第17話 Mahona to date
帰りのワゴンの中だった。
「中華でいいな」とオヤジ。
「いいですね」
「警察にレオの服を届けてほしいと言われました」とすっかり車内で無口になっていたマホナが口を開いた。
おれはひやひやした。
「さっき行って来たんだろ」とオヤジ。
「今日警察署で聞いたんです。パジャマと下着が必要だって」
「おれたち一緒に夕飯食べるんでお金もらってもいいですか?」とおれはたまらず口を挟んだ。
「あんまり遅くなるんじゃねえぞ」オヤジはおれたちに千円ずつ渡し、おれたちは車を降りた。
「何でああいう、わかりにくい嘘をつくんだ」
「その方が詮索されずに済むに決まっているでしょ」マホナは口を尖らせて大まじめに言った。おれは、これが彼女のしてやったりの顔なのかもしれないと思った。
マホナの言ったことを考えているうちに、言いたいことを忘れてしまった。
「あの人に美味しい店聞いてみようぜ」
「やめてよそんなの」
マホナを無視して、道に一人いた綺麗なレースの日傘を持った貴婦人をつかまえた。快く店の名前と場所を教えてくれたが、頭に収まりきらなかった。
おれたちは風鈴の音に気づき、どちらからともなく、ガラス店に入った。中は和風の風鈴から洋風なティーカップまで並ぶ、外観が漂わせるほど拘りのない店だった。商品を見ながら笑顔がこぼれた。こんな普通のことをしたかったはずだと思った。魅力が詰まったこの町をただ車で通り過ぎるだけでは勿体ない。
ガラス店の従業員だと思われるおばちゃんが現れた。
「この辺、美味しい店ありますか?」
「こんな素敵なカップルが行くようなコジャレたところはあったかしら。うーん。ちょっとわからないわ」
「さっきの人が教えてくれたの『うさぎや』だったかな」おれは、マホナにも聞こえる声で言った。
マホナは呆れ顔で頷いた。
「たしかにあそこが一番だわ、待っていてちょうだい」
おばちゃんはレジの下から観光マップを取り出し、場所を示した。それを見たおれは、ここら一帯が碁盤の目になっている事に気がついた。
おばちゃんは外にまで出て、この先の水路に沿って行けば迷わない、と教えてくれた。
言われた通り、狭い路地を、溝がないか下に注意しながら歩いていると、ひらけたところで見落としようのない、幅深さ共に一メートルの石垣の水路が現れた。
マホナが腕を引っ張った、
「みてみて何あれ」
「めだかじゃない?」
「ふーん」
足を止めて水路の中を見た。もしかしたら海にいたやつかもしれない。一種類の小魚が、「群れ」と呼べるか呼べないか曖昧な形で泳いでいる。皆頭を海方面に向けて、やってくる小波に耐えている。しかし、壁に跳ね返ってカオス軌道でくる小さな波紋には軽々と吹き飛ばされる。見ているこっちは、親身ぶって「群れ」の完成を願うのだが、小魚たちはそんなのお構いなしで行き当たりばったりの相手と遊んでいる。だから、終いには裏切られた気分になる。仕方ない、そのうち力尽きるだろう。天敵はいないが子孫を残すことも出来ない。こんなところへ迷い込んだのが運の尽きなのだ。
また腕が引っ張られた、
「かわいい! 捕まえて!」
「やらないよ」
「あーあ、レオならマホナの言うこと何でもやってくれるのになー」
「本当に?」
「とっくに飛び込んでいるわよ」
「本当にやってほしいの?」
民家に立てかけてあった玉網に手を伸ばした。
「やめて、もういいの」
「どうして、沢山取れるよ」
「気が変わったからしなくていいの」
再びおれたちは歩き出した。
水路に沿って軽く左に折れると風情のある道が広がった。白石畳の照り返しが妙に辺りを明るくしていた。まるで良く晴れた春の日曜の午前中といった感じで、仕事を終えてから来た気がしなかった。水路の幅も三メートル程に広がり、前方、所々すすきが彩り、石橋が掛かっている。水路に沿って長屋などの日本家屋が建ち並び、その多くがレストランやバー、土産屋などを営んでいる。この辺の店はこだわりと値段が強そうだ。探していた店もその中にあった。
