心から信頼できる者4








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 スピカが死んだ。それを聞いて、エードは僅かながらショックを隠せないようだった。誰にも言っていなかったが、エードはスピカが好きだったのだ。幼い頃のスピカしか知らなかったのだが、ときどき長期滞在をした街でゼウスに手紙を送ると返事が来た。そして、手紙の中には家族写真が入っていた。

 それを見て思うのは、子供たちは大きくなったなということと、変わらず元気そうで良かっただった。しかし、手紙のやり取りを数年していると、別の感情も生まれてきてしまっていた。それは誰にも言うことなく、ずっと隠していた感情。

 知らず知らずのうちに涙を流すエードは、エリスに差し出されたハンカチにより自分が涙を流していることに気がついた。ハンカチを受け取り、涙を拭く。そのハンカチは洗って返すと言い、エードは止まらない涙を拭き続ける。

「そんなに擦ったら、目を痛めてしまう」

 話しを聞いている間にイスに座っていた悠鳥が、白龍を起こさないように小声で言う。今起きてしまったら、涙を流すエードを心配するだろう。

「その話しを聞くと、そのスピカさんは何かの事件に巻き込まれたように感じるんだが」

「俺もそう思う。だが、もう事故として終わっている」

「再調査はしてもらわないのか?」

 龍の言葉にアレースとエリスは首を傾げた。どうやらこの世界には『再調査』という言葉はないようだ。再調査。それは、もう一度調べ直すこと。

 そう言うとアレースは難しい顔をした。管轄が違うからだろう。ヴェルリオ王国で起こった出来事であれば可能だったかもしれない。だが、起こった場所はウェスイフール王国なのだ。たとえ、国王であるアレースでも国が違えばどうすることも出来ないのだろう。

 もし出来るのであれば、アレースよりも先に父であるゼウスがやっていたかもしれない。しかし、それが出来ないから何も行動をしないのだろう。スピカを撃ったとされる男は捕まったのだから。

「それじゃあ、もうこの話しは良いかしら」

「あ、はい」

 アレースとエリスにとっては思い出したくない過去の一つなのだろう。家族との楽しい思い出と共に、思い出されるものではあるのだろうが、思い出したくない出来事。

 誰にでも一つはあるだろう。龍にとっては、スカジとの戦いがそうだ。一度負けたことは良い。しかし、勝ってしまったことはあまり思い出したくはない出来事だった。

 スカジに勝ち、平和が戻ったことは嬉しい。だが平和が戻ったのは、龍がスカジを殺してしまったからだとも言える。だから、龍は思い出したくないのだ。人を殺めてしまったことを。思い出したくはないが、忘れてはいけないこと。

「それでは、私はそろそろ仕事に戻ります」

 そう言ってエードは少々目元を腫らして部屋を出て行こうとしたが、扉が3回ノックされたことにより出来なかった。

 今日はよく部屋に人が来ると思いながら 、部屋の主であるアレースは返事をした。申し訳なさそうに扉を少し開き、顔を出したのはウサギの耳を生やしたメイド服を着ている可愛らしい女性だった。

 もしかすると、その長い耳に先程の話しが聞こえていたのかもしれない。顔だけを出す理由は分からないが。

「どうした、ラパン」

「あの……お客様が……」

 アレースの問いかけに、ラパンと呼ばれたメイドの女性はまるで言いたくないとでも言うかのように口ごもってしまった。

 その様子にまさかと思ったアレースは急いで扉に近づいた。何をしようとするのかが分かったラパンは扉を閉めようとしたが出来なかった。閉めるよりも早く、アレースが扉を開いてしまったのだ。それにより、ラパンが倒れそうになるがアレースがしっかりと受け止めると、廊下に立っている者を睨みつけた。

「貴様、何しに来た!」

 そこに立っていたのは、アレースにとって、そしてエリスにとって二度と会いたくない男性だった。たとえ、ヴェルオウルへとやって来ても、一度も城へ立ち寄ったことのない男がそこに笑顔で立っていた。

