Int.51:アイランド・クライシス/夏夜雨嵐、孤独な夜に影法師ふたつ①
「…………起きたか、一真」
眼が覚めた一真が重い瞼をゆっくりと開けば、背景に見えるのは薄暗い洞穴の天井。雨の音がまだ鳴り止まない中、傍らに置いた携帯ランタンの淡い暖色の明かりに照らされながら、一真の顔をじっと見下ろす瀬那の顔が、目覚めた一真が真っ先に視た光景だった。
「ここ、は……?」
まだまどろみの中にある意識で、一真がうわ言みたいに掠れた声でそう呟けば、瀬那は「まだ、眠いのか?」と小さく微笑みながら、そんな一真の額にそっと沿わせた手で肌を撫で、前髪を軽く掻き分ける。
瀬那の華奢で長い指が滑るように撫で、いつもより少し冷えた体温が伝わると――――そうしてから、一真は自分が置かれている状況と。そして今に至るまでのおぼろげな記憶を、やっと取り戻した。
「そうか、俺たち……遭難、しちまったんだったな」
「そう大げさなものでも、ないのだがな」
フッと小さな笑みを浮かべながら瀬那にそう言われている内に、どうやら自分は彼女の膝に頭を預けている格好なのを一真は知る。硬くもなく、それでいて柔らかすぎず。そんな心地良い感触に身を委ねながら、一真は今一度、軽く瞼を閉じてみた。
「もう、夜か」
「うむ」一真の額を撫で続けながら、瀬那が静かな声色で頷く。「よっぽど疲れておったのだな。其方、随分長く眠っておったぞ」
「らしいな……っ痛てて」
瀬那に相槌を打ちながら一真は起き上がろうとしたが、しかしそこにきて、今まで忘れていた左脚の痛みが響いてきて。一真は思わず顔をしかめると、そのままもう一度瀬那の膝に頭を戻してしまう。
「無理をするでない。まだ治っておらぬのだ、痛んで当然であろう」
諭すように瀬那に言われて、一真はなんとなくバツが悪そうに視線を逸らしながら「悪い……」と呟く。
「ふふっ……」
そんな一真の反応がおかしかったのか、瀬那は自分の膝の上に頭を置く彼に視線を落としながら、小さく頬を緩ませた。
「なっ、何がおかしいんだよ瀬那」
「いや……。其方の反応が、少しばかりおかしかったのでな。許すが
「ったく……」
誤魔化すようにぷいっとそっぽを向けば、瀬那はまた小さく笑い。後は相変わらず一真の髪を瀬那がくりくりと指先で撫で続けるだけで、それっきり二人の間に言葉は交わされなかった。
携帯ランタンの淡い明かりが照らす洞穴の中に聞こえるのは、相変わらず激しく打ち付ける雨音のみ。外はもう陽が落ちて真っ暗だというのに、しかし雨足は一向に衰える気配が無く。寧ろ、自分が意識を失う前よりも強くなっているんじゃないかと、そんな雨音に耳を傾けていた一真は思っていた。
「……雨、止まないな」
「うむ」ボソリと呟いた一真に、瀬那が小さく相槌を打つ。「この分だと、救助が来るのは明日になりそうだ」
「だな。――――ったく、今日はここで寝泊まりする羽目になるってか。なんてこった……」
至極参ったような顔で一真がそう毒づくと、瀬那はまた「ふっ……」と小さく笑い。ふとした時に洞穴の外へと視線を流してみれば、降りしきる雨を眺めながら、ポツリと口を開いた。
「そう嫌な気はせぬがな、私は」
「マジかよ」
疑るような視線で一真が言えば、瀬那はフッと笑いながら「
「とはいえ、独りでは些か嫌な気はする。――――が、今は其方が此処に
さも当然のような顔で、いつもの涼しく凛とした顔でそんなことを言われてしまえば。どうにも小っ恥ずかしくなり、一真は「ったく、ホントによ……」なんてぶつぶつと呟きながら、またそっぽを向いてしまう。
「其方は、私を護ってくれるのであろう?」
しかし、瀬那はそんな一真の反応を敢えて意に返さず、続けてそんな風に問いかけてきた。
「……今更、野暮なこと聞くなよ」
そんな瀬那の投げ掛けてきた問いかけに、一真はそっぽを向いたままでそう返す。すると瀬那は小さく微笑みながら「……左様か」と頷いて、
「であるのならば、私は何処であろうと構わぬ。一真、其方が共に居てくれるのならば、私は何処であろうと構わぬのだ」
ぷいっとそっぽを向いたままな一真の髪を、そっと指先で撫で続けながら。瀬那はそう、何処かぶっきらぼうな調子の彼を見下ろして、凛とした声色でそう告げた。
「…………そうか」
すると、一真も小さく、ほんの小さく頬を緩ませる。それから先、二人の間に会話はなく。ただ遠くの雨音を聞きながら、ただ安穏とした
――――そんな時だった。遠く、洞穴の入り口に微かに響いた、草を掻き分ける物音を一真の耳が捉えたのは。
(まさか――)
「――――ッ!」
一瞬にして血相を変えた一真は唐突に起き上がり、瀬那を自分の背中に隠すようにしながら、壁際へと這っていく。左脚が痛むが、今はそれどころじゃない。
「かっ、一真っ!?」
「今は黙ってろ!」
