第257話 話袋:二人の家政婦長



 




※二人の家政婦長――リステル邸編――





 リライト城の近くにある、数々の大きな邸宅が並ぶ住宅街の一つ。

 そこにはある特色があった。

 他国の要人が多く住まう、といった特色が。

 その中でもとりわけ有名な人物が住んでいる邸宅がある。

 当然、その近くを年若い少女が不審に彷徨けば即座に守衛に捕まるわけで、


「…………」


 夕日が差し掛かった頃

 一人の少女がとある邸宅の守衛に捕まっていた。

 まだ犯罪ではないが、それでも彼らの主人はずば抜けた知名度を誇っている。

 年若い少女といえど油断するわけがなかった。

 捕まった少女は、守衛の質問に対して緊張しながら答えていく。

 と、その時だった。

 この邸宅の主人が婚約者と一緒に帰ってきた。

 

「何か問題でもあったの?」


 緊張状態の守衛に声を掛けた主人に対して、守衛の一人が素直に答える。

 どうやら周囲にあれこれと質問し、この邸宅の場所を突き止めた……とのこと。

 そして周囲をあれこれと見回しているところを巡回中の守衛が発見。

 捕まえて、そのまま理由を問い質している。


「時々、こういうのがあるから大変よね」


 似たようなことが全くない、とは言えない。

 有名である以上、仕方がないことではある。

 だが彼女に被害が一切ないのは、守衛の彼らが頑張っているからだ。

 主人が安心した様子で守衛を労うと、守衛所の中から大きな声が聞こえた。


「わ、私をこの家の家政婦として雇っていただきたくて来たんです!!」


 主人の耳に届いたのは捕らえられた人間のお願い事。

 それ自体は時々、あることだ。

 全くないとは言えない嘆願でもある。

 しかし主人の婚約者が首を捻った。

 何事かと守衛が声を掛けると、


「いや、聞き覚えがある声だったんだよ。ちょっと覗いてもいいか?」


 守衛に断りを入れてから、主人と婚約者は守衛所の中を覗く。

 その姿が視界の端に映ったのか、少女は大きな声で二人の名を叫ぶ。


「リ、リル様にタクヤ様!?」 


 そのように叫んだ少女の姿を見た主人であるリルと婚約者の卓也は、見覚えのある顔に守衛所の中に入っていく。


「あんた、確かレキータの王城にいた女官のウェンディ……だったわね?」


「は、はい! 覚えていただいてるなんて光栄です!」


 少女――ウェンディは嬉しそうに頷きを返す。

 先日、刹那達と一緒に行ったレキータ王国にいた少女。

 面倒なレキータの異世界人である池野大志の登場時、二人のために勇気を振り絞って出てきた子だった。


「さっき家政婦になりたいとか言ってたけど、どういうことなの?」


「言葉のままです。私、リル様達の家政婦になりたくて、ここまで伺いました」


 そう答えるウェンディだが、正直なところ事態が飲み込めない。

 ただ、彼女の言葉には夢と希望と楽観……だけがあるわけではなさそうだ。

 単純に憧れの二人の家政婦になりたいから来た、ではないはず。

 本来であれば理由を問わずに帰すところだが、助けられた恩もある。

 リルは少し息を吐いて、


「まあ、話ぐらいは聞いてあげるわ。何があったのか事情を話しなさい」





       ◇      ◇





 ウェンディを家の中に通して話を聞く。

 家政婦長のシノが紅茶を準備し終わったところで、ウェンディはリル達に頭を下げる。


「あ、あらためまして。ウェンディ=ヴァリエ=リーンと申します。年齢は十三歳です」


 緊張しながら自己紹介をしたウェンディ……に対してリルは少し眉をしかめた。


「あの、リル様……?」


「……あー、うん。まあ、いいわ。続けなさい」


 リルの反応を不思議そうにしながらも、ウェンディは促されて続きを話していく。


「先日、皆様が帰られた後にフィンドの勇者様がレキータに来られたのですが……」


 彼女の発言に卓也はやっぱり、と思った。

 帰り際にミルが正樹っぽい人を見たと言っていたが、まさしく正樹だった。

 完全にご愁傷様だと卓也は思ったのだが、ウェンディの発言は少しばかり違っていた。


「タイシ様はフィンドの勇者様と会った後、少しばかり塞ぎ込んでいたのです。ですが先日から何故かタイシ様が私に対し妙に構ってきまして…………」


 どんな考えに至って、そうなったのかは分からない。

 単純に予想するのなら落ち込んだ気分を変えてくれる女性を探していて、卓也達がレキータへ行った時に出会ったウェンディに目を付けた……といったところだろう。

 要するに幸か不幸か関わったことが、レキータの異世界人にとってのイベントだと勘違いされた。

