国境の激闘3

 馬上のジークシルトは、采配を握りしめて、語気荒くはき捨てた。

 予定では、左右両部隊が速攻をかけて、寡兵のグライアス軍を包囲し、中央が一挙に押し出して殲滅する見込みであった。


 まさに、短期決戦を意識した戦法である。

 が、どうしたわけか、戦況が思うように進捗しない。


 特に、左方隊の動きが鈍く、敵に押されて、進みかねているという。

 もっともそれを責められるのは、彼らにとって少しばかり酷であろう。


 エルンチェア軍左方隊は、戦いに慣れた敵の傭兵部隊と相対しているのである。

 傭兵は、たびたび起こる国境紛争の局地戦に何度も出撃させられている。対する当該部隊は、将兵ともにほとんどが出陣経験を持たない。


 右方隊が、敵部隊とほぼ同水準なのに比べて、左方隊には力量と経験の差が歴然としているのである。

 逸る総大将に、軍の重鎮であるツァリース大剣将が


「若君、しばらく。

 いましばらくのご辛抱を。我が左方隊の敵は、傭兵集団との報が伝わっております」


 重厚な口調で諌めた。


「きゃつら、直に崩れて参りましょう。

 集団戦を得手とする敵ではござらぬゆえ、いずれ功を焦って統率が緩むに相違ござらぬ。

 その時が、反撃の好機」

「何を悠長な」


 ジークシルトは、老武将の諫言を容れなかった。


「先方が勝手に崩れるのを待っておれるか。

 当方が崩しにかかれば良かろうが」


 仕えて長い筆頭傅役を睨みつつ、周囲に控えていた若者に、ある命令を下す。

 手はずを整え、頃合いを見計らってから、おもむろに手綱を握り直した。


「どけ。

 おれが出る」

「何と」


 ツァリースは仰天して目を剥いた。


「な、なりませぬぞ、若。

 大事の御身が、前線へ御出ましなど御軽率」


 慌てて若主君を制止にかかったが、聞く耳を持つ王太子ではない。

 おれに意見するなと血相を変えて怒鳴り、同時にすばやく馬腹を蹴った。


 いったん馬が走り出せば、ジークシルトは、音に聞こえた馬術の達人である。

 巧みに手綱をとって護衛連中の横をすり抜けると、一気に馬を煽った。

 ツァリースは、青くなった。


「わ、若っ。

 いかん、者ども、何をしておるか。

 若を追い奉れ。御諫め申しあげよ」


 大剣将の命令に、周囲の若者達が即応した。

 だが、その時にはもう、ジークシルトの姿はどこにも無かった。



 西方の若い総大将は、凹凸の激しい枯れ野原を苦も無く駆け抜け、瞬く間に最前線へ到達していた。

 途中、国旗を旗手からひったくるようにして奪い、翻らせながらの単騎行である。


 片手に旗を握りつつ、未整備な草原上で馬を御しうるのだから、相当な腕前と見ていい。

 自軍左方隊が奮闘する乱戦の場に、突如として現れた純黒の国旗が、 その場に居合わせた人々を驚かせ、次には単身戦場へ駆け込んで来た騎馬武者の勇姿そのものが、両国の将兵らをどよめかせた。


