Int.19:虚構空間、少年は幻影の戦場へ④

 スラスタを吹かし、飛び上がった一真機。彼が見下ろすのは、前方に波のように広がる文字通り敵の大群。地上を這うグラップル種は不気味な瞳でこちらを睨み、敵勢の後方に展開するアーチャー種は前方上空の一真機に向け、対空射撃を叩き付けてくる。

 視界の端に走る、被弾警告表示。地上のアーチャー種が放つ対空砲火の一部が着弾し機体の装甲を跳ねる音が、シミュレータ上の合成音声ながらリアルな感覚を伴い一真の鼓膜を揺さぶってくる。

「一真! 敵にはアーチャーも居る、飛びすぎであるぞっ!」

「分かってる!」

 苦い顔の瀬那の言葉に頷きつつ、一真は機体が両手に持つ20mm口径・93式突撃機関砲を構えさせた。砲口が睨むのは眼下、無数に広がる幻魔の群れ、その後方――――。

「うおおおおッッ!!」

 雄叫びを上げながら、一真は両手に握る操縦桿のトリガーを引き絞った。

 視界いっぱいに広がるモニタの中で、強烈な閃光が何度も何度も瞬いては弾け飛ぶ。万有引力の法則に従い重力に引かれ降下を始めた≪新月≫が両手に構えた93式機関砲が、眼下に広がる幻魔の群れに向けて大量の20mm砲弾をバラ撒き始める。

 幻魔の頭上から、文字通り豪雨のように降り注ぐ無数の20mm砲弾。皮の薄い装甲車程度なら難なく撃破してしまうような砲弾の嵐を浴び、眼下の幻魔たちは一真が動かす射線に沿ってその身体を粉々に砕け散らせていく。

 20mmに身体を引き裂かれたグラップル種の破片が飛散し、血の雨が緑生い茂る丘を真っ赤に汚す。身体の小さなソルジャー種は砲弾が傍を擦っただけで跡形も無く血煙と化し、肉片一つ残さず消滅する。

 仮想現実とは思えない程に、幻魔が吹き飛ぶ様はモニタの中でリアルに再現されていた。あまりに現実的すぎて、吐き気すら覚える。敢えてここまでリアルに作り込んであるのは慣れる為なのかもしれないが、それにしたって意地が悪いと一真は思う。

 思いながら、一真は下方へ向けて背中のスラスタを吹かした。逆噴射の要領で少しだけ減速し、スラスタを切った≪新月≫は重力に身を任せ、その両脚を仮初の地面に叩き付ける。高度に再現された着地の振動で、一真と瀬那を乗せるシミュレータ一番機が大きく揺れた。

「っ……!」

 着地した時の衝撃が予想以上だったせいで油断し、身体を大きく揺さぶられた一真は小さく歯を食いしばってそれに耐える。

「一真、前だっ!」

「くそ……っ!」

 瀬那に警告され、一真は慌ててバック・ブーストを吹かし全力で後ろに下がる。すると今まで一真の≪新月≫が立っていた場所を、着地の隙を狙っていたらしいグラップル種の豪腕が切り裂いた。一歩間違えればあの豪腕が脇腹に直撃し、コクピット大破で撃破判定を喰らっていたかもしれない……。

「すまん瀬那、助かった!」

「言ってる場合ではない、次が来るぞ!」

 足裏で地面を削りながら着地し、両手の機関砲を構え直す一真の≪新月≫。

「アーチャーは後方だ、周囲はグラップルが七割! 接近にだけ注意するがよい、一真!」

「分かった!」

 瀬那のアドバイスを頭の片隅に置きつつ、一真は両手の機関砲の砲口をそれぞれ別の砲口に向けて放った。

 砲口から閃光が瞬き、突撃機関砲から大量の空薬莢が吐き出される。横薙ぎに放たれる機関砲弾は音速の槍となり、射線が横に動くと共にそこに居た大量の幻魔を文字通り薙ぎ払う。

 ――――だが。

「っ!? 弾が……!」

 弾が、出ない。

「馬鹿者、弾切れだ!」

 瀬那に言われて視界の端の網膜投影ウィンドウを見れば、両手の機関砲の残弾を示すゲージが左右共に"0000"となっていた。

「しまった……!」

 慌てて一真は機関砲の空弾倉をイジェクトし、新しい弾倉を突っ込ませようとロボット・アームを動かさせるが、

「いかん、一真――――!」

 弾切れの隙を突き、一気に距離を詰めてきたグラップル種が、いつの間にかすぐ目の前にまで迫っていた。

「っ……!」

 赤茶けた気味の悪い色の身体が、すぐ目の前にある。生理的嫌悪感を覚えるほどに気色の悪いギョロッとした巨大な双眸が≪新月≫を、その中に匿われた一真すらもがじっと睨まれているような感覚に襲われる。

 ブルッと、身体が震えた。グラップル種のあの眼に睨まれ、無意識の内に手が震える。あくまで仮想空間上での出来事と分かっていても、例え撃墜されても死にはしないと思っていても。しかし身体はそれを理解せず、強烈な恐怖感と共に小刻みな震えを起こし始めた。

