魔法少女にまつわるエトセトラ0

久遠寺くおん

プロローグ


 ミサキちゃんはどういうわけか僕のことがあまり好きじゃないみたいだけれど、僕はミサキちゃんのことが好きだから結果としてプラマイゼロだよね――あっ、僕の好きはミサキちゃんのそれを軽く凌駕しているからプラマイプラスかな?

 それなら僕たちはもう殆ど恋人と言っても差し支えないよね、だから明日はデートをしよう、みたいなことを爽やかな笑顔と共に吐き出したら、プロ格闘家でももう少し躊躇するんじゃないかというレベルの、抉るように鋭いミサキちゃんのローキックが脛に直撃して僕はその場に蹲った。


「何でこんなところにいるの」

 そんな僕を酷く冷めた瞳で見下ろしながら、ミサキちゃんが詰問めいた質問を投げかけてきたので、

「やあ、奇遇だね」

 と、脂汗が浮かぶ頬を懸命に制御しながら微笑を作って挨拶を口にしたのだけども、ミサキちゃんはまるでぼっとん便所の底に群がるウジ虫にでも向けるような目をみせる。


「待ち伏せしていた癖に。教室の窓から見えてたから。あんたが三時間も前から校門の前でスタンバイしているところ」

 僕の偶然もとい運命を装った再会を容易く看破すると共に、勝手に一人で歩き始めてしまったので、脛を何度か撫でてからケンケンの要領でその背中を追うことにした。

 ミサキちゃんは小さい。態度は異常にでかいけども、背丈はそこらの小学生にも負けるくらいで、スクールバックよりもランドセルのほうが遥かに似合うだろう。

 だから少しでも自分を大きく見せようとしているのか、頭の、随分と上のほうで結われたそのポニーテールを掴んだ僕に、ミサキちゃんは鬼のような形相で振り返って、正拳突きを繰り出して、それをもろに受けた僕は大袈裟と取られても仕方がないような勢いで、数メートル転がった。


 あまりに唐突で、荒唐無稽で、驚くかもしれないけれど、ミサキちゃんは魔法少女だ。日夜(たぶん)悪の怪人と死闘を繰り広げている。ミサキちゃんのパンチは岩をも砕くし、ミサキちゃんの膂力りょりょくは倒壊したビルをたった一人で支えることだってできる。

 ミサキちゃんは基本的に肉弾戦を得意としていて、魔法を使ったところを見たことがないから、あるいは単なる戦闘民族とかなのかもしれないけれど、魔法少女のほうが断然可愛いから、僕は勝手にそう解釈している。


 当時――僕とミサキちゃんは同じ小学校に通っていた。

 でも小学校五年生のときにミサキちゃんが転校してしまったから、一昨日、運命的な再会を果たすまでは七年間も離れ離れだった。

 一昨日も僕は今みたいに地面に転がっていて、今とは違って、死を覚悟していた。どうせなら何か格好のいい辞世の句でも呟こうかな、と頭を巡らしていて、具体的に言ってしまうと、いやに巨大で、二足歩行の、奇妙な虎柄の猫に襲われて、逃走を試みたけども結局失敗に終わって、なんだかもう疲れたし、諦めている最中の出来事だった。

 その猫が右前脚を振り上げたその刹那、横合いから繰り出されたミサキちゃんの右上段蹴りのお陰でどうにか事なきを得たのだ。

 ミサキちゃんと怪人虎猫との死闘はおよそ一時間にも及び、結果はギリギリミサキちゃんの勝利だった。その結果として隣町は殆ど壊滅して、怪人虎猫も

 怪人虎猫は、頭部が彼方に吹き飛んで、四肢の半分が欠損して、腹部に巨大な風穴が空いて内臓を垂れ流し、しまいには緑色の光の粒となって霧散してしまったから間違いない。


 ミサキちゃんのほうも、右腕と左脚を失って、顔の左半分も欠けていたから、たぶん死んだ。実際、脈もなかったし、心音も聞こえなかった。

 ミサキちゃんの死に打ちひしがれた僕は、昨日一日を寝て過ごして、今日はもしかしたら生きてるかもしれない、って思って一昨日ミサキちゃんが着ていた制服を頼りに、校門前で待機していたのだ。