「あのあと、二度と関わるなと言ったことすら忘れたのか!」

「スピカの墓参りをさせていただきたいのです」

「誰がお前なんかに! 兵を呼ばれたくなければ帰れ! そして二度と来るな、関わるな!」

 睨みつけながらそう怒鳴るアレースに、廊下に立っていた者は部屋の中を覗いたように龍には見えた。ただそう見えただけで、本当は覗いていないかもしれない。

 アレースの様子から、何者なのか龍には分かっていた。アレースがあれ程嫌悪する人間。それは、スレイ・ヴィオーリオ・チャントーマ。墓参りという言葉から、スピカの墓参りに来たのだろうことが分かる。

 しかし、何故今なのか。アレースの様子からも、スピカのことがあってからは会っていないことが分かる。何故突然やって来たのか。本当に忘れたからなのか。それとも他に理由があるのか。それは龍には分からない。

 スレイは一度頭を下げると、何も言わずに立ち去って行ったようだった。遠巻きに執事やメイドが様子を見ていたようで、スレイが歩き出すと、どこへも立ち寄らせないためなのか外まで案内をする声が聞こえてきた。たとえ断っても、執事たちは気にすることなく案内をしている。

「あわわわわわ! も、申し訳ありません!」

 アレースに受け止められたままでいたラパンが立ち上がると、頭を下げて謝った。彼女はずっと、アレースの怒鳴り声を一番近くで聞いていたようだ。

「いや、謝らなくて良い。謝るべきなのはこっちだしな。怪我はなかったか?」

「はい、怪我はありません。こう見えて私、丈夫なんですよ」

 何処かに怪我をしている様子も、痛がる様子もない微笑むラパンに、アレースは安心したのかゆっくりと息を吐いた。落ち着くためでもあったのだろう。右手を持ち上げると、ラパンの頭を優しく撫でた。

 言葉はなかったが、怪我がなくて良かったというアレースの気持ちが伝わったのか、ラパンは嬉しそうにアレースを見上げてさらに微笑んだ。以前のアレースであれば考えられない行動だった。だからこそ、ラパンは嬉しかったのかもしれない。

「ところで、あの男はどうやってここまで来たの?」

 イスに座ったまま問いかけてくるエリスにラパンはそのときその場にいなかったようで、「聞いた話しなんですけど」と話しはじめた。






******






 今日のラパンには、特に仕事は割り当てられていなかった。多くの執事やメイドたちはいつもそうだ。何時にお客が来るなどのことがない限り、毎日食堂にいる料理長やコックの手伝いをしたり、汚れている場所を掃除したりする。

 しかし、毎日数人で分かれて部屋やトイレなどを掃除する。執事やメイドはそれなりに人数がいるので、一週間に二度振り分けられないこともある。もちろん今日のラパンはその1人だった。

 掃除が終わっている部屋に2人で行き、ホコリや汚れがないかを確認する。ホコリや汚れがあればもう一度掃除をするのだが、そんなことはほとんどない。新人が入ってくれば何度かあるのだが、ベテランの人たちと掃除をするのでそんなことは片手で数える程度だ。

 何もやることがなければ、廊下や窓を掃除する。他に書庫なども掃除をするのだが、人がいる場合は迷惑になるのでやることはない。それに書庫は月に二度程大人数で掃除をする。重いものが多いため、それ以外は床や机を掃除し、他はそのときに掃除するのだ。

 ラパンは数人と一緒に掃除が終わった部屋の確認をし、そのあとは1人で窓を拭いていた。他の人も別の窓を拭いていたが、ラパンの近くには誰もいなかった。玄関扉の近くの窓を拭くために移動していたとき、それは聞こえた。

 言い合いをしているわけではないが、何かを言っている男女の声。女性の声には聞き覚えがあった。それはメイド長であるイザベラの声だった。しかし、男性の声は聞いたことがない。

 ラパンが城のメイドとして働くようになって1年程度。その間に一度も訪れたことがない人なのか、ラパンが休みのときに来ていた人なのか。

 隠れるように様子を見ている数人のメイドと執事に近づくと、ラパンは彼らの後ろから出来るだけ小さな声で話しかけた。

「どうしたんですか?」

「ラパンか。いや、あの男が来やがったんだ」

 そう言われても、ラパンには男性が何者か分からなかった。イザベラの様子から、はじめて会ったというわけではないようだ。

 城へと入れようとしないイザベラ。しかし男性は、どうにかして城の中に入りたいようだ、不審者であれば兵を呼ぶのだが、しないということは不審者ではないということなのだろう。