 しかし、だ。九歳差はどうなのだろうか。

 それに十三歳に狙いを定めたのは、同じ日本人として卓也はちょっと信じられない。


「わ、私はリーン男爵家の四女でして、お父様も良縁がないかと少し探していたところなんです。それで、その、お父様も乗り気になってしまって……」


 とりあえず聞いているだけで憐れに思えてきた。

 頭が痛くなりそうだったが、とりあえずリルは尋ねる。


「母親はどう考えてるの?」


「お母様は相手がタイシ様は駄目だと断固拒否してくれています」


 まともな人が母親で良かったと思うべきか。

 とはいえ父親の考えも貴族としては間違っていない。

 なので相手をよく知らないだけだと願いたい。


「それで私、女官を辞めて国外に身を隠せとお母様に言われたんです。お父様の頭が冷えるまでは国外に……といった感じではあるのですが、伝手があるわけではありません」


 まあ、男爵で他国にすぐさま娘を送り出す伝手がある家は少ないだろう。

 ウェンディのところもそうだった、というだけだ。


「なのでリル様達に一目でも会いたいと思い、リライトに来たのですが……。その、えっと、道中でリル様の家で家政婦として働けたらと思ってしまいまして」


 その考えが思い浮かんだらもう、一直線だった。


「観光も何もせず、ここに来てしまいました」


 リルと卓也の二人に仕えることが出来たのならどれだけ幸せだろうか、と。

 そう思っただけで一目散にここへ来ていた。

 リルはウェンディの話を聞いて、大きな息を一つ吐く。


「まず訊きたいんだけど、リライトの就業は十五歳からよ。それを分かってここに来たの?」


「……い、いえ。レキータは十歳を超えると私のような者は女官になれますから……」


 国によって就業出来る年齢が違う。

 それがリライトは十五歳ということ。

 レキータがそうであったのなら、他の国も同じだと考えてしまうことは仕方がない。

 しかし、だ。


「あたしの家も当然、それに則ってる」


 リステル王国の王女だとしても、家はリライトにある。

 今後はリライトの人間になるとも公言している。

 つまりウェンディを雇う、というのはリライトにいる以上は不可能。


「それにあたしが雇っているのは全部、家政婦長の伝手で来てくれた人達よ。それで十分なのに、国外の男爵令嬢を雇うってなったら面倒の火種になると思わない?」


「……は、はい」


 リルの言っていることは分かる。

 もしウェンディを雇ってしまえば、現状の例外となる。

 そして例外がある以上、他の国からも続々と押し寄せてくるかもしれない。

 それが彼女の立場と状況は起こりうる。

 と、ここでリルはもう一度息を吐いた。


「だけどね。今、言ったことは結局のところあたしの考えなのよ」


 普通の王女の普通である考え方だ。

 言い換えれば独りよがりな考えでしかない。

 それが当然だと考えても、それが普通だと考えても、他の人はどうなのか。

 もしかしたらやりようによっては問題ないのかもしれない。

 それをリルは知っているからこそ訊いた。


「卓也とシノはどう思うかしら?」


 今言った二人はこの家に大きく関わっている婚約者と家政婦長。

 意見を聞くのは当然だ。

 卓也は問われたことに対し、率直に答える。


「家政婦にするには理由が弱いとは思う。というか難しいだろ、オレ達の状況を考えたらさ」


 世界一有名なカップル。

 それが誇張も謙遜もない正しい評価だ。

 世界中に二人のことを憧れている人達がいる。

 だから他国の令嬢を家政婦にする……ということを迂闊にやりたくはない。


「だけどこの子のことをオレ達は全く知らないってわけでもない」


 全くの見ず知らずではなく、少なからず縁がある。


「他の人達は出来なかった、だけどウェンディだけがやったことによる繋がりがある」


 卓也とリルのために唯一動いた少女。

 自身の立場が悪くなる可能性など考えるまでもなくあったのに、それでも動いたのがウェンディだ。


「そして今、ここにいる。たとえ甘い考えで、甘い夢を見てるとしてもオレは評価出来ることだと思うよ」


 子供ながらの夢見がちな行動だということを否定はしない。

 しかし彼女は動いた。以前は自分達を助けるために。

 そして今回は以前よりも近付くために。


「だから覚悟がはっきりと示せるならいいんじゃないか?」


「覚悟って、どんな感じのやつ?」


「そりゃ自分が特別だって言い切れる覚悟だよ。この家の家臣はシノさんから始まって、シノさんの繋がりで来て貰っただろ? 募集をしたことがないのも、変な人達に集まられたら困るからとシノさんを信頼してるからだ」


