かつて王子だった男の野望2

 チェルマーとマクダレア、両者の駆け引きは、睨み合いの様相を呈していた。

 報告を受けたジークシルトは

「ふむ、あの女の事だ。

 強情は予想がついていた。

 簡単には口を割るまい」

 特に失望した風もなく、現状維持を命じた。

 ダオカルヤンは首を傾げた。

「ヴォルフローシュとかいう女剣士を、殿下は未だにお気にかけておわすか」

「あの女を気にかけてはおらん。

 どこまで知っているか、正直なところおれもあまり期待はしておらんのだがな。

 リューングレスの情報が欲しいのだ。

 あの女の知識に関心がある」

 言われてみれば、心当たりはある。

 国境戦当時、リューングレス軍が派兵されてくるだろうとの予測は、当然にされていた。

 しかし、敵軍は当方のほぼ確信だったそれを、あっさり裏切ってのけた。

 ついに派兵されなかった、正確には途中で軍を返した。

「誰が参戦拒否を決定したのか」

 ジークシルトは、当時の指揮官を知りたがり、念入りに調べるよう外務庁、典礼庁へ強く要求し

「第三王子アースフルト親王におわします」

 軽視しえぬ敵手の名を知った。

 どちらかといえば、グライアス王よりも、その人物に注意を引かれているほどだ。

「アースフルトどのか。

 知らん男だ。

 凡庸な人物ではなかったと、いま少し早く知りたかったぞ」

「王位継承権とは無縁。

 通常であれば、そのように考えられますゆえ、やむなしかと」

「確かにな。

 国境戦争が起きなければ、アースフルトも、外国に名を知られることなく無難に一生を終えただろうよ。

 今となっては、無名どころか、この北方圏を席巻する嵐を呼び起こしかねん」

 ジークシルトは警戒心を隠そうとしない。

 ダオカルヤンは目を瞠った。

「そこまでのご評価をあそばされておわすとは」

「ロギーマも語っていた。

 いかにも目端がきく、油断ならぬ様子の王子だったらしい。

 あの男がそう言うのなら、よほど見るべき器だったに相違ない。

 グライアス敗色濃厚を、現地に行かずしてよくぞ見破った。

 拍手の一つでも送ってやりたいところよ」

「問題は、ヴォルフローシュ剣将どのが、かの王子を見知っているか否かでございますが」

「知っているなら驚いて遣わすわ。

 いかに腕が良い女剣士といえども、聞けば生家の爵位は盾爵だという。

 夜会で美女の名を恣にしたとでもいうならともかく、剣の道を選んでいる。

 どう考えても、当時無名の第三王子と知り合えるわけはない」

「左様ですな。

 名を知るのが精いっぱいといったあたりでしょう」

「アースフルトどのについて知らずとも、それはよい。

 第三王子を知らなんだとしても、リューングレスについてなら、少しは存じておっても不思議はない。

 何しろ、小国すぎるうえに宗主国の陰に隠れておって、我がエルンチェアの視界に入りようが無かった国だ。

 あまりに情報がない」

「仰せの通りと存じます。

 それがしも、リューングレスの噂など小耳にはさんだ事もございませぬ。

 精々が、例の海路振興策がどうのこうの」

「ああ。

 ふざけた話だと思っていたがな」

 ジークシルトは目をすがめた。

 厳しい表情に、腹心も息をのんだ。

 若主君の様子は、どうやら海を南方圏貿易における新たな道とする旨を掲げた「海路振興策」を、聞き捨てならぬと考え直したかのように見える。

 陸路こそ安全という常識が、古くなりつつあるようだ。

「西峠は山賊、東峠は雪。

 どちらも、それぞれに難がある。

 我らは今までタンバー峠をのみ恃んできたが、ブレステリスとの確執からゲルトマ峠に目を向けた。

 途端に山賊襲撃騒ぎで、一つ間違えば頓挫とんざの危機に瀕する有り様よ。

 海は危険と、毛嫌いしてばかりもいられまい」

「すると、殿下は海路振興にご関心が御有りで」

「無い事もない。

 今日明日の話ではないにせよ、頭の片隅には置いておくべきだろう。

 そのあたりを考えに入れて、リューングレスの処遇を検討するつもりだ」

「もしや、我が方に引き入れると」

「まだ何とも言えん。

 リューングレスがどのような国か、さっぱり分からんのでな。

 アースフルトどのも、当方に唯々諾々と従う気質ではあるまいよ。

 もしそうなら、軍を返すと同時に、接触してこようとするに決まっているのだからな」

「……我がエルンチェアには、何も申し入れがございませんな、そういえば」

「うっかり申し入れようものなら、我らがどう出て来るか、知れたものではない。

 アースフルトでなくとも、通常の神経なら慎重になる。

