旗を分かつ者2
馬上で王太子が見守る中、彼は恭しく膝をついた。
ここからが、いわば勝負だった。
ゼーヴィスの賭けが始まった。
「謹んで、御前に参上仕りました。
それがし率いるブレステリス軍は。先刻、グライアス塁を制圧致しましてございます」
つまりは、裏切者であると自ら明らかにしたも同然である。
東との攻守盟約を反故にし、頼まれたわけでもないのに、塁を内部から襲った。
ジークシルトが、どのように判断するか。
功績と評価するか、それとも卑怯と断定するか。
全ては、西の王太子にかかっている。
遡ってあの日。
キルーツ剣爵の密かな来訪を受け
「祖国救済策」
と称する一案を授けられた。
すなわち、どうにも国策がまとまらない宮廷を無視して、エルンチェアにつく。
先んじて旗幟鮮明にし、戦後の処理において少しでも有利に交渉する。
そのために、ゼ―ヴィスは決死の想いで一軍を預かり、この国境戦に乱入したのだった。
無断の突出である。
後難を避ける手だてとして、妻子を離縁し、
形式上は脱走という立場になっての、西への呼応である。
よしんばジークシルトに認められたとしても、本国へ帰れば無事ではいられないだろう。
それでもいい。
(殿下は、相応に御英断を下される。
おれ個人がどうなろうとも、祖国は必ず救われる)
覚悟の上で、彼は、西の王太子に賭けた。
分の悪い賭けであるとは、内心で認めるところである。
一定の論理的根拠はあるが、根底を突き詰めれば理屈ではなく、ジークシルト個人の資質に対する信頼に拠った決断なのだ。
見込んだ通りの人物であれば良し。
だが、もし外れていたら。
王太子の決定が、我が身一つでは精算し得ない程の内容だったならば。
それを思うと、ゼ―ヴィスは、立ち上がって逃げ去りたい衝動に駆られる。
顔を伏せ、ひっそりと奥歯を食いしばって、重圧に耐えつつ、彼は答えを待っている。
果たして
「
結果が告げられる時が来た。
ゼーヴィスは、勢いよく頭を持ち上げた。金色の後ろ髪が波打った。
驚嘆の響きが濃厚などよめきが沸く。
ジークシルトは、いつのまにか下馬していた。
賭けに勝った。
確信させるに足る、清爽な微笑が視界にあった。
勝者達は、ゼ―ヴィスを先頭に東塁門をくぐった。
「ほほう。とくに変わり映えはしませぬな」
ダオカルヤンが、塁門内を眺めやりつつ言った。
変わり映えどころか、見慣れた風景と言って良い。
門を抜けると石畳で覆われた直線路が伸び、塔のような景観をもつ北方特有の小城に突きあたる。
道の左右は十分に整地された空き地で、出撃する兵士を待機させる場所らしい広さがある。
エルンチェア側の防兵塁とほぼ同一の造りだった。
軍事施設なのだから、さして違いがないのはむしろ当然と言える。
唯一違っている点があるとしたら、周囲に溢れる将兵達が、意気消沈したグライアス軍の者であるという事ぐらいだろう。
どのような手段を用いて、彼らを降伏させたものか。
ジークシルトであれば、そちらの方に関心を寄せているに違いない。
「話はおいおい聞く。
まずは、やるべき事をやる。
貴君は控えておれ」
塁の中枢部である司令官執務室に足を踏み入れた瞬間、王太子は総大将から行政官へ変身した。
ゼーヴィスには応接用の椅子に腰掛けて待つよう指示し、すぐさまツァリース大剣将を側に呼び寄せた。
「グライアス防兵塁の占拠に成功した旨、バロート陛下へご報告申しあげる。
直ちに早馬を送れ。これは最優先だ。
次は、塁外にいるグライアス兵士を収容し、捕虜名簿を作成せよ。捕虜は百人単位で管理する。
単位毎に監督官を置け。食事内容や生活用品の支給については、必ず記録を取れ。指示を徹底させろ。
この塁内に非戦闘員は居るか」
「は。確認させまする」