 というよりはある意味で変な人しか集まってないんじゃないかとも思うが、それはリステル邸の特殊性ゆえ。

 この家にとってはまさしくライトスタッフだと言っていい。


「つまりオレ達のシノさんに対する信頼を越えるほどの覚悟と、自分が特別だって断言出来る自信があるのなら落としどころはあると思ってる」


「なるほどね。シノはどう?」


 リルは続いて家政婦長にも同じことを問う。

 シノは考えるまでもなくはっきりと言い切った。


「ミーハーな気分で来られている場合、話になりません。そもそもこの家は憧れでやっていける家ではありません」


 憧れでは耐えられない。

 どうしたって家臣として適正じゃないと断言出来てしまう。


「家臣として敬う気持ちなら、私はしっかりと持ってやれます!」


「いえ、敬う気持ちを持っているとしても無理でしょう」


 正直なところ、シノだってとんでもない主人だと思ったものだ。

 しかも主人だけではなく、婚約者も同じなのだから苦笑する他なかった。


「何故なら、この二人はリル=アイル=リステル様とササキ・タクヤ様ですから」


 そう言ったシノの言葉の意味に、リルと卓也も同じように苦笑いを浮かべるしかない。

 ウェンディだけが意味を理解出来ず首を捻ると、シノは補足するように伝える。


「敬って仕えたいと思うのは素晴らしいことです。それを否定するわけではありません。しかし我が主人が求めているのは、そういうことではないのですよ」


 そう言ったシノにリルは満面の笑みを浮かべる。

 そして改めて紹介するかのように手で指し示した。


「ここにいるのは家政婦長のシノ。そして、あたしの大事な家族よ」


 堂々と。まるで自慢するかのような声にウェンディは驚いてしまう。

 だって仕方ないだろう。

 王女が家政婦長を堂々と家族だなんて言うと思っていなかったのだから。


「あたしはね、基本的に一緒の家で過ごすからには主人ってだけじゃ嫌。あたしが喜ぶことを一緒にシノ達も喜んでくれて、シノ達が嬉しいことはあたしも一緒に嬉しくなりたい。そういう家がいいのよ」


