流血は祭に潜む5
「で、どうだ。
あのばか、何か吐いたか」
強酒を手に、ジークシルトは寛いだ表情で臣下に尋ねた。
襲撃犯の自白から後、ツァリース大剣将が直々に指揮を執る一隊に、男の身柄は預けられた。
当人も含めて、皆が広間を下がり、残務については翌朝を待つ事になっている。
が、ジークシルトは、ダオカルヤンを自邸に呼びつけて、分かる範囲の報告を求めた。
老剣将が、気楽に夜明けを待つはずが無いとの見込みである。
果たして腹心は
「本一件は、ブレステリスの企みに非ず。
全ては、グライアスの差し金に相違ない旨、繰り返し述べております」
広間で判明した内容を、再び語った。
生き残った男は、錯乱しながらも
「グライアスだっ。
おれ達は、グライアスに頼まれたのだ。
王太子を斬れ、と」
明瞭に聞き取れる言葉で叫び、助命を請うた。
エルンチェアはもとより、ブレステリスの驚きぶりは甚だしかった。出席していた外務卿、護衛団長、ともに自失の体で絶句していたものだ。
冷静だったのは、ジークシルト一人である。
広間の外で控えていたダオカルヤンは、様子を知って、最初は衝撃を受けていたが、現在は落ち着きを取り戻し
「詳しくは続報を待たねばなりませぬが、ブレステリス側も相当に意外だった模様です。
自分達こそ真実が知りたいと述べて、後は知らぬ存ぜぬの一点張り。聞き取りは不調との由」
苦笑を浮かべて注進を終えた。
「外務卿どのに至っては、ろくに口もきけぬ有様とか」
「ほう。先程は、随分と元気が良かった癖にか」
シークシルトも皮肉気に笑った。
襲撃犯のうち、二人までを問答無用で斬り捨てた後、外務卿に抗議されたのである。
「い、いくら何でも御無体な。
取り調べも無しに、不意打ちも同然の御手討ちとは」
「存分に、と申したは足下であろう。
わたしは二度に渡って確かめたぞ。今になって異議を申し立てるとは何事か」
一喝で跳ね返したが。
その後は、意気消沈したと見えて口を閉ざした彼だった。どうやら、元気は回復しなかったらしい。
ジークシルトは酒で喉を潤すと
「ブレステリス側には、情報の収穫など期待しておらん。グライアスは独断で事を進めたのだろうよ。
その方が、きゃつらにとっては都合が良い筈だ」
自らの見解を口にした。ダオカルヤンは苦笑したまま頷いた。
「殿下の御見通しに、それがしも賛同申し上げます。
聞いた瞬間は、そんなばかなと思いましたが、殿下が仰せになられた通り、手段が粗雑に過ぎまする。
ブレステリスの意向には沿いますまい」
「ついでに、不愉快な婦人とその一味にとってもな。
南の山猿にせよ、自称母親にせよ、おれが目障りには違いなかろうが、死にさえすれば良いという立場でもない」
彼らの目的は、あくまでパトリアルスの戴冠である。
ただ王座を獲得すれば良しというならともかく、絶対王政の当国では、統治にあたっては権限の一切を国王が掌握する。軍隊も例外ではない。
武官の支持を取り付けるためには、納得という手順が不可欠であり、武芸に疎いパトリアルスには率直に言って難事だった。
その程度の事は、次男を溺愛して憚らぬ王后といえども、さすがに心得ているであろう。
となれば、ジークシルトには「出来るだけ穏便に」死んでもらいたいのが、本音と見るべきなのだ。
刺客に襲われ応戦の果てに斬死、などという派手な死にざまを晒されては大いに困る。
武官の反感は抑えようが無くなり、統治は失敗、悪くすれば内乱に至る。従ってこの事件は、ブレステリス並びに王后ならば、まず採らない悪手なのである。
しかし、グライアスであればどうか。
「きゃつらとは動機が違う。
おれの生死より、事件が起きたそれ自体の方が重要だろうよ。
それも、ブレステリス側に容疑がかかる状態でな」
「開戦の口実を、欲したのですな」
ダオカルヤンも悟った表情をしていた。ジークシルトは大きく頷いた。
「他には無い。
東は、我がエルンチェアと事を構えておる。先日の小競り合いも膠着状態だ。
まあ、この期に及んで弱気になれば、国王は立場を失う。先方も退けないのだろうよ」
「やれやれ。
ブレステリスは良い面の皮ですな。間に挟まれた挙句、殿下弑逆未遂の罪を問われ、矢面に立たされるとは」
