金色烏は冥府を翔ける
水居舞
第1章 夜色の宿命
第1話
目の前の子どもはまだ目覚める気配はない。膝を抱え込んで、小さな身体を丸めて眠っている。その周囲には、銀色の光が包み込んでいた。
眠る少年の表情がはっきり見えるくらいにまで距離を縮めると、すとんと腰を下ろした。少女は彼に触れることはないが、熱心に見つめる。
少女は赤く上気した頬と、輝きをたたえた銀の瞳で、愛しげに柔らかく微笑んだ。
膝を抱えてぶかぶかな布にくるまりながらいくらか経った後、空気が変わった。少年の纏う光が薄れ、かすかに瞼が震える。
少女は両手を広げて、少年の目覚めを出迎える。ふわりと少女の腕の中へ降りてくる存在を抱きとめた。
少女のぬくもりが伝わったのか、ついに少年の金の瞳がゆっくりではあるが意志を見せ始める。まだ状況を把握できていないようで、ぼんやりと周囲を見回す様は頼りない。
「こ、こは……?」
「おはよう」
焦点の定まらなかった金色がさまよった後に、少女の姿を捉えた。
「だれ……?」
少年からの問いかけに少女はふわりと微笑んだ。その笑みは少年が思わず息をのむほどのまばゆさで慈しみにあふれたものだった。
「わたしの名前は――。お前の家族だよ――」
少女が少年に手を差し伸べ、少年が少女のその手を取ったとき、二人は家族になった。
「姉さん、またずる休みですか?」
草原に寝ころんでいると、叱られますよと弟の咎める声が頭上からする。
朝の光を浴びながら瞑想中だった
緩やかに揺れる金の髪。意識を取り戻しつつある瞳の色は銀。成長後が楽しみだと誰もが語るだろう顔の造形をしている。
なにやら夢を見ていたような気がするが、瞬きを繰り返すうちに内容は霧散してしまったようだ。
「別にそういうわけじゃない。自習してただけ」
頭の上の方からは更に呆れたため息の音がする。しかし、追撃がないところを見ると、説得は早くも諦めているらしい。
弟が隣に腰を下す気配がしたので、金烏は上体を起こした。
「いいのか、
可愛らしい唇から紡ぎ出される言葉はいささか乱雑な印象を受ける。
女子にあるまじき口の悪さだと周囲に眉を顰められているが、金烏本人には直す気がない。
「ぼくは優等生ですので。ちょっとの休憩くらい大丈夫です」
子どもらしい生意気なすまし顔で玉兎は答えた。聡明さがにじむその顔は金烏と瓜二つだ。容貌の相違点といえば、彼が持つのは銀色の髪と金の瞳ということくらいだ。
お互いを姉、弟と呼んでいるが、しっくりくるから定着したというだけで、それが正解かは定かではない。
自分たち二人にはこの屋敷に引き取られる前の記憶がないのだ。
身寄りのない孤児だったと聞かされてはいるが、どうにも実感がわかない。野垂れ死にしなかったのだからとても幸運だ、と口々に言われるのは納得しかねる意見だ。
そんな不透明な経緯を経て二人はここで知識と技術を与えられている。この屋敷は
一般的な知識すらも喪失していた彼らに、この世界がどういう場所なのか最初に教えられた。
冥界。死せる者が最後にたどり着く場所。罪なき者には安らぎを、罪深き者には裁きを下す、そんな場所だ。
そして、廷原衆とは、冥府に君臨する十の王、彼らを統べる閻魔王を陰から支えてきた者たちだという。
だから、彼らの助けになることはこの上ない名誉なことなのだと、教師たちは口をそろえて言う。早く一人前になって、あの方たちの役に立てるようになりなさいというのが、もっぱらの口癖だ。
金烏にしてみれば、こんな迷惑な話はない。あいつらの力になりたいとはこれっぽっちも思えない。どんな功績があるのか知らないが、威圧的な態度で上から抑え込もうとする連中のためになど何もするものかという気さえする。
玉兎のほうは誰が与えた知識かはあえて気にせずに、単純に学べることを喜んでいるようだ。そのこと自体に不満はない。もしどちらかを「処分」するとなったら、どちらを残すか分かりやすくていいだろう。
