第298話 仮想現実でも現実と同じ心があると、僕は……

 お昼の準備があるから、とラミナさんがお昼前にログアウトして、僕はのんびりと街を歩いていた。


「特にすることもないし、どうしようかなぁ……」


 シルフが後ろを着いて来てくれているのは分かってるんだけど、彼女と念話するだけっていうのも勿体ない気がするんだよね。

 せっかく2人でいるのに。


 んー、いっそのこと外に出てしまおうかな。

 街の中だとシルフも完全顕現できないし……。


「よし、そうと決まれば」

(アキ様?)


 ピッピッピ、と鳴らない音を頭で思い浮かべながら、僕はさっきも連絡したあの人へと念話をとばす。

 まだいるみたいだし、大丈夫だと思うけど。


(はぁい、アキちゃん。なにかご用かしらぁ?)

「度々すいません、フェンさん。ちょっと聞きたいことがありまして」


 僕は手短に探している場所の条件を伝える。

 するとフェンさんは特に悩む声も上げないまま“だったらあそこが良いと思うわぁ”と、僕に場所を教えてくれた。



「ここら辺にあるはず……っと、見えてきたね」

「アキ様、一体どちらへ?」

「ほら、そこの茂みの先が目的地だよ」


 言いながら完全顕現したシルフの手を引いて、僕は茂みの奥へと足を動かす。

 ガサリと音がして、僕らの前に現れたのは……大きな湖だった。

 まるでそこだけが輝いているみたいに、太陽の光を受けて湖面が光り輝いていた。


「……綺麗です」

「なんていうか予想以上の景色だね……」


 どうやら湖付近は街の中と同じ、セーフティーエリアになっているみたいで、魔物の姿もなく、僕らは安心して湖へと近づくことが出来た。


「精霊の水じゃないらしいんだけど」

「でも、すごく透明ですね。なんだか神秘的な感じがします」


 周囲に生えている木はまばらで、森っていうよりも林というか……いや、林でもちょっと大仰な言い方になってしまう気がする。

 なんにしても、そんな隠れてもいない場所にしては水がすごく綺麗で、逆に怪しく感じてしまう。


「硫酸の湖も遠くから見るとすごく綺麗だって聞いたことがあるし……」

「硫酸、ですか?」

「あー、シルフは知らないんだっけ。えっとね、触れると皮膚とかをどろどろに溶かしちゃうスゴい危ない液体のことだよ」


 もっとも、触れる以前に空気中に溜まるガスの時点で危ないんだけど。

 あと、硫酸っていうか濃硫酸だったっけ?

 とにかく危険ってことだけは覚えてる。


「ひふがどろどろ……」


 僕の説明を聞いて想像してしまったのか、シルフの顔色がいつも以上に青い。

 元々薄緑色をしているシルフだけど、照れたり笑ったり怒ったりすると、ほんのり頬が紅くなって、可愛らしいんだけど、今日は珍しい青。

 いや、悲惨なものを想像させてしまった僕が悪いんだけど、なんか珍しくてちょっと得した気分になってしまったのは秘密にしておこう。


「あああ、アキ様! こ、ここってそういった!?」

「ああ、大丈夫大丈夫。違うから安心して」

「そ、そうなのですか……?」

「そうそう。それにそんな危険な場所が街の近くにあったら、もっと人が近づかないように柵を立てたりとかしてるでしょ?」

「そ、そうですね! よかった……」


 僕の言葉にホッと胸を撫で下ろし、彼女は湖へと近づく。

 その動きが妙におっかなびっくりなのは、理解はしてても感情は追い付いてない的なものなのかもしれない。

 というか、シルフの場合は硫酸で身体が溶けたりするんだろうか……?


