流血は祭に潜む3

 寺院周辺は静まり返っている。

 西刻の六課午後八時、月がわずかに照らしているものの、秋の夜は闇が底深い。


 北方様式では、城の本丸に礼拝堂が設けられる。敷地内にある寺院は格が低く、僧侶の宿舎という意味合いが強かった。身分の低い臣下が朝の礼拝に使う程度で、王族が立ち入るなど滅多に無い。

 その稀な事が、いま起こっていた。


 燭台を自ら手にしたジークシルトが、単身で敷地の西外れにこじんまりと佇む寺院へ近づいていた。

 寒白の林から続く、整備が届いていない砂利敷きの一本道を早足で通って行き、建物の玄関口へ辿りつくや


「おれだ、パトリアルス。

 どこに居る」


 小声で弟を呼ばわった。

 降るような星空の下、彼は手持ち用の燭台を掲げて周囲を照らしつつ、弟の姿を求める。


「居るのだろう」


 人の気配はする。だが、どこにいるのか。

 寺院の入口付近には、背の低い常緑樹が植えられてあるだけで、身を潜ませられるような場所といえば、建物の裏手に続く細い通路か、または教会を包む木立くらいである。

 忠実な弟がそんなところに隠れるとも考えにくい。


 ジークシルトは建物に正面から近づいた。中へ入るべく、階段に足をかける。

 その背後に、気配が近寄った。


 かさり、と枯れ草を踏む音がした。

 刹那。


 燭台が宙を飛び、橙色のほのかな灯りが地面に転がった。

 同時に


「推参ッ」


 大喝もとんだ。

 放り出されても消えなかったろうそくの炎と、月と星が照らす中で、二本の白刃が閃き合い、火花が激しくまたたいた。


 柔剣同士が刀身を触れ合わせ、凄まじく軋んでいた。

 一本はジークシルトに握られている。いま一本は刺客、目を見開いて暗殺の標的を見つめる男の、小刻みに震える手に柄がある。


「な……なに」


 レオスの男は愕然としていた。

 信じられない、と表情いっぱいに驚きを表し、必殺であったはずの斬撃を受け止めた標的を凝視していた。


「なぜだっ」

「黙れ、下郎ッ」


 ジークシルトは怒鳴りつけ、同時に右足を蹴り上げた。

 つま先が急上昇し、男の股間にめりこんだ。


 聞くに耐えない悲鳴をあげてよろめいた彼の後頭部を、ジークシルトは加減無しに柄尻で殴りつけた。

 刺客は凶器を取り落とし、泡を吹いて昏倒した。


 木立の影から、二つの影が躍り出てきた。

 刺客は一人ではなかったのだ。加勢者達は無言で剣を振りかざし、突進して来た。


 これには、さすがのジークシルトも成すところなく、慌てふためいてまろび逃げ出す――予定だった。刺客達の主観においては。


 少なくとも、標的は腰を抜かして戦意喪失しているべきであった。

 だが、実際は。


 恐れおののいて座り込むどころか、まるで予想済みだと言わんばかりの迅速さで反撃態勢を整え、しかも実際に逆襲してきた。


 まず飛びかかって来た一名の凶刃へ、進んで太刀を合わせたのである。

 先手を取って斬りかかった男と一合二合、激しく渡り合った。


 絶えず立ち位置を変え、時折


「近寄らば斬る」


 との闘志を込めた視線を、残りの刺客に放ちながらの応戦で、せっかく二名がかりの襲撃を試みたにも関わらず、暗殺者の一人は標的を虚しく襲いあぐねていた。


「曲者ッ。

 出合え、出合えっ」


 ジークシルトはすかさず怒鳴った。

 主君の声に即応して、教会の扉が内側から蹴破られ、複数の軍靴が床を踏み轟かせた。

 ダオカルヤン・レオダルトを先頭に、気鋭の青年将校達が血相を変えて殺到して来たのだ。


「殿下を護りまいらせよ」


 ダオカルヤンが叫んだ。

 剣士達は


「応ッ」


 怒鳴り返し、口々に曲者、推参、と喚きながら不逞の輩どもを取り押さえにかかった。

 わずか一瞬にも満たない時間で、形勢は逆転を遂げた。


 信じ難い状況の悪化に、二人の刺客は自失した。

 なぜ、こんな事になったのであろう。


 考えるゆとりは、刺客達には許されなかった。

 一人は標的と攻守ところが入れ替わる異常事態に直面しており、いま一人も、憤怒の形相猛々しい若い武人らの猛攻に身を晒すはめとなっている。


「殺すな。生かして捕らえろ」


 率先して白刃をきらめかせつつ、ジークシルトは指示をとばした。

 ダオカルヤンは


「承知」


 短く答えた。主君には既に加勢がついている。これ以上の助太刀が無用である事を、若い腹心は熟知している。

 もっとも、ジークシルトは臣下に手を出す暇を与えなかった。