「そういえば、ラパンは1年前にメイドになったばっかりだから知らなかったわね」

「スピカ様の結婚相手のスレイ・ヴィオーリオ・チャントーマ。しっかりと顔を覚えるのよ。あの人が来ても絶対に城の中に入れちゃダメよ」

「今まで一度も来なかったのに、あいつは約束を忘れたのか」

 ラパンの前にいる執事が「スピカ様が亡くなったのは、あの男の所為でもあるのに」と呟いたその言葉に、それが原因で国王はあの男性に関わりたくないのだとラパンは気がついた。

 名前を聞いたことはあったが、ラパンは一度もスピカに会ったことはなかった。それどころか、会いたいと思っても会えないとは考えてもいなかった。

「もしもイザベラさんが止められなかったら、アレース様に知らせないと」

「でも階段は扉の正面だぞ。入ってきたらあいつより先に行くなんて不可能だ」

 気づかれずに階段へ向かうことは出来ない。しかしラパンは、スレイより早くアレースの部屋へ行くことが出来ると確信していた。吹き抜けとなっているため、3階までは階段を使わずに行くことが出来る。

 しかし、メイド服を着ているためその方法は出来ればとりたくない。階段を走って行きたい。だが、アレースに知らせるにはその方法をとるしかなかった。

「大人しく帰りなさい!」

 怒鳴るイザベラ。スレイの手が扉にかかり、無理矢理開こうとしているのだ。開かれないように押えているイザベラを手伝おうとラパンたちが駆け出したが、間に合わなかった。

 開かれた扉の勢いに負けたイザベラが、軽く吹き飛ばされてしまい尻餅をついてしまったのだ。倒れたイザベラを助け起こすメイドたち。そして、一緒にいた執事たちはスレイを捕らえようとするが、するりと通り抜けてしまう。

 スレイは誰のことも見ようとはせず、階段へと一目散に向かっていく。ラパンの前を通るとき、目は合わなかったが、ラパンは何故か鳥肌が立ってしまっていた。

 ――この人……怖い。

 そう思いながら、吹き抜けから3階を見上げた。階段を上がっていったスレイはまだ2階に上がったばかりだ。段数が多いため、少し時間がかかっているようだ。

 ラパンは体をかがめると、足に力を入れて飛んだ。所謂ジャンプだ。しかも、ラパンが予想していたより高く飛んだため、4階の手摺りの上に着地してしまう。国王であるアレースの部屋はあと3階上だ。

 まだ2階にいたスレイは、驚いた様子でラパンを見ていた。目が合うとラパンは耳を立てて、手摺りから下りると上を目指した。同時にスレイが走ってくる音が聞こえる。

 さらに下の階からは、イザベラの怒鳴る声が聞こえてくる。スレイに対してと、メイド服の着ているためジャンプをしたときに下着が見えてしまったことに怒鳴る声だ。メイドなのだから、もう少し別の方法をとれとでも言いたかったのかもしれない。たとえば、執事を投げてスレイより先にアレースの元へ向かわせるなど。

 しかし、執事を投げる程の力を持っている者などここにはいない。イザベラも分かってはいるのだ。他に方法がなかったことなど。ラパンはアレースのいる7階まで走った。階段は数段飛ばし、後ろを振り返ることはしなかった。少しずつスレイが近づいてきていることが分かっていたからだ。

 アレースがいるであろう部屋に近づくと、話し声が聞こえてきた。しかも話しているのはラパンに迫りつつある男、スレイのことだった。どうやら話しが終わりエードが部屋から出て行こうとしているようだ。

 だが、エードが出て行くまで待ってはいられなかった。あと3歩で扉の前だが、走ることを止めて歩いて近づく。息を整えることも忘れない。アレースの部屋には片手で数えられる程度しか訪れたことがないため、緊張するが扉を3回ノックした。

 そのときには既に、スレイは歩いてラパンへと近づいてきていた。部屋の中からアレースの返事が聞こえた。それと同時に、スレイがラパンの隣で立ち止まった。顔を見ても鳥肌が立つことはなかった。

 スレイが隣にいるが、どうすることも出来ない。扉に手を伸ばし、ドアノブを回す。そして、中からスレイの姿が見えない程度扉を開いたのだった。








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