運命は糾える縄3
驚いたダオカルヤンが問いかけた。
ジークシルトは機嫌の悪い表情で頷いた。
「おれは、東国境へ出る積もりをしていた」
「軍を御親卒あそばす御所存におわしますか」
重大事である。
「それには、余程の大義名分が無ければ」
「当然だ。
先日の紛争では、三十名を超える死者が出た。当然、黙って済ませるわけにはゆかん。
おれは、もはや戦も同然と考えている」
「御言葉、しごく御もっともと存じ奉る。
ただし、先方とても考えは同じと拝察仕り、後始末は紛糾が予想されます」
「大いに結構だ。
こじれた方が、おれが動きやすくなる」
緑の両目がすがめられた。母親譲りの美貌が鋭さを帯びる。
男にあるまじい美しい面差しに好戦的な表情が宿るとき、神話の登場人物が抜け出して来たかのような印象を与える。
「東の考えは明白だ。
これだけ頻繁に国境紛争が生じ、以前の話し合いが難航しているそばから新たに揉めるとなれば、当方との和平など念頭にあるまいよ。
かねてより、峠の通行権における我がエルンチェアの優先を、不満に思う節があると聞く。
隙あらば、我らに取って代わろうとの思惑、無いとは言わせぬ」
若主君の意図は、腹心も容易に理解するところだった。
東、すなわちグライアスの狙いは、タンバ―峠の通行及び南方産薪の取引にまつわる諸権益であろう。
とりわけ、優先的な使用権を求めているのは確かで、当方に譲る気配が無いからには、力づくでも奪い取る。そう考えていると思われる。
ただ、あからさまな武力行使は控えざるを得ない。侵略を企図していると周辺諸国に疑われては、後日に厄介な火種を抱え込む事に繋がる。
それは当方も同じ事で、ましてや王太子が直々に軍を率いるとなれば、どうあっても領土防衛の名目を立てなければならない。
意図的に紛糾させ、挑発に乗せて、先方から手を出させる。ジークシルトは、グライアスの思惑を利用したいのである。ダオカルヤンはそう見た。
「これは、時間が要りますな」
「ああ。
先方もそれなりに策を持っているはずだ。
戦端を開いた責めを、何としても我がエルンチェアに負わせたいだろうよ。
多少の挑発では、簡単には動かぬさ。
だが、おれは国境に出ねばならん。正しく言えば、王都を留守にする必要がある。
パトリアルスごとな」
「弟君を御同伴で」
「おれ達が城を出た後は、あいつの出番だ」
「あいつ。ははぁ。
御意にございます」
ダオカルヤンは苦笑を漏らした。
「殿下の思し召し、それがしにも見当がついて参りました。
宮廷工作にかけては、それがしなど何の御役にも立てそうにございませぬが、あの男なら」
「どうせなら、俗諺の通りにやりたいのでな。
良い狩人は一本の弓矢も無駄には射たぬ、というやつだ。
事のついでに、我が宮廷に巣くう南隣親和論者を退治てくれる所存だった」
しかし、大剣将が武官を煽り立てて、親和論を唱える一派を片付けるという。しかも近日中に。
東国境への軍親卒を強行しかねる以上、口実を設けるのに一定の時間が要るこの腹案は、断念するしかないのである。
「それを、ツァリースの節介焼きが、焦りおって。
いま少し、おれに時を貸しておけば良いものを」
心底悔しそうに、ジークシルトは吐き捨てた。ダオカルヤンは顔をしかめた。
「御説はまことに御もっともながら、ご老人の焦燥感も、あながち間違いとは申せませぬぞ。
万が一にも、きゃつらが先んじて殿下を弑し奉らんと謀ろうものなら」
「謀ればよかろうよ」
ジークシルトは、臣下の懸念を鋭く遮り、更に語気荒く撥ね付けた。
「おれを殺す、か。
面白い。やれるものなら、やってみろ」
明快な嘲笑が、場の空気にさざ波をたてる。
「親和論者どもの目論みなど、たかが知れておる。
毒を飼うか、事故に見せかけるか。そんな程度だろうよ」
「殿下」
ダオカルヤンは瞠目した。
