしてゆっくりと階段を下りて行く。鳥足のため歩きにくそうだ。

 そして、問題はリシャーナだった。手すりにもたれかかりながらリビングを眺める。エリスが「落ちないでね」と言いながら階段を下りていく。手すりは龍の胸あたりまでの高さがあるため、落ちることはないだろう。部屋へとゆっくりと戻っていくリシャーナを見ながら、龍はリビングを見下ろす。

 朝食の準備をする黒麒と、邪魔にならないように隅で丸くなっているユキを見ながら龍は小さく息を吐いた。寝ぼけていた白龍を連れて元に戻った白美とエリスがリビングへとやって来たのだ。どうやら5分程が経過していたようだ。それでもリシャーナが部屋から出てくる様子はない。

 女性の部屋に入ることは出来ないため、数回ノックをして声をかける。すると、どうやら二度寝をしていたようで小さく唸る声が聞こえてきた。

「リシャーナ。もう朝食の時間だから起きろ」

「ご飯……何?」

「さあな。サラダじゃないか。あとお前にはいつも通り魚はあるだろうな」

 そう言った龍の言葉に部屋の中が騒がしくなった。どうやら魚と聞いて一気に目が覚めたようだ。1分程待っていると、いつもと変わりのないリシャーナが扉を壊すのではないかと思う程勢い良く開き姿を現した。

「魚、魚」

 今にも歌い出しそうな程リズム良く呟きながら階段を下りて行く。漸く部屋から出てきたリシャーナに安堵すると同時に溜息が零れた。今までは自分から起き、朝早くから出掛けていたリシャーナ。そのため、こんなに寝起きが悪いとは知らなかったのだ。

 これでもしも朝食に魚がなかったらどうなるのかと、不安に思いながら階段を下りる。すると、エリスたちがすでに朝食を食べていた。しかし、黒麒がキッチンで何かをしている。どうやら何かを焼いているようだ。もしかすると先程の会話が聞こえていたのかもしれない。

 キッチンから離れ、手に皿を持ってリシャーナの席へと置いた。どうやら本当に先程の会話が聞こえていたようで、申し訳なくなり謝ると気にしなくて良いと言われ席へ座るように促された。イスへ座ると身支度を終えたリシャーナがリビングへと戻って来た。

 それを見てイスに座る黒麒。テーブルに置かれている皿に乗った魚を見て固まるリシャーナ。自分が思っていた魚と違ったのだろう。龍も置かれている魚は想像していなかったものだった。

 皿をひっくり返さないように、両手を握りテーブルを数度叩いて何やら小さく呟いている。離れている席に座っている龍には何を言っているのかは聞こえなかった。

「魚って、違うのよ。ううん。これは魚だけど、そうじゃないの。ししゃも3匹って……」

「……そのししゃも、子持ちだろ?」

「子持ちって、美味しいけど……」

 こっちでもししゃもと言うのかと思いながら言うと、大きい他の魚を想像していた所為か不満そうにしながらししゃもにかじりついた。しかし、どうやら本当に美味しかったようで、リシャーナの目が輝いた。

 それからは何も言わずに黙々と朝食を食べていた。どうやら満足してくれたようだった。だが龍は、黒麒にわざわざ魚を用意させてしまったことに申し訳なく思っていた。






******






「ねえねえねえ、アイス食べに行こうよ」

 アイス。龍には聞き慣れた言葉であった。だがここは異世界なのだ。もしかすると龍が知っているアイスとは違うのかもしれない。敢えて何も返すことなく白美を見た。彼女はどうやら全員に言ったようで、エリスや悠鳥を見てから龍を見た。

「アイス、何?」

 聞いたことのない言葉に、白龍が白美に首を傾げながら尋ねた。反応が返ってきたことが嬉しいのか、ソファに座り本を読んでいた白龍へ近づいた。

 アイスとはこの世界では氷ではなく、アイスクリームのことのようだ。龍が真っ先に想像したのはアイスクリームなので間違いはない。甘くて冷たいお菓子と説明をする白美だが、龍は首を傾げた。

「アイスコーヒーもお菓子ってことか?」

「アイスコーヒーは冷たいコーヒーですね」

「アイスだけならお菓子なの」

「アイスクリームとは言わないのか?」

「言わないよ。龍くんの世界ではそう言ってたの?」

 アイス。アイスクリーム。ソフトクリームなど言い方や種類は多かったが、この世界では全てアイスと呼ぶようだ。

 様々な種類があったことを話すと、白美だけではなくエリスたちにまで羨ましがられた。こちらにはあまり種類がないようだ。しかし、龍もこちらの世界のアイスを食べてみたかった。どのような味がするのか気になったのだ。

