第9話 ブラックアウト
泉が岩陰に戻ったとき、シェリーは自分の足を小突いていた。
「このっ、動けぇ。動けえこんのぉぉバカ足っ」
シェリーは男まさりに叫んで、何度も何度も自分の足を持ち上げようとする。
「お前何やってんだよ」
「ぅおっ」
幽霊でも見たような顔をして、シェリーは泉を見返し驚いた。
「お前…生きてたのかよ」
「生きてて悪いかよ」
「なーんだぁ。俺はてっきりおっちんだかと思ったぜぇ」
シェリーはそう安心したように嘆息した。そして彼女は、
「ってちょっと待て。お前が生きてるって事はあの筋肉バカ仕留めてきやがったのかぁ?」
慌てて事の顛末を求めた。
「いや、あいつは今アンタの上官と戦ってるよ。それよりさっきは悪かったな。さすがに死ぬかと思っー」
そんな泉の言葉を聞くことなく、シェリーは彼の胸倉を掴んで激しく揺さぶる。
「何だとっ。敵の数は。あの筋肉馬バカの武器は。ああもうどうでもいいっ、おいか肩かせ、とっととルカの場所までつれてけこのカス野郎ぉぉぉ」
「何でだよ。さっきは逃げろって言ってただろ」
「うるせぇ。とっととつれてけぇぇ」
シェリーは怒声をあげながら、泉の胸倉を何度も何度も揺さぶった。
(この理不尽さ、なんか…クラスの女子を思い出すなぁ)
そんな罵声に不服を覚えながらも泉はシェリーに肩を貸す。
「大体、テメェは緊張感が足りねぇ。あの筋肉バカの実力は身を持った知っただろ。ルカだってやべぇのに、何でそんな落ちついていられんだよ」
泉に肩を持ち上げさせながら、シェリーは妙に落ち着いている彼に疑問を覚える。
長年戦線に加わってきた彼女からすれば、今が危機的状況であることに違いはなかった。それは死ぬ思いをした彼も理解しているはずだったので、なおさら理解に苦しむ。先ほどの行動だって、場数をこなした兵士でも、なかなか取れるようなものでもなかった。
(コイツ、単純に頭ぶっ飛んでんのかぁ)
シェリーはそう思って、肩を貸す彼の横顔を見た。
「そうだな。自分でも驚くぐらい確かに落ち着いてる。さっきはあんなに怖かったのに」
泉も不思議そうに感想を漏らし、そして彼は、こうも言葉を付け加える。
「多分…姉さんに似てたからかな」
「?」
そう感情に浸って呟く彼の横顔が、シェリーには何故か大人に見えた。
*
暗闇の中、青い二つの光の点が、残光をちらつかせながら直線的移動を繰り返す。そのスピードは、人間が出せる限界までに達していた。
「さすがに、そのお姿でもお早い」
クラウは周りに散らばった銃弾を三つ拾い上げ、その巨体からは想像もつかないほどの器用さで拳銃に弾を装填していく。彼のスピードもルカに劣ることなく、必殺の間合いを維持しながら動き回る。ルカはそんな彼のスピードに驚きを隠せなかった。
模擬戦で二人は何度か刃を交えたことがあった。無論、結果は全てルカの圧勝だったが、今のクラウは彼女と互角の動きをみせる。
(勝者は学ぶことが無いとよく言うのじゃが、存外本当かもしれん)
そう思いながら彼女は素早くトリガーを二回引く。銃弾はクラウの右足と頬を掠めた。
「ヒュー。危ない危ない。もうあんな屈辱はゴメンですからねぇ大佐殿」
そう軽口を叩きながら、彼は地面を勢いよく蹴る。一瞬でルカとの間合いが縮まり、彼女に彼の持つナイフが迫る。ルカはそれを右手の拳銃と左手のナイフをクロスさせて防ぐものの、力で押し切られて後ろにのけぞった。手ごたえを感じたクラウは、すかさずトリガーを二回引く。
「くっ」
辛くも彼女は右にリズムよくステップを踏み、二つの弾丸を間一髪で避けた。そしてバク転しながら間合いを取り、クラウの死角へ素早く移動する。