砂壁に大きな丸窓を持った店だった。入る前にその窓を覗いてみた。中は暗く人気がなかった。何をいくらで出すのかもわからなかったが、今更引き返すわけにもいかず、とりあえず、中に入って人を呼んでみることにした。
内装は外装と反対にギャラリーの雰囲気を持った洋風な作りだった。普段カフェの外で見るような鉄製の丸テーブルが4つ置いてある。
更に大声で人を呼ぶと、背筋の曲がったおばちゃんがゆっくりと出てきた、
「あら、お客さんね、ちょっとまってね」と言っておばちゃんはゆっくり厨房へ戻っていった。物音がなくなった。お勝手口から出て、隣の建物まで行っているようだ。
数分後、内階段や柱などを一通り褒め尽きてしまったところへ、今度は別の人が、割烹着を背中で留めながら出てきた。さっきの人と同い年位かもしれないが、長身で、伸びた背筋と話し方に気品がある、
「いらっしゃい新婚さん。ええ、やっていますとも。ここは芸能人がプロデュースした店なの。××は私の甥っ子なの」
おれにとっては店の事より新婚さんと呼ばれた事の方が事件だったが、マホナはそんなこと議題に上げさせないというように、すごいね、と後ろで即答した。マホナは慣れない場所で人の背中に隠れる癖があった。おれは男として認められた気がした。一連のやりとりは確かに快感の部類だった。
「そんなに高くないですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」と女将は微笑んだ。
メニューはその日に取ってきた魚で決めるらしい。聞いたことがある魚はなかった。
「私の分も選んで」
「塩焼きならヘルシーだよ」
塩焼きもムニエルも同じ白い洋風の皿でやってきた。素人らしい主張しない盛り方で、グリルされた夏野菜が美しかった。
「こっちも食べて」とマホナ。「全部は食べられないわ」
「美味しいから食べれるよ。野菜も塩焼きも網で焼いてるからカロリーは気にしなくても大丈夫だよ」
「こんなに食べられたの生まれて初めて」
もらったお金で足りたのは、店の人に気を使わせてしまったからかもしれない。また来よう、とおれは言い、マホナは曖昧な顔をした。
おれたちは町を堪能しながら寮を目指した。
「マホナ学園育ちで、一人で寝たことがないの。家には妹がいて一緒に寝てくれるし」
「今までずっと?」
「外の人は信じてくれないけどね」
わからないことが沢山生まれて自分でも何がわからないのかよくわからなくなった。
「学園って全寮制の学校ってこと? その学校の人はそれ以外の人を『外の人』って呼ぶわけ?」
「これって言っちゃいけない事だったかな」とマホナはわざとらしく言った。「絶対ひかないって約束して」
「ひかないよ」とうんざりしながら答えた。
マホナは安心したのか、元々早口だったのを更に早くして自分の話をし始めた。おれは、彼女のこれまでの言動から話半分で聞いたが、早口で話されると、集中せざるをえなかった。
マホナは中学高校と彼女が「学園」と呼ぶ全寮制の学校に通った。その時の六年間、同じ部屋で寝起きを共にした友達を「本当のともだち」だと言い、彼女たちが集まる時、それ以外の人を「外の人」と呼ぶと言った。
「うん。よく会う。すっごく仲良しなの。っていうか全部知っているもの。卒業してみんな鬱になっちゃって、いつも外の人たちは恐いねってみんなで励まし合うの」
