第2話百眼神社

「え……」



 走り続けてた私は、いつの間にかあの百眼神社の手前まで来てしまっていたらしい。



 百岸町の外れにある林道の奥。

 人間が作り出したであろう言い伝えにより、ここには人の気配どころか人間が歩いたような形跡すら残っていない。



 百眼神社へと続くであろう入り口には、何本も何本も建ち並ぶ鳥居達が苔や蔦に覆われながらも静かに佇んでいる。

 その姿はまるで、誰かを待っているようにも捉えられそうだ。


 なぜこんな気味の悪い場所に、島の神様ともされている百眼神をまつっているのだろう。



 ───あの例の言い伝えと、何か関係があるのだろうか?



 いや、問題なのはそこではない。 そもそもなぜ、私はこんな奇妙な所に辿り着いてしまったのだろうか。



 もしかして、これが俗に言う“神社に呼ばれた”という現象なのか。

 そんないくつもの疑問が頭を飛び交った私は、空恐ろしく感じた。



 それはそうと、これからどうしようか。

 母のいる家には、正直帰りたくないし、できればどこか遠くへ逃げてしまいたい。

 それが私の本音であり、切実な願いでもある。



 だが、私はまだ十四歳。こんな子供の私が家出を図った所で、行く宛がない。


 中学生という立場の私にはアルバイトすらまともにできないため、一人で生活をするにはだいぶ無理がある。



 仕方がないと諦めた私は、鳥居に背を向け元の道へ引き返すための足を一歩前へと踏み出した。その時だった。




「助けて」



 私の背後から突然、か細い女性の声が聞こえてきた。

 こんな人里から忌み嫌われ疎外されているようなこの場に、人間がいたという事に私は驚きを隠せない。


 それ以前に、先程見た時は人どころか人の気配すらなかったというのに、一体どこから声は聞こえているのだろうか。



 恐る恐る声が聞こえた後ろを振り返ってみると、膝の上辺りまでしかない短い丈の浴衣に、底の高い下駄という、ある意味で現代を感じさせるような服装の女の子が一人、鳥居の前に立っている。