 リルの家臣というのは、それが出来なければならない。

 家臣なのは当然だとしても、家臣だけで終わってはいけない。


「憧れを持ってくれるのは嬉しい。敬ってくれるのも嬉しい。だけど憧れ敬うだけなら、あたしはあんたを家政婦として雇えない」


 臣として線引きは必要だ。

 主人と家臣という関係が消えることはない。

 けれど、


「仕事だけじゃなくて、仕事以上のものがあたしは欲しいの」


 一緒に喜んで、一緒に楽しむ。

 ただの家臣だけでは無理だからこそ、家臣以上の関係をリルは望んだ。

 それを何と呼ぶのかと問われてしまえば、結局のところ言い方次第。

 仲間だろうと友達だろうと出来ないことはないけれど、彼女自身がそう呼ぶことにしっくりこない。

 だからこそ――家臣のことを家族だと思った。


「本当に無茶苦茶な言い分だけどな。まあ、元凶はトラスティ家だし仕方ないか」


「そうね。シノはトラスティ家からの紹介だし、他の面々はシノが集めたからそういう人が揃ったってだけだし」


 リライトきっての変人が集まっているトラスティ家からの紹介だ。

 変人さがあっても仕方ないし、リルがそのように考えてしまったのもシノの影響が少なからずある。


「あたしの考えはどうしたって普通じゃない。そしてあたしは普通じゃないことを家臣にも望んで欲しいのよ」


 人によっては無理難題。

 絶対に嫌だと答える人だっているだろう。

 けれどシノが選んだ家臣は違う。

 リルが望むことを、リルが本当に望んでいるからこそ叶えた。


「ウェンディ、しっかりと考えて答えなさい」


 だから問い掛ける。

 この家の家臣になる人間にとって、最も重要なことを。


「あんたはあたし達と家族になる覚悟はある?」


 相手はリステル王家の第四王女にして『瑠璃色の君』と呼ばれる美姫であり、世界一の純愛と呼ばれる二人の片割れ。

 大半の人間は見ているだけで十分。

 近付くことなど恐れ多いと思う人だっているはずだ。

 ウェンディとて、その大勢の中の一人。


「……その、考えてもいないことで。リル様と家族になるなんて、さっきまでの私なら無理だって言います」


 仕えるだけで幸福だと思う。

 家臣になれたのなら、それだけで嬉しくなってしまう。

 まだ十三年の人生しか歩んでいないが、それでもリルこそウェンディが最も憧れた王女なのだから。


「……だけど…………」


 憧れているからこそ、心からリルのことを敬愛しているからこそ言えることがある。


「だけど変わります! 今すぐにでも変わってみせます!」


 何故なら自分は知っている。

 変わりたいと強く願うのなら、今すぐにでも変われることを。


「家政婦だけじゃなくて、家族だって思ってもらえるように! 王族であるリル様のことだって、家族なんだって思えるように!」


 何故なら自分は理解している。

 今すぐに変わった人こそが、最も憧れた人物であることを。

 だからこそ宣言してみせる。


「それぐらい、私はリル様とタクヤ様のことが大好きです!」


 リルが望む家臣になろう。

 今すぐにでも変わってみせよう。

 憧れを憧れで終わらせてしまえば近付けない。

 だからこそ真っ直ぐに見据えてウェンディは答えた。

 この状況をチャンスだとは思えないが、それでも偶然巡ってきた機会。

 夢見がちな自分が得た貴重な時間だと思えば、全部を伝えなければもったいない。

 リルは十三歳の少女の言葉をしっかり聞いた後、肩を竦めた。


「ここまで言うなら、あたしとしては合格。シノはどう?」


「リル様と同じ言葉を使ったのですから、覚悟はしっかり示したと思いますよ」


 〝激烈王女〟と呼ばれていた頃から、彼女の性格が一気に変わった瞬間。

 そのための覚悟を言い放った言葉がある。


「……私がリル様の言葉で一番、好きな言葉なんです」


 普通は無理だ。

 大多数の人間はやろうと思ったって叶わない。

 けれどリルはやってのけた。


「大好きな人のために、今すぐにでも『変わってみせる』。単純だけど簡単じゃなくて……、だからこそ響いてきたんです。その想いの強さがどれほどのものかを」


 何度も何度も読み返したから余計に思ってしまう。

 出会ったばかりの二人が、特別だと示すエピソードだから。


「卓也はどう? 来年から主人になるあんたも合格だと思った?」


 リルは最後に卓也へ確認する。

 今のところ、リルもシノも合格を出したが彼はどうだろうか。


「いいんじゃないか? 憧れてるお前に言われても、それでも家族になるって言い切れる子はそうそういないだろ」


 その点に関して感心する。

 加えて、もう一つのふてぶてしさも卓也にとっては評価が高い。


「それにさ。オレ達にも家族だって思ってもらえる自信があるってことだ」


 ウェンディが示した自信と特別。

 十分、卓也も合格と言っていい結果だ。


「じゃ、じゃあ、家政婦にしてもらえるんですか!?」


 三人から合格と言われて嬉しそうな表情を浮かべるウェンディだが、リルは急くなと言わんばかりに苦笑した。


「正確に言うなら、仕えるのは十五歳になってからよ。言ったでしょ? あたしはちゃんとリライトに則ってるって。だからこれは内定であって、ウェンディは十五歳になったら家政婦として雇うわ」


