諸南、不穏なり3

「おのれヴェールトめッ。

 どこまで我がツェノラを愚弄するのかッ」


 朝、食事中に極めて不快な報告を受けた王は、立ち上がりざまに食器を床に叩きつけて憤激した。


「たかだか森林資源に恵まれた程度で、我らに優越しておる積もりとは無礼千万。

 いよいよもって許せぬッ」


 怒れる王は、足を踏み鳴らして怒号した。

 周囲の侍従はもちろん、報告を持って来た外務庁の役人も、顔を青ざめさせ項垂れている。


 グライアス外務卿直筆の署名が入った、それは「ヴェールトの思惑」についての文書だった。

 彼としても薄々ながら察していた内容を、他国の重役から指摘されたとあって、怒りもひとしおである。

 祖国救済の強い気持ちは、しばしば激しい行動となって現れる傾向がある。


「ヴェールトめに報復するぞッ。

 いつまでも薪を振りかざして、いい気になっておれると思うのは大間違いだ。

 森の国は、きゃつら一国だけではないわッ」


 この時、彼の脳裏に浮かんでいた国名を、周囲の者達は一様に察していたであろう。

 南方圏において、圧倒的に広大な森林地帯を有するのは間違いなくヴェールトだが、連峰南の麓を全て領土としているわけではない。

 商売敵がいるのだ。


「ヴェールト・エルンチェア間の薪取引体制に乱れ有り、との一報を西に流せ。

 彼らは決して、聞き流しはせぬ」


 水に投げ込まれた石が波紋を描くように、不穏な空気は大陸の南を徐々に覆い始めていた。



「好機到来だ。

 この機を逃してなるものか」


 その一報が入った早々、王国の第九代支配者は決断を下した。


「北方国家に接触せよ。

 何としても、エルンチェアの消費圏へ食い込むのだ。


 多少の譲歩は覚悟する。

 彼らとの取引が叶うなら、犠牲を払う価値は充分にあろう」


 外交並びに貿易事業の責任者を呼びつけると、国王は勇んで下命した。

 南方圏の西沿岸に国土を持つラインテリア、当国もまた豊富な材木資源を領地の中に収めている。


 ツェノラ王が見た通り、少なくとも支配者にとっては朗報だったのである。

 臣下の方は、しかし必ずしも主君と意図を同じくしているわけではないらしい。

 最初に


「御意はしごく御もっともと存じ奉ります。


 問題は、我らと所縁深いかの国が、エルンチェアとは国交を持っておらぬ点にございます」

 

