20-5
倉庫をあとにするお爺様の丸い背中を見送ると、全てが終わったことに安堵して私は泣いてしまった。
彼はどうにかして私を抱きしめようとするのだけれど、折れた腕がすぐに垂れ下がってしまって、うまくできないと苦笑いを浮かべる。
「あのさ、悪いんだけど、骨、固定してくれないかな?」
目を擦りながら彼の両腕の折れた部分の位置をアイテルで修正した。
笑い声を出して痛がる無謀な人の顔を見つめていると、綯い交ぜになった感情の全てが一つの思いの色に染まって、無意識に彼を抱きしめていた。
「おお、痛い。でも、気持ちいい」
「……メイルのばか」
彼は私が泣いている間もずっと笑い続けていた。
その声が涙声に変わっても、必死になって笑い続けてくれた。
彼が笑い続ける限り、私の涙は止まらなかった。
「お前を守れて、本当によかった」
「また、迷惑かけちゃったね」
「なあに、お安いご用さ」
「どうして来てくれたの?」
「嫌な予感がした。それで、医療室を飛び出してきた」
「輸血は? 大丈夫だったの?」
「シンクに頼んで前もって採血していたんだ。こういうことがあってからだとなにかと不便だろうと思ってな」
「もう、格好よすぎるんだよ。君ってやつは」
「レインには怒ってやったぜ。どうしてお前とロルを残したんだってな」
「あ」
「どうした?」
「また忘れてた」
視線を移すと、そこには後頭部をさすっているロルがまだいた。
起き上がった直後と思われる彼と目が合うと、まるで夢と現実を混同しているかのような表情をして目をしばたたかせていた。
「あれ? メシアスさんがいる。おかしいな。俺はなにをしていたんだっけ?」
私達は目を覚ましたばかりのロルの邪魔にならないように、そっと空き倉庫を出た。
しばらく歩いていると、空いた扉の向こうから部屋の惨状に気づいた男の悲鳴が聞こえてきた。
医療室に行くと、元気に動き回るスクネちゃんとキャジュが迎え入れてくれた。タデマルはまだ意識が朦朧としている状態だったのでまともに話はできなかったが、顔を見合わせると控えめの自慢顔が返ってきたのでひとまず安心した。命にも別条はないとのことでキャジュもすっかり笑顔を取り戻していた。
私とメイルはいつもの定位置に足を組んで腰掛けるレインにお爺様のことを話した。後始末については彼女が引き継いでくれるということなので素直にそうしてもらうことにした。軽く頭を下げると、レインは小さな溜息を吐いた。
「とうとうカウザが本気で動きはじめた。そんな感じよね」
「ロルさんも言っていました。あれが大量に押し寄せてきたら、私、どうしたらいいかもう分かりません」
「今回は侵入捜査用といったところでしょうけれども、戦闘に特化した場合の能力判別は機械兵よりも困難になりそうね。いずれにしても、あなたには少し準備が必要だと思うわ。あれを機械の一種として受け止めるまでのね」
メイルはスクネちゃんに手を引かれてキャジュのいるほうへと行ってしまった。私を庇ったことで折れてしまった両腕の骨はほとんど元通りに修復しているみたいだった。
私はライジュウの一件から浮上した新たな葛藤に、足首を掴まれて動けなくなっていた。
「……私、戦うの、やめちゃ駄目ですか? なんだかみんなに迷惑がかかりそうな気がして、すごく怖いんです」
「あなたがどうしてもと言うのであれば、それでも構わないわ。けれど後悔はしないようにね。戦争はどちらかが勝つまで続くものなのだから」
「……はい。よく考えてみます」
シンクライダーが黄色い液体の入った容器を手渡してきた。ありがたく受け取り湯気の立ったそれを口に含ませると、少し塩気を感じて不意を打たれたが少し気持ちが和らいだ。
「しかしタデマル君も、粋なことをしてくれましたね」
「ちょっとだけ見直しました」
「実はですね。ここだけの話ですけど、彼、キャジュ君のこと結構気に入っているみたいなんですよ。今朝も彼女に説教されたことを嬉しそうに語っていましてね、満更でもないといった顔をしていました」
「それで私へのちょっかいがなくなってくれると助かるんですけど。ほんと、迷惑しているんです」
「今朝あなたが医療室を出た後、彼はうなだれていましたよ。すっかり自信をなくしてしまったようで、後悔しているとも言っていました。レシュアさんに言われたことが相当効いたのでしょう。ですから、もう心配はいらないと思います」
「複雑な気持ちですけど、タデマルさんが無事でよかったと思っています」
「あなたのその優しさに、彼は惹かれたのかもしれませんね」
「……今日のところは、褒め言葉として預かっておきます」
「そうですね。あまり期待をせずに窺っていきましょう。キャジュ君の気持ちというものも尊重したいですからね」
「シンクさん、知っていたんですか?」
「ええ、僕と彼女は機械弄り仲間ですから。話はいろいろと聞いていましたよ」
スクネちゃんと戯れるキャジュの笑顔がなんとも健気で可愛らしかった。
タデマルに興味があると聞いた時は正気を疑ったのだが、今では彼女を心から応援したいと思っている。
今の自分がここに立っていられるのは、周りにいる人達の笑顔があってのことなのだと再認識した。メイルだけがいてくれれば自分の世界が成り立つと思っていたのは間違いであることを、今日の彼らが気づかせてくれたのだった。
やはり、人との関係を捨てることはそう簡単に諦めてはいけないものなのだとあらためて痛感した。
「スクネ、キャジュ、すまないが俺はそろそろ農作業に戻るよ」
「忙しいなら私も手伝いに行くぞ。なあスクネ」
「うん。スクネ、つちあそび、だいすき」
「おいおい、遊びに行くんじゃないんだ。それにキャジュはもう少しタデマルの側にいてやれ。こいつの動力源がいなくなったら機能を停止してしまうかもしれないぞ」
「それは困るな。よし、それなら私とスクネはここで留守番だ。お前もこいつが元気になったらお礼しなくちゃいけないからな」
「わかった。たでまるにありがとうする」
「うんうん、いい子だ。とういうわけだ。土遊び頑張ってきてくれ」
「だから、遊びじゃないんだって」
仲間達に挨拶をして私とメイルは医療室を出た。今日の残りの時間は彼の側にいようと決めていたので、嫌がる彼を強引に説得して農作業を手伝った。
メイルは土寄せという作業を任されて私は除草をした。担当地帯の作業が終了したときには午後の六時が過ぎていた。
洗浄場で汗を流して二人きりの食事を楽しみ、いつものように自宅に帰ると玄関の扉を閉めるなり彼に抱きつかれてしまった。
「へへへ。なんか、意外な展開だ」
「たまにはこういうのも、悪くないだろ?」
「うん。たまにじゃなくても、全然いい」
二人で一緒に目を閉じて、互いを探り合うように唇を重ね合わせた。
一つになっているという喜びが、私を形のない存在へと変えていく。
そしてもっと、彼の存在を知りたかった……
「ねえ」
「なにも言うな。今日はもう、言葉なんかいらない」
「うん。……よろしくね」
優しく時間をかけて接してくれる彼からは、私に対する愛情の全てが正直に注がれていた。
時折おぼつかなくなって笑う彼の八重歯はもう控えめなそれではなく、私の心を穏やかに、情熱的に満たしていく。
そしてこの繋がりは、忘れられない夜として私の記憶に強く刻まれたのだった。
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