暗闘の夜4

 身を横たえつつも、表情は極めて獰猛である。


「粛清だ。

 親王派を自称する不逞の輩ども、一人残らず粛清してやる。

 このおれの手でだ」

「殿下」


「止めても無駄だぞ。ジークシルト・レオダインに二言は無い。やると言ったらかならずやる。

 女だろうが、乳飲み児だろうが、おれは容赦せぬ」

「いえ、御意のままに」


 ラミュネスは、眉一つ動かさずに頷いた。

 簡単に賛成されてしまい、さすがに鼻白んだ時


「ただ後任の文官を定めるお時間を、少々賜りたく存じます。

 今一つ。粛清の理由を作らねば」

「……ああ、そうだな」


「つきましては、弟君殿下にも毒を召して頂かなくてはなりませぬ」

「な、なにっ」


 仰天させられた。

 黒髪の幼馴染は至って平静である。


「殿下のご服毒を秘匿せねばならぬ以上、他の理由を拵(こしら)える必要がございます。

 つまり、親王派が保身の為に、弟君殿下暗殺をもくろんだ、という体に造りたいのです。

 もちろん、未発に終わらせますが」

「当たり前だ」


 ジークシルトは狼狽を抑えるのに懸命だった。

 ラミュネスの方針は正しいに違いないが、それにしても凄い事を平気で言う。


「王后ではだめか」

「王后陛下には、近くご帰国頂く予定でございます」


「では、そのう……父上では」

「それでは、事が大きくなりすぎます。

 殿下、何も弟君を弑し奉る、と申し上げているわけではございませぬ。

 ほんの、腹痛を催させる程度で――お気に召しませぬか」

「召すわけなかろうが」


 彼はうつ伏せに寝たまま頭を振った。

 服毒の苦痛とは明らかに毛色が異なる不快ぶりを示している。


「使用する毒の種類や量を間違えたらどうする。

 間違えた、では済まんのだぞ」


「ですが、粛清には相応の理由が必要です」


「何ならおれがその役をやる。

 とにかく、パトリアルスに毒を盛るなど、もってのほかだ」


「そうまでなさっても……かしこまりました」


 ラミュネスは吐息して


「よく考えて、最善の策を講じましょう」


 譲歩したのだった。ジークシルトも、安堵の息をついた。


「そうしてくれ。

 この件に関しては、手段を選ばずともよいとは、おれも言いかねる。

 パトリアルスの身を危険に晒すのだけは許さん」


「しかと、承りました」


 内心の本音はさておき、表面上は恭しく、ラミュネスは頭を下げた。

 若主君は休息を欲している。彼は見てとった。


 正確には、休息ではない。夜明けまでの限られた時間のなかで、確実に復調するべく闘わねばならないのだ。

 寝台に伏せる王太子に黙って礼を捧げると、彼は踵を返した。



 王后も同じ事だった。

 朝餉の儀で退出した後は、誰も寄せ付けず、寝室に閉じこもっている。


 彼女の胸を去来する思いは、単純なものではない。

 何かを、夫に察知されている。焦りがある。


 そして


「外商卿が、南方より毒薬を調達して参りました。

 劇性の鉱毒で、無味無臭、即効力があります。


 更に強力な、解毒剤の無いものもございましたが、何しろ薬物の素人が扱いますので……こちらでご容赦を」


 内務卿の言葉。

 襲撃事件が発生する前夜、彼女は自邸で親王擁立派の領袖と極秘会談に臨んでいた。


 パトリアルスが、豊穣祭で下賜される祝いの酒を兄へ贈る習慣を利用して、王太子毒殺を実行する。その許しを得たい。

 彼女は求めに応じた。


「効けばよい。

 くれぐれも、パトリアルスが手を付けぬよう計らえ」


「むろんの事でございます。

 殿下にあらせられては、下戸におわします。


 代わりの品として、果汁水を御用意申し上げるのが慣習でございますれば、万が一にも誤飲の御懸念はございませぬ」


 内務卿は自信を見せたものだった。

 長年の事で、祝い酒にまつわる一切を取り仕切り、パトリアルスの行動についても熟知する彼であったから、王后も信頼を寄せて了承したのである。


 だが。

 決行当日、こともあろうに、暗殺未遂事件が勃発してしまった。

 毒酒は標的に届かず、愛息も責めを負わされて謹慎を命じられている。この半月ばかりは、消息も伝わって来ない。


