16.避難先について

 此処ではない何処かへ行こうにも――相手取るのは、無限の世界。

 水たまりという環境、その枠組みから出たら何がどうなるのか。想いを馳せることはあっても、実際に行ってみたいなどとステファンは考えたことも無かった。


(え、何これ。もしかして「遠出しよう」の本気バージョンに、付き合わされなきゃなんないの?)


 冗談ではない。いや本当に、そんなことをしたいとは露ほども思わない。

 ステファンという珪藻の個体は、安定した我が家から少し出ただけで何もかもが嫌になるような繊細な生き物なのだ。現に今も、帰りたくて仕方がないのである。


「逃げるというのなら、我らも往く!」

「却下! きゃっかぁ! なんてこと言っちゃってんのユドくんたちぃいい!」

「む。てっきり、ステファンも同じ気持ちかと思っていたぞ。何せ、シアノちゃんに会いに行こうと発案したのがほぼ同時であったからな」

「そりゃシアノちゃんのことは心配だったよ。心配だったけど……」


 ふいに。

 じとー、っと期待の篭った意識を向けられている気がした。源を辿ってみると、それはコイル状の藍藻、当のシアノちゃんから発せられている。


「心配だったけど、ナニ?」

「ちょっと待って。どうしてぼくを責めるような空気になっているのか皆目見当もつかない」

「ワタシの為にここまで来たんでしょ。始めたことは最後まで責任とりなさいよ」

「何に対して誰が責任を取るんだよ!」


 いつの間にか、四方を青緑色に取り囲まれている。シアノちゃんとのやり取りを聞きつけたのか、他のご近所の藍藻たちも加勢している。ハッキリ言って相当怖い。

 コイル状の藍藻は見た目がスラリと長く、威圧感がある。それでなくとも単体のステファンに比べると、コイルを成す群体はやたら大きいのだ。

 この者たちも一緒に旅をしたいのか――そうだとしたら収拾がつかな過ぎて乾いた笑いすら出ない――それとも同胞に同情しているだけなのか。


「お、落ち着いてってば。逃げようったってまずはアテが無いとね……?」


 話の流れを変えようと試みる。


「行く当てならあるのヨ。ワタシの故郷の湖に帰ればいいんだわ」

「君の故郷は人間の魔の手が伸びないような、安全なとこなの」

「……う」


 不安定そうな揺れと、詰め寄っていた距離を離すところから察した。シアノちゃんの故郷もまた、人間が採集に来るような場所らしい。

 むしろこの昨今で人間の手が伸びない水辺なんて皆無に等しいのかもしれない。やはりユドくんたちが提案した通り、蛭と共生すべきか。


「まあまあ、湖も良いではないか。これから気温は下がる一方であるゆえ、むしろ湖底深くまで逃れて水面の氷によって守られればなんとかなりそうだ」

「うーん、一理あるね。底だと光合成がしづらいのが辛いところだけど、時には耐えることも必要かな……」


 涼しい湖底への移住は珪藻であるステファンにとっては嬉しい話である――が、旅への不安は拭えない。


「うむ。思い立ったが吉日、ゆこうぞ」

「ストップ、ユドくんたち、勝手に動き出さないで!」

「そうよ! ワタシに移動能力なんて無いのヨ!」

「では両者まとめて我々が連れて行く!」


 言うが早く、ユドくんたちは持ち前のゼラチンの外膜でシアノちゃんをも巻き込む。16の鞭毛が全力で水を打っている。


「いやいや、定員オーバー! これ超動きづらいんじゃないの!? 君たちの動力源足りる!?」

「気にするな! 冬になる前に着けば良いのだ!」


 何やらよくわからない内に、大冒険が始まろうとしている。

 ステファンはこれだけは言わねばと、最も重要な突っ込みを持ち出した。


「ねえ君たち、どっちへ進めばいいか、行き方ちゃんと把握してる!?」

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