ビビリですが怪異退治はナイフ縛りが基本です

RYO

序章 ゾンビくらいは余裕です(涙目)

0-1

 深夜、繁華街。

 月明かりと星明りだけが光源の薄暗い路地を、少女が走っている。

「どうして……どうして……!」

 少女の口からは疑問の声が漏れ続けるが、答える者は居ない。

 頼りない光源のせいで落ちているガラクタやゴミに躓いては転んで生傷を作っているが、それを確かめることすらせずに少女は起き上がって走り続ける。

 時おり扉が見つかるたびにそちらへ駆け寄ってノブをガチャガチャと回すが、時間が問題なのかどの扉も鍵が閉まっていて決して開こうとはしない。もはやただのタイムロスにしかなっていないが、そうと分かっていながらも、少女は希望を捨てることができない。

 そうでなければ――後ろから迫ってくる“奴ら”からは逃げられないと、本能で分かっているからだ。

「は、はぁ、は、はぁ」

 懸命に両手両足を動かし続けるが、少女の顎はすでに上がりきっている。傍から見ても体力の消耗は激しい。もはやまっすぐ走ることも難しくなっており、足元もおぼつかない。

 それでも彼女は走り続ける。足を止められない――止めたら死ぬ、それだけの必死さが彼女にはあった。

 だが、その逃避行は突然に終わった。

「きゃっ!?」

 何度目かの角を曲がって少し走ったところで、少女は見えない壁に阻まれたかのように転んでしまった。

 起き上がろうとしながらも少女は目を凝らして眼前の暗闇を見透かそうとする。

 光源が少ないせいですぐには気づけなかったのだが、そこには金網が通路を塞ぐようにして張られていた。

「そんな、そんな!」

 金網に取り付いてガシャガシャと揺らすが、その程度ではどうしようもなかった。見上げる少女だったが、その金網は背よりも高く、簡単には乗り越えられそうもない。

 だが金網という特性上、手足で取り付いて登れば乗り越えられそうだった。

 体力と――時間さえあれば。

「うぁぁぁ……」

 それは少女が出した声ではない。

 背後からの声に、少女はバッと振り向いた。

 爛れた皮膚、生気のない目、大きく開いた口、力なく前方に伸ばした両腕。

 ――ゾンビ。

 少女の背後から、数体のゾンビが迫ってきていた。

「いや……助けて、助けて……!」

 叫びながら少女は取り付いた金網を揺らすが、ガシャガシャという音を立てるだけで金網は依然そこにある。ずれても倒れてもくれない。

 そうこうしている間にもゾンビの群れは近づいてくる。だがもう少女にはどうしようもなかった。必死に金網を揺らして、助けを求める。

 

 その声を聞く者はゾンビ以外に――居た。

 

「ああもうちくしょう! またかよ!」

 金網を挟んで少女とゾンビの反対側の路地、そこを青年は走っていた。

 黒髪を短く刈りそろえた青年は、服装も雰囲気もどこにでも居そうな存在だった。

 その右手に逆手で構えているカランビットナイフ――コールドスチール・スチールタイガー――以外は。

 ハンドルエンドにフィンガーホールを設けた特徴的な形状のナイフ、その三日月のように湾曲した刃が血に濡れている。

 こちらに走ってくる青年の姿を見て少女がパッと顔を明るくし――そしてすぐに絶望に顔を歪める。

 少女と青年を隔てているのは青年の背丈くらいはありそうな金網だ。それを登ろうとしている間に、少女はゾンビに噛み付かれてしまうだろう。どうやっても間に合わない。

 そんな少女の未来予測に、青年は従ってやるつもりはなかった。

「うおりゃぁ!」

 気合一閃、金網の少し手前で青年は左足で踏み切って右斜め前方に跳躍した。

 そのまま路地の壁を右足で蹴り、身体をさらに持ち上げて金網の上部に取り付く。そのまま勢いを殺さずに金網を飛び越えて、青年は少女とゾンビのちょうど間に危なげなく着地した。

「うぁぁぁぁ」

 突然の闖入者に、しかしゾンビはなおも腕を伸ばして噛み付こうとしてくる。

 そんなゾンビに対して青年は毅然と――

「あぁもうこえぇよ! ゾンビこえぇよ!」

 ――対応するどころか泣き出しそうになっていた。むしろ少女以上に絶望に顔を歪めていた。

「へっ?」

 突然表れた救世主のそんな情けない姿に、少女は思わず驚きの声を漏らす。

 だがその直後、もっと驚くべきことが起こった。

「うぁぁぁぁ」

 両腕を伸ばして青年に掴みかかろうとするゾンビ。

「あぁもうやだぁ!」

 青年は叫びながら――カランビットを振るった。

 右から左へのフォアハンドの一撃が、ゾンビの左腕の筋肉を大きく切り裂く。人智を超えた存在であろうと物理的に肉体を破壊されてはどうしようもなかったのか、ゾンビの左腕が力なく垂れ下がる。

 さらに青年は左から右へバックハンドの一閃を振るい、右腕の筋肉も大きく切り裂いた。

 ゾンビの両腕が力なく垂れ下がったところで、青年は右足を大きく振り上げてハイキック。ゾンビの顎にクリーンヒットしたその一撃は、後方のゾンビを巻き込むほどの勢いで大きく吹き飛ばした。

 あっさりとゾンビ一体を無力化した青年は、

「くそ……銃が欲しい……カランビットなんかリーチ短すぎじゃねぇか!」

 そう嘆きながらも油断なくカランビットを構えたまま――少女のほうを向く。

「っ!?」

 その鬼気迫る表情に思わずビクリと震えた少女に、青年は激を飛ばす。

「おい、大丈夫か!? 噛まれたりしてないか!」

「だ、大丈夫だけど、あ、あなたなんなの……?」

「俺は――」

 青年が答えようとしたところに、最悪の邪魔が入った。

 ゾンビのうめき声――それも大量の。

 すばやく前を見やった青年の視界に、それは飛び込んできた。

 もはや路地を埋め尽くすほどの勢いでこちらに向かってくる、大量のゾンビの群れ。

「ひっ!?」

 青年の背中越しにそれを見てしまった少女が、短い悲鳴を上げる。

「ひぃぃっ!?」

 それより大きな悲鳴を、青年は上げる。

 涙目になりながらも青年は少女に叫んだ。

「いいからさっさと金網登れ! できれば俺がゾンビになっちまう前に!」

「――は、はい!」

 少女がギクシャクと金網に取り付いたところで、青年は前に目をやった。

 生気の無い目をしたゾンビたちが、青年へと向かってくる。

「ああもうくそっ! やってやるやってやるやってやらぁ!」

 そう叫んで青年――古谷 剛(ふるたに つよし)――はゾンビの群れへと飛び込んでいき――

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