 あれから、どうなったのであろう。

 まさか、標的当人に事の次第を訊き質すわけにもゆかず、クレスティルテは一人、眠れない夜を過ごしている。


 もしパトリアルスが心痛に耐えかねて、常は封を切らない酒瓶へ、毒入りとは知らずに手を伸ばしてしまったら。


 深更、生々しい悪夢を見て飛び起きた事が、何度あっただろうか。

 思えば、ジークシルト誕生の折に夫と対立し、忘れられない屈辱と悲哀の日々を送った時も、やはり今のように眠れなかった。

 思い出が、再び蘇る。



 成婚当時。

 溢れんばかりの緑に染められた山国から、世界は一転して、白い平野に変わった。


 エルンチェアは海国であり、大きな隆起は領地内に無かった。

 王都ツィールデンは、内陸の都市である。


 目に映る風景は、この国に多く見られる寒白という細い街路樹と、曲がりくねった独特の街並みで、山育ちのクレスティルテにはどうにも馴染みが薄い。


 しかも、王城も武骨で飾り気を排するのを良しとする傾向にあって、肝心の夫はといえば、新婚の数か月こそ多少の気づかいを見せてはくれたものの、ほどなく関心を失ったとみえ、以後は疎遠になる一方だった。


 クレスティルテは、まだ十五歳の少女に過ぎなかった。

 望郷と寂寥の念に押しつぶされそうな時間を耐え凌いだある日、懐妊を告げられた。


 母になる。その喜びは、北方圏には珍しい酷暑の某日、乳児の姿になった。

 やっと、長い孤独の日々は終わった。クレスティルテは信じて、初めての我が子を胸に抱く瞬間を待ちわびた。


 幸福な時は、だが永遠に訪れる事は無かった。


 分娩と同時に愛児は奪われ、抱きしめるはおろか顔を見る程度すら、生母ともあろう彼女には許されなかったのである。


「お願い、あなた。

 ジークシルトに会わせて。一目だけでも顔を見せて」


 何度、夫にすがりついて哀願した事であろう。

 悉く退けられて、身も世もなく嘆き、泣き伏した日々が、何日に渡った事であろう。

 思い余って短刀を自らの白い喉元に突き付け、泣いて迫った事もある。


「あの子に会えぬなら、喉をついて死にまする。

 妻を哀れと思し召しなら、せめて遠目に様子を伺うだけでもお許しくださいませ」


 と。

 クレスティルテは決死であった。その鬼気迫った姿にも、しかしバロートはびくとも動じなかった。

 武断王は、冷然と妻の一命を賭した悲願を撥ね退けた。


「死にたいなら死ね。

 好きにするがよい。妻の代わりはいくらでもおる。

 そなたの命と我が世継ぎとは、引き替えに出来ぬ」


 慣例を盾に取ったあまりの宣告に、彼女は短刀を取り落とした。

 その後は語るのも憚られる悲惨な運命だった。


 身に危険を及ぼし得る道具という道具は、一つ残らず没収され、衛士と称する見張りに身辺を固められ、王の許可無しには自邸の窓さえ自由に開け閉め出来なくなったのである。


 名目は保護、だが実際は監禁にも等しい軟禁状態が一年にも及び、我が子に会うどころではなかった。

 底深い絶望に囚われたクレスティルテに、ある救いの契機が訪れた。


 第二子の懐妊である。

 これ程の酷い仕打ちをしておきながら、夫は尚も彼女に交渉を求めたのだった。


 死にたい思いで要求に応じるうち、身に宿った新たな生命が、再び母となる機会を巡り合わせた。

 今度こそ。今度こそ愛児を奪われてなるものか。


 クレスティルテは、殺されてでも抵抗を貫く覚悟を胸に秘めて、ある冬の朝、出産に臨んだ。

 かねてバロートは


「生まれた子が女であれば、そなたに与える」


 と約束していた。

 生まれたのは、しかし男の子だった。第二親王パトリアルス・レオナイトである。

 男児誕生の報がもたらされ、産室に駆けつけたバロートは、壮絶な光景を目にした。


 分娩で体力を使い果たし、ぐったりと横たわっているべき妻が、何と立ち上がっており、出産直後の嬰児を抱きしめつつ、近づきかねている産婆や侍女らを殺気だって睨み据えていたのである。

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