姫、進撃す5

 そういった経緯を、シルマイトが忘れているはずはなかった。

 彼は、かつて愛しんだ妹が自分を全く顧みようとせず、それどころか、憎んでやまない四兄になびいた事実がどうしても許せなかった。

 自分に対して心を開かないのなら、心そのものを壊してしまえ。


 歪んだ感情が発露した結果、レイゼネアを司祭に引き渡した。

 若い娘に尋常ならざる執着を見せると、教会の一部で名を馳せた人物にである。

 ゆえに


(レイゼネアが悪霊憑きだと。

 あれが『ああなった』のは俺の意向であって、断じて悪霊の仕業ではないわ)


 胸中では、まことしやかに流される噂を鼻で笑っているのだ。

 ただし、決して表ざたにはできない。


「妹が教会を嫌うさまを、悪霊憑きだ何だと騒ぎ立てるなど、我が宮廷の風紀を乱す大罪である。

 以降、風聞の流布に関わった者は、身分の上下に関わりなく厳罰を被るであろう。

 無遠慮なる悉皆調査を企てる者も同様だ。

 シャウドルト、宮廷に徹底させろ」

「は」

「サナーギュアの連中には、おれから説明する」


 シルマイトは、やや面倒くさそうな様子で腹心に命じた。



 ところが、噂とはいかに絶対者であろうと、簡単な命令でどうにかできるような性質のものではない。

 表面に出せないだけ、深く静かに、地下へと潜っていくものなのだ。


 北方圏と違い、南方圏における神殿礼拝は、男女とも同じ時間に同じ場所で行われるのが常だった。

 確かにレイゼネアは、ロベルティートが王都を追放された時期を境に、諸神礼賛の儀には不参加がちであり、庭の散策などにも滅多に現れなくなっていた。


「ロベルティートさまが、不義を働こうとなされたそうな。

 何とも嫌な話だ」

「そうした御方には見えなかったのだがな、人とは分からぬものだ」

「レイゼネア殿下がお気落ちあそばされるのも当然というものだろう」


 彼女が心身ともひどく摩耗している様子を、宮廷の人々はそうささやき合いながら、観察していた。

 みな、敬愛していた兄から、信じがたい仕打ちをされ、涙を飲んで告発に踏み切った。世にも気の毒な姫君という目で、彼女を見ていたのだったが。

 サナーギュアの姫であるミルティーネが宮廷入りし、レイゼネアと懇親するべく茶話会を催したあたりから、様相が変わり始めている。


「どうも、レイゼネア殿下の憂うつは、ロベルティートさまだけが原因ではないらしい」

「教会へのお誘いで、ご乱心あそばされたとか」

「なぜ教会に誘われて、そうまでお取り乱しにおわしたのか、さっぱり分からない」

「悪霊が憑りついたとか、ゆゆしき噂が流れているそうな」

「何とおいたわしい。

 やはり神のお怒りに触れられたのか」


 しかし、あっというまにシルマイトの発した「噂および詮索禁止」令が、宮廷内にいきわたった。

 破れば身分を問わずに厳罰が下されるとあって、とりあえずは収まったのだが。

 人の好奇心とは、固く禁じられれば禁じられるほど、高まってゆくものだ。

 シルマイトの見立てあるいは期待とは裏腹に、レイゼネアは人知の及ばざる不幸に見舞われた、悪神に魅入られたといった所感が、宮廷人の間に浸透していく事になった。

 茶話会から三日が経過した現在、噂はひそひそと伝わり続けて、その様はミルティーネの知るところとなっている。


「シルマイト殿下には、けっこう厳しめに叱られたわ」


 貴人の子息子女には必ずつけられる傅役や乳母から、当人が成長した後にも身辺の世話役に任命される者は多い。

 ミルティーネにも、長く仕えている老女官がいる。

 さしあたりの話し相手は、レオス民族出身の「婆や」だった。


「みだりに飛語を遣わすことなかれですって。 

 失礼ね。

 飛語なものですか、根拠はあるわよ。

 この目でしかと見たのだから」

「殿下。 

 いますこし慎み深くあらせられませ」

「何を慎むの。

 わたくし、レイゼネア姫は教会を否ませ給うとは申しました。 

 悪霊憑きとまでは申しておりません。思ったけど」

「それがいけないのです、殿下」

「とっさに思う事すらいけないと禁じられても、承諾しかねるわ。

 わたくしは人間です。

 まあ、叱られたなりの成果はあったから、良しとするのだけどもね」

