幸せを紡ぐ歌

@Chitoya

第1話

(……遅いな、獣に喰われてないといいんだが)


あの只人(ヒューマン)の娘が木の実を採りにいってから数刻が経つ。


俺が碌に木の実を口につけないのに関わらずあいつは毎日懲りずに採りに行く。


気に入っているのだろうか。


あの娘が木の実狩りに精をだし始めたのは1ヶ月ほど前。


あの娘と奇妙な共同生活をするようになってから2週間程度が経った頃だ。


食事は大抵、男が狩ってきた森の獣を焚いた火で炙って食べていた。


食卓はそれだけ。


それがある夕餉のときからなかなか手をつけなくなったのだ。


「……調子でも悪いのか」


心配していたわけでもないが、なんとなく素っ気なくきいてみた。


「……」


しかし娘はなにも答えない。


ただ腹をさすりながら食卓を、薄く開いた目で睨んでいるだけだ。


「食わないのなら俺がもらうぞ」


返事はない。


男はそれを黙認だと判断し、娘の食事に手を伸ばす。


「……んっ!」


が、それを娘はわりと本気で叩き落とした。


「……なんだよ、食うのか食わないのかどっちだよ面倒くせぇな」


「………なぃ…」


娘はぐっとなにかに堪えるように小さく呟く。


「…あ?」


「…まんなぃ……つまんない!!!!!」


なにが、かは言わずともわかった。


「……嫌でも食え。 死にたくなかったら食え。」


ここは森なのだ。


多種多数の生物が蔓延るサバイバル。


僅かな栄養不足、体調不良が死に直結するかもしれない。


しかし、俺も狩る獣は同じではないとはいえ、同じような食卓に飽きていないわけではなかった。


だがここは森だ。


食用の植物なんてわかりはしない。


そんなものは教わらなかった。


栄養を求めて得体の知れないものを口に入れて食あたりするものなら、それこそ本末転倒といえよう。


「…………ぃや!」


娘はまだ生まれて久しくない子供も子供。


駄々をこねるのもわからなくもないが。


「いやっつったってもお前……俺は植物にゃ詳しくねぇし、毒持ちの動物かどうかも見た目で判別してるぐらいだしな……」


「とってくる」


空腹的な意味でも精神的な意味でも限界なのだろう。 手を膝の上でプルプルと震わせている。


「ん?」


「とってくる!!!!!!」


そう言って娘は大口をあけて肉をかじると、飛び出していってしまった。


「………はぁ……ったく、お前も詳しいわけじゃねぇだろう…」


大きく一つ嘆息すると、パンと膝をたたいて立ち上がる。


仕方なく、娘を追いかけることにした。


なにせ、朝起きて帰ってこなかったと思ったら獣に喰われてましたなんて、目覚めが悪い。


それも、死因が食卓の彩りが悪かったからなどと。 笑えない。


髪を一頻り掻きむしると娘の走って行った方向に歩き出した。






(あいつ…どこまで行きやがったんだ…?)