 動揺のあまり脱力したらしい敵の間隙をついて、力で一息に押し返した。合わされていた太刀が引かれた。


 瞬間、剣が水平に振られ、相手の凶器を払い飛ばした。

 武器を失い、いよいよ恐慌状態に陥った刺客のこめかみを、柄尻で強打する。男は真横に吹っ飛んで行き、倒れ込んで動かなくなった。気絶したと見える。


「後は任せる」


 臣下に向けて言い捨てると、ジークシルトは階段を飛び降りて、別の捕縛現場へ走った。

 味方も奮戦の真っ只中にある。三名が退路を塞いだ敵とダオカルヤンが斬り合っていた。


 二合三合と柔剣が合わされ、相手の形勢が著しく劣勢になった時、剣士の一人が隙を見て刺客の腰へ組みついた。

 耐えきれずに引き倒されところへ、全員がよりたかって敵を組み伏せた。


 大地に這うという甚だしい劣勢ながら、しかし男は諦めようとしない。必死の形相でもがいている。その長髪を、若い武人がむしりとらんばかりに引っ張る。


 男は苦悶し、呪いの言葉を吐いた。

 ダオカルヤンが、彼の口に剣の柄をねじ込んで黙らせ、寺院周辺をよく調べるよう剣士仲間に言った。他にもまだ居る可能性がある。


 彼らが散ったと入れ替わるように、ジークシルトが駆け寄って来た。

 男の金髪を握りしめたまま、若い剣士が息を弾ませて主君を見やった。


「恙無くおわすか、殿下」

「当たり前だ。

 こんな愚か者どもに、かすり傷ひとつ負わせてたまるか」


 剣の切っ先を、取り押さえられた男の鼻面に突きつけて、ジークシルトは鋭く笑った。

 二人もの敵と斬り合った直後にありながら、呼吸もさして乱れてはいない。


「何と不様だ。

 他国の王子を謀殺したくば、せめて当人の住まいを熟知した上で来るがいい」


 ついでに、自分の命を狙った男へ嘲笑を叩きつける。

 ダオカルヤンに剣の柄を噛まされている刺客は、恨みのこもったうめき声を漏らすだけだった。


 ほどなく臣下達が、失神から醒めたらしい刺客二人を荒っぽく引っ立てながら合流した。一人が、この期に及んでも失敗を実感しかねるのか、悔しそうな表情を浮かべて


「なぜだ」


 吐き捨てた。ジークシルトは振り返った。


「なぜも何もない。

 その方らが間抜けだった、それだけの事よ」


 城の造作を知る者なら、正面の砂利道ではなく、寒白の木立を通り抜けて寺院の裏側に来るのは難しくない。更に言えば、この建物は僧侶の宿舎にあてられている。


「このいかつい武人どもが、坊主の寝ぐらを裏から通り抜けて堂内に潜んだ気配に、その方らは気づきもしなかった。

 つまりは、間抜けだ」

「う、ぬ」


 剣柄を噛まされている男が、腹いせのように歯を立てた。前歯の一本が欠けた。ダオカルヤンが顔をしかめた。


「こら、歯形をつけるな。後で握るおれの身にもなれ、気色の悪い。

 美女なら許すが、男に歯形をつけられても嬉しくないぞ」


 剛胆さにおいて相譲らぬ主従である。死闘を演じた興奮も冷めやらぬうちに軽口を叩くダオカルヤンを、ジークシルトは苦笑しつつ見やった。


「美女は剣の柄をかじったりはすまい。ま、冗談は後で存分に言え。

 さて、その方らには聞きたい事がたんとある。むろん、冗談ではないぞ」


 凄みをきかせながら切っ先で男の鼻を突ついて、ひとしきりうめかせる。

 残敵の探索に出ていた、一番若い様子の剣士が戻って来た。ジークシルトはそちらへ視線を転じ


「他には居なかったか」

「は。曲者らしき影は見当たりませなんだ。

 この三名のみと思われます、殿下」


「よし。おぬしらの働き、満足である。

 この痴れ者どもを引っ立てい」


 命じた。大柄な剣士が自分の下敷きになっている刺客を起こしにかかる。ジークシルトは、こちらには快活な笑みを与えた。


「名誉回復が叶ったな」

「御意。

 当分は剣術仕合の御声も賜わるまい、と諦めておりましたが、好機に恵まれました」


 彼もにやりと笑った。先日の稽古では主君に歯が立たなかったが、本日は上首尾であろう。

 ジークシルトは剣を鞘に収めながら頷いた。


「ああ。

 このばかどもに感謝するがいい」


 やがて、ダオカルヤンを除く四名が現場を離れて行った。

 観念して連行されてゆく刺客達には一瞥もくれずに、ジークシルトは居残った腹心へ、ことさら厳しい表情を造って見せた。


「きゃつら、ブレステリスの者だと思うか」

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