そんな彼女にもう一度クラウは引き金を引いた。ルカは横っ飛びして弾丸を避け、転がりながら、銃弾二つを拾い上げた。
(きりが無いのじゃ)
二人の実力は拮抗していた。しかし、それは現段階の状況である。体力やパワーの面を考えれば、長期戦はルカの敗北を示していた。
「ふははははは、何ですかその動きは。本当に子供みたいですよ大佐殿ぉ」
クラウは身のこなしは疲労を帯びることも無く、さらに切れを増していく。アドレナリンで一杯になる脳は、狂気と歓喜を渇望する麻薬的ハイテンションを彼にもたらしていた。
ルカは口惜しかった。本来の姿ならここまで苦戦することも無い相手にやりたい方題されることもだが、それよりもクラウにここまで恨まれていることが、彼女の動きを鈍くさせていた。
ピュンッ
銃弾が腕を掠める。弾と服がこすれあって生じた焦げた臭いが、彼女の鼻を刺激した。
「動きが単調になってますぞ、大佐殿ぉ」
余裕を持った笑みを浮かべて、クラウは再度引き金を引いた。その銃弾をルカは軽くいなし、彼に言葉を投げかける。
「主、本気でうちを殺す気なのか」
「ええ、本気ですとも」
さらにクラウは引き金を引いた。ルカは見切っていたのか身動きもせず、銃弾は彼女の脇をそれていった。
「うちの…せいか」
迷いの無い返答は、ルカを深く傷つけた。お互いの関係修復を切望していた彼女は、もうそれが無理であることを知った。
ルカは…クラウを殺すことに決めた。
「残念じゃ」
瞬間、クラウの目前にナイフが現れる。ルカは手首の動きだけでナイフを彼に投げつけていた。初動がなく不意を突かれたクラウは顔面を慌ててそらす。すると目の前には銃を構えたルカが居た。
パァン
一発の銃弾がクラウの顔めがけて放たれる。しかしクラウは撃たれるよりも先に身をそらし、後ろ向きに倒れながらも彼女の持つ拳銃を蹴り上げた。しかし、彼が地面に背中を撃ちつけたときには、眼前にはルカの膝が見えていた。
ボキッ
彼女の凶器と化した膝がクラウの鼻をへし折る。常人なら気絶するほどの痛みが走り、身を悶えさせるほどの威力だったが、
「やっと捕まえましたよ…大佐殿ぉ」
「……っ!」
『ギロリ』と彼女の前で目を見開かせ、クラウは彼女の首を強引にわしづかみにした。
「ぐぅぅぅぅぅ」
悲痛なルカの声が周囲にこだまする。手足をばつかせてクラウの手から逃れようとするも、武器を持たない彼女では、彼に傷を負わせることさえも出来ない。
「すみませねぇ大佐殿。俺は優秀じゃなくてねぇ、殺し方もワンパターンだ」
クラウは彼女の首を掴んだまま立ち上がり、折れた鼻を、無理やり自分の手ではめなおした。そして、彼はお返しとばかりにルカの左肩の間接を無理やりはずした。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
並々ならぬ痛みに、ルカは悲鳴を上げた。左手に力が入らず、腕がぷらぷらと空を泳ぐ。
「おお、痛そうですなぁ。どんな感じですか大佐殿」
「…主…まさか」
痛みをこらえて、全てを悟ったようにルカがクラウに呟いた。
「そうだよ。俺はアンタを越えるために痛みを捨てたんだぁ。全痛覚神経ぶっこ抜いて、人間じゃ無くなったっ」
そう言い切って、もうまともに動けないルカを地面に投げつけた。彼女の体はバウンドして地面にみっともなく密着し、羽をもがれた小鳥のようにプルプルと身を悶えさせる。
「どうですか大佐殿。初めて体に泥がつけられる感覚は」
ルカは地面居はいつくばりながらも身を起こし、左肩を押さえながらクラウに敵対の意志を見せる。しかし、既に彼女の体からはスピードは失われ、敗色は濃厚になっていた。
