立太子礼2

「王太子妃殿下も、お迎えあそばす手はずでございます」

 すなわち、ラインテリア王国から輿入れがあるというのである。

「マディアンネ・ラムア姫におわす」

 ほんの五日前に肖像画を見せられた。

 ランスフリートの感想は

「淑やかな姫君におわすな」

 以上だった。

 言い換えれば、特筆に値する何かを見出せない、無難な姫といったところか。

 むしろ、ありがたいと思う彼である。

 明るく溌溂としていた故ティプテを忘れられないところに、同じような気質の女性が妻として現れても、うまく接してゆけるかどうか。

 もっとも、麗妃のような性格の姫は、レオスの淑女には求めにくいが。

 とまれ、仕方なく娶る。

 それなら、無難な結婚生活を過ごせればそれでよい。

 ランスフリートは冷静に、あるいは冷酷に、そう割り切っていた。

 妻となるべき女性が迎えられるのなら、遅くとも次の月、春季一月には婚礼になる。

 そう見るのが宮廷の常識だった。

 パウラス卿は、まだ知らされていないらしい。

「ところで、パウル。

 わたしは来月、おそらくは結婚すると思うのだが、聞いているか」

「それはそれはご祝着至極……えええっ」

 正直に驚いている。

「ご、ご成婚あそばされるのでしょうか」

「ああ。

 まだ話はいっていないのだろうな。

 無理もない。

 おれも、五日前に知ったばかりだよ。

 マデ、何だったかな。

 そんな感じの名前の姫だ」

「そんな感じ」

 随分とそっけない言いように、祭司は目を丸くした。

「他人事のような」

「ある意味で他人事だな。

 おれの妻は一人しかいない、ついでにこの世にもいない」

「ご胸中、お察しします。

 そうですか。

 それはまたええと、お祝い申し上げてよいのか悪いのか」

 どこまでも正直に困惑する彼に、ランスフリートはまたまた笑いを誘われた。

「無理はしなくていい。

 おれは、作られた立ち居振る舞いを見るのに飽き飽きで、貴君を無理に引き留めた。

 そう言ったはずだ。

 感想があるなら、心のままに口に出していい」

「左様ですか。

 だったら遠慮なく。

 王侯貴族とは、かくも面倒にして厄介なお立場にあらせられます」

 本当に、正直に言ったものだった。

 ランスフリートは笑いを止められなかった。

「そういうところが、おれの気に入ったところだよ、パウル。

 そうだ、貴族とは厄介極まる。

 王族に至っては、何かの呪いかと思う程に厄介だ」

「人の役割とは、かくも理不尽なもの。

 身分といい立場といい、どうにも思い通りにはなりませんもので。

 かく言うこのパウルもまた、思い通りの人生を生きられぬ一人でございます」

「そうなのか」

 急激に興味を惹かれて、ランスフリートは身を乗り出した。

 パウラス卿は珍しく真顔になり、静かに首を振って

「ええ。

 生まれにしてからが、思ったのと違う立場でした。

 わたくし、実は」

 小声である事を打ち明けた。

 ランスフリートは腰を浮かせた。

「なッ……本当かッ」

「はい」

 卿は微笑んで、長い白髪をかきあげた。



 式典は厳かに遂げられ、ダディストリガには勲章と記念品、その他の副賞が盛大に贈られた。

 当人は気恥ずかしさでたまらないという顔をしていたが、国家を挙げての行事には相応の理由がある。

 表面だけは粛々と、国王手ずから下された勲章を押し戴き、夜の祝宴にも黙りこくって、ひたすら上席に鎮座した。

「ジェイル・ダリアスライス」

「我が王国の若き英雄に神の祝福あらんことを」

「流石はティエトマール家の御曹司。

 お見事なる手腕」

 左右に集う貴族たちは、本気かそうではないのかはっきりしない表情で、万歳を唱えたり主役を褒め称えたりと忙しい。

 元から派手華やかさを好まず、目立つのを嫌う彼だったから、まったくもって苦痛でしかなかった。

 どうしたものかと、賓客もそっちのけで考え込んでいた時だった。

「剣将」

 貴族たちの背後から、従弟の声がした。

 たいそう驚いた様子で、周りの人々は振り返り、次いで大慌てしつつ、若い王位継承者のためにダディストリガの目前を開いた。