「こっちにも材料があれば、今度作ってみるよ。美味しいかは保証しないけどな」

「やった!」

 目に見えて喜んでいるのは白美だけだ。しかし、エリスと悠鳥も嬉しいようで口元に笑みが浮かんでいる。一度も食べたことのない異世界のものを食べれるかもしれないと思い、笑みを浮かべたのだろう。

 龍にとっては、こちらの世界の食べ物は自分が暮らしてきた世界のものとあまり変わりはなかった。羊や牛などもヴェルリオ国の東にある村で育てられており、そこで育てられた動物の肉を食べているのだ。

 育てられ食べていたものによって肉の味が異なってはいるが、龍にとっては食べ慣れたものの味だった。ただ、一つだけは違った。

 この世界にも牛乳は存在していた。だが、こちらの世界の牛乳は牛ではなく山羊だった。そのため牛乳とは呼ばず、山羊乳と呼ばれている。龍が暮らしていた世界にも山羊乳や羊乳はあったのだが、飲んだことはなかった。

 こちらでは牛乳はあまり出回っておらず、主に山羊乳を飲んでいた。ときどき羊乳ではあったが、飲み慣れていないからなのか癖があった。毎日飲んでいるわけではないので、未だに慣れてはいない。

「それじゃあ、みんなで食べに行こう」

「申し訳ないですが、私は行けません」

「そういえば、今日はユキと一緒に施設に行く日だったわね」

 6月に入り、クロイズ王国から施設に住み込みで数人の先生が来たことにより、黒麒とユキは毎日施設に行くことはなくなった。それでも、週に一度は訪れていた。ただ遊ぶだけなのだが、それだけでも子供たちは嬉しいようで黒麒はその笑顔を見るだけで幸せだった。だから週に一度のその日を大切にしていた。

 それは白美も知っているため、無理強いはしない。それに、今日も暑いため何もなくてもユキは来なかっただろう。外より家の中の方が涼しいのだから。だが、施設に行くことは断りはしないだろう。

「……悠姉ゆうねえは?」

 一度ソファーに座るリシャーナへと目線を向けた白美だったが、寝ているため近くで立って様子を見ていた悠鳥に尋ねた。きっと返答がどんなものか分かっているのだろう。その声は少し小さかった。

「妾はエードに頼まれてアレースを見張らなければいけないのじゃ」

 一気に机仕事が入ると、アレースは突然部屋の片づけをすることがある。そのため、仕事が終わらないことがよくあるのだ。そうならないように、エードは悠鳥に頼んだようだ。昨日帰って来てから、悠鳥は少しの間出掛けていたので、そのときに頼まれたのだろう。

 エードが悠鳥に頼んだのは偶然だろう。しかし、悠鳥がいれば仕事に集中するだろう。アレースのことだから早く終わらせて、悠鳥と話しをしたいだろうから。エリスはそう思った。

「それじゃあ、4人で行きましょうか」

 本を閉じてソファから立ち上がるエリスに反応した白美も立ち上がった。ソファから下りた白龍は隣に座っていた龍の膝に両手を置いた。何も言わずに目を合わせる白龍だが、アイスを食べることが楽しみなのか早く行こうと無言で目が言っていた。

 微笑んで立ち上がると、白龍を抱き上げた。それにしても、アイスを食べに行くことは良い。だが何処に行くのか龍は知らない。

「で、何処に行けば食べられるんだ?」

「スフィルノーはウルル山脈に近いからいつでもアイスはあるんだけど、あそこは寒いから。どうせなら美味しいのが食べたいし、ルイットかしら」

 スフィルノーとルイット。徒歩だろうと馬であろうと、かかる時間は同じくらいだ。それなら美味しい方が良いだろう。それに寒いのはエリスでなくても嫌だろう。白美とユキは暑いよりも寒い方が好きなため喜ぶだろうが。

「黒麒。悪いのだけれど、出掛ける前にリシャーナを起こして部屋で寝てもらって。もしくは連れて行ってあげてくれるかしら」

 どうしてこんなに寝るのか。不思議ではあったが、普段は我慢して早く出かけていたのか。もしくは、余程疲れているのかもしれない。弾丸のような一方的な話しがないのは喜ばしい。だが、そんな人物が静かだと少々調子が狂うというものだ。

 周りで話していても起きることはなかったリシャーナを気にすることなく、エリスは財布の中を確認して玄関へと向かって歩き出した。

「俺も財布買わないと」

「そうね。お金を財布にも入れずに持ち歩くのはいけないもの」

 財布がないため、龍はポケットに2万スピルトを入れていた。それくらいあれば白龍が何か欲しがっても充分に買ってあげられるだろうと思い、朝ポケットに入れたのだ。

 ルイットに行くのなら、そこで財布を購入するのも良いだろうと思い、龍もしっかりと白龍を抱いて玄関へと向かった。







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