こうして追いかけてきたはいいものの、子供とはいえ駆けて行った者を徒歩で追いつくはずもない。


踏み荒らされた草を見つけながらのんびり追いかけていれば追いつくだろうと思っていたが、もちろんそう上手くいくはずもなく。


術をもっているわけではない。


唯一頼りになるとすれば鼻。


しかしそれも薄く残った残り香を知覚できるほど優れているわけではない。


誰かが通ったと思しきところを見つけたら当てずっぽうで行き先を検討つけてきた。


夜も深まる頃、これはいよいよまずいと思っていたらふいに、少女の悲鳴が聞こえてきた。


「! こっちか」


とうとう獣にでくわしてしまったか、間に合うか。


目標に近づくにつれて娘の臭いが強くなっていく。

悲鳴が上がったのだ、なにもないということはないだろう。


打って変わって裸足で全力疾走。


妙な位置から伸びた枝葉を潜り、跳び越え、駆ける。


ついに見つけた娘のぴょこんと跳ねた亜麻色の癖っ毛。


果たして娘に襲いかかろうと唸っていたのは。


「クルルルル………」


「…!」


フォレストタイガーだ。


白い身体に黒い縞模様がはいっていて、棘のように伸びた体毛に覆われた身体はみ上げるほど大きい。


爪と牙は赤黒く汚れていて、それで数多の生き物を粉砕したのは想像に難くない。


特に牙は異常に発達しており、上顎から突き出るように生えている。


狩りの途中の獣に娘はでくわしてしまったのだろう。


逃げ回ったのか、娘の足は切り傷だらけになっている。


大木を背にして、追い詰められ森虎を蒼白な顔で見上げて、わなわな震えている。


それを一瞥すると、娘を庇うようにして森虎と向かい合った。


「ぅ…ぁ……」


安堵からか、娘はボロボロと涙を零した。


「……」


安否の確認はしない。 生きている。今はそれだけわかればいい。怪我云々は後だ。


「ルルルル………」


飢えた獣は邪魔をするなというように低く唸った。


「……お前いい牙持ってるじゃねーか?」

そう言って男は歯をむき出し不敵に笑った。


言葉は通じていないだろう。


だが男が退く気はないとわかると、森虎は噛み殺さんと獰猛な息を荒々しく吐きながら距離を詰めはじめた。


「ハルルルル……!」


「…なあ獣。 狩りの邪魔したのは悪かったし、せっかく目の前にエサがあるってんのにがっつけなくて苛立つのはわかる。 だがよぉ」


男はろくに構えもせず、ただただ口を動かす。


「ルルル…ル…ァ?」


異様な空気を感じたのか、森虎の歩みは見る見る内に遅くなる。


男の語気は強くない。


構えるどころか悠長に世間話でもするように口だけを動かしている。


だがしかし、森虎は確かにそれを感じ始めていた。


「お前も森に生きるもんなら知らないわけじゃねぇだろう。


ここは弱肉強食の世界だ。強者が弱者を喰らい、生きる糧とする」


男はただ淡々と森の理を説く。


ついに森虎の足は止まった。


森虎は震えていた。


森虎は特別成長が早くない。


体長からしてそれなりの年月を生きているだろう。


夜が更ける毎に草食肉食関係なく、寝こみ、あるいは活動中の対象様々な獣を襲ってきたのだろう。



我が最強


我が森の覇者


そう信じて疑わなかった。


その森虎が怯えているのだ。


ただの只人の男、常なら狩りの対象ともなり得るであろう種。


…いや。


こいつは果たして本当にただの只人なんだろうか。


森に彷徨いていた只人は何度となく襲った。


大抵の只人は声も発さず青い顔になって裸足で逃げ出す……もちろん逃がす道理はない。


それに比べこいつはどうだろうか。


逃げ出すそれどころか、怯えもせず正面から向かってくるやつなど今までいただろうか。


それだけではない。


この肉皮がビリビリする感じは…殺気だ。


この只人は、自分を殺そうとしている。


…しかしそれがどうした。


それでもこいつは只人だ。


いつも通り、襲って殺して喰らえばいい。


己が血肉にすればいい。


そしたら後ろの只人も食ってしまおう。 今から考えただけで垂涎する。


森虎は目の前の只人の認識を改め、再び距離を縮める。


「それとも勘違いしてるか? 俺はお前より弱いと。 狩りの対象だと」


森虎の身体が沈む。


「…そうか、ならこれから起こるお前の末路は……お前の落ち度だ」


男の瞳が獰猛に、獣のそれのように赤くギラつく。


森虎が飛びかかる。


「ルルルルルルルルァァァァァァァアアアアア!!!!!!!!!」


森虎は覇者の砲声をあげ、喰い殺さんと大口を開けた。


「俺は……っ!!」


拳を引き絞る。


肩肉が軋み、間髪入れず森虎の顔面に放つ。


型もなにもない、しかし森虎の巨体を吹き飛ばすには十分な暴力的な一撃。


「ギャンッッッ!?!?」


鋭く直線的に重い身体は浮き飛び、軋む音を立てて大樹に激突した。


木にはヒビが入り、枝葉が嘆くように散る。


……負けたのだろうか?


身体がピクリとも動かない。なにが起こったかもわから

ないし、正直知りたくもない。


信じられなかった。


ありえなかった。


自分は森の王者だ。


自分を殴り飛ばしたのであろう只人を見やる。


白く歪む意識の中で森虎はそれを見た。


月明かりに蒼く照らされた一本の角。


「……鬼だ」


間も無く森虎は意識を手放した。



「………」


森虎にとどめをさして牙と毛皮を剥ぎ取り寝床へ帰る。


娘の足は無事なようで、自分の足で歩けそうだ。


木の実は採れなかったようだが、このまま探索を続けるのは利口ではない。


先に行くぞと背中で示し、歩き出す。


しかし、娘は付いてくる気配がない。


置いていくぞと声をかけようと振り向くと、


「………ごめんなさぃ……」


俯きながら消え入りそうな声で謝罪をしている娘がいた。


「いいから帰るぞ、そのことはいい。 そもそも頼んでないしな。」


「ちがう!」


「何がだ…」


すると娘はもじもじするだけで、何も答えなかった。


「…難しいやつだな」


男は再び前に向き直ると、


「反省なら勝手にしてろ。獣の臭いが近い、気付かれると面倒だ」


そう言ってそそくさと歩き出した。


「……ん」


娘は聞こえないであろうか細い声で答えると、トットっと男の後ろについた。





娘を森虎から助けた日の次の夕方。


男は狩った獣の皮を食べやすいように剥いでいた。


自分は皮ありでも食えないことはないのだが、娘に以前皮付きで食わせようとしたのだが噛み切れていなかったため、こうした処置を施すようになったのだ。


陽が沈むと危険な獣が活発になるからと木の実狩りに行かせたのが先ほど。


そろそろ帰って来る頃だろうか。


(獣に襲われてないだろうか…)


あまり遠くに行くなと言い聞かせたし、それに娘の臭いもまだ強く感じる。


獣の臭気はない。


「焼けたか」


肉はほどよく焼け、味付けも香り付けも何もないが、煙を上げながらテカテカと肉を照らす脂は空腹感を擽るには十分だった。


男は周りより一際高い木に目をつけると、太枝にひとっ飛び。


娘を探そうと辺りを見回し……


と、視界がオレンジに染まり上手く視覚が働かないことに気づく。


見ると、暖かい光を放つ陽が今まさに沈もうとしてるところだった。


眩しかったが、鬱陶しくはなかった。


……娘に見せると喜ぶだろうか。


そんなものに興味を惹かれるのかと笑われるだろうか。


そんなことを考えながら夕陽に見惚れていると。


「おぉぉーーー!」


木の実をいっぱいに胸に抱え、いくつかこぼしながらこちらに手を振る娘。


夕陽に薄く照らされる娘の姿をみて、なんだか懐かしく感じた。


(……今度はあいつにも見せてやろう)


そう心の中でつぶやきながら、男も娘に小さく手を振り返した。

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