「で、でも、それだと家に戻らないといけないですよね?」


 あのレキータの異世界人がフラグだと勘違いしている状況で、戻りたくはない。

 当然、リルもそれは分かっている。


「あんたには今日から家臣用の家に住んで貰うわ。レキータの異世界人が厄介なのは間違いないんでしょ?」


 素直に、そして大きく頷いたウェンディ。

 リルはさらに追加条件を口にする。


「それとリライトの中等学校に入りなさい。このタイミングだったら二学期には間に合うわよね?」


 質問に対してシノが頷きを返すと、未だ話を飲み込めていない少女にリルは告げた。


「この国で繋がりを持つのが大切ってことよ。母国があるとしても、あんたがこれから暮らす国はリライトなんだから」


 そのために必要なことはやって欲しい。

 勉強は大変だろうが、そこは気にしなくていいだろう。


「覚悟は当然あるわよね?」


 出来ないのなら、そもそも雇うつもりもない。

 それが分かっているからこその問い掛けに、ウェンディも元気よく答える。


「はいっ、リル様!」


 爽快感さえ感じる返答に頷くリル。

 一方で卓也は今後の行動指針について考えていた。


「一応、どこかのタイミングでレキータに行ってウェンディのご両親に挨拶しておいたほうがいいのか? とりあえず分からないからフィグナ家に優斗、アリーとクリスも今日中に呼び出せる奴は呼んでおこう」