隣に座る姉の心境を知ってか知らずか、玉兎は呑気なものだ。
「二日後にお城に連れて行ってもらえるでしょう? 無茶していると置いていかれますよ」
玉兎の言葉で思い出した。要は顔見せだ。引き取ってからまだ二年と経っていない自分たちに何とも性急なことだが、彼らは二人を中枢に食い込ませたいらしい。ご苦労なことだと皮肉の一つも言いたくなる。
とは言え、屋敷の外に出るのを禁止されている身にとっては初めての外出だ。
「わたしにとっちゃあいつらの思惑なんざどうでもいいが、留守番を食らうのは面白くないな」
「でしょう? だから、今日は真面目に勉強しましょうよ」
ね? と甘える声とともに、差し伸べられた手に金烏は苦笑して素直に従った。自分ではどうせこの弟に逆らえるはずもないのだから。
**
玉兎の誘いで授業に参加したものの、結局全く身が入らなかった。
いつもの教官役の男が額に青筋を立てているのが見えたが、優等生を演じるつもりのない金烏にとっては大したことではない。
上の空のまま、ふと自分たちのこれからについて考えた。このままでいくと、将来は廷原衆の肝いりで閻魔庁入りを果たし、奴らの駒として使われることだろう。おそらく一生。
(勘弁してほしいな)
そうなる前に何とか手を打たなくては。そのためには二日後の行動も考える必要がある。
まずは廷原衆の息のかかっていない人物に接触する。確率は低いだろうがやるしかない。自分のみならず弟の未来がかかっている。
さてそれでは、早速今後の方策を練ることにしよう。
授業が終わった後、金烏は図書館に籠ることにした。目的は城の見取り図だ。立ち入りを制限されているわけではないので、すんなり部屋に入ることができた。高い位置に取り付けられた窓から夕陽が差し込んでいる。
元々授業に出なかった時間はここに来て知識を得ていたこともあって、どこにどんな書物があるのか大体把握していた。
玉兎もついてきているが、離れた場所で自分の興味のある書物をめくっている。弟にはこの計画を打ち明けるつもりはない。失敗したときのことを考えると、連座して罰を受けることになりかねない。できればそんな事態は避けたいものだ。
「……あった!」
当たりをつけていたせいか、目的のものは簡単に見つかった。こんなものがあるのは問題ではないかと思うのだが、この際気にしない。早速机に広げて位置を確認する。
流石に持ち出しは不可能なので、各部署の位置、そこまでの道のりをできる限り頭に叩き込む。もとより記憶力がいいのが幸いしてさほど苦労せずに済む。
「よし、これでなんとか」
必要最低限の情報を詰め込んで元の場所に戻した。後は、各所の派閥の確認か。それはここでは知りようがない。
「調べ物は終わりました?」
同じく読み終えた玉兎が側に寄ってきた。
「ああ」
何気ない風で答える。返事が短いのは余計なことを言って勘ぐらせたくないからだ。
いつの間にか日は落ちかけていた。とんと軽やかに椅子から降りる。
「もうそろそろ夕餉の時間だな。行こうか」
図書室からでて食堂に向かう。日が落ちて廊下は蝋燭の灯で薄暗く照らされていた。暗さに若干顔をしかめた金烏だったが、背後に付き従う玉兎には見られないで済みそうだ。
「今日の晩御飯なんでしょうね。あっ干し杏があったら、ぼくにくださいね!」
心なしか弾む声の玉兎。金烏と大差ない身長だというのに、胃袋はそうでもないらしい。小柄な体に似合わずよく食べる彼にとって、食事は大切な楽しみの一つだ。
「いいよ、あげる」
ちゃっかり好物をねだる無邪気な弟に苦笑しながら約束した。
「その代わりに、桃まんだったら姉さんにあげます!」
玉兎の喜ぶ顔は見ていて心が和む。この笑顔が曇ることのないように、どんなことをしてもここから逃げる、その決意を新たにした。
それからまもなく廊下の終着点である食堂に着いた。
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