「全痛覚神経を抜けば…当然熱も、人のぬくもりも感じ取れんじゃろ。クラウ…主は」
「最強になりたかったんですよ。まあそのせいで弊害もありますがねぇ。けどおかげで天才な大佐殿をぶち殺せる」
クラウが近くに落ちていた拳銃を拾い、弾を詰めて銃口を彼女に向けた。
「何か最後に言う事はありますか、大佐殿ぉ」
「無いのじゃ」
「はぁっはっはー、これは諦めがいい。もっと命乞いをしてくれた方が盛り上がるんですがねぇ。まあいい」
そう言って彼は勝利の余韻に浸り、拳銃の引き金に手をかけた。そして楽しそうに目をつぶり引き金を引こうとした。
パァン
クラウの左胸に風穴が開いた。弾丸が防弾チョッキを突き抜け、心臓を勢いよく貫いた。彼はこの異常事態に顔がこわばり、状況を確かめるべく再度まぶたを開く。
ルカが拳銃を構え、銃口を向けている姿がクラウには見えた。その拳銃は、ここで支給されたものではなく、ルカが生前愛用していたブルークライの九十八年モデルであった。
「ほんと…うちらはよく似とるのじゃ。勝ちを確信したときに目をつぶる癖。うちは主に何度も見せたが、主が見せるのは初めてじゃの」
そう唇を開いてルカが寂しそうに言う。
「クソ餓鬼…まさか…これを見越して……」
そう言ってクラウは膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。その際、彼は残る力を振り絞って何度もトリガーを引くが、銃弾は彼の思惑通りに飛ぶこともなく、全てあさっての方向に消えていった。
「クソ…今度こそ…勝ったと…思った…」
虫の息の中、クラウはルカにそう呟く。
「クラウ……主の勝ちじゃ。うちは最後まで気づかんかった…主にうちと同じ癖があること。じゃから…模擬戦じゃったら主の勝ちじゃった」
「それじゃっ……意味無いんだよ…クソ姉…」
その言葉を聞いた瞬間、ルカの瞳がみるみるうちに涙で滲んでいく。
「クラウっ、痛くはないか。すまん、主が強くなりすぎててうちは本気出さずにはおれんかったのじゃ。じゃから…じゃから許せ…クラウっ」
痛覚神経が抜けているクラウにはその言葉は無用だったが、死にいく弟を目の前にしたルカは、その言葉を投げかけずにはいられなかった。
「うるせぇ……消えろ…」
少し満足そうな笑みを残してクラウはその言葉を吐きすてた。結局、この言葉が、クラウ・フレサンジュの最後の言葉となった。
第五章 弱さ
*情報公開
試験二日目
メルティア時間二十二時現在
全受験者数 二十六名
最高得点者氏名 室戸 泉 十四点 国籍―日本
洞窟内では、三人の人影が焚き火を囲んでいた。
「たぁく、生きてるのが不思議なくらいだぜぇ」
「そうじゃの」
「ほら、やっぱ大丈夫だったろー」
「偉そうに言うなっ、このカス野郎ぉぉ」
『ボカッ』と泉を殴って、シェリーが叫ぶ。見事に後頭部に決まり、泉は両手で頭を押さえる。
「お前、冗談で殴っていい範疇を越えてるだろこの男女っ」
「ああっ。大体テメェが粋がって飛び出さなけりゃ、もっとスマートにやれたんだよっ」
「あーコラ、二人とも止めるのじゃ」
そう言って争う二人を、三人の中で一番幼なく見えるルカが制止する。
泉、シェリー、ルカの三人は洞窟内で落ち合っていた。
ルカから洞窟で落ち合う旨のメールを受け取った泉とシェリーは、どうするか口論を繰り広げながらも、結局、落ち合うことにした。
「大体ルカぁ、お前もお前だぜぇ。変な嘘つかなけりゃ、二人であのクソども寝かしつけることだって出来ただろぉ」