この若い主君は、自分の身に暗殺の危険が迫る恐れを承知し、その上で笑い飛ばしている。
南隣国に対しての友好関係を重視する派閥は、まるで逆の強硬論を支持する王太子を、かねがね好んでいない。
嫌うだけに留まらず、温厚で人当たりが良く、何より南出身の母に溺愛されていると言ってよい第二王子へ、期待をかけている者がいる。当宮廷における、暗黙の事実である。
彼らが、自分達に都合が良い王子の登極を願う時、どのような行動に出るか。
そうと推察していて、平静に振る舞うだけでも、常人とは言い難い。
「とにかくだ。
おれは、武断派の行動は絶対に認めぬ。
暗殺の危険がどうであろうと何だろうと、弟への要らぬ手出しは許さん」
「されば、それがしはご老人並びに我が父の動向に注意を致し、逐次に御報告申し上げます。
現状ではこれが精一杯かと思われます」
「うむ。
必ず、巨細漏らさず伝えよ」
「御意。
それがしはこれにて」
注進に飛んで来た若い腹心が立ち上がりかけるのを、ジークシルトは手で制した。
既に一時の激高は収まり、普段通りの堂々とした様子に戻っている。
「待て。
せっかくだ、剣術の仇討ちをしてゆくがいい。
おれの屋敷へ来るのに、駒取りで意趣返しする旨の事は言いおいてきたのだろう」
一局終えての帰宅にしては、なるほど早すぎる。
ダオカルヤンも平常心を取り戻して、自信満々の微笑を浮かべた。
「かしこまりましてございます。
では、遠慮無く」
朝から雨だった。
雷雲が、エルンチェア王国の頭上で黒ぐろと渦巻いている。
時折、白色の稲光が雲間にきらめき、その都度、王国には嵐の怒号が響き渡る。
空はまるで滝のように、膨大な雨水を大地へ叩きつけている。
冬の嵐。
北方諸国に、また長い厳しい季節の訪れを告げる使者である。
王太子邸の居間では、主従が再び向かい合っている。
昨夜、臣下は首尾よく剣術の無念を晴らしたものの、若主君が勝ち逃げを許さなかった。朝の恒例行事を終えたが早いか、屋敷に直行となった次第である。
「ええい。手詰まりだ」
手にしていた駒を放り出し、彼は負けを認めた。どうしようも無くなった盤上を睨みつける。
「嫌な攻め口をやりおる。
引っ掛けの手は、そこだろう」
「御明察。
しかしながら、殿下。御看破あそばされている割には、何度もこの手に引っかかってしまわれますな。
殿下の御攻め口は、守りの陣容がいささか手薄いように、わたしには見受けられます。
寄せ手にばかり、御気を取られすぎかと」
「うるさい。
おぬしはいつから、おれの駒取り指南役になった」
声の調子こそ剣呑だが、しかし口元は笑っていた。やや、苦笑いの観があるが。
夜を徹しての対局で、戦績は腹心の圧勝だった。
「では、わたしの勝ちという事で、宜しいですな」
若主君に念を押したものだ。ジークシルトは
「宜しいも宜しくないもあるまいが。このざまで、どうしろと言う。
もう一勝負だ」
あくまで勝ち越しに拘泥していると見える。ダオカルヤンは肩をすくめた。
「少しお休みになられては如何かと」
「いいや。勝つまでやる」
「それではいつまで経っても、わたしは席を立てませぬな」
「何を。必ず、こてんぱんにしてくれる。
覚悟しておけ」
「されば、次の一番はぜひお勝ち下さい」
もちろん、ただ遊んでいるわけではない。
ダオカルヤンは神殿の参拝後に剣士仲間へある程度の話を通し、交代で大剣将の動向を探っている。
ジークシルトも、人を待っていた。
駒を並べ終えたと同時に、屋敷の勤め人が目通りを願い出て来た。
しかし
「あのう、殿下。も、申し上げます」
王太子邸付きの用人は、しきりにおろおろと落ち着きが無い態度だった。
「ただいま、パトリアルス殿下の御成りが」
何、と若い主従は声を合わせた。
客は待ち人ではない、まったくの予想外だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます