Int.53:ファースト・ブラッド/先達、それは導く者としての責務か否か

 ――――その頃。

「ふぅ……」

 西條は独り、徴用校舎の屋上に立ち。吹き込む風に深蒼の前髪と白衣の裾とを激しく靡かせながら、蒼穹を見上げて独りマールボロ・ライトの煙草を吹かしていた。

 立ち入り禁止のはずの屋上は、今や西條だけの特別な場所になっていた。立ち入り禁止であろうが、そんなことは知ったことではない。教官の権限を積極的に乱用して、鍵を引ったくってくれば済む話だ。

「…………」

 溜息交じりの、紫煙が口から零れ落ちる。仄かに白い色を交えた吐息は、吹き付ける風の中へ途端に霧散し、消えていく。まるで、儚く散っていく命の徒花あだばなのように。

「っ……」

 それが、何処か教え子たちの行く末のようにも思えて。儚くも脆く風の中へと霧散していく紫煙と、己の教え子たちとが重なって見えてしまい、西條は小さく唇を噛み締める。

 ――――結局、自分にはどうすることも出来なかった。訓練生小隊の編成を食い止めることも出来ず、ただ、自分は上からの命令に、倉本少将が手を回した命令書に屈することしか、出来なかったのだ。

 その現実が、どうしようも無く悔しく、そして歯痒かった。どうすることも出来なく、ただ手をこまねいたいただけの己が酷く恥ずかしく、そして憎らしかった。

「――――やはり、此処へおいでになられておりましたか、少佐」

 すると、そんな折に屋上の扉がギィッ、と錆び付いた蝶番ちょうつがいを軋ませながら内側より開き。そこから姿を現した錦戸は、西條が居るのを一目見るなりそう、安堵の入り混じった声でそう呼びかけてくる。

「此処ぐらいしか、往き着く所など無いさ」

 そう呟きながら、西條は白衣で隠す背中を転落防止のフェンスに預け、小さくもたれ掛かりながら、半分程度まで燃え尽きたマールボロ・ライトの煙草を燻らせる。

「職員室から屋上の鍵が消えていましたから、もしやと思いましてな。

 ――――隣、宜しいですか?」

「好きにしろ」

 西條がそう言うと、錦戸は「では」と言って近づいてきて、西條の隣へ同じように、金網へ背を預けながらもたれ掛かる。そうしながらラッキー・ストライクの煙草を一本だけ摘まみ取って取り出せば、それを静かに口元に寄せ、咥えた。

「ん」

 ぶっきらぼうな態度で、火を付けたジッポーを西條が差し出してやれば。錦戸は「では、遠慮無く」と言って顔をジッポーの火に近づけ、燃えるオイルの香りに鼻腔を刺激されながら煙草の先端を焦がすと、そうやって火の相伴にあずかった。

「っ、ふぅ……」

 ラッキー・ストライクの重々しい紫煙を肺いっぱいに吸い込めば、錦戸は小さな息をつきながら、その甘美な感覚に酔いしれる。

「……しかし、まさかここまで急だとは」

 そうして、煙草を一度口から離しながら錦戸が独り言のようにそう呟けば。その隣で吸い殻を吐き捨てながら、西條は「……ああ」と頷く。

「無茶苦茶な話だ」

 忌々しげに呟きながら、地面に落ちた吸い殻を履いた靴のかかとで踏み潰し、すり潰すようにして火種を揉み消す。その仕草は何処か苛立っていて、西條はそれを顔にこそ出していないが、しかし錦戸には分かり得るところだった。

「倉本の狸め、一体何が目的だ?」

「……私には、そこまでのことは」

 苛立つ西條の言葉に、錦戸が苦い顔でそう返す。二人とも、紫煙混じりの吐息を吐き出しながらで。しかしその面持ちは、吹き上がる白い吐息とは裏腹に、ひどく俯き気味だった。

「……しかし、与えられた猶予がたかが四時間とは」

「仕方ないさ」

 何処か達観したような、何処か自嘲するような引き笑いを浮かべながら西條はそう呟いて、また短くなった灰皿を足元に吐き捨てた。

「悲しいかな、上の命令とやらには、如何いかんとも逆らい難いってのが、我ら軍人の悲しい運命さだめって奴だ」

 皮肉めいた笑みを浮かべながら西條は呟き、靴底で吸い殻の火種を揉み消しながら、また新しいマールボロ・ライトを咥えてジッポーで火を付ける。

「……少佐、貴女は」

「言うな、錦戸」

 そんな西條の、何処か悲しげにも見える横顔を眺めながら、錦戸は何かを言い掛けた。だが西條は一言でそれを制し、それ以上の言葉を紡がせないようにする。

「それ以上、言ってくれるな。――――覚悟が、鈍る」

「…………」

 続けて西條が紡ぎ出した、その言葉。痛切すぎる色を垣間見させたその言葉を聞けば、錦戸はそれ以上のことを言えず。ただ黙って、それに頷くのみだった。

「錦戸」

「……はい、少佐」

「アイツらのこと、頼んだぞ」

「ええ、勿論ですとも」

 ニッコリと、再び好々爺めいた笑みを顔に取り戻しながら、吸い殻を放り捨てた錦戸が深く頷く。

「彼らは少佐の教え子であると共に、私の掛け替えのない教え子ですから。教え子を護るのは教官たる我々の責務であり、役割。

 ――――そうでしょう? 少佐」

 放り捨てた吸い殻の火種を靴底で踏み潰しながら、錦戸がそう言えば。西條もフッと小さな笑みを浮かべて、

「……そうだな。アイツらを護ってやれるのは、我々だけだものな」

 そう、小さく呟いた。

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