「それは…すまんと思ってるのじゃ」
ルカが『しゅんっ』と肩を落とした。
「えっ…嘘?」
「お前まだ気づいてなかったのかよ。こいつは狙撃なんてんでダメなんだよ。つうか気ずけよなぁ。ライフルでもねぇのに狙撃って、拳銃の射程とか小学生でも知ってんだろぉ」
小馬鹿にしたようにシェリーは泉の方に視線を移す。
「ルカ…なんでそんな嘘ついたんだよ?」
「ううっ、それを聞かれると答えに窮するのじゃ」
「察しろ馬鹿っ。どうせ俺たちの身を案じて、一人で突っ込むつもりだったんだろ。たっくっコイツはともかく、もうちょっと俺を信用しろってんだ」
不満そうに両腕を組んでシェリーは横目でルカを睨む。
「ううっ」
ルカの小さい体がさらに縮こまる。まるで叱られた小学生のように、大佐の階級を持つ少女は申し訳なさそうに俯いた。
「まぁいいんじゃないか。お互い無事だったんだし。ルカもそんな落ち込むなよ。俺は気にしてないからさ」
「俺は足打ち抜かれたぞ」
「それはお前が勝手に撃ち抜かれたんだろっ」
「なんだとぉぉぉっ」
「ああもうよい。うちが確かに悪かったのじゃ」
また言い合いを始めようとする二人を、再度ルカが制止する。
「うちは失いたくなかったのじゃ。うちを信用してくれる仲間を。うちはこんな姿じゃから、中々友達も出来んかった。じゃからシェリー、主はうちにとって大切な親友なんじゃ。悪かったのじゃ、シェリー」
なっ、なんて恥ずかしい言葉を素直に吐けるんだろう。そう泉は思いながら、シェリーの顔を窺う。案の定シェリーは顔を真っ赤にして、口をぴくぴくさせている。相当恥ずかしいらしいみたく、目が、目が一生懸命ルカを見ないように努力している。
「ばっ、ばばばばば馬鹿かお前。いまさらそんなこと言わなくても、俺はそっ、そんなこと知ってるよぉ」
「へぇー、お前も親友だと思ってんだな(にやにや)」
「テメェ、歯喰いしばれぇぇぇ」
「おい、いきなりかよっ」
「これ、素直に謝ったのに何故また喧嘩するのじゃ」
照れ隠しにシェリーは泉の顔面に拳をフルスイングするも、彼はシェリーが動けないことをいい事に立ち上がって即座に距離をとった。拳が届かなかったことに腹を立てたシェリーは、立ち上がろうと懸命に足を動かそうとするが、そこにルカが三度目の制止をかけた。
「相変わらず素直じゃないのぉシェリー。まあ、うちは主のそういうところも好きじゃぞ」
「ちっ」
小さいルカの体が、彼女の上半身を受け止め、シェリーは思いっきり舌打ちして、まだ若干赤い顔をルカに向ける。
「ルカ、肩はめてやるよ。外れてんだろ」
「やはり…気づいておったか。うむ、お願いするのじゃ」
そう言って、ルカは左肩を彼女に向ける。
「これ嚙んどけ」
シェリーは小さな布をお絞りのように丸め、ルカの口に咥えさせる。そして彼女の乱れた短髪を優しくまとめて、赤い紐で髪をツインテールに結んだ。
「おいクソ野郎、もう殴らねぇからルカの体支えろ」
「おっ、おう」
そんな二人のやり取りにあっけに取られていた泉は、シェリーの言葉に従って地面に座るルカの体を支える。その姿を視認したシェリーは彼女の左肩に手をかけた。
「せーの」
『ゴキッ』っと痛そうな音が洞窟内に響き、『ぅぅぅぅっ』とルカの悲鳴が小さく漏れた。
「平気か」
「うっ、うむ、ありがとうなのじゃ」
小さく、優しく呟くシェリーに、痛そうに顔をゆがめながらルカは答えた。
「ホントっ、あの筋肉バカ相手にこれぐらいで済むなんて、やっぱオメェはすげぇよ」
「主こそ、泉を良く守ってくれたのじゃ。上官として、うちも誇らしいぞ」
「ばぁーか当たり前だろ」