驚き、当惑する瀬那を無理矢理黙らせながら、尚も一真は瀬那を隠しながら這い続ける。その途中で地面に放っていたMP7-A1サブ・マシーンガンを拾い上げると、片腕で銃把を握るソイツの安全装置を親指で弾いて解除。セレクタをフル・オートまで持って行きながら、物音のした方へと銃口を向けた。
「一真、一体何が……」
「分からん! ――――だが、もしかしたら……!」
焦りの中、言葉足らずな一真の口振りで、しかして暗黙の内にそれを理解した瀬那もまた、一真の背中に身を隠されながらごくり、と息を呑む。
「まさか、こんなタイミングで……!?」
有り得ない話じゃない、と一真は驚く瀬那へ背中越しにそう呟き返しつつ、油断なくMP7サブ・マシーンガンを洞穴の入り口に向けて狙い定めていた。今までの、眠気の残る瞳が嘘のように。サブ・マシーンガンを構える一真の眼光は、鷹のように鋭く研ぎ澄まされていた。
(問題は、敵の数――――)
手にしたMP7の弾倉容量は二十発。この格好じゃ予備の弾倉にはとても手が届かず、しかし予備のグロック17自動拳銃はといえば、こういう時に限って装具セットごと遠くに放ってあった。
つまり、一真は手持ちの二十発だけで敵を退けなければならないのだ。とはいえこの暗闇の中で、そう上手く当てる自信は無い。しかも、間が悪く今の自分はこんな脚になってしまっている。動けない身体な上、洞穴という袋小路。さて、この状況をどう切り抜けたものか――――。
そうして一真が加速する思考の中で一瞬の思案を巡らせている内に、ガサゴソと、今度は確かな音を伴ってまた、何かが
生い茂る木の葉を掻き分けながら、地に落ちた枯れ枝をパキポキと踏み割りながら。その気配は、確かな存在感を伴って一真たちの潜む洞穴の方へ迫ってくる。
「……瀬那」
ひどく低い声色で一真が呼びかければ「な、なんだ一真」と、落ち着かない様子の声で背中の瀬那がそう反応する。
「イザとなったら、俺がアイツらを引き付ける。その隙に君は、自分の装備の所まで走れ。――――出来るな?」
「しかし、それでは一真が……!」
一真の身を案じてか、その提案を呑もうとしない瀬那だったが、しかし一真は「瀬那、良い子だから聞いてくれ」と彼女を諭し、
「俺は何としてでも君を護らなきゃ、瀬那を護らなきゃならない。分かるな?」
「だが、それでは……!」
「いいから、ここは黙って俺の言うことを聞いてくれ。
――――装備を無事に確保出来たら、サヴァイヴァル・ガンを拾ってソイツを撃ちまくれ。あわよくば、二人とも無傷で切り抜けられるかもしれない……。出来るな、瀬那?」
「…………」
それに、瀬那は迷うように一瞬押し黙ってから。しかし決意を固めると、「……心得た」と力強く、しかし何処か不安げに頷いた。
「後は神頼み……か」
そう言いながら、一真は伸ばしていた人差し指を、MP7の引鉄に掛けた。
パキポキと枝を踏み折りながら、蠢く影が近づいてくる。眼を凝らしながら一真は「よーし、良い子だ。そのままこっちに来い……」と無意識の内にひとりごちながら、気配のする方に狙いを定めた。
そして、遂にその影が姿を現すと――――。
「っ……!」
その瞬間に、引鉄を引きかけた一真だったが――――しかし、シアが落ちる寸前で指を離すと、そのまま安全装置を掛けてMP7を地面に降ろしてしまう。
「ったく、驚かせんなよ……」
胸を撫で下ろしながら、しかし大げさすぎるぐらいに肩を竦めた一真の視界の中に映る、その影の正体。それは――――小さな小さな、単なる兎だった。
どうやらあの物音は、偶然通りかかってきた兎が立てていたものらしい。はぁ、と大きく溜息をつけば、完全に杞憂に終わったせいで妙な疲労感を一真は覚えてしまう。
どうせだから、このまま引っ捕まえて食料にしてやろうかとも思ったが、それはやめた。まだ携帯食料も十分すぎるぐらいにあるし、その必要は何処にもない。単なる、腹いせにすぎないだろうと思い、一真はその考えを頭の外に弾き飛ばす。尤も、こんな脚ではどうしようもないのだが……。
「……拍子抜け、だな」
「全くだ……」
ふふっと軽く微笑みながら言う瀬那に、ひどく疲れた声音で一真が言い返せば。どちらのものとも知れない腹の虫がぐぅ、と鳴り、そして釣られるようにもう一方の腹の虫もぐぅと鳴ってしまう。
「「…………」」
思わず、二人は背中越しに互いの顔を見合わせる。すると何故だかおかしくなって、二人揃って「……ぷっ」と噴き出してしまい。そうすれば、あれだけ張り詰めていた緊張感は弛緩しきって、まるで何処かに吹き飛んでいってしまった。
「…………
「だな。今日は随分と、貧相になっちまうけど」
「贅沢は言えぬ。――――其方の分も取ってくる。少し、待っておれ」
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