 その顔はお面で隠れているため見えなかったが、背の高さからして小学六年生くらいの子なのだろう。



「助けてって、一体どうしたの?」



 女の子は、黙りこくったまま私に背を向け、小さな声で「着いてきて」と呟き、あの恐ろしい鳥居をくぐり駆け出した。



「あ、まって!」


 ついて行ってはいけないというのは、充分分かってはいたが、馬鹿な私はそんな事も忘れ、彼女のあとを追う。



「はぁ、はぁ……。は、早いよ……っ」



 軽い足取りで淡々と木のトンネルの中に建つ鳥居の中を駆けて抜けていく女の子を、私は息を切らしながら必死で追いかける。



「はやく」


 そんな私を、女の子は容赦なく急かしてくる。

 もう少し加減というものを知ってほしいと頭を悩ませるも、どうしようもないと諦めた。



 それよりも、なぜ彼女は私を百眼神社へと導くのだろうか。

 そんな疑問をいくつか抱えながら、私はひたすら女の子を追う。

しばらく歩いていると、いつの間にか百本目の鳥居の前に辿り着いてしまった。



「こっち」



 そう言って、女の子は当たり前のように神社と鳥居との境界線として置かれた大きな鳥居の中へくぐる。



「これをくぐってしまったら、百眼神社に……」



 まだ夕暮れではなさそうだったが、しかしそれでも入るか入らないか悩ましい所だ。

 ここで引き返して逃げるという選択肢も、私にはあるのだから。



 だがそれをしてしまうと、私は助けを求めてきた彼女を見捨ててしまう事になる。それだけは避けたい。

 悩んだ末、私は勇気を出して鳥居をくぐり、神社の中へと足を踏み入れてみる。



「な、何これ……」



 そこには何とも異様な光景が広がっていた。

 まるで血のように真っ赤に映えた彼岸花が、神社の周りを取り囲むように一面に咲いている。



「なんで……」


 普通、彼岸花が咲くのは九月のお彼岸の時期だ。

 だが、今はまだ六月の初め。これが今咲いているというのは絶対にあり得ない事だ。



 辺りをよく見渡すと、たくさんの木々達が、この神社を取り囲み神社の存在を覆い隠しているようにも見える。

 まだ昼間だというのに、この神社一帯だけが一段と薄暗い。


 鳥の声どころか、風の音すら聞こえない。

 この世ではなくあの世のどこかにような、そんな気持ちにさせられるような所だ。



「あ、あれ……あの子はどこ?」



 そういえばあの女の子の姿がどこにもない。何処かへ続いていそうな脇道はどこにも無さそうだし、一体どこへ消えてしまったのだろう。



 まさか私は、あの子の悪戯いたずらに見事引っかかってしまったのではないかと肩を落とした。

 私も、いつまでもこんな所にいないでさっさと立ち去ってしまおうか。


 そんな事も考えては見たものの、朝の事といいここまでの事といいさすがに参ってしまってそんな気力も持ちあわせていない。


 とにかく、ひとまず休みたかった私はどこか座れる所をと辺りを見回してみる。



 さすがに、こんな人沙汰もない様な所にベンチなどが置いてあるはずもなく、仕方なく私はお寺で言う本殿へと続く階段の所まで歩いていき腰を降ろした。



「あの子、どこに行っちゃったんだろ……はぁ」



 そんな事を考えていると突然、私を睡魔が襲う。なぜ、こんな所で急に……。



 とは言え、寝る事には忠実である私が、睡魔に勝てるはずない。やむを得ず、私はその場で膝を抱えうずくまりまぶたを閉じる。



「まぁ、そんなに眠らないだろうし……」



 そんな浅はかな結論を出してしまった私は、そのまま膝に顔を埋め一人眠りについた。






 顔を布で覆い隠している私と同じくらいの子供が一人、狭く暗い部屋の中に閉じ込められ「ごめんなさい」と喚いている。

 声の高さからしてきっと男の子なのだろう。



 怖い顔をした大人達が、男の子が中にいるというのにその小さな小屋に火を放つ。


 木造の建物なためか、一気に火が燃え広がった。男の子は何も無いその部屋の中で「熱い、出して」と泣き叫んでいる。

 そんな彼の叫びを耳にした大人達は、嘲笑いながら言い放った。




「お前も、百眼神と共にいなくなればいい」



 まってやめて!その子を殺さないで。その子を…………!





  ───夢はそこで覚めた。



 顔を上げると、辺りは先程よりもうんと薄暗くなってしまっていた。私は一体、どれだけ眠っていたのだろうか。



 ふと顔に違和感を感じた私は、恐る恐る自分の頬を撫でてみる。



「なん……で……」



 そこで私は、我知らずの内に涙が両目からぽろぽろと零れ出しているという事に気が付く。

 私は何故泣いているのだろう。と、疑問に思ったその時だった。



「アオ……イ……」

「……え!?」



 突然、前方から私の名前を呼ぶ不気味な女性の声が聞こえてくる。



「………っ!」



 顔を上げると、私から少し離れた先に髪の長い女性が立っている。その顔は、長い髪に覆われていて遠くからでは見る事はできない。


 彼女の着ている白い着物のようなものは、埃や土のような汚れ、血のような朱色の染みが所々に付いていて、一部裂けたような跡や焦げたような跡まである。

 彼女の容姿と今の大体の時刻とで結論付けた私の顔は、一気に青ざめた。



「百眼……神…!?」

「ようやく……ヨウ……ヤク………」



 百眼神と思われる女性は、小さな声でそう呟きながらおぼつかない足取りでこちらへ向かってくる。


 良く見て見ると、彼女の足は青白く爪が所々剥がれ瘡蓋かさぶたになっていて正に“幽霊”そのもののようだ。手の指だって、二、三本ほど切れて無くなっている。


 その姿と存在に恐怖を抱いた私の身体は、がくがくと震え出す。



 早く、逃げなければ。


 そんな事、頭の中では分かっていたが、身体の方は言う事を聞かずただ後退りをする事しかできない。

 そうこうしている間に、百眼神はどんどん私の方へと近付いてくる。



「……………アァ……」

「逃げなきゃ……ぁ!」



 ずっと後退りをして行った私は、すぐ後ろにあった神社の扉に背中をぶつけてしまう。



「………!!」


 背後から、不気味な気配を感じ前方を振り返ってみると、既に百眼神は私の顔の前にまでその恐ろしい“頭”を近づけていた。



「レ………アオ……ッ」

「ひっ!」



 いきなり間近で“それ”を目にしてしまった私は、戦慄せんりつを覚える。彼女の髪の間から、百眼神の「顔」のようなものが見えたのだ。


 鼻もなければ口もない。

 あるのは無数の「目」だけ。その無数の目達は、ただじっと私を見つめている。



「アオ………あの………こ………」



 百眼神が何かを呟いたその時。

 ふっ、と彼女の声が遠のいていく。恐怖のあまり、意識が途切れるのが分かった。



「……………タス、ケ………」



 薄れゆく恐怖心と共に、私のまぶたはゆっくりと落ちていった。

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