Int.31:桜吹雪、遅咲き桜に忍ぶ影

 瀬那に腕を引かれるまま、平安神宮を離れた二人は右京区にある仁和寺にんなじへと赴き、高くそびえる五重塔を仰ぎつつ、丁度時期が合い満開となっていた境内の桜・御室桜おむろざくらの花びらが吹く桜吹雪の中を歩いていた。

「ここの桜は遅咲きと聞いておったが、まさか丁度今が満開とはな」

 隣をゆっくりとしたペースで歩く瀬那の言ったそんな一言に、一真も「だな」と同意する。

「俺たちの士官学校、始まるの遅かったから。だから、桜の時期は諦めてたんだけどさ」

 この仁和寺の御室桜は、桜の名所を数多く抱える京都に於いて最も遅咲きなことで知られている。背丈の低い桜が二百本近く立ち並ぶ景色は壮大で流麗。何処か風情があり、名所とはまさしくこのような所を言うのだろう。

「左様であったか」

「瀬那は、俺よりもうちょっと早かったんだもんな」

「うむ」参道の端で立ち止まり、腕を組みながら桜を仰ぐ瀬那。

「其方よりも幾らか早かったはずだ。その頃には士官学校近くの桜もまだ多少残っていたのであるが」

「あはは、俺が来た頃にはもう、全部散って葉桜になっちゃってたや」

「では、これが其方のこの地で見る、最初の桜ということか」

「だな」

 その時、ぶわっと一際強い風が参道を吹き抜けた。

「うおっ」

 風の中で舞い散る桜吹雪に押され、一真が咄嗟に顔を避けた時、眼に映ったのは――――。

「…………」

 桜吹雪の吹く中、動じることなくその場にただ佇み、片手を腰に当てながら仰ぎ見る――――そんな、瀬那の横顔だった。

(ああ、全くずるいぜ)

 舞い散る桜吹雪の中に佇む彼女の姿はあまりに画になっていて。腰に差した大小二本の刀のせいもあってか何処か浮世離れしたような、しかし確かな存在感を以てそこに佇む瀬那の立ち姿は……ずるいほどに、画になりすぎていた。

「む? どうした一真、ぼうっとしよって」

 そんな瀬那に、一真はいつの間にか眼を奪われていたらしく。自分の方をじっと見たまま動かない一真の様子を変に感じた瀬那に話しかけられるまで、一真は完全にその場で固まってしまっていた。

「……っと、いやいやなんでもねえ。うん、なんでもないって」

「おかしな奴だな、そんなに私に見とれておったのか?」

 ふふん、と明らかに冗談めかした顔で、腕組みをした瀬那がこっちを向きながらそんなことを言い出す。しかし一真は、

「っ……!?」

 それが冗談だと分かっていても、一瞬だけ真に受けてしまって。図星を突かれたのだと思ってしまって、再び硬直してしまった。

(しまった)

 しかし、もう遅い。絶対に顔が紅くなってんだろな、なんて心の中で悔やみつつ瀬那の方を見ると、

「む……」

 なんて風に、目を逸らした瀬那もなんだか頬が紅くなっていた。

「だ、黙るでない。何か申さぬか、たわけめ……」

「すっ、すまん! つい」

 ――――つい、見とれてた。

 そう言いかけて、ハッとした一真は滑り掛けた口を慌てて閉じる。しかしそれは却って逆効果だったようで、変に勘ぐったような瀬那はぷいっとそっぽを向くと、

「もうよい、概ねは心得た。皆まで言うな」

 と、話を強引に切り上げてしまう。

「――――全く、ずるいではないか。其方という奴は……」

 その後、一真に背中を向けた瀬那は小さく、本当に小さく、囁くようにそうひとりごちたのだが、当然一真の耳には聞こえていなかった。





 それから仁和寺を出た二人は、先刻京都タワーで出会ったハイヤー運転手に紹介して貰った仁和寺近隣の豆腐料理屋で昼食を摂り、その後で「ここまで来たゆえ、ついでだから」という瀬那の提案で、少し離れた所にある龍安寺りょうあんじまで腹ごなしを兼ねて歩いて向かうことにした。

 その龍安寺内にある石庭せきてい、白砂を敷き詰めた中に大小十五個の石を置いた方丈庭園ほうじょうていえん――――かの有名な"龍安寺の石庭"であるが、瀬那は縁側の板の間に正座をしそれに正対しながら、独りその石庭を望んでいた。

「――――霧香、どうせるのであろう」

 一真は今、手洗いを借りに行っている為にこの場には居ない。その隙を見計らって瀬那が顔を動かさぬまま、表情を変えぬままに何処いずこかへ小さく呼びかけると、

「…………」

 旅行者のバックパッカー風の、帽子を目深に被った若い女がどこからともなく現れると、瀬那の後ろで彼女と背中合わせになるようにスッと座った。

「先程から、妙な気配を感じておる」

「……尾行、多分、手練れ」

 瀬那がやはり顔を向けないまま小さな声で囁きかけると、背後のバックパッカー風の女は何処か聞き慣れた少女の声で瀬那に囁き返す。

「綾崎の者か?」

「……分からない。ただ、家の連中がここに来るとは、思えない」

「左様か……。では、何者か?」

「……申し訳ない、私にも分からない。ただ、可能性として考えられるのは……」

「――――楽園エデン派、敗北主義のあの者たちか」

 コクッ、と後ろの女が頷く気配がする。

「……辻褄は、合う。奴らにとって、綾崎の人間は、邪魔だから」

「で、あろうな。…………相分あいわかった。して霧香よ、尾行を撒くことは出来そうか?」

 後ろの女は少し思い悩んだように数秒沈黙すると、

「不可能、じゃない。……でも、難しいかも」

「左様か。……概ねの現状は心得た。もう下がっていぞ」

 瀬那がそう言うと、後ろの女は何事も無かったかのように立ち上がろうとする。だが瀬那は「待て」と呼び止めると、

「……この間は、すまぬことをした。頭に血が上っていたといえ、其方には些か言い過ぎておった。現に私はこうして、其方に助けられておる」

「…………気にしないで。家を飛び出してきた瀬那が私に怒るのも、無理ない」

「しかし」

 瀬那がもう一言何か言いかけた所で後ろの女はそれを制し、

「……いいから、気にしてない。これ以上は怪しまれるかもしれないから、私はこれで」

 と言って、今度こそその女――――変装した霧香は何事も無かったかのように立ち去っていってしまった。

「ふぃー……」

 そうした頃合いで、まるでタイミングを見計らったかのように丁度一真が戻ってくる。すると神妙な横顔の瀬那を見た一真は「ん? 瀬那、どうした?」と怪訝に思い声を掛けるが、瀬那は「少し物思いに耽っていただけだ、気にするでない」と言う。

「して、一真よ。この後は如何様いかように致すのだ?」

「うーん……。相変わらずだけど、特に予定は無いかな」

 あはは、と笑いながら縁側で瀬那の隣に腰を落としながら一真がそう言うと、瀬那が「ならば」と言って彼の方を向き、こんな提案をしてきた。

「少しばかり、私に付き合ってはくれぬか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る