5-5 追撃5
───殺して、操る。
冷たい声で吐き捨てられたエレの言葉に、ジェイは目を見開いた。
───何度撃たれても立ち上がった、あの男達……!
ではニーオもエレも、あの時にはすでに、追手の中にコルドゥーンに操られている人間がいると───コルドゥーンが関与していると、わかっていたのだ。
それでも飛び込まずにはいられなかった。たとえ、罠だとわかっていても。
───ジェイとサミーが、そこにいたからだ。
今までジェイやサミーに見せていた優しい表情など、まるで拭い落としたかのように、エレは、その少女めいたやわらかな面差しに冷徹な
しかし、運転席の女はそんな彼に視線ひとつくれることなく、軽々とそれをいなした。
「わたし相手に凄んでどうするのよ。まったく。ニイオがいなくなると、途端にそれなんだから呆れたもんだわ」
「………」
「はいはい。ここに集められた正規の連中は、
……個人的にまだ、あなた達が捕まると困るしね」
「……?」
成り行きが読めなくて、ジェイは眉根を寄せた。
この
敵だとしたら、何故こんな危ない橋を渡るような真似をしたのだろう。
ふと、ジェイは腕の中の小さな弟に目を落とした。
ジェイの服を握りしめたまま、奇妙な表情でサミーは赤毛の美女を見つめていた。
睨むというわけでもなく、怯えているわけでもない。かと言って、ニーオやエレに向けたような全幅の信頼が籠った眼差しでもない。
「坊やはまだしも、ニイオがこんなドジを踏むなんて珍しいわね」
ジェイの困惑も幼な子の視線も歯牙にもかけず、赤毛の美女はハンドルを切る。
「庇護対象の子供が抜け出すのに気付かなかった挙句、みすみす正面から罠に突っ込む羽目になるなんて、どうしちゃったのよ?
現場で用心を怠るような男じゃないはずだけど。まさか、素面じゃなかったとか?」
何とも言い難い表情を浮かべたエレが、唇を引き結ぶ。
「やだ。本当に? らしくないわね」
笑いながら、女がちらり、とこちらを窺う。
「あなた達がこの国に入ったことは状況からわかっても、その足取りを追うことなんて、どの陣営のコルドゥーンでも出来やしないわ。ごく少数の例外を除いてはね。
だからサクリファイス側と『セオドア王子の呪い』を継承した機関側を、こちらは張っていたわけだけど、案の定、サクリファイス───このお嬢さんごとあっさり撒かれちゃって。連中、相当殺気立ってたのよ」
止めようもなく、びくん、とジェイの肩が跳ねた。信じられない思いで、傍らの美女を見上げる。
お嬢さん。
この
「あなた達ってば、生きる隠匿装置なんだもの。あなた達自身はもとより、その傍にいる限り、サクリファイスが垂れ流すモスキートの波動さえ隠されちゃうんだから堪らないわよ。
一度身を隠されでもしたら、機関の人間どころか、どんなコルドゥーンだって見つけ出せないんだから。
……ちょっと、言ってなかったの?」
傍らでジェイが瞠目する気配を察したのだろうか。女の口調が訝し気なものになった。
沈黙し続けるエレに、呆れ果てたと言わんばかりに女は溜息を吐いて、言葉を継ぐ。
「あなた達がどういう存在なのかも、この子に説明しなかったのね?」
「………」
「あなた達の庇護下にいれば、敵味方問わず、誰にも絶対に見つからないってことも?
この国が仕えているモスキートはもちろん、あなた達っていう機密を捕獲するために、大量の追跡者が投入されていることも?