そう照れくさく言ってシェリーはルカに意味深な視線を投げかけた。ルカもその視線に納得したらしく、
「そうじゃったの」
そう呟いた。
お互いを労わるように見つめあう二人の姿は、泉には親友には見えなかった。それはもう、仲睦まじい姉妹に見えた。
(…海も…姉さんがいたら…)
思いがけない馴染みのある空間。自分がそこから遠い疎外感。その空間は泉がよく知っていたものであり、また、一番目を背けてきたものだった。
失いたくなんてなかった。
ずっと一緒にいて欲しかった。
そんな、罪悪感に染まる姉との邂逅が、ほこりかかった古い記憶を紐解かせた。
泉の姉。岬は、いつも彼と海のことを考えていた。職業が東京大学病院の医者で、毎日手術に追われる両親は、二人の育児をまるで出来なかった。もちろん彼の両親もそんなことを状況を望んでいなかったが、有名大学病院には嫌というほどビップな患者が入院し、断れない手術が引き手あまたであった。
そのような複雑な環境もあり、岬は二人のことを心から愛した。学校でも成績優秀で、スポーツ万能でもあった彼女はあらゆる部活から勧誘を受け、全て断った。兄妹のために朝昼晩の食事を作り、二人の学校参観日には高校を休んでまで参加するほど、岬は二人を愛した。
岬は二人の母親になっていた。それは彼女が望み、そして見事にその役割をこなす彼女を、二人も愛した。室戸家は、幸せで一杯だった。あの…三月九日の事件が…起きるまでは。そう、その幸せを壊したのは……
(俺だ……俺なんだっ…)
「おいお前、なんで泣いてるんだよ」
「どうしたのじゃ泉、うちが戻ってきたのがそんな嬉しいのか?そう泣くでないぞ泉」
「違う…そんなんじゃ…ないんだ…」
姉との過去が、切り取られた写真の断片のように次々と目に映り、感傷に浸った泉は五年越しの涙を流していた。
「…今頃に…なって…」
二人の仲睦まじい姿が、姉と妹に重なっていた。そして、そんな未来に得られるだろう光景を壊した自分の過去を、初めて彼は真正面から受けとめた。
泉は流れる涙を手でぬぐい、戸惑う二人を見つめた。
「ああ…ゴメン。心配しなくていい。これ…病気みたいなもんだから」
「たく男が情けなく泣くんじゃねぇよ。女々しい野郎だなぁお前ぇ」
「これっ、シェリーっ」
声を強めてルカがシェリーを睨む。シェリーはそんなルカの瞳を真正面に受け、顔を何度も悔しそうに変形させながら、
「わっ、悪かったよ」
ばつが悪そうにそう小さく呟いた。
「どうしたのじゃ泉。主、少し変じゃぞ。あの時もそうじゃった。もし主が辛いのなら、うちらに話してみんか。不安に感じるでないぞ。安心せい。うちらは自慢できるような過去は無い。じゃから、心配せずに話せばよい」
ルカは優しく語りかけるように言葉をつむいだ。彼女がその優しさを心から注ぎたかった相手も、もうこの世にはいなくなっていた。
「言ったろ…ルカ。俺にも似たような過去があるって」
ルカの言葉に後押しされ、誰にも打ち明けなかった姉との過去を、泉は素直に二人に話し始めた。
「俺にはさ、六つ離れた姉がいたんだよ。すっげえ仲良くてさ。いつも一緒だったんだ。けど、俺のせいで呆気なく死んだんだ。血だらけになって、助けてくれたのに、それなのに…俺は…俺は…」
「イズミ…」
「周囲の大人どもに励まされて。『君のせいじゃない』『君のお姉さんは立派だった』だと何度も言われてっ。そんな中身の無い言葉を鵜呑みにしてっ。どうやら、今まで何も考えないまま生きて…きた…みたいだ」
泉の頬に再度、一筋の涙が流れた。
