第85話 覚悟の示し

 ベアトリクスが進軍を再開するよりも前に、バゼ-ヌから交渉の詳細を聞いたクロヴィスは、大きな息を吐き出した。

「目的のためとはいえ、苦しいものがある」

「ご自身の理想を果たすためです」

「それはその通りだが」


 クロヴィスはバゼ-ヌから目を背ける。

「理想の実現のためだ。仕方がないんだ」

 拳をぐっと握りしめ、バゼ-ヌの目を見た。

「火計の準備はできているか?」

「抜かりなく」


 自信満々に答えるバゼ-ヌに、攻撃態勢を取らせた。

後はベアトリクスの軍が森を通過するのを待つだけだ。


 じっと待っていたところに、偵察兵がクロヴィスの元へ駆け込んできた。

「目標地点に敵が到達しました!」

 クロヴィスはすっと立ち上がり、諸将を見た。

「攻撃開始!」

 この言葉で本陣がにわかに動きを見せた。


「私も前線に立つ」

 クロヴィスは当然のように言い放った。

「え、それは危険ですよ!」

 バゼ-ヌはクロヴィスの前に立ち、露骨に焦りを表情に出した。

「兵が少ないんだ。私も行くしかない。最前線で戦って功績を立てたんだから、決して弱くは無いはずだが」

 救世の教団との戦いのことを持ち出され、バゼ-ヌは返す言葉を見いだせなくなった。


「それに私も覚悟を決めないといけない。これは彼女……ベアトリクス公との決別なんだ」

 クロヴィスはベアトリクスがいるであろう本陣を方を睨んだ。

「自分の理想は自分で実現しないとな」

 そう言って、彼は歩きだした。

 バゼ-ヌはクロヴィスの後ろに回り、彼の後ろをついていった。


 クロヴィスは最前線へ行き、茂みに隠れた兵士たちを見た。

準備に抜かりはない。

そう判断したクロヴィスは腰に佩いた剣を抜いた。

「放て!」


 彼の兵士たちは矢に火をつけ、リーベック軍の目の前に火矢を放った。

街道を埋める乾いた落ち葉に、火矢が降り注ぐ。


「あっ!」

 先頭を行くリーベック兵が驚いたときにはすでに手遅れだ。

火は枯れ葉に燃え移り、あっという間にリーベック兵の行く手を炎が遮った。

動揺が火と同時に広がっていく。

森は紅葉とは違う赤に染まっていき、リーベック兵は次に来る展開を予感し、恐怖した。


「我に続け!」

 剣を抜いたクロヴィスが、先陣を切って混乱する敵軍に突撃した。

「大将自ら一番槍なんて、そこまでは聞いてないですよ!」

 バゼ-ヌが抗議の声を上げている頃には、もうクロヴィスは一人討ち取っている。


「これじゃ、ベルトレ将軍と変わらないむちゃくちゃぶりですね」

 呆れながらも、他の兵士とともにクロヴィスに続いた。


 無茶だなと思いながらも、同時にその吹っ切れぶりに不安を感じている。

ベアトリクスと干戈を交えることにあれだけ抵抗感を抱いていたにもかかわらず、今は騙し討ちの先陣を切っている。

どこか無理をしているんじゃないだろうか。

バゼ-ヌはよぎる危惧を頭の片隅に押しのけて、敵陣に飛び込んだ。


「退却!」

 クロヴィスが煙に巻かれる前に、全軍をさっさと退かせた。

入り口にも火は放たれており、行き場を奪って混乱させるだけで十分だ。

ベアトリクスも騙し討ちへの対応で頭がいっぱいだろう。

クロヴィスはそう予想を立てて、三千人の兵士を率いて、森からこっそりと抜け出した。


「これからどうするのです? 帝都に帰還ですか?」

 バゼ-ヌはまだ今後の行動を聞いていない。

「そうだね……せっかく気づかれずに抜け出せたのだから、この状況を利用しない手はないな」

 クロヴィスは南を指差した。

「少数の兵で敵の補給を脅かす」

「無謀が過ぎますよ!」

 制止するバゼ-ヌを手で制した。

「徹底的にやらないとだめなんだ。徹底的にね」


 クロヴィスは馬と精兵三百人を厳選し、残りは帝都に帰した。

「時間は十分に稼げたのかもしれない。けれど、決戦で勝てる布石はまだない。勝つための伏線を仕込みに行くんだよ」

「ですが……」

 わずかな手勢で、敵の占領地まで深入りすることに、危険を感じないはずがない。


「相手もエブロネスからここまでの全ての領土を占領しているわけじゃない。まだ占領されていない小村を経由して、エブロネス近郊まで進出する」

「進出はできても攻撃は不可能では」

 わずか三百人で、攻城兵器も無しで要塞を落とすなどできるはずがない。

「攻撃するのは輸送部隊だよ。成功するか失敗するかはどちらでもいい。輸送中の部隊を攻撃したという事実さえあればそれで大丈夫」


 背後に敵の存在を誇示することで、最前線に集中させないのが狙いなのは、その説明でバゼ-ヌは理解した。

作戦の意図はわかっても、それを総大将自らする意味はあるのか、彼にはわからない。

クロヴィスの個人的な感情以外、理由なんてないのではないのか。


 バゼ-ヌ自らが彼を焚き付けたせいで、自分を追い詰めているのではないか。

本当にあのようなことを言ってよかったのか、後悔の念が心に湧き上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る