「畜生……!」

 ――――ここで、やられるのか。

 それは、嫌だ。例えこれがシミュレーションでの訓練だとしても、それは嫌だ。これがもし現実の戦闘なら、これから確実に死んでしまうのだ。

 仮に自分だけだったとしたら、もしかすれば諦めていたかもしれない。しかし今、自分の後ろには瀬那が居る。彼女まで巻き込んでしまうのは一真にとって許容出来ることでは無い。例えそれが、幻想めいた仮想上での出来事だとしても――――。

「くそぉぉぉッ!!」

 破れかぶれに叫びながら、一真は≪新月≫に両手の機関砲を投げ捨てさせる。既に新しい弾倉を引っ掴んでいた背中のロボット・アームが、慌てて引っ込んでいく。

(この距離じゃ、対艦刀は間に合わない……――なら!)

 そして腕の裏側の鞘から00式近接格闘短刀――TAMS全機に標準装備されている緊急用のコンバット・ナイフ――を射出し、それを両手のマニピュレータで逆手に握り締めた。

 だが、既に目の前のグラップル種はその強大な腕を振りかぶっていて。一真が奴の懐に飛び込み短刀で切り裂くよりも、あの豪腕が≪新月≫目掛けて振り下ろされる方が圧倒的に早いだろうことは、誰の目から見ても明らかだ……!

(間に合わない、のか……!?)

 どう足掻いても、例えスラスタを全力で吹かしても間に合わない。それを自ずと気付いた一真が諦めかけていた、その時だった。

「っ!?」

 豪腕を振りかぶり、今にも一真の≪新月≫を叩き潰さんとしていた目の前のグラップル種が――――その胴体を、袈裟掛けに裂かれたのは。

 バサリ、とグラップル種の二分割された身体が力なく崩れ落ちる。奴の姿が足元に消えた視界の中、そこに立っていたのは。

「霧香、か……!?」

『…………』

 ――――血にまみれた対艦刀を左手に携える、オレンジ色の訓練機カラーに染められたTAMS。霧香の操る機体が、そこに佇んでいた。

「霧香……」

 後席の瀬那が、小さく呟く。すると霧香はそれを意に介してか介さずでか、機体の頭部メイン・カメラを一真機の方に向けながら『……大丈夫?』と囁きかけてきた。

「あ、ああ……。お陰で助かったぜ、霧香」

『……ん』

 視界の端に映る霧香の顔が小さく頷いたのを一真が見るや否や、霧香機は踵を返してスラスタを吹かすと、地を這うように滑走し敵陣の方へと突っ込んでいった。

「あっ、おい霧香っ!」

 単独で突撃していく霧香機の背中に一真が呼びかけるが、

『…………私が先行して、攪乱する。そっちは、討ち漏らしを』

 霧香はそれだけを一方的に告げ、片手に突撃機関砲、片手に対艦刀という格好で敵陣の中に飛び込んでいった。

「くそっ、どうすりゃいいんだ……!?」

「とにかく、今は味方と合流することが先決やもしれぬ。一真よ、白井たちの機は何処いずこだ?」

 冷静な声色を崩さない瀬那に言われ、一真は白井/ステラ機を探し周囲に視線を這わせる。しかし、

『うわあああああ!?!?』

『こんの馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!』

 一真の眼に映ったのは250mほど右方、幻魔の死体に足を引っ掛けたらしく仰向けに転倒した白井の≪新月≫が、丁度グラップル種の大群に群がられている光景だった。

「ああくそ、白井の野郎……!」

 そんな白井機を一真は助けに入ろうとするが、しかし瀬那は「待て」とそれを止めてくる。

「なんでだ!?」

「よく見てみるがいい。アレは手遅れだ、もう助からぬ」

 言われて注意を払ってみると、確かにデータリンクで網膜に投影されている白井機のステータスは大破状態で、群がるソルジャー種たちにコクピットも食い破られている。あれでは確実に撃墜判定、そして現実ならば生きたままソルジャー種に喰い殺されているだろう……。

「……らしいな」

「であろう」

 瀬那が頷くと、『白井機、撃墜判定』と西條の声が通信で割り込んでくる。

『とほほほ……』

『何やってんのよ、この馬鹿! 馬鹿!』

 落ち込む白井を顔を真っ赤にしたステラが責めている光景を最後に、白井/ステラ機とのデータリンクが切断。彼ら二人の顔が、視界の端から消え失せた。

「はぁ……。どうやら」

「うむ、其方だけで霧香の援護をする他にあるまい」

 小さく溜息をつきながら、一真は≪新月≫の腕裏部の鞘に近接格闘短刀を戻させる。その後で機体の足元に落ちた93式突撃機関砲を拾い上げ、再び両手のマニピュレータで銃把を握らせた。弾倉も新しい物と交換し、20mm機関砲弾を再装填しておく。

「……仕方ない。瀬那、もう少し迷惑を掛けさせてくれ」

「心得た」

 再装備した≪新月≫の背部スラスタを吹かし、一真は先行する霧香の後を追って機体を滑走させた。

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