Int.22:白狼と影、二人の想いは蒼穹の彼方に
「…………暇?」
そして昼休みが訪れ、今日はどうしたもとかと一真が思い悩んでいた、丁度そのタイミングだった。スッとどこからともなく現れていた霧香が、そんなことを訊いてきたのは。
「おわぁっ!? い、いきなり出て来ないでくれよ……」
あまりに突然視界の中にヌッと現れた霧香に、一真は素っ頓狂な声を上げて驚きながら全力で飛び退く。胸を撫で下ろしながら「心臓に悪すぎるぜ、全く……」と呟く一真を見ながら「ふふふ……」と霧香はまたいつもの妙な笑い方をし、
「また……お昼、どうかなって思ってね…………」
そう言いながら、傍らに提げたコンビニ袋を彼の方に軽く掲げてみせた。
「お、おう……」
混和しつつ一真は頷きながら、その提案に乗っかるか数秒思い悩む。
(瀬那は昨日の一件で西條教官と話に行ってるし……。なら、いいか)
その数秒間でそう考えた一真は、一瞬の間を置いてから「分かった、付き合う」と彼女の提案に乗った。
「それにしたって、またあんパン山盛りじゃないだろうな?」
「ふふふ……それは開けてみてのお楽しみ…………」
「なんだそりゃ」
相も変わらず掴み所の無いことばかりを口走る霧香に辟易したような大げさな手振りをしてみせながら一真は言い、そのまま彼女に連れられる形で昼休みの教室を出て行く。
そうして、連れて来られたのはやはり屋上への入り口。鍵の掛かったそこに辿り着くなり「てってれー……ニンジャ秘密道具ー……」なんて言いながら、しかしその言葉とは裏腹に何処にでもあるレザーマン製のブライヤー型マルチツールを取り出せば、ドアノブの前に膝を突いてしゃがむ格好で始めたのはやはりピッキング。
「毎度毎度こじ開けて、ご苦労なことだ……」
「……案外、簡単。このタイプのシリンダーなら、ヘアピンでも、出来る。今度、一真にも、教えてあげようか……?」
「お互い、気が向いたらな」
なんて言葉を交わしている内に、既にドアノブの不法解錠は完了し。マルチツールを懐に戻しながらしたり顔で立ち上がった霧香がドアノブに手を掛けると、屋上に続く扉は難なく開いてしまった。
錆びた
「暑っついな、オイ……」
一歩踏み出た途端に一真に降り注ぐのは、直上の太陽から差し込む強烈すぎる夏の日差し。妙に不快な湿気を孕む空気のせいでやたらと蒸し暑く、しかも校舎のコンクリートから照り返しまであるものだから、一真はたった一歩を踏み出しただけで自分がまるでサウナの中か、さもなければ鉄板の上にでも乗っかっているかのような錯覚を覚えてしまう。
とはいえ、この高さだけあって風の吹き込みも激しく、肌を激しく撫で前髪を揺らす夏風だけは、一真の味方だった。ひゅうっと吹き抜ける風が頬を撫でるだけで、不快極まりない熱気が多少は和らぐような気がする。
そして、二人が当然のように登るのはその更に一段上。屋上と校舎内とを繋ぐドアと踊り場の直上にある、貯水塔が立つ盛り上がった場所だ。夏の陽光に焼かれ熱したフライパンみたいになったステンレスの梯子に苦労しつつそこに登れば、吹き込んでくる風は一層激しいものになる。
「…………ご開帳ー」
毎度の如く貯水塔を背にし二人並んで座り込めば、手品の種明かしでもするかのような口振りで霧香が例のコンビニ袋を引き寄せてくる。
「んで、中身は?」
一真が覗き込もうとすると、「ふふふ、焦らない焦らない……」と言って焦らす霧香。
「俺も腹減ってんの。何でも良いから、そのパンパンの袋の中身をだな」
「しょうがないにゃあ……」
「何がにゃあ、だ何がっ!」
妙な口振りの霧香に、思わずツッコんでしまう一真。どうにも霧香が相手だと妙に疲れるというか、疲労が白井を相手にする時の三割増しぐらいだ。
だがまあ、別に嫌な疲れというワケではない。いい加減霧香の扱いにも慣れてきたし、これはこれで彼女の個性と見れば、中々に良いモノ……なのか?