「うむ。確認後、もし居るなら、その者らには自由を認めてやれ。
塁内から立ち去りたければ、退去を許す。財産の持ち出しも無条件で認める。
希望があれば、我が軍との商取引には応じる。書類で申し入れさせろ。
ただし、東の兵士とは接触させるな。止むを得ない場合は監督を置け。軍事施設への立ち入りも制限する。
くれぐれも、エルンチェア兵士が非戦闘員に狼藉をはたらかぬよう、厳しく通達しておけよ。
暴行、略奪の類は、このおれが許さんとな」
てきぱきと指示するジークシルトへ、ゼーヴィスは満腔の賛嘆を込めた視線を送った。
現代の十三諸王国中、エルンチェアだけは、宮廷に文官の長たる総裁を置いていない。
昔ながらの国王親政で、大陸でも際立った王権国家である。
なるほど、王は飾りに非ず。
ブレステリス出身の若手軍人から見れば、強力な指導力を発揮する西の王太子は、憧憬に値する存在だった。
慌ただしく指示を飛ばし、占領にまつわる案件を次々と捌いていくジークシルトが、一応の落ち着きを見せた時、外は夕暮れを迎えていた。
「待たせたな」
応接の椅子に、立ち上がりかけたゼ―ヴィスを制しながら、向かい合って腰かける彼だった。
「さぞ、手持ち無沙汰だったであろう」
「御高配、かたじけなく存じ奉ります」
「かたじけなく思う程の事ではない。
礼を言わねばならんのは、こちらの方だ」
ジークシルトは笑っている。ゼーヴィスは心から安堵した。
王子は従軍する近習を呼び寄せ、酒の用意を言いつけた。
素晴らしい速さで、北方名物の強酒が満たされた高杯が届けられる。
ほぼ待たされなかったのはどういうわけだ、とゼーヴィスは内心で笑いを催した。
ジークシルトは酒豪だと聞いていたが、これは余程に酒を求めるのだろう。周囲は準備万端で待ち構えているに違いない、と思う。
その酒豪は、珍しく器に注目していた。
グライアス軍の備品らしい。北方風の素朴で武骨なものではなく、見たところ南方で好まれる白い陶器である。
よく見ると、取っ手には花びらのような飾りがついており、いかにも凝ったものだ。
もはや美術品と称した方がしっくりくるその器を、彼は冷ややかに眺めている。
「グライアス軍の司令官は、なかなかに洒落者らしいな。
でなければ、陣中と宮中の区別もつかないのか」
「この造り、ヴェールトの品でございましょう」
ゼーヴィスが言った。
かつての帝都、華やかさにかけては大陸随一の国風だという、南方の王国の名を聞いて
「ほう」
ジークシルトは殊更に感心してみせた。表情は、先程に輪をかけて冷たいものとなっている。
「友好の証しとして、ヴェールトが贈った品というわけだな。
それを戦場に持ち込むとは、グライアスもどうして律儀なものだ。
きゃつらめは、南に熱烈な好意を寄せていると見える。
何せ薪欲しさに戦争を起こすくらいだからな、しかも貴君の祖国まで巻きこんで」
「恐縮にございまする、殿下」
「恐縮には及ばん。
結果として、ブレステリスはエルンチェア側についた。長年の友邦という立場を重んじたがゆえであろう。
それとも、違うのか」
酒杯の話題は、重要な政治の話題へと変化した。
ジークシルトは笑みを消している。
再びの切所に差しかかった。
王太子の問いかけはさりげなかったが、ゼーヴィスから国許の意向が奈辺にあるかを引き出すには、非常に有効かつ辛辣な内容だった。
自分の軍事行動が、国家の意思に基づいたものであると明言すべきか、一武官の身でそこまで踏みこむべきではないか。
受け答えを間違えば、全てが水泡に帰しかねない。
仕掛けられた政治の重大さに対して、考えをまとめる時間はあまりに短かった。
ゼーヴィスは、腹を括った。
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