 外務卿が、続いて外商卿も


「仰せの儀、臣も心よりご賛同申し上げ奉ります。

 ただし、かの国は名うての旧派。

 接触するのであれば、ヴァルバラスの方が好ましいのではないかと」


 遠回しな言い方で、王の意向に異議を唱えた。

 実務に就いている両者には、主君の見立てが希望的観測にすぎると思われるのであろう。


 それも道理だった。

 北方圏のかの国ことリコマンジェ王国がいかなる国風か、二人ともよく理解するに至っている。


 特に貿易を手掛ける外商卿は、過去の実例を一通り思い起こしたと見え、交渉の難易度が低いと思われる方の国名まで具体的に挙げている。

 だが、主君は首を縦には振らなかった。


「いや、ヴァルバラスは宜しからず。

 峠絡みで、ヴェールトと深く繋がっている恐れがある。

 万が一にも話が漏れては、やつらがいかなる妨害を試みてくるやら、知れたものではない」

「……御意」


 その意見にも一理ある。

 反論しかねて考え込んだ臣下を、どのように見たものか。王は


「懸念致すな。

 儲け話をちらつかされれば、こちらががみがみ言わずとも、先方が進んで動くに決まっている」


 楽観論を口にした。


「先方にしてみれば、当方がエルンチェアと交易を行うための橋渡し役を務めるだけで、相応の利益が手に入るのだ。


 開いた口に飴が飛び込むとは、まさにこの事ではないか。

 話に乗れぬとは考えまい」


 話を聞きながら、臣下両名はあからさまに困り顔で、互いを見やった。

 王の意見はあながち的外れではない。惜しむらくは、交渉相手がリコマンジェでさえなければ、との但し書きがつく点である。


 慌ただしく視線を交わして無言の相談をまとめた二人は、軽く頷き合うと、思い切ったように口を開いた。


「恐れながら、陛下」

「御無礼は重々承知で」

「エルンチェアも、薪貿易の停止が何よりも恐ろしいのだ。

 より真剣に検討するであろう。何の問題もないではないか」


 簡単に遮られてしまった。滅多にない好機に心を奪われている主君に、聞く耳は無いらしい。

 現場を知らない王の反応がこのようなものであっても、止むを得ないのかもしれない。

 やがて外商卿が立ち直った。


「では、ダリアスライスの意向は如何なさいますか、陛下」

「何を言うか。

 彼らにいちいち伺いをたてねば、梢一本売れぬと申すのか、我が国は。


 我らは、いつから彼らの家臣になったのだ。

 我がラインテリアは、葉っぱ一枚木っ端一かけらに至るまで、彼らに無断で売ってはならぬなどとは、予は一度も聞いた事が無い。


 たとえ彼らが、かくあるべしと信じ込んでいたとしても、それを重んじるべき理由は、当方に有りはせぬ。

 無用な心配だ」


 主君に笑い飛ばされたとあっては、臣下の身ではこれ以上の抗弁は困難だった。

 まことに致し方なく、二人は命令をうべなった。


 言うまでもなく、簡単に実行出来る内容ではない。

 殊に、外交を管掌する役目の人々にとっては、途方もない難問と言える。


 大抵の役人は、外商担当者のぼやきを何度も聞かされ、また自分達も、リコマンジェ王国に外交儀礼上の連絡をする時は、ひどく気を遣う立場だったのである。


「そういうわけで、我らはリコマンジェに接触せねばならぬ」


 外務卿は、あえて側近達に背中を向け、執務室の窓から見える秋の景色を眺めながらそう宣言した。

 一つには部下が困惑する顔を見たくなかったのと、自らの、恐らくは似たような表情を、見られたくなかったからだった。


「諸君も知っての通り、かの国は扱いが殊の外難しい。

 定められた書式を少しでも外せば、容赦なく文書を突き返してくる程に融通が利かぬ。

 諸君も、さぞかし苦労している事であろう」


 上役の背中を眺めながら、部下五人が一斉に頷いた。誰の顔を見ても、気疲れしていると言いたげな表情である。


「そこに、重ねて苦労を強いるのは心苦しい。

 が、しかし。勅命である」

「は」


 返事なのか吐息なのか、判然とし難い反応ばかりだった。


「厄介な交渉になる事は承知している。

 その上で、諸君には努力を期待する」

「かしこまりました」


 諦念に満ちた複数の声が答えた。

 外務卿は、側近の中でも古い腹心を一人だけ残し、後は下がらせた。

 共に外を眺めるよう誘い、近くに来させると、何度も首を振って見せた。


「面倒な話が舞い込んで来たものだ。

 報告によれば、ツェノラからの申し越しだそうな」

「それはそれは」


 腹心も困っている。


「長官閣下を差し置いて、どの者がそのような余計な、いやもとい。

 刺激が強い報告を、陛下に対し奉り、言上致しましたものやら」

「それがな。ツェノラ王の親書だったのだ。

 まさか、臣下の身が開封するわけにはゆかぬ。


 全く余計な事をしてくれるものだ、あの貧国は。

 先様も、何をお考えでわざわざ面倒事を、我が陛下に聞かせ給うものか。訳が分からぬわ」


 言葉の最後は、ほとんど恨み言に近かった。


 外商庁も、負けず劣らず深刻な雰囲気に覆われている。

 こちらの観点は、主にダリアスライス対策だった。

 長官である外商卿と重職にある一同は、小会議場で長らく思案顔を突き合わせていた。


「薪貿易については、ヴェールトと張り合う事は一向に構わぬし、競り負けるとも思わぬが……やはり、ダリアスライスの意向がな。

 どうしても気にかかる」

「我々も皆、閣下のお考えにご同感致しております」


 一人が言い、会議に出席している全員も追いかけて、口々に賛意を表した。

 外交における厄介とは別種の難題、即ち、商取引の駆け引き材料として「塩」が議題に上がりかねない。その懸念が、一同を悩ませているのである。


「いかように考えましても、薪だけの問題には留まらぬ恐れが拭えませぬ。

 万が一、エルンチェアに塩の直接取引を持ちかけられたら、果たしてかわせましょうか」

「それだ。

 わたしも、その点を危惧しておる。


 先方から薪の取引を申し出てきたのであればともかく、この度は当方からの売り込みだ。

 となれば、先方にもある程度の条件提示を認めないわけにはゆかぬ」


 仮に商談の席が整ったとして、口火を切ったのが当方であれば、先方も


「薪を買えというのなら、そちらも塩を買え」

 

 との、交換取引を申し出る可能性が高い。

 相手にしてみれば当然の事で、他の取引先へ


「塩の買い手は、貴国だけではないのだぞ」


 睨みを効かせる。実績を作る格好の機会でもあるのだ。

 南方圏の場合、ダリアスライスが塩市場の主導権を握っている。


 その頭を跳び越す形での取引を、彼らが笑って見逃すはずはなかった。内心は穏便に済ませたい考えがあったとしても、周辺諸国への手前、言わば「見せしめ」を行わなければならないのである。


 彼らに好ましい均衡を破った当方へ、圧力をかけて来るか、更に厳しく報復して来るか。

 懸念への対策をおざなりにして、新たな商取引を起こすのは危険すぎる。


 だが、王は千載一遇の好機を、慎重な姿勢をとってみすみす取り逃がす気には、どうやらなれないらしい。


「かくの如く、陛下の御言葉も御もっともながら、事はそう単純ではない。

 しかも、リコマンジェは音に聞こえた守旧派。彼らはあてにはしかねる。

 と言うよりも、この場だけの話だが、まずもって動かすのは無理だと思う」


「仰る通り」


 重役一同は、誰一人として反論はしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る