「自分で選んだ道だ。恨むなら、グライアスを恨むがいい。
おれとしては、むしろ感謝されても良いくらいだぞ。東に一杯食わされかけたところを、救って遣わしたのだからな」
「なるほど」
グライアスの目論見を看破して、しかも鼻であしらう若い主君に、ダオカルヤンは心服せざるを得ない。
エルンチェア王太子の暗殺、もしくは暗殺未遂事件が起き、ブレステリスに疑いがかけられれば、両国の間には緊張状態が発生する。
グライアスは、その軍事的緊張を求めたのだと、主君は見ている。ダオカルヤンも同意である。
(恐らくは、南と東の間に、何らかの盟約……攻守同盟が成立したのだろうな。
グライアスは、我がエルンチェアと戦争をしたい。だが、現状は大義が無い)
そこで、軍事同盟を結んだ「盟友」が、無実の罪を問われている。グライアスは盟約に照らして友邦の危機を救う。
そういう筋立てを目論んだと考えられる。
王太子が言う
「おれの生死はどうでもよい」
との見解も、この筋を通してみれば符号が合う。
グライアスであれば、必要なのは事件そのものであり、王太子が死のうが助かろうが、戦の口実さえ成れば、後はどうこじつけようとも開戦に持ち込めば良い。
ブレステリスの立場など、むろん考慮には入っていまい。
その点、ジークシルトの措置は、苛烈ながらも南隣国の立場を、ある意味で守る事になる。
幕裏で待機し、最善の機会を得て登場したかったであろうグライアスを、強引に舞台表へ引きずり出したのだから。
東にしてみれば、これはとんでもない計算違いとなったに相違ない。
そこまで考えた時、ダオカルヤンは先日の会話を思い起こした。
「おれは、軍を率いて東国境へ出る予定だった」
ジークシルトは、確かにそう語っていた。
軍人の決起が近いとの、ダオカルヤンの一報を受けて、時間が無いと悔しがっていた主君にとっても、これは奇貨ではないか。
(もしや、そこまで織り込んでおわすか)
ジークシルトは何も言わない。ただ強酒を含んで、何事も無かったかのように微笑している。
グライアスも、この王太子を相手取って戦う事になるとは、夢にも思わなかったであろう。ダオカルヤンは
(一番の貧乏くじは、東が引いたのかもしれんな)
彼らが気の毒とすら感じていた。
朝になれば、更に詳しい情報が入ってくるだろう。今は、待つしかなかった。
開け放たれた窓から、冷たい乾いた夜風が吹き込んでくる。
ロギーマ剣将子息ゼーヴィス・グランレオンは、窓辺に佇んで晩秋の風を体に受けていた。
手には、温かい強酒で満たした北方らしい武骨な酒杯がある。
最初から独り酒を楽しんでいたわけではない。
あてがわれた宿舎の居室で、父と就寝前の一献を酌み交わしていたところ、変事の報が入ったのだ。
父は、急ぎ招集に応じた。続報は未だ届けられていない。
「王太子暗殺未遂事件の発生、実行犯はブレステリス旗下の者の疑い」
現在判っている全てである。
今は動かぬ方が良い。ゼーヴィスは、胸中で渦巻く感情に耐えつつ、宿舎の窓から外を見ている。
使節団に提供された宿舎は、城の敷地内において西側に位置している迎賓館の一棟だった。
ブレステリスは、現在のところはまだエルンチェア最大の盟友国家として、当国を訪れる他国の中では破格の厚遇を受ける事も出来る。用意された宿泊施設はブレステリス人専用の建物であり、立地も良かった。
ゼーヴィスがいる二階の部屋からは、日があるうちなら寒白の林だけでなく、手入れが行き届いた庭園も眺め渡せる。暖かい季節であれば、美しい花壇と巧みに造作された修景水路が織り成す、見事な風景が楽しめる。
エルンチェアの心遣いは、庭園を彩る花の種類からも推し量れる。
薄紫色の小振りな花弁が頭を垂れているかのように見える、可憐なカルパネッタ、すべやかで光沢のある白い花びらが特徴的なキエスモルクが主で、どちらもブレステリス国土内でよく見られる。
特にカルパネッタは友愛を象徴する花とされて、多くのブレステリス人が愛好し、栽培も盛んである。
「さて、どうなるものかな」
明日以降も、この好条件な宿舎に滞在が許されるものか。
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