南風、北へ5
南西三国の西側、ラフレシュア王国では、未だ内乱の収まる気配は見えない。
討ち取られた当国の王太子は、城正門に首を晒されている。
台座も目隠しの化粧板も用意されていない、門扉に額を打ちつけられるという、罪人でさえ受けない辱めの姿で。
季節は晩秋、しかし南方圏でも最南端の地域である。
いかに凄惨な様相を呈しているか、語るまでもないだろう。
「いくら何でも無礼が過ぎよう。
仮にも次の王座を襲いあそばすはずだった尊い御方に対し奉り、この仕打ちは何たる事か」
故人を筆頭とする革新派は憤慨を極め、奪還を目指して門に突撃する者もいる。
対立陣営の迎撃も激しい。
「叛乱軍め、生きて帰れると思うなっ」
正門脇に必ずある臣下のための小門が開かれるたび、目を血走らせた指揮官と手勢が飛び出してきては、そこかしこで斬り合いになるのだった。
いったい、何の為に戦うのか。
当事者らにも、実のところは判っていないのかもしれない。
「国民性と言ってしまえば、それまでだけども」
読み終わったばかりの報告書を、丁寧に文入れへ戻しながら、アーティアという名の青年はひそひそ笑った。
清白の長い髪に、対となっている感がある漆黒の瞳を持つ、大陸では上級に属するリヴィデ民族の出である。
一見では男女の別がつけにくい細面で、体毛も薄く、生命感や躍動感に満たされているとは世辞にも言い難い。
アーティアだけの特徴ではなく、リヴィデ人は総じて血の気に乏しい印象を与える。
「今となっては、何を目的とした内戦なのか、仕掛けた方も忘れているのではないかな」
姿ばかりか、声も静やかだった。
当国の王宮に設えられている茶話室で、彼は、報告書の写しを見せてくれた友人の文官へ、厚手の革で作られている文入れを返した。
外交に関わる立場であるらしい、黒い髪の童顔な男性文官は、ガニュメア民族だった。
「古い言葉だけども。
南西においては、東に
ラフレシュアはとかく騒々しい国柄だよ」
「そして我が南は論有り、か。
言い得て妙だと思うよ」
「我がサナーギュアの悪い癖さ。
議論ばかりで、一向に実務が進まない」
「でも、あの話は珍しく早かったみたいだね。
主導権は当方に無いという問題が裏にあるようだけども」
「はは。
我々が主導権を取っていたら、実際に話が進むのは、早くて百年後だ。
先様が、そんなに待てるわけはない」
「確かに」
会話が一段落すると、二人は申し合わせたように茶杯へ手を伸ばした。
南西三国で茶と言えば、一律にコール茶である。
この地方でしか採れない、
荒く砕いたものを布で包んで煮出すと、褐色の飲み物になる。
香ばしいが、特有の苦味とえぐ味があり、大陸全土に広く普及させる程は生産されてもいない。南方圏でもあまり知られていない、いわば隠れた名産品だった。
サナーギュア王国では、コール茶を生乳で煮出すという独特の方法が好まれている。
コールの実も、この地方の需要に応じる分には、たっぷりと余裕のある取れ高を誇る。
もっとも、取れすぎて供給過多になりがちになってしまい、南西地方の東西にもしばしば買い上げを要請する。
今年は、果たしてどうなる事だろうか。
「エテュイエンヌは、聞くところによると嵐の被害が大きかったらしいね。
多めに買ってくれると良いのだが。
ラフレシュアは、まあ、ご案内の通りだ」
黒髪の友人が肩を落とす。
アーティアも、男性らしさをあまり感じさせない顔立ちへ、あえかな失望の色を乗せた。
「そうだね。
南東でも、動乱と称する程には過激ではないけれども、事件が起きている。
今はまだよいけれども、混乱が続いたらどうなるかな」
「まったく、今年の我が南西三国は、いったいどうした事だろう。
この報告書にある通りなら、西の動乱は、簡単には収まらない可能性が高い。
城の中も、ひどく混乱しているという」
文官の青年は、返却された文入れに視線をやり、アーティアもつられたように倣った。
ラフレシュアにおいて、第二親王が率いる保守陣営の乱が起きたのは、城内と正門、ほぼ同時だった。