(ま、癖の強すぎる奴には間違いないけどさ……)
内心で呟きながら一真が苦笑いをしていると、遂に霧香はひた隠しにしていたそのコンビニ袋の中身を開いてみせた。
「…………じゃじゃーん」
「おっ、今日は旨そうなあんパン――――って、結局またあんパンじゃねーかっ!!」
そして、その中身が袋いっぱいのあんパンだったせいで。一真は思わずズッ転けそうになりながらそんなことを口走る。
「あんパン、とても良い文化……」
訳の分からないことを呟きながらサッとそこから一袋を霧香は取り出せば、さっさと包装を破くとあんパンにかぶりつく。
「毎度毎度、付き合わされる度に山ほど食わされる身にもなって欲しいな……」
至極参ったように肩を竦めながら言い、一真も諦めてそのコンビニ袋の中からあんパンを一つ引っ張り出した。開封して出てくるのは、勿論あんパン。丸っこく焼き上げられたパンの上にちょこんと黒胡麻が乗り、中身は粒餡オンリーな、いつも通りのスタンダードな奴だ。
「はむはむ」
そんな風にあんパンを頬張る霧香を横目に見ながら、一真も手元のあんパンをかじる。それがまた妙に旨いもんだから、これ以上は文句を言えない。
「…………一真」
その最中、霧香があまりに唐突に呼びかけてくるものだから、一真はあんパンを咥えたままで「ん?」と反応する。
「昨日は、瀬那が世話を掛けたみたいだね……」
「――――っ!?!?」
ともすれば霧香はそんなことを言ってくるものだから、あまりに驚いた一真は思わずあんパンを喉に詰まらせ掛けてしまい、悶絶する。
「慌てない、慌てない……」
いつもの具合でそう言いながら霧香が差し出してきたペットボトルのお茶を喉に流し込むことで、一真は何とか事なきを得た。「――っぷはぁ」なんて声を上げれば、大きな溜息と共に激しく肩を落とす。
「ったく、突然何言い出すんだよ霧香……」
「これを言う為に、今日は誘ったんだけどな……」
「あ、そう……」
疲れたような顔でぶっきらぼうにそう頷けば、一真は落ち着こうともう一口、ペットボトルのお茶を煽る。決して冷たくはない、どちらかといえば
「悪いな、話の腰折っちまって。――――それで? 昨日のどうのこうのってのは、やっぱり……」
「……うん」霧香が小さく頷く。「帰ってから、瀬那の相談に乗ってくれたみたいだから……」
「聞いてたのかよ、アレ」
「……盗み聞きするつもりは、なかったんだけどね…………。瀬那の様子が変だったから、心配で見に忍び込んだら、出くわしちゃった…………」
――――どうやら、昨日何故か風呂場に入ってきた瀬那との一件は、知らぬ間に忍び込んでいたらしい霧香に全部筒抜けだったようだ。
ともすれば、赤っ恥もいいところな一真は頭を抱えるしか出来ない。すると霧香は「ふふふ……」とまた笑い、
「私の
「あ、そうですか……」
きっと安心させようと言ったのだろうが、しかし深く抉られたこのハートがそんな軽い一言で回復するはずも無く。心ここに在らずといった具合で、生気の無い声色で一真は頷くことしか出来ていない。
「それにしても、やるね一真。見直したよ、色んな意味でね…………」
「う、うるせーやいっ! ありゃ不可抗力だ、不可抗力っ!」
全力で霧香の方に振り向いた一真がそう言うが、しかし霧香は「気にしない、気にしない」といつもの調子で言えば、
「男の子なんだから、あれぐらいの度量は、あって然るべきだよ……。て言っても、一真の場合は女っ気、多すぎるけどね……」
「好きで多くしてるワケじゃないっての!」
「……今の、白井が聞いたら、本気で泣くと思うよ……?」
確かに、と思ってしまったのが悔しい。
「……とにかく、瀬那のことは、ある程度は一真に任せるよ。前にも、こんなこと言った気がするけどね……」
「言われなくても、そのつもりだ」
霧香のそんな言葉に、一真は力強く頷いた。
――――ああ、今更言われなくてもそのつもりだ。覚悟はとうの昔に出来ている。その為に俺は銃を取り、剣を取ったのだから……!
無意識の内に、一真は右腰に隠し帯びるホルスターに差さるグロック19自動拳銃の銃把に、右手を沿わせてしまっていた。万が一の時はこれを抜き、躊躇なくブッ放すだけの覚悟は、もうとうの昔に出来ているつもりだ。
「前にも言ったけど、私ひとりじゃ、やっぱりどうしても限界があるから、さ……。
でも、一真が協力してくれるなら、私としても、心強い限り…………」
「そこまで、使いものになるとも限らないけどね」
ははは、と苦笑いしながら一真が言えば、霧香は「それでも、良い」と言い、
「勿論、いざとなったら、瀬那の為に戦って欲しい。――――けど、私が一真に求めるのは、どっちかっていうと、精神的な支え、かな」
「精神的な……?」
うん、と霧香は頷き、反芻するように訊き返した一真の問いを肯定する。
「私は、瀬那にとって、あくまで従者でしかない。けど、一真は違う。対等な立場の、瀬那にとってハッキリした異性の一真なら、もしかしたら、瀬那の支えになれるかも……って。そう、思ってるんだ、私は」
「…………」
その言葉に、一真は黙って耳を傾けていた。黙ったまま、少しばかり思案を巡らせてもいた。
「…………俺には、やっぱり良く分かんねーや」
すると、一真は頭上の空を仰ぎ見ながら、そんなことを口走る。
「分かんねーけど、分かる。何となく、分かる気がする……かな?」
続けて一真がぼんやりと呟けば、霧香は「ふふっ……」とまた小さく笑い、
「一真は、それでいいよ……」
と、彼の言葉に答えるようにそう、呟いた。
「――――瀬那が、一真を
同じように空を仰ぎながらそんなことをひとりごちた霧香に、一真が「えっ?」と彼女の方に振り向きながら訊き返せば。しかし霧香は一真の方に顔を向けないまま「……ううん」と首を横に振り、
「――――…………ただの、独り言」
いつもの調子で、霧香はそう呟いた。
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