「お前ら会って…実感したよ。俺は、姉さんの死を…受け入れてなかった。過去を引きずることもせず…目を背けて生きてた…自分の意志も信念も無く…他人の言葉や環境に流されて…俺、生きてて一度も自分で決めたこと無かった…ホント笑っちゃうよな…自分の…人生なのに…」
泉は流れる涙をもう一度ぬぐい、嗚咽を漏らすように言葉を吐き出した。彼は羨ましくなっていた。ルカとシェリーの意志や信念、優しさがすべて自分にないものだと分かってしまっていた。
泉の優しさは、自分の意志を反映させたものでない。それは感情の手綱を上手く操つれない、場当たりに出る未熟な優しさであった。彼はそんな流されやすく、優柔不断な自分の性格が、嫌で嫌でたまらなくなった。
「そんな、たいしたもんじゃねぇよ」
そのような泉の姿を目にして、『ポツリ』とシェリーが呟いた。
「俺たちは沢山殺してきたんだよ。言っとくけどなぁ、さっき俺が殺した奴だって仲間だったんだぜぇ。まああいつらは、ここに来たときに無関係な人間を沢山殺したからな。だから俺には後悔も…自責の念も湧かねぇ。割り切るんだよ」
その言葉を聞いたルカが、同じように言葉をつむぐ。
「そうじゃ。うちらは沢山殺してきた。じゃから殺した数よりも沢山の命を、うちらは守らんといかんのじゃ。泉、うちと最初にあったときのことを覚えとるかの。うちは主を最初信用せんかった。じゃが主はうちを信用したじゃろ。それはもう、うちらにはできんことなんじゃ。うちらは汚れとる。血で金を稼ぐ嫌な仕事じゃ。主はそんなうちでも心から信用した。それは主の立派な強さじゃ」
そうルカは優しく語りかけ、涙にぬれる泉の頬を、布でぬぐった。
「じゃが、主の言うことも一理ある」
そうルカが彼の目を真直ぐ見て語りかける。
「極端な信頼、それは逃げてることになるのじゃ。自分で考えることを辞め、他人の言いなりになってしまう。それはすごく楽なことなのじゃ。じゃがのぉ泉、それは強さとは言わん、甘えなのじゃ」
ルカは彼の瞳から目をそらし立ち上がって、彼の髪を優しくなで始めた。
「主はすごいのじゃ。こんなこと誰もが考えつくことではない。多くの人間が気ずかずに、そのまま死んでいくのじゃ。全く、主のお人よしはそんなとこから出ておったのか」
少し呆れたようにルカは漏らした。
「じゃが泉、もう主はそんなヘタレではないじゃろ。なんせ主は自分の一番の弱点に気づいたのじゃからな。じゃから主はもう強い……うちらの仲間じゃ」
その言葉を聞いた瞬間、泉の瞳からとめどなく涙が流れ始め、ルカは黙ってそんな彼の髪をなで続けた。
一方、シェリーは子供のように泣きじゃくる泉の姿をみてひどく慌てていた。
「おい泣くな。そんな泣くなよぉぉっ。ああクソこういう時どうすればいいんだ。あっ、そうだ。男はおっぱい好きだよな。そうだよな、ああもうぉぉ」
シェリーは頭をかきむしりながら彼の体を強引に掴み、そして彼の顔を自分のふくよかな胸にうずめた。
「男の涙はみっともねぇんだよ馬鹿野郎ぉ。そんなもん、いちいち俺にみせんなっ」
シェリーは恥ずかしそうにそう呟いた。
「こんなまな板の胸でいいなら、うちのも貸してやるのじゃ」
そう言ってルカも彼の頭に腕を回し、自分の胸を押し付ける。
泉は嬉しかった。彼女達の胸の感触がではない。彼女らの気遣いがだ。
彼女達の優しさが熱となって泉の体に伝わってきた。そしてその熱は、皆川から受け取った熱と激しく交じり合い、彼の強さとなった。
「……ありがとう…」
彼は二人の胸にうずくまりながら、小さくそう呟いた。
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