元をただせば、鎖国方針を長年の慣習としている外交基準に対して、故王太子が
「いい加減、国を閉じる従来の悪しき習いを撤廃する。
これ以上は堪忍し難い」
ほぼ一方的に撤廃を命じた。問答無用の姿勢への反発が、彼の予想をはるかに超えて激しかったのである。
弟たる親王は、歴代の姿勢を殊の外真剣に奉じていた。
会議の場で、円卓を叩きながら立ち上がり
「兄上、南西三国は国を閉じ、中央から遠ざかるべしが国是でございます。
好んで外国に交わる必要は無いのです」
目を吊り上げて反論を唱えた。
兄弟揃って、気性が強かったのも災いの原因、少なくとも一つであろう。
ものの二言三言、言い合っただけで、議論が口論へと速やかに変化した。
後は、互いにひどく興奮し
「黙りおれ、この国賊めが」
「兄上こそ、血迷いあそばすのも大概になされよ」
つかみ合いになりかねない怒鳴り合いに発展したのである。
それぞれの側近がよってたかって宥め、諫め、取り成した末に
「まずは我が国の特産品を諸外国へ売り込む」
何とか、折衷案らしい結論でまとまった。
だが、これが甚だ宜しくなかった。
「コール茶を外国に売れだと。
何をばかな」
保守派ばかりか、革新派の不興まで買ってしまったのだ。
国の特産という事で、コールの実に特別な思い入れを持つ保守派と、今少し生産量を増大させてから、貿易の切り札として活用したい考えを持つ革新派、思想の違いの、もっとも折り合いがつかない中核部分を、盛大に刺激する案だった。
故人は、コール茶に国の将来を託す気分があった。
弟親王は、兄の考えは国の将来を過(あやま)つものと危惧した。
「兄上はもの知らずにも程がある。
南西三国は、中央政府に何の期待もしない、むしろ距離を取るべきとした。
そもそもの理由は、外国の小狡さに手を焼いたからではないか。
我が国において、もっとも広く愛好され、酒よりも人気があるコール茶は、いわば南西地方ならではの、神からの贈り物と申しても過言ではない。
それを売り物にするだと。
万が一、外国がコール茶に魅了され、先物買いの投機商人に目を付けられてみよ。
国土がどれだけ荒らされるか、目も当てられない事態になったらなんとする」
許し難い愚考と、彼は怒りを抑えられなかった。
同調する軍人達と図り、嵐の被災後には恒例となっている行幸の現場へ切り込んで、実力行使するしかない。
更には城内を掌握し、王座を奪取する事によって、全てを正当化する。
この計画は、立案まもなく実行に移された。
王太子一行が城門を出たのを合図に、二手に分かれた軍人達が、一隊は行列へ、一隊は行政部へ、殺到したのである。
城の中を、血相を変えた師団が大挙して駆けまわり始めた時、執務室で決裁を行っていた父王の元には、親王が自ら踏み込んだ。
「な、何事」
驚いて腰を上げた父へ、形式的には頭を下げたが、実態はひどく高圧な態度だった。
国王ともあろう貴人の周りを、軍服姿の若い一団が取り囲み、切っ先を天井に向けたものの、全員が許しも請わずに抜刀した。
ゆっくり進み出た親王は、今この場で、次の王を指名するよう、父に迫ったのである。
「祖国を守る為には、やむを得ぬ仕儀でございます。
父上、どうか
近侍の文官、侍従、小姓らは、ほとんどが腰を抜かして座り込んだものだった。
行政府へ飛び込んだ武人集団も、似たような行動だった。
文官達は、元々が腕に覚えがある者ではない。皆、悲鳴を上げて逃げまどい、またはへたり込んで、命乞いをする者が大半だった。
中には気骨ある若い貴族も数名いて
「推参っ」
書類の束を投げつけたり、宮廷儀礼として腰に収めていた小刀を抜いたりしたが、僅かな抵抗にすぎなかった。
三人ばかりが降参を拒んで、軍人に斬られたが、現場を見た人々はその瞬間に抗心をくじかれた。
激しい戦闘になったのは。城外の王太子一行だった。
現在、ラフレシュアの王都は、荒れ果てている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます