第21話 Snack to Professional

 二日後の夕方、マホナに呼ばれて駅に着いた。

「慣れてきた?」

「んー、ずっと一緒にいて、お願い」

「あれ、まだ働いてなかったの? お店までついていこうか?」

「絶対無理」

「だって、どうするの」

「あなたがお客さんになってずっといてくれたらいいじゃない」

「そっちの方が無理だよ」おれは苦笑した。

 マホナをなだめながら店に連れてきた。

 マホナは一度店に入り、またすぐ出てきた、

「ママが一緒に来ていいって、嬉しい」

 嘘だろ・・・・・・

 店内は暗く埃っぽかった。カウンター席と不揃いのソファーで囲んだテーブルが二つあった。ママは開店後一時間は客がこないことを公言し、ママとおれは、マホナを和ませようとたわいのない話をした。緊張が高まる気配は見受けられなかったが、意外にも、マホナとママは、あまり話しをしてこなかったようで、おれを間に介したようなチグハグした会話になった。

 不意に店のドアベルが鳴った。「こんにちは」。

 その瞬間、おれはそのフランクな声の主に敵意を抱き、ママのことを嘘つきだと恨んだ。

 マホナは口を開けたまま固まった。

 ママは立ち上がって照明を落とし、元々暗い店内を、不潔さが隠れるまで更に暗くした。そして、「しげさん、よくいらしてくれたわね」と友好度を倍で返すように言い、本物のママらしいママに生まれ変わった、

「この子、可愛いでしょ。新しい子なの」

「え、ほんと? ママやったね」男は上着とネクタイを着ていない、いわゆるクールビズの格好だった。

「初めましてマホナです」マホナは不安が嘘のような無垢な笑顔を作った。

「何歳なの」ママはマホナに言った。

「27歳です」

「驚いた! 若い。いや、もっと若く見える、高校生位に」と男。

「やだーお客さん、お上手」

「どうしてここで働いているの?」

「海が好きでちょっと遊びに来て、お客さんこそどうしてここに来たんですか?」

 マホナの場違いの質問で、誰もが少し安心した。のも束の間、

「そりゃあ地元だからね」と男が言い切る前に、突然マホナがこっちを向いた、

「お客さんはどうして来たの」

 おれは頭が真っ白になった。

「やっぱり海に来たんですか?」とマホナは嬉しそうに言った。

「そう白浜に」

「じゃあ私と一緒ですね。サーフィンするんですか?」

「するよ」

 マホナは大げさに笑った、

「お客さん、かっこいい。今度マホナを連れていってくださいね」

「次来た時には連絡するよ」

 マホナは小指を立てて差し出した。おれも小指でそれを握った。

 茶番もいいところ。実際にお金を払って来ている人を目の前にすると、いたたまれなかった。こうなることは知っていたはずだ、と断り切れなかった自分を責めた。不安が募り、考えても仕方ないことが次々と頭に浮かんだ。――客に詐欺だといわれたらどうしよう、とか、ママは怒っているだろうか、とか、この状況を許すママはマホナに逃げられたくなくて必死なのだろうか、とか、後で金を請求されたら嫌だな、とか――

「ボトル、この前切らしたわよ。新しいの入れる?」とママが常連に聞いた。

「お客さんは何にしますか?」とマホナもそれを真似しておれに言った。

「ウーロン茶でもいい?」

「何言っているのよもう、お酒を飲んでください」

「あまり酔っぱらいたくないんだ」

「ここはスナックなのよ、変なお客さん。何で酔っぱらいたくないの?」

「仕事があって」

「ふーん、わかった! パソコンでする仕事ね、そうなんでしょ?」

 店内が静まりかえった。ママもこっちを見ている。

「・・・・・・」

「あんまり詮索しないであげて」とママは言って、カウンターに置いたウーロン茶をマホナに持って行かせた。おれはデカンタに怖気づき、絶対に飲み干すまいと心に誓った、

「氷は大丈夫です。お腹弱いんで」

「了解」とママ。

 マホナは隣の席に座り、うっとり幸せそうにこっちを見つめてくる。その顔ときたら余裕そうで何のためにおれが来たのかわからない。ウーロン茶は常温で口内の水分を一気に奪った。やることなすこと全てが裏目に出て、不審という名のスポットライトで照らされているようだった。

 二人目のがたいが大きい常連が入ってきた。

「ママ、メール見たよ。新しい子が来ているってほんと?」

「やっと来てくれたわ、優しくしてあげて」

 マホナは元気よく挨拶して、公然とおれとの会話を続けた。

 おれは何度かママを見た。ママはやり場を失った客たちの興味を失望に変えないために気を回していた。ただ、そこは気心の知れた常連同士で、主役抜きでも社交的な会話を続けていた。

 もう一人焼けた肌の客が入り(一人の目の客以外はみな漁師だろう)先の客を気にせずマホナの隣に図々しく座った。その行為は、あたかもそれまでのマホナのわるさを見透かしたお仕置きのようだった。狭い店内に熱気が立ち込めた。ママは全員から焼き鳥の注文を取り、大皿を持って表から出ていった。

「ねえねえ」マホナは、ママが居なくなったのを良いことに、客の目をはばからず おれの耳に手を当てた、

「どうしよう・・・・・・恐いよ・・・・・・・」

 見るとマホナの笑顔が崩壊している。

「今日のマホナとっても綺麗だよ」

「本当にそう思っていんのかよ!」マホナは実にあっけらかんと笑った。

 ママが大皿に焼き鳥を山盛りにして戻ってきた。焼き鳥を沢山注文したクールビズの男が、おれの隣に座り、焼き鳥と自分のボトルを勧めてきた。と同時に、マホナの隣に座った男が、マホナに質問責めを開始した。マホナは客にせがんだリキュールを一気に半分まで飲むと、さも楽しげに応答した。その姿は「さま」と言うよりも「プロ」だった。こっちは焼き鳥を食べながら客と談笑する器用さは持ち合わせていなかった。店を出るのも覚悟が必要だが、これ以上居座っても損をするのは目に見えていた。

「勘定お願いします」

 マホナの顔が青ざめた。

 声がしっかり出るか心配だったので、出来るだけ大声で「新入りがんばれよ」とマホナに言って、ママの元へ向かった。

 ママからお釣りを受け取り、背中を押されて外に出た。

「すいません」

「はい代金、もう大丈夫だから、店には来ないでちょうだい」

「よろしくお願いします」

 ママは、おれが頭を下げ切る前に、忙しく店内へ戻っていった。

 こんなのはもうごめんだ。マホナがやれることは初めからわかりきっていた。試されていたのはおれの方なんじゃないのか。おれはローソンに向かいながら自己嫌悪に陥った、

 マホナにはいつ、いかなる状況でも演技を冷静に全うする度胸がある。一度ステージ裏から見れば「やっぱりね」と思うだろう。それでも多くの男が危なっかしい演技をするマホナを楽しむ。そして、マホナはどういう人間を袖に立たせるべきかを知っている。悪意のない人間を見つけて、まず袖に上げる。それからもう一度試す為に、舞台上から袖に向かって手招きする。「マホナと一緒にやれる? 世間は嘘つきをいちいち憎むほど暇じゃないわ、わかるでしょ?」

 格好つかなかったことよりも、ゲームに負けたことの方が悔しかった。

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