 意外と周囲が面倒になる可能性はある。

 前もって不安の種は潰しておいたほうがいいだろう。


「それもそうね。シノ、呼び出せるだけ呼び出してちょうだい」


「かしこまりました」


 自分達だけで納得したから問題ない、というわけではない。

 卓也とリルが動いた、という部分が厄介になる可能性がある。


「ウェンディのことや家のことを色々調べたりはするけど、問題はあるかしら?」


「私は何もありません!」


「よし、良い返事ね。あとリライトで極めて上位の人間と面接みたいなことをするけど、気負わず素直に答えればいいから」


 心配性の魔王と魔女のどちらかが話すだけなのだが、立場は上位層の中でも最高の近い。

 緊張するなとは言えない。


「とはいえ、うちに貴族のお嬢様が家政婦で来るなんてね」


 今までリステル邸にいたのは全員が平民だったので正直、想定はしていなかった。

 逆にウェンディは驚きを表し、


「えっと、どうしてなんですか? さすがに王女であられるリル様であれば、最低でも二人は女官を付ける必要があると思っていたのですが……」


 と問われたところで、リルは答えられない。

 シノが選んだ人選に文句を言ったことがないし、それで上手くいっている。

 というより、


「神経図太くないとやっていけないからじゃないの?」


「その通りではありますが、そもそも貴族の令嬢がリル様の現状を目の前で見れば卒倒します」


 知ってはいるだろう。

 本にも書かれてあるのだから。

 しかし、


「趣味が料理だからといって、家臣に料理を振る舞おうとする主人は普通にいません。止めるのが当たり前です」


「だけどトラスティ家はそうじゃない? ロスカなんてフィオナに料理を教えてたりしてるんだから。あたしも卓也も教えて貰ってるけどね」


「あのような例外の巣窟である家を出されても困ります」


 一つの例として挙げられたところで、トラスティ家だけは何の参考にもならない。

 というか仕えてもいない他国の王女に料理を教える強靱なメンタルが、どこから来るのかシノも教えて欲しいぐらいだ。

 リルは自分の家が変だと言うけれど、シノとしてはトラスティ家と比較されたくない。


「よし。じゃあ、今日はオレとリルで料理作るか」


「……タクヤさん? 今、私の話を聞いていましたか?」


「聞いてた。だからやってみようかなと思って」


 百聞は一見にしかずと言うし、実際に見せたほうが早い。

 そう言って早速準備に取り掛かる卓也を、どう対応すればいいのか分からずウェンディはシノを見た。


「基本的に干渉する必要はありません。というより、この家の常識は王城や他の貴族にとっての非常識なので、あらためて学ぶ必要がありますよ」


「は、はい! 頑張ります、家政婦長!」


 すでに気分は家政婦なのだろうか。

 元気よく返事をしたウェンディに、シノは苦笑いを浮かべる。


「気を張る必要もありません。自然体こそリル様の望む家臣だと心得なさい」


 ポンポン、とシノはウェンディの肩を叩いてから二人は一緒に厨房を覗きに行く。

 リルもすでに厨房へ移動しており、エプロンを着けたところでウェンディの姿に気付いた。


「そういえば言ってなかったわね」


 王女だというのに様になったエプロン姿のまま、リルは新しくやって来た少女に手を広げる。


「歓迎するわ。ウェンディ=ヴァリエ=リーン」


 この家にとって最も大切なことを。

 一番大切な言葉を、新たな家族になろうとしている少女に贈る。



「ようこそ、我が家へ」










※二人の家政婦長――トラスティ邸編――





 今日、トラスティ家ではラナによる講義が行われていた。

 内容は貴族における礼儀作法のこと。

 教える順序としては、こうだ。

 言葉遣いを教え、立ち振る舞いを教え、マナーを教える。

 これは貴族として最重要で、一番最初に教えるべきだとラナと話した。

 講義を受けているトラスティ家の家臣達はなるほど、と頷きを返す中で一人の若い家政婦が疑問を抱く。

 ラナの話が終わり、集まっていた家臣が解散し仕事に戻っていったが若い家政婦――レイはラナのところへ駆け寄った。


「あの、ラナさん。質問があるのですが……」


「今日の講義で気になったことでもありましたか?」


「はい。ラナさんは貴族として一番最初に覚えるべきは礼儀作法と仰っていますが、アイナお嬢様は違いますよね?」


「ええ、その通りですよ」


 否定することなく頷きを返すラナ。

 だからこそレイは余計に不思議がる。


「だとしたらアイナお嬢様は大丈夫なのでしょうか?」


 貴族として最重要だと言っていたのは、他でもない家政婦長なのにどうしてだろう、と。

 ラナは彼女の疑問に気付くと、一つの言葉を告げた。


「レイ。おかしいと思うのであれば調べなさい。調べたところで変わらずに同じ考えならば、あらためて話を聞きましょう」





       ◇      ◇





 ラナに言われて、レイは調べることにした。

 まず最初に話を聞きに行ったのはトラスティ公爵夫妻。

 家政婦長の愛奈に対する教育に、どのような感想を持っているかと尋ねたのだが、


「ラナが教育してるんだから、気にすることないわね」


「私も気にする必要はないと思っているから、感想など考えたこともない」


 まったく参考にならない返答がきた。

 困惑した様子を隠していないレイにエリスが笑う。


「私は私の“自慢”を信じてる。ただ、それだけのことよ」


 他の誰でもないラナ・クリストルがやっているから信じるに値する。

 ただ、それだけのこと。



 レイはトラスティ夫妻に言われたことを踏まえて、今度はフィオナに訊いてみた。

 質問の仕方は先ほどと同じなのだが、


「ラナさんなので、気にしたことはありません」


 フィオナにも同じことを言われてしまった。


「まーちゃんもそのように思いますよね?」


「あいっ!」」


 しかもマリカすら同意してきた。

 レイはフィオナ達に頭を下げながら、再び移動を始める。

 トラスティ家は皆が皆、同じ答えをしてきた。

 ならば一年前から、この家に来た少年はどうだろうか。

 庭で守衛達の訓練をしていた優斗に声を掛け、再度同じ質問をする。


「ユウトさんは今のアイナ様に対する教育をどのように思われますか?」


「ラナさんがやっているから、気にする必要ないと思ってますけど」


 彼も歴としたトラスティ家の一員ということなのか、返答は変わらなかった。