 あっけらかんとしているサナーギュアの第二王女に、女官の方ははらはらさせられ通しと見える。

 年老いた世話役の女性は、困ったように吐息をついた。

「ミルティーネ殿下におかれましては、この婆やが日ごろよりお教え申し上げておりますように、どうか淑女らしいお振舞いを心掛けられませ」


「お父さまは、わたくしに淑女をお求めにはおわしません。

 そうであれば、当初の予定通り、お姉さまがお輿入れをあそばしたはず。

 有職故実を枉げてでも、わたくしをエテュイエンヌ宮廷へお遣わしになられたのは、それ相応の働きをせよとの思し召しに相違ないのよ。

 婆や、分かって」

「ただただ、殿下の御身を案じております」

「気持ちは嬉しいわ。

 でも、これはやらなくてはいけないの。

 レイゼネア姫のお気鬱には、いかような理由わけあってのことか。

 知らなければならない」


 ミルティーネは、一歩たりとも引き下がらぬ構えである。

 もっとも、彼女の身であれば引けないのは道理だった。

 誰もが語るように、レイゼネアのひどく落ち込んだ様子が、ロベルティートの不埒に端を発するで片付くならまだしも、万が一にもシルマイトが関わっていた場合。

 彼の妻になる立場が、これを見過ごすわけにはいかないのだ。


「婆やがわたくしの身を案じてくれるなら、なおさら目を背けてはいけない。

 シルマイト殿下と、兄君ロベルティートさまは、明らかな不仲におわしたと仄聞するわ。

 そのうえで、ロベルティートさまがご失脚。

 シルマイト殿下は、本当に何も関係ないと言えて」

「さよう仰せあそばすのは」


「シルマイト殿下のあずかり知らぬところで、ロベルティートさまがご失脚あそばされたと思うの、婆や。

 親王宣下の翌日よ、ご失脚は。

 それほどシルマイト殿下にご都合よく、兄君が宮廷から追放されたりするものかしら」

「それは……」

「何か。

 そうよ何かがあったのよ、きっと。

 シルマイト殿下の、あの手厳しい態度からも、触れられたくない「何か」のご事情があるように思われるわ」


 すでに何度か催された、将来の夫婦における親睦を深める場において、シルマイトは怖い顔をした。


「みだりに飛語を遣わすことなかれ。

 くれぐれも、心がけられるよう」


 にこりともせず、優し気な口調も控えて、最初から冷たく言ってのけた。

 どう見ても恫喝だった。

 反論はおろか、釈明も許さない。今までは曲がりなりにも愛想よく、穏やかな物腰だったものが、まさに豹変である。


(あらあら。ついにご本性をお見せになられたわね。

 やっぱりいけ好かない、 紳士ぶった下種という、最初の印象は確かだったわ)


 ミルティーネは、我ながら人を見る目に間違いはなかったと、いっそ喜んだほどだ。

 お付きの老女官には伝わらなかったのかもしれないが、あのいきなり強腰な態度を間近に見た者としては、彼が懐柔を断念するほど、レイゼネアにまつわる話題には触れさせたくないと思っている。いや、はっきり言えば事情の露見を恐れている。そう確信せざるをえないのだ。


「あのような、急に態度を硬化させる殿方と、わたくしは婚姻の縁を結ぶのよ。

 しかも、どうしてなのか、ご説明もなされない。

 怖いのよ、正直に言うとね」

「確かに。

 何がお気に障るか分からぬというのは、この先はご難儀であろうと推察します」

「でしょう。

 だから知りたいの。

 気づかない振りをしてはいけない。

 目をつぶってやり過ごしたとしても、それは一時のことよ。

 決して面白半分に知りたがっているとは思わないで、婆や」


 ミルティーネの言いように、老女官も考えを改めたと見える。深くうなずいた。


「かしこまりました。

 殿下の乳母を務め、今もなお、ご身辺の世話役としてお取り立ての栄誉に与る身でございます。

 御身のお大事に関わるのでございますれば、もう口うるさくは致しません。

 むしろ、殿下のお言いつけに従いましょう」

「ありがとう、助かるわ」


 シルマイトに睨まれてしまい、覚悟した通り、あまり自由には振る舞えなくなったと悟ったミルティーネにとって、元乳母の協力は得難い価値あるものだった。

 彼女は静かにほほ笑んだ。

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