Int.20:真影の詩、真夏の蒼穹と金色の少女①

 …………それから、更に数日後。

「暑っついな、オイ……」

 刺し殺すような激しすぎる真夏の日差しが容赦無く照り付ける中、早朝から一真は今日も士官学校を出て、陽炎揺れる街の中をとぼとぼと歩いていた。

 アスファルトで舗装された地面から照り返す輻射熱があまりにも激しすぎて、まるで鉄板の上に乗せられ焼かれるステーキ肉か何かの気分を存分に味わいながら、一真は歩く。ただでさえ京都は熱と湿気の籠もりやすい盆地だというのに、今年は特に暑くなるというものだから、ひょっとしなくても本気で死んでしまうんじゃないかとすら思えてしまう。こんな暑い日に地面に寝転がりなんてすれば、きっと五分もしない内にウェルダンぐらいの焼き加減でこんがり美味しく焼き上がってしまうだろう。

 暑さで頭がやられたのか、そんな阿呆みたいなことを考えつつ歩を進める一真が辿り着いたのは、やはり今日も東海道本線・桂川駅。毎度毎度、なんでまたわざわざ遠くで待ち合わせをしたがるのかは理解に苦しむところだが……。少なくとも、今日も誰かしらに一真が付き合わされる運命にあるということだけは、明白だった。

「やあ、カズマ」

 そして、桂川駅に着くと。バス・ロータリーの傍にある、駅構内への入り口を兼ねた階段の傍。日陰になっているそこに立ち、待っていたエマが一真の姿を見かけるなりそう、呼びかけてきた。

「待たせたか?」

 近づきながら一真が訊くと、エマは「いいや」と小さく首を横に振る。

「待ち合わせの時間ジャスト。僕もさっき来たばっかりだし、待った内には入らないよ」

 そう言いながらニコッと小さく微笑むと「ほら、暑いんじゃない? こっちこっち♪」と言って一真の手を引くと、自分が日差しを凌いでいた日陰のところに一真を引き寄せる。

「しかし、今日は一段と暑いね」

「だな」日陰に入りながらふぅ、と一息つきつつ、エマの何気ない呟きに相槌を打つ一真。

「網の上の焼肉になった気分だ」

「あははっ。面白いね、その例え。――――はい、これ」

 ニコニコと微笑みながら、肩に掛けたハンドバッグから出したハンカチを、スッと一真の方に差し出してきた。

「ん?」

「これ、使ってよ。汗だくじゃないか、今の君さ」

 ニコッと小さく頬を綻ばせて言うエマに「あ、ああ」と戸惑いながら、一真は差し出されたそのハンカチを有り難く受け取る。

「悪いな、後で洗って返す」

「いいよ、そこまで気にしないでさ。……にしても、ホントに暑いね」

 有り難く借り受けたハンカチで一真は額の汗を拭いながら、そんなことをひとりごちるエマの方にチラリ、と横目で視線を流してみた。

 やはり、これだけ暑いとエマの格好も薄く、涼しそうな風通しのいい出で立ちだった。肩の部分がガバッと大きく出た、肩紐だけで吊して支えるスタイルな黒いオフショルダー・キャミソールに、半袖で薄いデニム生地のちょっとした上着を羽織り。下に履くのは脚のラインが割かしタイトに出る、ぴっちりと細身なデニム・パンツといったような格好だ。

 ステラや、或いは瀬那みたいに起伏の主張が物凄く激しい体つきというわけではないエマだが、しかしスラッと長い脚に華奢な手先と、どちらかといえばスレンダー寄りの体格なものだから、そんな格好が却って様になっている。

 とはいえ、上は申し訳程度に羽織ったジャケット以外は薄いキャミソール一枚というだけの格好。そんな格好なものだから、細いチェーンで首から吊られた小さな金のロザリオが揺れる胸元の起伏は、普段よりも二割か三割増しで嫌でも目に飛び込んできてしまう。

「っ……」

 そんな、小さな汗の色がほんの少しだけ滲む、白人特有の異次元みたいに白い肌の胸元に思わず目が行ってしまったものだから、一真は慌てて明後日の方向に眼を逸らした。無意識というものは、存外恐ろしいものだ。

「……ふふっ」

 すると、そんな一真の不自然な動きに何かを察したのか。悪い笑みをほんの少しだけ浮かべたエマは、半歩だけ一真の方に近寄り。そうして唐突に耳元辺りまで顔を近寄せると、

「今……どこ、見てたのかな…………?」

 なんて悪戯っぽく、しかし何処か妖艶な色も奥の奥に織り交ぜたような声音で、そう一真に囁きかけた。

「うっ……」

 すると、そんなあまりに唐突なエマの行動に一真は驚きながら、戸惑いながら。しかしなんて答えてやればいいのか分からず、紡ぎかかっていた言葉の糸が喉の奥で絡まってしまって、そんな風に言葉を詰まらせてしまった。

「ふふっ……♪」

 ともすれば、またエマは何処かに含みを込めた笑みを浮かべてみせ。また一真の耳元に顔を引き寄せれば、「答えないってコトは、そういうこと……?」と、また似たような口調で囁き、問いかけて来る。

「そ、それはだな……」

 ――――実際、事実なので否定はしづらい。ここで否定をしてしまえば、嘘になってしまう。

 だからか、一真はエマに何も言い返すことが出来なかった。何を言い返していいものか、判断に困ってしまった。

「僕は、良いよ……?」

 すると、エマは続けて囁きかけ。また半歩、一真の方に身体を近寄らせてくる。

「普通のは嫌がるのかも知れないけれど、僕は例外。それに、他でもないカズマだからね……♪」

 どう対応して良いものか分からず、硬直する一真に更に囁きかけたエマは、その後で「はむっ」なんて声を出し、斜め上に視線を逸らす一真の左の耳たぶを、軽く甘噛みなんかしてきた。

「ほわぁっ!?」

 ともすれば、一真は素っ頓狂な声を上げて振り向き。そうしているとエマは「ふふっ……♪」なんて微笑みながら何歩か下がると「冗談だよ、冗談っ♪」と、わざとらしく首を傾げてみせながら、微笑んでそう言ってきた。

「じょ、冗談……?」

 当惑する一真の、忙しなくあちらこちらに走り回る視線の動きを眺めながら、エマはまた小さく頬を綻ばせ。そんな戸惑う一真の傍にまた近寄ってくると、今度は一真の手を取り、ぎゅっと握り締めてきた。

「まあ、冗談はさておいて。ほら、早く行こうよカズマっ。一日は長いようで短いからね、急がないと終わっちゃうよっ!」

「おわっ!? ――――分かった、分かったから! エマ、走るな! 転ぶ! 転ぶって!」

 手を引きながら、唐突に小走りで走り始めたエマの手で強引に引っ張られながら、転びそうになりつつ一真は慌てて声を上げる。するとエマは「大丈夫!」と一瞬振り返って、

「カズマが転んじゃうよりも早く、僕が連れてっちゃうんだからさ!」

 もう一度首を傾げながら、ぱぁっと明るく笑みを浮かべて――――そうやって、エマは一真を桂川駅の構内に引き連れていった。

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