第4話
楡浬が4階から出ようとすると、『ブー!』というけたたましい警戒音が出されて、帽子を被った男性店員が駆け寄ってきた。表情は帽子の鍔で見えないが、黒い影が差している。
「泥棒!!」
「ち、違うわよ。」
「でもあんた、肩にうちの商品乗せてるじゃないか?」
「ち、違うわよ。アタシは箸より重いものを持ったことがないから、ここに置いたのよ。ほら、お金払うわよ。」
「そ、そうですか。お客様でしたか。お客様は神様です、いや天使です。」
春の優しい日向のように、パーっと明るくなった男性店員。
「どっちでもないわ。悪魔なんだけど。」
小さな声で反撃した楡浬だが、店員には届かなかった。
「お客様。その商品ならば三千円頂きます。」
「こんなものが三千円もするの?」
「はあ。でも今ならワゴンサービスで、もう一体、付けさせて頂きます。お買い上げありがとうございます。」
こうして無事にフィギュアショップから脱出した悪魔楡浬。
「あんた、アタシの肩を安住の地にして生涯をしがなく終えるつもりなのね。寄生虫はゴキ●リのようにしぶとくなくて、すぐに駆除されるんだから覚悟しなさいよ。」
(そんなに邪険にするなよ。旅は道連れ、余は情けないんだからな。)
「誰が余よ!情けないという表現は至当だけど。あんたに道連れにされるなんて、御免被るわ。また死ぬなんていやだからね。」
(お前はその死をリベンジするんじゃないのか。)
「それはそうだけど。でも天使ラッサール高校ってどこにあるのかもわからないわ。」
(お前のその制服の徽章をよく見ろ。)
真ん中に酢漿草(かたばみ)のある徽章の周りには、ラッサールと書かれてあった。
「そ、そうだった。アタシの学校って、アキバのふたつ隣の鶯谷駅にある高校だったわ。復讐するは母校にありだわ。」
慌てて電車に乗り込み、ふた駅で降り立った鶯谷駅。上野の隣とは思えないような寂れた場所。駅の周辺にはいかがわしげな古いビルやホテルが乱立している。駅から五分で学校に着いた楡浬。うす汚れた校門に、『使ラッサール高校』と書かれていた。天という文字は剥がれ落ちていた。
「ここだわね。・・・学校ってどこ?小さなボロボロの校舎がひとつ。それに生徒がいる気配が全くないわ。」
(そりゃそうさ。以前は毎年偏差値最高峰の天使帝都大学にたくさんの合格者を出していたけど、今は廃校になっているからな。)
「この学校の生徒にアタシは負けたの?この学校にリベンジしようと強い思いで復活してアタシはこの学校の生徒になったのに。アタシは廃校に入学して、無自覚に通学してたってこと?」
(恐らく復活した時は肉体の再構成を優先したため、意識はほとんど回復していなかったんだろう。ゾンビ状態で通学するとか、悪魔の風上にも置けないヤツだな。)
「じゃ、じゃあ、アタシがやられた恨みを晴らすために、超絶ビッグバン大破壊したい学校はすでに存在しないってこと?」
(学校を潰すレベルには手心を加えてほしいところだが、それは置いといて、ターゲットを喪失した状態であるという事実は否定しがたいな。)
「そ、そんなあ!うわ~ん。」
人目、というより大悟目を憚らず、大粒の涙で白桃の頬を濡らす楡浬。薄暗くなった陽光でも輝く肌は悪魔的である。
(ちょっと待ってくれ。そんなに泣いても仕方ないだろう。悪魔は悪魔らしく笑っていればいいのに。)
大悟は楡浬の右肩からシリアスな視線を向けている。
「何言ってるのよ。悪魔にも感情はあるんだから。どうしてわざわざ復活してきたと思ってるのよ。復活までに受けてきた屈辱も知らないくせに。死ぬよりひどい目に遭ってきたんだからねっ。アタシの死んでいた時間を返してよ。」
(死んだ者に時間の経過とかないだろう。それよりももっと現実を直視したらどうだ。)
「現実を直視?あんたを見たってなんの生産性もないわ。そんなブリーフ姿を見て何が得られるのよ。・・・は、恥ずかしいだけじゃない。」
楡浬は白いブリーフを見て、顔がみるみる真っ赤に染まり、両手で顔を覆ってしまった。
(うっ。み、見るな~!いやこれは下級天使の正装だ、・・・なんてことはあり得ず、どうしてこんな姿なのか、不明だが。そうじゃない。現実の直視とは、考え方を空想的なことから身近なものに変えるということだ。)
「どういうこと?」
両手で顔を覆いながら、指の間から右肩をのぞき込んだ楡浬。
「学校が無くなったならば作ればいい。」
(そんな漫画みたいなことできるわけないじゃない。アタシは悪魔なのよ。建設会社でもないし、文部科学省でもないわ。学校を作るのにどれだけの許認可、資金、人材集め、建築計画他賄賂も含めて諸々の手続きが要ると思ってるのよ?)