 レイは自分の疑問が何も解決されないことに頭を抱えたくなる。


「えっと……旦那様も奥様もフィオナお嬢様も皆様、そのように仰っていて……ですね。その……」


「ん? ああ、なるほど。僕が最後なのに全員して同じこと言うから、質問の答えが見つからなかったんですね」


「……はい。その通りです」


 どうして皆、同じことを言うのか。

 ラナのやり方は順序に沿っていないことを知っているのか、知らないのか。

 様々なことがレイの頭を巡る。

 優斗は本当に困った様子の家政婦に笑ってしまった。


「というかトラスティ家の面々に訊いたところで無駄ですよ。あの人達、全面的にラナさんを信じてるから考えたことないと思います」


 ラナだから気にしたことがない。

 本当にこれしかないのだから、疑問を持った側にとっては厄介極まりないだろう。

 かといって疑問が解決されないのも可哀想なので、優斗はレイに問い掛ける。


「レイさん、一つ質問をします。ラナさんは何を……いえ、もう少しヒントを与えましょう。ラナさんは一体、誰を見据えて教育しているのか。答えはそこにあります」


「誰を見据えて……ですか?」


 優斗から問われたことに対して、対象となっている少女を頭に思い浮かべる。


「アイナお嬢様ですよね?」


「それでは、出会った頃の愛奈を思い出して下さい」


 優斗がこの家に連れてきた時の愛奈。

 それはレイにとっても印象深いことだろう。


「愛奈にとって一番最初に必要だったのは何だと思いますか?」


「愛情だと思います」


 素直に出た答えに優斗は満足げに頷いた。


「レイさんもトラスティ家が誇る家臣。そのことが分からないわけありませんよね」


 家族ぐるみどころか、家臣も総出で愛奈に愛情を注いだ。

 そうしたほうがいいと誰もが思ったからだ。


「ではレイさん。ここから先は貴女がどのように行動するかを考えて下さい」


 愛情を与えた。

 少しずつでも笑えるようになった。

 ちょっとずつでも話せるようになった。

 であれば、


「愛奈のためを想うのなら、次に貴女は何をしますか?」


「少しずつ笑って下さるようになったので……、色々なものを見せて楽しんでいただきたい。そう思います」


 うんうん、と優斗は頷く。

 それこそ変人が揃っているトラスティ家らしい満点な解答だ。


「だけど公爵令嬢の教育という点では、最初も次も間違っています」


 突きつけた言葉に、レイが驚きの表情を浮かべる。

 そう、彼女の答えは順序としておかしい。

 愛情を与えることも楽しませることも、教育といった点では必要ない。


「この家に来た段階で、あの子はトラスティ家の養女となりました。貴女が知っているあの子は最初から貴族です。そして貴族である以上、相応の振る舞いが早急に必要とされますよ」


 何故なら宮川愛奈だけではなく、アイナ=アイン=トラスティとしてもここにいる。

 異世界の客人だけではなく、トラスティ公爵家の次女としての立場もある。


「言葉遣いや立ち振る舞いを教えなければ、トラスティ家の評判を落とすことにもなります。それでも貴女はやりますか?」


「ですが正しい順序を踏むだけでは、私達がアイナお嬢様のことを考えていないことになります」


 反射的に出た反論。

 しかし優斗はレイの言葉に納得した様子を見せると拍手を贈った。


「……えっ? ユウトさん、どうして拍手を……」


 瞬間、レイは自分で理解させられる。

 今の言葉こそ優斗が伝えたかったことであり、ラナのやったことだ。


「……ああ、そうか。そういうことなんですね」


 ラナがやっている教育の順序がおかしい理由。

 それは全て愛奈のためだ。


「だからラナさんは、セオリー通りにやっていないんですね」


「ええ。愛奈のためなら順序さえ違える。それが出来る教育係はそうそういません」


 自身の評価はもちろんのこと、家の評価さえ落とすかもしれない。

 しかしラナは信念を持って教育をしている。


「フィオナの場合も同じでした。今も昔も貴族令嬢として、淑女として模範になる女性かと問われると僕だって首を捻ります」


 見た目や雰囲気がそうだし、状況によっては淑女として振る舞える。

 けれど徹頭徹尾、フィオナが淑女だと言えるか問われると違うと断言できる。

 そもそもラナ自身が慰安旅行の際、淑女ではないと言っていた。


「だけど評判よりも大切なものがあるとラナさんは考え、そのことを分かっているからこそトラスティ家の皆は口を挟まないんです」


 故に『ラナだから気にしたことがない』という台詞に繋がっていく。

 彼女の教育は、誰よりも自分達のことを想ってのことだと知っているから。


「当然、僕も同意見ですよ。この家のためなら家臣の立場すら越えて龍神のひいおばあちゃんになれる人は、見つけるのが億劫になるほど貴重な人材です」


 言うだけなら言えるが、損得勘定を抜いた上に愛情を注げる人間がどれほどいるだろう。

 少なくとも数えるぐらいしかいないはずだ。


「そして、だからこそラナさんは家政婦長で教育係なんですよ」


 特殊な家に必要な特殊な家政婦長。

 大抵の人が出来ないことを平然とやってのけ、トラスティ家が望むことを違わず叶えることが出来る。

 と、ここで優斗は物陰に隠れている人物に声を掛けた。


「というわけで、ラナさん。レイさんは無事にトラスティ家巡りをしましたけど、感想はいかがです?」


 心配だったのだろう。

 優斗のところにレイが来た時から、ずっと潜んで聞き耳を立てていた。

 バレたことで観念したのか、ラナは物陰から出てきて優斗の質問に答える。


「そうですね。最初に仕えた家がトラスティであることの弊害がよく分かる一例ではありました」


 疑問を解決しろとは言ったが、その方法が直線的過ぎる。

 無論、方法としては正攻法ではあるのだが、


「アイナお嬢様のためとはいえ、旦那様に奥様にフィオナお嬢様。果てはユウトさんにまでタイミングすら考えずお話を伺うなど、普通の家ではまず考えられない行為です」


 忙しいだろうか、邪魔にならないだろうか、迷惑ではないだろうか。

 色々と考えて声を掛けるタイミングを考えるのが普通だ。

 けれどレイはタイミングも何も考えずにトラスティ家の人達に声を掛けた。


「まあ、世間話ですら全く気にしないで意気揚々と乗ってきますから、この家では特に問題はありませんし好意的に見て貰えます。そして今日の行動は、格別の好意を抱いたことでしょうから、私も怒ることはありません」