こんなにスラスラと言葉が出てくる人にあったことがなかったので、何度もこの話をしたのかもしれないが、仮にそうだとしても、頭の回転がおれより速いのだと思った。彼女のことをもっと知りたい衝動にかられながら、全寮制の善し悪しについて考えた。始めおれは否定的だった。自分の学生時代を思い出し、そこで育った生徒がサッカー選手になるのは難しいと結論づけた。
「サッカー部はなかったし、ソフトボールも一人だった」
「そういうのって試合の時は他の部活から人借りるんでしょ? うちもソフトボール部は人気がなくてそうしてたよ」
「試合? やらなかったと思う、でもケイコがんばっていた、卒業式で泣いていたもの・・・・・・。そうね、そういうのはだめでも政界人は卒業生に沢山いるのよ、政治家のこと。芸術家もね」
次第にその学園生活はおれの想像力をかき立て、彼女の風変わりな人格形成に一役かっていると考えると筋が通る気がしてきた。彼女の目には全く違った世の中が映っているに違いない。おれは振り返らない人間で、いつだってベストを尽くしてきたと信じ込んでいた。そんなおれでさえ、マホナの話を聞いて、もし学生時代を売り払って、彼女の言う6人の「本当のともだち」が手にはいるならば、そして一緒に世界に唾を吐いてくれるならば、そういった世界もあったなと容認できた。世の中は陰謀が満ちている、そういったものを「本当のともだち」なら企てたり、潰しにかかったりできるはずだ。そしたら生きることがいくらか楽になるだろう。
寮の下のローソンに着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ジャーン!」おれは背中に隠していた花火を見せた。
しかしマホナの表情は浮かない。
「もしかしてもうやった?」
「ううん」
「じゃあやろう」
レジには奥田がいた。
「今から出勤なの?」とおれ。
「一昨日から一日十二時間働いている」
おれは馴れ馴れしく話したことを後悔して畏まって言った、
「この辺に花火出来る浜とかありますか、でももしなかったら浜じゃなくてもどこでもいいんです」
「浜あるよ。ここを上がって下ればすぐ着く」
「歩いて行けるところですか」
「行ける」
「ってことは寮の先に浜があるんだ」と言いながら振り返りマホナの顔を見た。
「いちいち、こっち見ないで」
再び正面を向いた、
「出勤なんで、後で戻ってきます」
「楽しんでらっしゃい」
奥田の気の利いた言葉に感心しながら店を出た。
「本気で行くの?」とマホナは言った。
「二人も誘おうか?」
「えっ、何で誘いたいの、あんな奴ら」
おれにとってその言いぐさはたまらなく痛快だった。
部屋の前を通り過ぎ、毎日使っている駐車場を越えた。竹藪に囲まれた人気ない道になった。地面のアスファルトが砂利に変わり、ツルで覆われたトンネルが姿を現した。
「何かある」とおれ。
「何もない」とマホナ。
「地蔵だ」
「嫌だ絶対信じない」
「地蔵くらいどこにでもあるよ、ほおらね、地蔵だ」
「いい、わかったから」
トンネルは乗用車がやっと一台通れる大きさだった。車が来る気配はなかった。入り口にぎりぎり届く月明かりだけが、トンネルがひびだらけのコンクリートでできている事を知らせている。しかし、その先は何も見えない。おれは、マホナが行かないと言い出すのを覚悟した。
「手繋ごう」
「うん」
しっかりとした握力が返ってきた。再びお互い黙ってしまったが、おれには恐怖より照れの方が大きかった。
「何か歌って」マホナが沈黙を破った。「マリちゃんね、一緒に歩くときいつも歌ってくれるの」
「友達?」
「マホナの妹。すっごく、すっごーーーく可愛いのよ」
「そりゃあ可愛いだろうね。何かリクエスト曲ある?」
「何でもいいから早くして」
世界中の歌が消えた気がしたが、一ついいのが残っていた。
鬼のパンツは良いパンツ、でかいぞ! でかいぞ! 虎の皮で出来ている、強いぞ! 強いぞ!