「どうしてミサキちゃんは生きてるの?」


 僕のそんな問い掛けに、ミサキちゃんは「はぁ?」といった顔をする。一昨日のミサキちゃんにはなかったはずの腕も足も、左の眼球も、今日のミサキちゃんにはちゃんとついている。五体満足で学校に通って、お昼休みには幸せそうな顔でカレーパンを頬張っていたし、五時間目の現文の授業では居眠りをしていた。そして僕にローキックと正拳突きと、にらみつける攻撃を浴びせている。


「死んだよね、一昨日」

「生きてるけど」

 ミサキちゃんは手のひらを僕に見せつけながら「馬鹿なの?」と首を傾げた。僕は「馬鹿なの」と頷いて立ち上がる。



「七年前も死んだよね、たぶん」


 僕とミサキちゃんの仲は、周囲の人間が思っているよりも、はるかに険悪だった。僕のほうは一方的にミサキちゃんに好意を抱いていたけども、ミサキちゃんのほうは随分と僕のことを嫌っていたように思う。扱いとしては、ゴキブリよりはマシだけど、部屋の電気を消したあとの蚊と同等かそれ以下といったところだった。要するに気持ち悪いとかではなくて、単純に鬱陶しかったのだと思う。

 いつも僕はミサキちゃんをつけ回して、そのたびにミサキちゃんは一昔前のアニメのヒロインみたいに理不尽な暴力を振るってきた。

 その日も僕はミサキちゃんを尾行していて、ミサキちゃんはそわそわとした様子で、信号が青に変わるのを待っていた。それで青に変わったと同時に走り出して、トラックに轢かれたのだ。ミサキちゃんの身体がゴムボールのように弾け飛んだ姿を今でも明瞭に覚えているし、僕の部屋のクローゼットの中には、そのときミサキちゃんの返り血を浴びたティーシャツが残っていた。


「生きてるじゃん」

 学校の先生は「このことはクラスのみんなには内緒ね」と言って、教室ではミサキちゃんが家の都合で転校したという嘘を吐いた。

「ミサキちゃんは本当にミサキちゃんの?」

「どうもこんにちは。有坂岬ありさか みさきです」

 ミサキちゃんは、父親のトランクスを発見してしまった、年頃の娘のような顔でそう言った。


「ミサキちゃんは、カレーが苦手だったんだけど」

 生クリームは飲み物と豪語しそうなくらいの甘党だった。


「七年も経てば好みぐらい変わるでしょ」

「身長は変わってないけどね」

 ミサキちゃんはしし座のO型で、好きな食べ物は生クリームで、好きな飲み物も生クリームで、もしかしたらミサキちゃんは将来糖尿病になってしまうんじゃないかと当時の僕はいたく心配したものだけど、この分だと大丈夫そうだった。

「あと暴力的なのも」

 言い終わる間際に、胸倉を掴まれた。僕の身長はミサキちゃんよりも三十センチは大きいのだけども、軽々と持ち上げられて周囲を驚かせた。悲鳴に近いその声でミサキちゃんは我に返ったみたいで、眉間に皺を寄せながら僕を解放する。


「それと、なんかんだけど」

 電車に乗ってミサキちゃんの通う高校まで足を伸ばしたのだけども、二駅短くなっていた。時間にしたらほんの五分ほどだけど、僕の家とミサキちゃんの学校が近くなっていて、もしかしたらこれは神様のお導きなのではないかとも思ったけど、スマホで色々と調べてみたら、隣町の存在そのものが消滅していたので、これはやっぱり只事ではないのだと思う。


「政府の陰謀とか、アメリカのなんたらとか、そういうのも疑ったんだけどさ。綺麗さっぱり、跡形もなくなってたんだよね」

 ミサキちゃんが暴れてビル群が崩壊して、戦闘の衝撃で地面が崩落して、たぶん、数千人、あるいは数万、数十万人規模で人が亡くなったはずだけど、瓦礫とか死体とか、そういう類の何もかもが、なくなっていた。

「まあ、ミサキちゃんが生きていたならそれでいいんだけど」

 僕のその一言に、ミサキちゃんは長いため息を吐きだして、

「いいよ、明日デートをしてあげる」

 と、思いもよらない返事をくれたから僕が「ん」と頭を捻ると、

「だから明日デートをするの。朝の九時に、駅前に集合ね」

 と言い残して、走り去ってしまった。僕はそれからしばらくその場に立ち尽くして、学校の警備員さんに促されて、どうにか帰宅したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る