Int.43:黒の衝撃/漆黒と白銀、戦士たちの哀歌

「…………雅人」

 パイロット・スーツを脱いだ雅人がシミュレータ・ルームを出て校舎の中を歩いていると、階段の踊り場に差し掛かった所で壁にもたれ掛かっていたクレアにそう、すれ違いざまに声を掛けられた。

「クレアか」立ち止まり、振り向く雅人。その視線の先で腕組みをするクレアは白銀の髪を靡かせながら、閉じていた瞼の右側だけをフッと細く開く。切れ長の紅い瞳が小さく覗けば、顔立ちに違わぬクールな視線が雅人へと注がれる。

「どうした、こんな所で」

 そんなクレアの仕草に軽く疑問符を浮かべつつ、雅人が訊く。するとクレアは口を開き、彼に向けてこう言った。

「……久し振りに、貴方も楽しめたみたいね」

「クレアからは、そう見えたか?」

「私だけじゃないわ。多分、愛美も気付いてる」

 クールな語気のクレアに言われ、雅人はふぅ、とわざとらしく肩を落とす。

「敵わないな、クレアには」

 そうすれば、続けて雅人は諦めた風に肩を竦めながら独り言めいて頷き、クレアの指摘を全面的に認めた。

「図星、のようね」

「認めるよ、図星だ」

「そんなに、彼のことを気に入ったの?」

 しかし雅人は、そんなクレアの問いに「いや」と首を横に振って否定する。

「確かに、弥勒寺くんの腕前は凄まじい。伊達にあの西條教官が認めたワケじゃないようだ」

「それは私も、貴方たちの戦いを観てて思ったわ。まだダイヤの原石でしかないけれど、磨けば光る原石なのは間違いない」

「ただ、それでも原石は原石だ。確かに俺は彼のことを見直した節はあるが、気に入ったまではいっていない」

「……じゃあ、どういうことかしら」

 クレアが問う。すると雅人は答えづらそうに数秒間の逡巡を経た後、やっとこさ満を持したように口を開き、回答になる言葉を紡ぎ出した。

「…………彼の剣からは、深い哀しみが伝わってきた」

「哀しみ……?」

「ああ」雅人が頷く。「ほんの僅かに斬り結んだだけでも、何となく俺はそれを感じた」

「そういうもの、本当に分かるものなのね」

 クールな顔の上で少しだけ驚いたような顔をするクレアに言われ、雅人はまた「ああ」と頷き肯定してやった。

 ――――実際、弥勒寺一真と何度か斬り結び。その中で雅人は、強烈なまでの深すぎる哀しみを彼の太刀筋から読み取っていたのだ。

 その原因が、その理由わけが何なのか。彼と出逢って間もない雅人は知るよしもない。そして、知ろうとも思わない。それを訊くのはあまりにも野暮であり、そして深すぎるところまで踏み込んでしまう行為だと分かっていた。それを理解しているからこそ、雅人はあの場で彼に対しては何も言わず、そしてそういう素振りも見せなかった。クレアに訊かれるまでは、それこそ自分の胸の中にだけ仕舞っておこうと思っていたぐらいだ。

 しかし、雅人はあの短い戦いの中で確かに感じていた。例えそれが仮想空間上での剣戟だとしても、その中で雅人は強烈な手応えと共に感じ取っていたのだ。一真の振るう剣から伝わる、あまりにも深すぎる哀しみ。そして、それに立ち向かおうとするかのような、常軌を逸しているほどの闘志を……。

「…………貴方がそう思うなら、きっと間違いではないわ。私が保証する」

 そんな雅人の気持ちを暗黙の内に察し、読み取り。しかしクレアは多くを言わず、ただそれだけを雅人に向けて言い放った。すると雅人はクレアの相変わらずな態度に半分呆れ気味で肩を竦めつつ、しかし同時に深くは訊かない彼女の心根を僅かながらにありがたくも思いつつ。そんな中で「何であれ」というと、今度は神妙そうな顔で雅人は口を開いた。

「あのまま無茶苦茶に進み続ければ、彼はいずれ壊れてしまうだろうね」

「何かの切っ掛けで、パキンとヒビが入ってしまう。……私からも、それは何となく見えていたわ。彼の戦い方は、あまりにも死に急ぎすぎている気がする」

 ふぅ、と小さく溜息をつきながらクレアは言うと、フライト・ジャケットから取り出した煙草を口に咥えた。シュッと擦ったマッチで火を付けたのは、少しだけ珍しいアーク・ロイヤル銘柄の煙草だ。火を灯された先端から漂う副流煙の香りは、何処か甘ったるい。

「でも、これは私たちが口出しをすべきことではないわ」

 そうして、何処か紅茶の風味のある紫煙を肺に入れつつ。クレアは続けて雅人に向かって言い放った。何処か、突き放すようにも聞こえるぐらいに棘のある語気で。

「分かってるよ」雅人はそれに苦笑いをしながら返す。

「深くもない関係の俺たちがどうこう言うべきことじゃない。これはあくまで、彼と彼の周りが解決すべき問題だ」

「……そうね、その通りだわ雅人」

「それに……」

「それに、どうしたのかしら」

 クレアが訊けば、雅人は一瞬だけ口ごもってから。それから口を開き、その続きの言葉を紡ぎ出す。

「恐らくは、あのフランス空軍の彼女なら気付けるはずだ。遅かれ早かれ、弥勒寺くんの致命的な所に」

「フランス空軍……? 私に拳銃を突き付けてきた、あの赤髪のかしら」

「いや、金髪の方だ。エマ・アジャーニ少尉。……尤も、君に拳銃を突き付けたという意味では、変わらないけれどね」

 フッと引き笑いのような顔を雅人がすると、それに釣られてクレアも微かにクールな微笑みを浮かべる。

「どちらにせよ、俺たちが此処でやるべきことは明白だ」

「……気が進まないわ」

「仕事だ、クレア。ある程度は折り合いをつけろ」

「ある程度は、ね……」

 クレアはフッとまた微かな笑みを浮かべながら言い返すと、壁から背中を離し。そしてくるりと踵を返すと、雅人に背を向けて階下へと階段を降りていってしまう。

「クレア」

 そんな彼女の、遠ざかっていく背中を雅人が呼び止めた。立ち止まり、アーク・ロイヤルの煙草を口に咥えたクレアの横顔がこちらを向き、切れ長の紅い瞳から見上げる横目の視線が注がれる。

「校内は禁煙だ、煙草は控えろ」

「……あれだけバカスカ吸ってる教官が堂々と歩いてる現状、説得力は皆無ね」

 そう言ってクレアはフッと最後に小さな笑みを雅人へと向けると、今度こそ階下へと降りていってしまった。咥えた煙草の火を消すことなく、口元で微かに吹かしながら。

「難しい奴だ、相変わらず」

 後に残った、何処か甘ったるいアーク・ロイヤル銘柄の残り香に鼻腔をくすぐられつつ。雅人はまた大きく肩を竦めると、彼女とはまるで別方向へと廊下を再び歩き出していった。

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