 彼も驚き、また恐縮ぶりを示して椅子から立ち上がった。

「これは、殿下」

「盛況だな」

 並みいる上位貴族たち、もちろんティエトマール家に連なる人々だったが、時折は他家の者も混じっている。

「良い。

 楽にするように。

 すまないが、ティエトマール剣将を借り受けたい」

「ははっ」

 異論など出ようはずもない。

 たいへん素早く、貴族らは横に下がり、一斉に頭を深く下げた。

 急いでそこから出てこいとばかりに、従弟は微笑して手招きしている。

 実に久しぶりに見る、肉親の気安さを伴った表情だった。



「殿下。

 御自らのお運び、誠に恐縮至極」

 窓際に連れ出されたダディストリガは、丁寧に礼を述べた。

 ランスフリート自身が、わざわ貴賓席を離れて来たのは、従兄を、要するに手っ取り早く望まない人の輪の中から救出するためだ。

 察しているので、あえて

「王太子ともあろう貴人が、お腰も軽々とおでましあそばされるとは」

 とか何とか、説教するのは控えたダディストリガである。

 ランスフリートは、巨大な玻璃はりの窓越しに冬の夜空を眺めやりながら、悪戯っぽく笑った。

「いつになく素直だな。

 よほど、英雄扱いされて揉みくちゃになるのが堪えたと見える」

「は」

 目を伏せ、軽く会釈しつつ、本当に珍しいと言わねばならない従弟の気を晴らしたさまを目の当たりにして、ダディストリガは意外気な表情を作った。

(ようやく麗妃殿下のご逝去から、御立ち直り給うたか)

 かねてより気にかけていた、変貌した従弟の心境について、どうやら懸念されていたある種の「陰」が鳴りを潜め始めたと感じたか、安心した態度になった。

 ランスフリートも気づいたようだ。

「わたしの態度に、何か思うところがあるか、剣将」

「恐れながら。

 めでたくも御心が安んじたもうたと覚えます」

「安んじたか。

 確かに。

 貴公の留守中、わたしも思うところがあった。

 いつまでも塞いでいてはならぬとは、頭では判っていた積もりだったのだがな。

 最近になって、やっと心の整理がついたと実感できるようになった」

「祝着至極に存じ奉る」

「きっかけは、いろいろあった。

 一つは、結婚だな。

 貴君も既に耳にしていよう」

「御意にございます」

「楽しみだとまでは、残念ながら言えぬが、心の区切りとして歓迎する心境程度にはなれた」

「何よりものお言葉を賜り、恐悦し奉る。

 それがしには、お歴々から承ったお褒めの言葉に勝ります」

「他にもあると言えばあるが、まあそれはよい。

 貴公を窓際まで連れ出したのは、助けるだけではなく、別の理由があっての事だ。

 なるべく早く耳に入れておきたい」

「謹んで」

「実は、山岳民の話だ」

「は……えっ」

 あまりの急転ぶりに、ダディストリガは思わず声を出してしまったらしい。

 してやったりといった体で、ランスフリートはやや得意げになった。

「ほう、今宵の貴公は素直だな。

 わたしの言葉は、よほど意外だったようだ」

「……御意」

「しかし、そこまで仰天するほどの事でもないだろう。

 よく考えてみよ。

 わたしは、かの草原を渡り暮らすイローペの民を従える王子殿下と、知己を得ているのだから」

 話によると、顕彰式典前だという。

 療養中のロベルティートが面談を申し込んで来て、式が開始されるまでのわずかな時間だけ、求めに応じたのだと王太子は語った。

「予め断っておくが、先方がわたしを呼び出した事は、今までに一度もない。

 この度は例外だ。

 ロベルティートどのによれば、山岳民と意思を疎通させる方法があるやもしれぬと」

「何と」

 これはなかなか、留意に値する申し出だっただろう。

 カプルス人と呼ばれる彼らとは、全くと断言して差し支えなく、会話が成立しない。

 周知の事実であり、誰もが心得ている大陸の常識だった。

 だが、諦めるには早いらしい。

「されば殿下。

 その方法とは」

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