ますます眉間に皺を寄せる少年を、女はばっさりと切り捨てた。
「馬鹿なの? 何やってんのよ。ちゃんと説明していれば、少なくともこの子達が庇護下から脱け出して機関の奴らに気付かれることも、睨み合ったまま膠着状態になっていた両陣営のバランスを崩すこともなかったでしょうに」
「……もうちょっとジェイが落ち着いてから、説明するつもりだったんだ。これ以上、不安にさせちゃいけないと思って」
「あのねえ」
これみよがしに美女───アンジェリカは溜息を吐いた。
「いくら危ないところを助けてもらったとはいえ、常識のあるちゃんとした女の子が、見知らぬ野郎ふたりをそう簡単に信用出来るわけがないでしょう。
まず何よりも全ての情報を開示しなきゃ、そっちの方が余程不安を煽るわよ。そんなんじゃ、この子達が逃げ出すのも当たり前じゃない。
隠し事に対する女の勘を舐めるから、こんなことになるのよ」
愕然とアンジェリカを振り返ったジェイは、続くエレの言葉に今度こそ息を呑んだ。
「だからだよ。こっちは男ふたりなんだ。
……女の子だって気が付いてる、って知ったらかえって警戒されるだろう? 黙ってたのが、まさか裏目に出るとは思わなかった」
混乱してジェイは、ふたりの顔を交互に見やる。
───エレが昨日用意してくれた着替えは、下着までちゃんと男物だった。だから、絶対にバレてなどいないと思っていたのに。
そんなジェイを挟んで、ふたりはどこか刺々しい会話を続ける。
「どうせあなた達のことだから、孤立無援でひどく不安になってる女の子に手を出すような真似はしないでしょうけれどね。
そんなこと、会ったばかりのこの子にわかるはずないでしょう」
「……褒められてるのか貶されてるのか、わからない」
「呆れてるのよ。甲斐性なしにも程があるわ」
「あのさ」
不服そうに、エレが口を尖らせた。
「男だってだけで、なんでそんな見境のない色情狂にならなきゃおかしいような言い方をするのさ? そんな気にならないのは、変だっていうわけ?」
「生き物として、せめてそれぐらいの本能は無いのか、って言ってるのよ。このヘタレども」
「………」
きっぱりとエレをやっつけておいて、アンジェリカは改めてジェイに目を向けた。
「いくら男の子のふりをしたって、さすがに無理があるわよ? このふたりが気付かないはずないじゃない」
「アンジェリカ、さん……」
「アンジーでいいわ」
肩を竦めたアンジェリカに、密かに大きく息を吸いこんでから、ジェイは応えた。
「ジェイ。……ジェシカ・ヒューストンです」
それから、申し訳ない気持ちでエレを振り返る。少年が苦笑して頷いた。
「ジェイね。よろしく」
同じように頷いてから、アンジェリカが問いかけた。
「それで、ジェイ? それでも、確保した身の安全を再び危うくしてまで飛び出したとなると。……何かマズイことを見ちゃったか、聞いちゃったのかしら?」
「───!」
はっ、となったジェイを緑の瞳が横目に覗き込んでいた。
ゆっくりと、その鮮やかな赤い唇が笑みを作るのを、まるで蛇に睨まれた蛙のように、ジェイは見つめる。
「ねーえ?」
何もかも見通すような眼差しは、少しも笑ってはいない。
「何かあったの?」
思わず答えようとしてしまったのは、何故だろう。
それでも視界の隅に映ったエレの、驚いたように目を見開いて彼女を見つめている顔に気が付いて、咄嗟にジェイはアンジェリカから視線を外した。
自分が勝手なことをしたから───重傷を負ったニーオを置き去りにするような事態になったのだ。
彼は、『敵』に捕まってしまったのだろうか。
それとも、なんとか『味方』に助け出されてくれただろうか。
アンジェリカは捕獲、と言った。───だから、まさか殺されるようなことはない……と思いたいが、今もニーオがどんな目に遭わされているか、わからないのだ。
それなのに。
その原因を作った自分が、うかうかとそれを口にすることは許されることではない。絶対にそんなことは、自分が許せない。
ジェイは唇を噛んで再び顔を上げると、精一杯の不満を込めてアンジェリカを睨みつけた。
「あら」
くすくす、とアンジェリカが笑い出したのは、そんなジェイの気持ちを読んだからかもしれなかった。
続けられた言葉は、今まで聞いてきたなかで一番、優しい響きを帯びていたからだ。
「───いい子ね」
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