「お――王太子だ。

 エルンチェアの王太子だぞ」

「て、敵の御大将かっ」


 東の兵士らは浮足立ち、西は


「殿下ッ」

「ジークシルト殿下だ。

 殿下の御成りだっ」


 一斉に沸騰した。

 ジークシルトは厳しい表情で彼らを一瞥すると


「怯むなっ。

 エルンチェアの精鋭ども、進め、戦え。

 貧弱な東の腰抜け如きに後れをとるなッ」


 高々と国旗を掲げ、乱刃が舞う真っ只中で、恐れげもなく叱咤した。

 感激の声が沸き立つ。


「進め、我が精鋭。

 おまえたちは、大陸で最も勇敢な剣士だ。

 北の雄国ここにありと、我が大陸全土に知らしめよ。

 全将兵、おれに続け」


 総司令官が自ら陣頭に立って馬を進めるというのである。

 この勇気ある姿勢がもたらした効果は、計り知れないものがあった。


「アース・ウィデルツ・ディム・タスライツ(我ら、殿下の御身とともにあり)」

「ジェイル・タスライツ。王太子殿下を護りまいらせよ。

 東の剣を、殿下の御身に触れさせるなっ」


 絶叫がかしこであがり、士気が一挙に高まった。

 丁度、折が良かった。


 出撃前に打っておいた手が、静かに芽を吹き始めていたのである。



「大変だ、恩賞が出ないぞーッ」

「上役どもが着服しているそうな、戦っても褒美は出ないだとよ」


 ジークシルトが案じた一計、すなわち虚報の流布である。

 命じられたおよそ百名の伝令部隊が、戦場を走り回って力の限り叫んでいた。噂が、じわじわと伝播、浸透している。


 傭兵部隊にとって、恩賞は命を懸ける根拠だった。

 それが出ないと聞けば、たぎっていた闘志が著しく冷え込むのも無理からぬところで、グライアス軍右方隊は急激に戦意喪失の色を見せ始めた。


「冗談じゃねえ。

 金も出ねえ戦いなんか」

「やってられるかよ」


 特にアーリュス民族が露骨に白けた表情となった。赤毛の民には、支配者階級が豊富に持ち合わせる忠誠心だの愛国心だのには、全く縁が無い。

 口々に文句を言って、てんで勝手に退却を始めている。

 指揮官であるマクダレアは舌打ちし、逃げにかかった部下達の目前に馬ごと立ちはだかった。


「待て。逃げるな。落ち着け。

 あれは王太子、敵軍の総大将だ。


 あの男の首級をあげろ。戦は直ちに終わる。

 褒美は望みのままだ、要求も全て叶える。


 今まで、わたしが嘘をついた事があったか。

 それを思い出せ。安心して戦え」


 逃亡者は剣で討ち果たすとの威嚇を込め、狼狽える兵士達を叱り飛ばす女流軍人の様子は、ジークシルトの視界に入っていた。


「あれは――女人か。

 豪儀なものだな」


 薄く笑い、彼はなおも前進する。

 マクダレアは、噂に高い美貌の王太子が近づいて来るのに気づいて、剣を構え直した。

 彼女も急ぎ馬を進めて、前へ出た。

 兜を開いた状態で、両者は対峙した。


「ジークシルト殿下とお見受けする」


 最初に、マクダレアが声をかけた。愛用の剣は上段に構えられている。

 ジークシルトも、国旗を放り捨てて剣を引き抜く。


「いかにも。

 エルンチェア王国王太子、ジークシルト・レオダイン・シングヴェールである。

 その方、わたしに挑戦するか」


「言うに及ばず。

 マクダレア・ジーン・ヴォルフローシュ剣将。

 参るッ」


 名乗りをあげたが早いか、馬の腹を蹴りつけ、彼女は敵将目がけて突進した。

 ジークシルトも真っ向から受けて立った。


 二本の柔剣が空を裂き、刀身を激烈に衝突させた。

 両者の腕に痺れがはしった。


 突撃の勢いを借りたマクダレアの方が、鋭い斬撃を浴びせる事が出来た。

 しかし、ジークシルトは悠然と剣を合わせ、女の腕力をものともせずに刀身を跳ね飛ばした。


 双方下がって、再び剣を構える。

 第二撃が、即座にマクダレアから仕掛けられた。

 二合、三合、四合と、剣士両名は馬上で激しく斬り結んだ。


「ほう」


 攻撃をいなしながら、ジークシルトは意外そうに、男装の凛々しい麗人を見やった。

 マクダレアと名乗った彼女は、腕力の絶対的な不足を、攻撃の精密さで補っているようだ。


 喉元と目を狙った容赦の無い突き技を受け流すには、ジークシルトといえども気は抜けなかった。

 敵の戦いぶりからは、少しも興奮した様子が伝わって来ない。


 急所への一撃を徹底して心掛けているのだろう。

 手数は少ないが、その攻めのほぼ全てが際どい位置まで届いていた。


 いつぞやの刺客づれより、余程に出来るではないか。

 マクダレアも、敵王太子の豪快な剣技に瞠目させられていた。


 ジークシルトは、片手で軍馬を操りながら柔剣を振るう難易度の高い技を、 軽々とこなしている。

 少なくとも、そのように見える。


 マクダレアは、突き技にかけては腕相応の自信を持っていたが、近年無い事に、その自信を揺らがされていた。


 必殺の手応えを感じて繰り出したはずの刃が、敵の切っ先にあえなく阻まれ、又は標的自身にかわされるのである。


 少しづつ、ゆとりが奪われていく。

 平静を保つのにも骨が折れ始めて来た。


 ジークシルトは休まない。盛んに攻撃をしかけてくる。

 遠目には華奢に見える癖に、疲労を知らないかのような迅速さで、剣先が何度も襲って来る。


 マクダレアはその度に刀身で防ぎ、跳ね返すが、腕がいちいち痺れた。

 王太子の腕は、速く動くだけではない。腕力もある。


 一騎打ちが長引くのは、女流剣士にとって有利にはならないであろう。

 彼女自身も、内心で認めざるを得なくなった、その時。

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