 本来であれば説教を何時間もするべきだろうが、それはあくまで普通の貴族の家だった場合だ。


「誰のために、何のためにレイが動いたのか。それを皆様が理解して下さいますから」


 愛奈のことが心配だった。

 その一点に集約された疑問に対して、誰が苦言を申すだろう。

 ラナは疑問が解決してさっぱりした様子のレイに告げる。


「レイ。貴女を将来におけるミヤガワ家の家政婦長及び教育係の一候補者にしておきます」


 その言葉にレイはビックリしながらラナを見て、優斗はくつくつと笑い声を漏らす。


「ラナさんとして、一押しといったところですか?」


「いいえ。残念ながら遅れを取り戻しただけなので、やっとスタートラインに立ったところです」


 来年度、優斗が引っ越しする際に家政婦を育てると同時に家政婦長として見繕うと言った。

 その候補として、やっと入っただけのこと。


「あの場にいた家臣は大抵が私の話を聞き終えた時、このように考えたはずです。『この家は順序よりも大切なことがある』といったことを」


 順序は順序として知っておく必要がある。

 貴族として必要な教育も理解しておく必要がある。


「もちろん順序を知ることは大切ですよ。ですが順序に従ったところで、我々がアイナお嬢様のことを『大好き』だということを伝えられますか?」


 仕事は仕事。

 しかし割り切ってしまった瞬間、それはトラスティ家の家臣として相応しくない。

 何より敬愛するトラスティ家に対する冒涜だということをラナは知っている。


「だとしたら私は順序を間違えてでも伝えます。それが私の教育係としての覚悟です」


 それに、と言いながらラナは優斗を見た。


「最初から順序通りの教育をすれば、ユウトさんが許しはしなかったでしょう」


「ラナさんがやるわけないことを、仮定するだけ無意味ですよ」


 そもそも順序通りの教育をしていたら、トラスティ家の女性陣があれほど変なはずがない。

 加えて教育係として淑女になってほしい、という気持ちを持っているにしても強いるつもりがないからこそのエリスとフィオナだ。

 あの二人が貴族としておかしいのに、愛奈だけ仕事として割り切った教育をするはずない。


「そもそも楽しませるついでに貴族の教育も挟んでいる人に、文句を言えるわけないでしょう?」


 順序は間違っている。

 正しい手順を未だに踏んでいない。

 しかし何も教えていないかといえば、それは違う。


「馬の乗り方から絵画の鑑賞方法に至るまで、本人は楽しんでいるだけなのに貴族として必要とすることがありました」


 愛奈は時々『淑女になるために必要だ』という言葉を使う。

 だけどそれは楽しさの中にあるもの。

 淑女になるためだからといって、楽しさを奪っていない。


「素直に感心させられますよ。ラナさんの手練手管にね」


 それに気付いた時、優斗はラナの教育が半端ないと思ったものだ。

 最終的に貴族令嬢として必要なものがあればいい、ということだろう。

 本来はそれだけに注ぎ込むものだが、ラナの教育は優斗的には一歩先を行っていると感じる。


「そして、だからこそ僕の家が出来た時にラナさんから指名された人は、本当に可哀想だと思います。特に教育係になった人はね」


「どうしてですか? 私はもし、ラナさんから指名されたら嬉しいですけど……」


 レイが首を捻ると、優斗とラナは顔を見合わせて苦笑した。


「だって、きっと僕もフィオナも同じ言葉を使いますよ」


 全幅の信頼を寄せる。

 それがトラスティ家の人間としての在り方。

 だから優斗が家を持ったところで変わることはない。

 ラナに向けて使われた言葉は、等しく優斗の家の教育係にも使われる。

 なので優斗はからかうように、悪戯するようにラナへ使った言葉をレイに告げてみた。


「レイさんだから気にしたことがない、ってね」


 きっと数秒後、意味を理解した彼女は目を丸くすることだろう。

 そして優斗とラナは再度、顔を見合わせるとおかしそうに笑った。




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