第2話 持っていかないで
私の弟は怖がりなくせに、妙に怖いもの見たさの好奇心が強いところがあった。
そんな弟が専門学校生時代から始めた遊びが、近所の幼馴染たちとのホラースポット巡りだった。
これは、あるホラースポットで起こった出来事。
その日、弟は友人たち4人とともに関西のとある山奥にぽつりと建つ廃病院を訪れていた。真夜中に、弟は友人たちと車でそこに乗り付けたそうだ。地元では有名なホラースポットだったが、あいにくその日は弟たち一行以外に人の気配はなかったという。
懐中電灯を照らし中に入ると、その中は期待通りの荒れ果てた有様だった。
椅子やゴミが散乱した待合室、医療器具が散らばった診察室、マットが壊れシーツの垂れ下がる病室……。
弟たちは程よい恐怖感を楽しみながら、キャアキャアとはしゃいで廃病院の探索を進めていった。
そして一通り見終わった彼らは、ちょっとした満足感や達成感を感じながらその廃病院から出た。
「やっぱ、病院って雰囲気あんなぁ」
「看護婦さんの幽霊とか追いかけて来たら、どうしようかと思った」
「そんなんおったら、怖くてチビるわ」
「もう一通り見たやんな。ほんじゃ、帰ろっか」
彼らは廃病院の入り口に置いてあった友人の車に乗り込んだ。
来た時と同じように、体の小さな弟は後部座席の真ん中に座る。
ドアが閉まるとすぐに車は発進した。
体の大きな友人たちに挟まれて、弟は疲れもあってかすぐに寝落ちてしまったらしい。
そのため、ここからの話は一緒に車に乗っていた友人の証言を元に再現している。
車は来た道を順調に戻っていった。こんな夜更けの山奥である。車がようやく二台行き違えるかどうかという山中の道路だったが、行きかう車の姿もなくスイスイと彼らの車は山を下りて行った。
そのとき。
友人の一人が声を上げる。
「お、おい。なんやあれ」
その右手はフロントガラスの向こう、前方を指さしていた。
その声の雰囲気に只ならぬものを感じて、ほかの友人たちも彼が指さす方向に目を凝らした。
道路の先。この車の進行方向に……何か、ある。
それは闇夜に白く浮かび上がる、細長いモノ。
「……あれ、人ちゃうんか? 誰か立ってんのやろか」
友人の一人が言った。
「ちょい、待てや。なんで、こんな夜更けに人がおんねん。そいつ、どうやってここに来てん。ふもとから延々と暗い夜道を歩いてきたっちゅうんか」
そうこう言っている間に、車はどんどんとソレに近づいていく。
「道に迷って困ってる人かもしれへんやん。ヒッチハイクしてるんかもしれんで?」
そんな案も出たが、車が近づくにつれソレの輪郭がはっきりしてきた。
もう誰の目にも明らかだった。
それは……ワンピースを着た女性だったのだ。
彼女は、明らかにこっちを見ている。
まるで彼らを待ちわびていたように、前方に両手を広げて。
その顔は、満面の笑顔だった。
「ひぃ………!」
彼女の場違いな姿の異様さに車内はパニックになる。弟だけは、なぜかそれだけの騒ぎにもかかわらず目を覚まさなかったというが。
「どうすんねん! 引き返すんか!?」
「無理や! こんな狭い道路で方向転換するには時間がかかる。アイツの隣、ぎりぎりこの車が通れそうなくらい空いてる。……猛スピードで突っ切ろう」
運転していた友人はアクセルを踏み込み、車はグンと加速した。
しかし、その女は迫りくる車にも微動だにせず、手を前方に広げたまま張り付いたような笑顔で笑っている。
彼らは何もないことを祈りながら、猛スピードで彼女の横を通り過ぎた。
通り過ぎてすぐ、後方に座っていた友人が後ろを振り返ってみた。女の背が、どんどん遠ざかるのが見えた。追ってくる気配はない。
彼らは恐怖から、その後もスピードを緩めることなく無言で市街地へと車を走らせた。
市街地についてからようやく目を覚ました弟は、先ほどあった出来事を興奮交じりに語る友人たちの話を聞いて、ちぇっ、眠りこけてたなんてついてないな、俺も見たかった……そんな風に思ったらしい。