 だとしても、我がエルンチェアの歓心を買いたいならば、手を尽くして詫びるなり何なりするはすだ、

 我らとしても、途中で引き返して参戦を控えた実績、相応に扱わねばならん。

 何もしないというのは、少なくとも、我が方につきたいとは思っておらぬ意志の現れだろうよ。

 まったく、頭が痛いな」

 厳しい表情は、不敵な笑みに変化を遂げた。

 言う程に、頭を痛めているわけではないだろうと、ダオカルヤンは見当をつけた。

 事実、ジークシルトは思い悩んではいなかった。



 冬はけ、雪の勢いはいやます。

 黒い雲は頑として空に居座り、痛みを感じさせる凍れる烈気れっきを振りまいて、北の国を白い牢獄に閉じ込める。

 日の光を目にするのは、もっと遠い先の事だろう。

 本日も吹雪だった。

 王城は暗く、明かり取りの窓も全て板が打ち付けられていて、時折みしみしと音を立てるのみの役立たずに成り果てている。

 北の住人であれば、誰もがこの降雪特有の家鳴りに、まったくぞっとしないだろう。

「それで」

 バロート王は、頬杖をついて、執務机に陣取っている。

 今の話し相手は典礼庁長官だった。

「アローマ以下、反逆者どもは片付いた。

 後始末は如何に」

「宝玉の盃を差し下され、遺骸はさしあたり寺院預けとなっております。

 吹雪が止み次第、密葬を執り行い、埋葬の手はずを整えました。

 後任は、陛下の綸旨りんしを賜りました通り、お手元の名簿に記してございます」

「ふむ。

 あの者どもら、予としては海にでも放り捨ててやりたいが、ユピテア教に反する真似はしかねる。

 最低限の弔いは遣わせ」

「は」

「妻子は、予の考え通りにしてあるな」

「御意。

 女人はみな、しかるべき寺院送りと致しました。

 男子は年齢に関わらず賜死、こちらも実行済みにございます」

「宜しい。

 男を生かしておいてはならん。

 我が王家に弓引く不埒者に育たれてはかなわぬ」

「仰せの通り。

 男子は根絶やしとの思し召し、確かに執り行いました。

 子を産む間際の女人は三名おりましたが、男子か女子か、見極め次第に順次」

「それでよい。

 我が王家に逆意ある者、すべからく死を得るべし。

 鉄則である」

 双方とも、感情の動きは一切見せていない。

 一息ついて、王は頬杖をしたまま、視線を典礼卿から外した。

「ときに、パトリアルスだが」

「は。

 動向は、多少ながら掴んでおります」

「グライアスについたのだな」

 再び臣下を見る。

 底が知れない、氷の眼だった。

「逆意を剝き出しか」

「恭順の意は無いものと思し召されませ」

「そんなもの」

 ふん、と鼻を鳴らす。

「あったところで、折れた柄杓の如しよ。

 許すものか」

「では、ご討伐あそばすとの宸慮しんりょにお変わりなしと」

「むろんだ。

 ジークシルトにやらせる。

 あれも、乗り気でのう」

 低く喉を鳴らし、愉快気に目を細めるバロートだった。

 クレスティルテの命を奪い首を落とし、送り付けて来た次男は、同時にエルンチェア王の非を鳴らしてきた。

 自分は冤罪を着せられた。

 汚名返上のために戦うをやぶさかでないとす。

 明文化されてはいなかったが、戦争中の敵国に亡命を願い出るとは、すなわちそういう事だ。

 首だけをよこしてきたというあたりから、次男の心境は、ブレステリスにも脅しをかける所存であろう。

 胴体だけの王家連枝たる女性を見た宮廷一同は、さぞかし震え上がったと、想像に難くない。

「まことに、惜しいと言えば惜しい。

 どうしてあの苛烈な処置を、早々にやらなんだか。

 やればできるではないか。

 殺すまではせずとも、ジークシルト以上に断固とした態度をとってクレスティルテと対峙しておれば、予も少しは期待して遣わしたものを。

 今となっては、許してやる気にはならぬがな」

「非情の情と申します。

 お若いかの君は、ご存じなかったのでしょう」

「非情の情か。

 よく言ったものだ。

 情け深いのが、ときには仇となり、情をかけぬ事が、むしろ優しさとなる。

 パトリアルスは典型だな。

 優しくあったがために、母を死なせる羽目に陥るとは。

 我がユピテア大神のお導きも、なかなかどうして、皮肉が効いているのう」

「御意」

「グライアスは、パトリアルスもろとも滅ぼしてくれよう。

 こは、王たる者の責務である」

 バロートは、休戦など念頭にも無いと断言した。

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