(そんなことはわかってるさ。賄賂の件は知らないけど。これでもオレは天使の端くれなんだ。力任せの悪魔よりは知恵が回るんだ。)
「なんだか、さらりと侮蔑的な言葉を吐いたわね。どっちが悪魔かわからないわ。」
(そう言うなよ。よく考えてみろ。一から作るのが大変なら、あるものを使う。それが地球環境にやさしい、もったいない精神の具現化だろう。)
「言ってることがさっぱりわからないわ。悪魔の復讐と地球環境問題にどこが関連するのよ。アタシは破壊がしたいのよ。ブレーカーズなのよ。音楽界を破壊してもいないのに、そんな名前を標榜するのは傲岸不遜としか言いようがないわ。」
(ブレーカーズファンに生卵を投げつけられるぞ。あるものを使う、それは既存の学校を使うということ。具体的には、天使ラッサール高校を廃校に追いやった天使偕成高校を奪い取って、自分の学校にするということだ。)
「はあ?天使偕成高校を乗っ取りすることの、どこが復讐になるのよ。」
(人、いや天使の話は最後までちゃんと聞け。天使偕成高校を自分のモノにしたら、その次がある。)
「何よ。もったいぶって。悪魔は人間に忠実な犬とは違うのよ。」
(いや、むしろここは心を犬にしてオレの言葉に忠誠心をあけっぴろげにすべきだ。裸になるんだ。)
「直球のセクハラだわ!変化球も覚えないとプロでは通用しないわよ。」
(オレはスライダーが得意なんだ。・・・って、そうじゃない。次の段階で、学校を天使ラッサール高校に変えてしまえばいい。そして、復興を遂げたら天使ラッサール高校を思う存分、破壊しまくればいい。ブレーカーズどころか、クラッシャーズになれるぞ。)
「ブレーカーズとクラッシャーズって、どこが違うのよ。それに自分で学校を乗っ取って、それを壊すって、復讐と少々違うような気もするけど。」
(そんなことはない。悪魔の本懐が破壊にあるならば、時間をかけてゆっくりと復讐するのはいいことではないか。その方が復活するのに耐えてきた苦労が報われるというものだ。あっさり終わってしまうのは消化不良になること請け合いだ。人生は太く短くというのは、昭和のもの。高齢化社会では、細く長くが、生き方の基本だぞ。)
「どことなく詐欺商法的なニオイがするのは気のせいかしら?」
(天使が言うことは常に正しいんだ。お前は悪魔だから理解が遅いだけだ。オレについてこい。復活してきて来たことを心の底からよかったと思わせてやる。)
「でもなんか、すごく遠回りだわ。冷凍食品みたいに、レンジでチンして終了みたいなことできないの?」
(そう簡単に行くか!それにあっさり終わったら、つまらないだろう。)
「ええ?時間かけるのって、人生の貴重な時間の浪費になるんじゃないの。エコ精神に反するわ。」
(じゃあ、一気に世界を破滅させるか。やり方がないわけでもないけど。)
「相手をじっくり倒すというロマンがあんたにはないの?」
(さっきからそれを言ってるじゃないか。)
「まあいいわ。半信半疑スタンスを維持しながらやっていくわ。」
(めんどくさいヤツだ。巨岩が重くのしかかる未来が見えるぞ。)
「何か言った?曇った空気が淀んで見えたけど。」
(曇りは常に淀んでいるぞ!)
こうして、ブリーフ姿の最下級天使を乗せた悪魔が誕生した。目的は天使への復讐である。
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