「アキ様。冷たくて気持ちいいですよ」


 特に実にもならないことを考えていた僕の耳に、楽しそうなシルフの声が届く。

 水と戯れる彼女の姿に僕は少し微笑ましさを感じつつ、湖のそばに座り込んだ。


「あ、ほんとだ。気持ちいいね」


 パシャリと靴を脱いだ足で湖面を蹴りあげてみれば、ひんやりとした感触が足を撫でていく。

 あまり意識したことはなかったけれど、やはり肌の感覚は違うみたいだ。

 男女の違いなのか、それとも現実と仮想におけるデータ量の違いなのかはわからないけれど。


「そういえばシルフ。僕が学校に行ってる間はどうしてるの?」

「アキ様がおられない間は、姿を消して街を周ったり、風になって目的もなく漂ったり……でしょうか」

「それって楽しいの……?」

「あまり意識したことはないですけど……あ、でも最近はサラマンダーさんと話したりもしますよ」

「あー、そっか。サラマンダーさんも昼間はスミスさんがいないから」


 スミスさんは僕と同じくらいの年齢だろうし、そうなるとやっぱり学校には行ってるだろうし。

 あっちにとってもシルフと一緒に遊べるのは、いい暇潰しになってるのかもしれないね。

 ……しかし想像してみても、サラマンダーさんが女の子にしか見えないからか、ただの女子会になってしまうのは……どうなんだろうね。


「でも、それなら良かった」

「……アキ様?」


 僕の呟きから何かを感じ取ったみたいに、シルフの身体が震えた。

 だから僕は彼女の頭に手を伸ばして、ぽんぽんと軽く撫でる。

 それだけでシルフは少し嬉しいみたいにはにかんで、頬を染めた。


「来週……っていうか、明日からかな? 少しログインがしにくくなると思うんだ。もちろん入れる時には入ろうと思うけど、どうなるかはなんとも言えないかな」

「えっと、アキ様がこちらの世界に来られない、ということですか?」

「うん。完全に来れないってわけじゃないけど、ちょっと頻度は下がるかも。落ち着いてしまえば今まで通りに入れると思うんだけどね」


 はにかんでいた顔を俯けて、シルフは小さく「そう、ですか……」と零した。

 そんな彼女の姿に僕は何も言えず、ただ立ち尽くす。


 そうして訪れた静寂は、数分もしないうちに「どうしてですか?」という、彼女からすれば当たり前の疑問で壊された。


「僕の学校で文化祭っていうお祭りがあってね。ちょうどギルドの開設が出来るようになる日と同じ日なんだけど」

「そのお祭りの準備、ということですか?」

「うん、そういうこと。食べ物屋さんをやるってことは決まってるんだけど、内容がまだ決まってなくてね……準備にどれぐらいかかるか分からないんだ」

「そうなんですね」


 シルフは少し顔を伏せた後、いつも通りの顔で「分かりました」と、僕に言ってくれた。

 だから僕は少し安心して、「来れるときは来るから」と、笑ってみせた。



「でも、アキ様。今の時点で、何のお店をやるか分からないというのは……」

「うん、僕もそれは思ってる。だから、次の会議でちゃんと決めないとね」

「アキ様のお仕事は、やっぱり調理なのでしょうか?」

「んー、そうなるんじゃないかな? 接客なんかは女の子がやった方が評判良いだろうし。男子は設営とか裏方じゃないかな」


 それに、あまり興味の無い僕でも分かるほどに可愛い女の子が沢山いるんだし、その子達がメインで接客する方が、みんな喜ぶんじゃないかな?

 ラミナさんもハスタさんも編入してきたわけだし……。


「でも調理かー……。最近はお母さんに教えてもらったりしてるけど、今までやってこなかったからね。ちょっと自信ないかも」

「アキ様なら大丈夫です! 包丁捌きも、みるみる上達してます」

「そう? そうだったら嬉しいかな」

「はい!」


 水辺に腰掛けたまま、僕らはのんびりと話を続ける。

 シルフの表情も、さっきまでの暗さはなく、いつも通りの表情で、時々笑ってくれたり。

 ――うん、本当に大丈夫みたいだ。


「さてと、そろそろ僕も一度落ちてご飯を食べないと」

「あっ、そんな時間ですね」

「うん。それじゃシルフ、またね」


 「はい」、と返したシルフの表情をもっと良く見ておけばよかった。

 そう僕が後悔するのは、文化祭も終わって……少し経ってからのこと。

 今の僕には、そんなことを知るよしも無く、僕はいつも通りにシステムを起動し、ログアウトのボタンを押したのだった。

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