その後、各々の自宅まで車で送ってもらい、この日の廃墟巡りは終了した。
しかし、これで終わりではなかったのだ。
翌日。昼過ぎまで寝ていた弟を一本の電話が起こした。
「何?」
寝ぼけながら電話に出た弟だったが、「お願いがあんねん」という友人の声音に驚いて眠気など吹っ飛んでしまった。その声は、今にも泣きそうな声だった。
「どないしたん?」
「……聞いてや。さっきな。俺の携帯に、着信があってん」
それは非通知の番号だったという。誰だ?まだ眠たいのに、そう思いながら友人は携帯電話を手に取り、耳に当てた。
「〇〇病院の者です」
相手は、女性だった。
場違いなほどに明るい、はきはきとした女性の声。
その声で、こんなことを告げた。
「昨日、うちの病院にいらっしゃったときに、注射器を一本お持ち帰りになりましたよね。あれ、返していただかないと非常に困るんです。返していただけないでしょうか。もし返していただけないようなら、取りに伺いますよ」
そう一方的に言って、電話は切れた。
〇〇病院……? そんな病院に罹ってたことなんてあったっけ? そもそも昨日どこかに通院なんてしたっけ? 昨日は学校行って、夕方からはバイト行って……。
とそこまで考えて、ふと気づく。
〇〇病院……それは、昨日深夜に訪れた廃病院の名前だった。それに思い当って、彼は背筋が一気に泡立ち体が震えだしたという。
そう。彼は昨晩、廃病院に来た記念にと、診察室を探索中に見つけた注射器を一本こっそりポケットに入れて持ち帰っていたのだ。懐中電灯の明かりしかない廃病院内。一緒にいた友人たちにすら、注射器を持ち帰ったことは言ってはいなかった。自分以外、誰も知らないはずなのに。
彼は慌てて、昨晩着ていたジーンズのポケットを探ってみた。
ある。そこに、古びて汚れた注射器が一本、確かに入っていた。
(やばい……これ、返さないと……あいつが取りに来る……)
電話をしてきたその声の主が人ならざるモノであることは、もう確信していた。
ホラースポットで地元の不良などと出くわすことは時々ある。ホームレスなど住み着いていることもある。だから自分たちの身を守るために、自分たち以外にほかの人間がいるかどうかということは自分も友人たちもかなり注意しながら探索していた。
だから、確信を持って言える。昨日あの場所に、自分たち以外の生きた人間が他に居たとは思えない。居たら絶対に気づいてる。
それでも何か居たとするならばそれは……人ならざるモノに違いない。
でも一人で返しに行くなんてことは、怖くてできない。
昼間の明るい時間とはいえ、もう二度とあの病院には行きたくない。でも、行かないわけにはいかない。
そうしないと……あいつが来てしまう。
脳裏に昨晩見た、笑う女の姿が浮かんでいた。
それで今日何も予定がないと言っていた弟に電話をかけてきたというわけだった。
「わかった。一緒に行くから。うち来てや」
それから何人かに電話をかけて、その日時間が空いていた数人で再び車に乗り込み、彼らは昨晩の廃病院へと出かけた。
昼間の山道は、昨晩の恐ろしい様子とは一転して、鳥の鳴き声なども聞こえるのどかな様相をしていた。昨晩、女が立っていた道路も通ったが、もうだれもいなかった。
彼らは廃病院の、その友人が注射器を拾ったという診察室へいくと元あった場所に注射器を置いて手を合わせた。手を合わせながら、勝手に持って行ってごめんなさいと心の中でひたすら謝った。
それからはもう、怪異なことは起こってはいない。
けれど、それを機に彼らはもう深夜のホラースポット巡りを止めてしまった。
それがどれだけ危険なことなのか、身に染みてわかったから。
これを読んでいる貴方も、友人たちと戯れにどこかのホラースポットに出向くことがあるかもしれない。
でも、そんなときでも、決してそこにある物を持ち出してはいけない。
それを誰かが取り返しに来ないとも、限らないのだから。
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