「聞いたことある?」
「ない」
「一緒に歌ってもいいよ」
「いや」
「じゃあ止めよっかな」
「止めないで」
「鬼が怒るかも」
「何でそういうこと言うの」
「しー何か聞こえる」
「は?」
「波の音だ」
トンネルを過ぎると、道は下り坂に変わり、二人が来ることを許したように枝と枝の隙間から入り江を見せ始めた。
坂を下りきって、ぶつかった先は磯だった。ここまで来るとコテージ風の貸し切り小屋が点在し、暗すぎることはない。左の道はしばらく磯が続き、右は再びトンネルだった。田中が言っていたことが正しければ、もうすぐそばまで来ているはずだ、このトンネルを抜ければ、きっと・・・・・・。今度のトンネルは道幅も広く、問題にはならなかった。
浜があった! それも、丸くえぐられた入り江の中腹に作られた美しい浜だった。たどり着くまでの恐怖が作用して一層、神秘的に見せていた。海賊がいたらこの浜から上陸して取り囲む山のどこかに宝を隠すだろうし、人魚がいたら海の真ん中に浮かぶ岩場で一休するだろう、そんな場所だった。おれたちは腰の高さの鉄柵をよじ登り、波の前に座った。静けさは波の音を、闇は星明りを、際だたせていた。たまに流れの速い雲がやってきて三日月を隠した。
安心したのかマホナが勢いよく喋りだした。
マホナは、まず、大嫌いな大物歌手のライブコンサートに行って一番前で思い切り踊りまくってやったら舞台より自分が目立って止めようとしていたレオと一緒に会場からつまみ出されたことを自慢した。おれはその話を聞いて、本当はその歌手が誰よりも好きなんじゃないかと思った。
次に、数年インディーズバンドのグルーピーをやってバンドに帯同していたことを自慢した。おれがわからない顔をすると、あの頃ペニーレインと、という映画名を口にして、おれはグルーピーを思いだし、あの思わせぶりでいやらしい表紙がマホナと重なった。
最後に、友達のギターリストは世界一上手いと言って、おれと張り合わせようとした。おれは自分が下手なことを何度も説明したが、マホナは一歩も引かず、終いには、友達を紹介してあなたをプロにしてあげる、と言って聞かなかった。
マホナが話す間、おれは適当な相槌をうったり、二人が好きなバンドの曲を歌ったりした。どうも、この人には、おれの歌がまともに聞こえるらしかった。マホナは話し続けなければ呼吸ができない、得体の知れない生き物のようだった。潮が足元まで来て座る場所を移した時、随分長いこと話していたことを気にした。そこへ大学生グループが現れ、先に花火を始めた。おれたちは、この大学生が現れるまるまで、この浜を自分たちが開拓したものだと思い込んでいたことに驚き、大笑いした。マホナのお喋りが一段落すると嫌な予感がした。
「レオの話していい?」
「もちろん」
「レオ、昔はあんなんじゃなかった。お父さんが死んでから変わったの、全然笑わなくなった。だから、あなたが車運転した時すごく久しぶりに笑ったのよ」
「いつ出会ったの?」
「二ヶ月前」
「へぇ」二人の間柄が到底二ヶ月で培われたとは思えなかった。それから、パチンコ屋でアルバイトした時のなりそめ話になった。全く掴み所のない話だった。
「――それでレオ、マホナの貯金黙って全部使っちゃったのよ。信じられないでしょ?」
「大変だったんだね」
大学生がいなくなったのを見計らって花火を取りだした。マホナはやっと話し止んだ。
「ライター持ってたでしょ?」
「えー、それ本気で言っているの? まーいいけど」
花火付属のロウソクは役に立たなかった。おれたちはマホナのライターから直接花火に点火し、花火が消える前に次々と火を移していった。
マホナの話は、何もおそれる物なんてないと言わんばかりだったが、おれが、花火を口にくわえたり振回したりして見せると、危ないから止めなさい! と必死に怒るのだから、二人がそれぞれ別の世界から産み落とされたことは確かな気がした。
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