妃乃里と買い物⑪

「確認って……どうすんだよ。あなたは男ですか?女ですか?って聞けばいいのか? ……いてっ」


 横からデコピンをくらった。

 実際はおでこじゃなくて頭の右上あたりなのだが、そういういうときは何ピンというのだろうか。


「奏ちゃんのバカ~。もし女の子だった場合、そんな風に言われたら傷つくに決まってるでしょ~」


 そういうものなのか。こういう姉からの女に対する指導が積み重なって、姉を持つ弟たちは女心の扱いを学んでいくのだろうか。


 一般的に言われている、「良い旦那を捕まえたければ姉を持つ男を狙え」という格言じみたものがあるが、実際こうやって女心を学びつつ、一方で日ごろから姉のダメさを目と鼻の先で見ていると、いろいろ思うところがあるというもの。女にあらぬ幻想を抱かないというやつだ。ただうちの三姉妹に関しては……どう男たちに売り込めばいいのか。幻想を抱かないどころの騒ぎではなく、手のかかる子供みたいなものだからな。相当な世話好き、奉仕好きの人でない限り、幸せを感じることはないだろう。


 この間なんか深夜に携帯で部屋に呼び出されたと思ったら、「トイレに行きたい」と言い始めやがった。それはつまり、抱っこして連れて行けという意味を含んでいることは容易にわかるようになった自分がそこにはいた。抱っこして連れて行き、便座に座らせ、もうあとは好きにすればいいように仕立て上げ、俺は外で待っていたわけだが、いつまでたってお音沙汰がないため中を覗くと、そこで寝ていやがったりするわけだ。まあそれは妃乃里ではなく、結奈でもなく、意外にも沙紀なのだが。普段しっかりしている分、寝ているときにその反動でかなりの甘えが発生するときが結構ある。夢遊病の一種なんじゃないかと思うが。なんせ朝になると覚えてないのだから。もしかしたら覚えているけど覚えてない振りをしているのかもしれないが。だとしても、その振りはなんのメリットがあるのだろう。


 とりあえず、今はそんなことよりこの状況をどうにかしないとだな。


「じゃあどうしろってんだよ」


「もっとこう……なんだろう。こう普通に話してたらペロッと自分から話しちゃったりするじゃない?人って。そんな感じよ」


 問うに落ちず語るに落ちると言いたいのか。そんな感じって言ったって、下着屋にいづらい人がどんな顔してこのフィールドの主と仲良く話すことができようか。ただでさえ男の俺が女性専門下着売り場にいるっていうこと自体に居づらさを感じているのに、俺を異物に思っているかも知れない、早く店内から排除したいと思っているかもしれないその店員と会話しろと?ネタはなんだ。話のネタは。



 ……やっぱ下着ネタかな。


 そのまま「今どんな下着を着てるんですか~?」とか聞けば話は早いんじゃないか?女は女性用下着を着ける、男は男性用下着を着けるというのが基本だろ。


 ……基本があるなら応用もあるか。これは考えていてもきりがないことだ。


 しかしもし仮にそんなことを聞いてしまったらもう最後。終わりだ。もうこの店には来れまいよ。お縄につく可能性だってある。そんな強靭なハートを俺は持ち合わせていない。


「女の子がよくやってそうなこととか~、男の子ならではのあるあるとか~、いろいろあるじゃない?」


 女の子あるあるって何だ。「小さい頃何して遊んだ?」「お人形さんごっこ~」とかか?


 確かにお人形さんごっこはうちの三姉妹もしていた。結奈は真っ赤なマントを羽織った海賊の人形、沙紀は自分で作ったてるてる坊主。妃乃里は有名どころの外国人の女の子をモデルにした人形を何種類か持っていたが、結奈にばらばらにされ、そして変に連結され、一つの体から三つも四つも顔がある人形を使ってよく遊んでいた。

 展開はいつも同じで、結奈の海賊人形が妃乃里の多顔人形をさらい、そこを沙紀のてるてる坊主が助けに来て海賊と立ち向かうという流れだ。結果は、いくら海賊が修行して新しい技を身につけようとも、明らかに海賊に有利な展開であっても、最終的には強引にその人形を動かしている人物、つまり結奈にのしかかり沙紀が勝つというのを俺はその遊びの中心から見ていた。

 中心というのは物理的な意味だ。俺が率先して人形遊びに参加していたのではない。三人に囲まれて、その円の中心に俺がいて、三人は俺の体の上をフィールドにして遊んでいた。姉たちが力を入れて人形を操れば、その分俺のボディに被害が及ぶわけだ。


 ……つまり、うちの人形ごっこに'あるある'なことはない。なんの参考にもならない。

 たとえ幼い頃に人形遊びをしていたかと店員に聞いて、していたという返事が返ってきたとしても、だからと言ってあの店員が女だということにはならない。たいていの質問が断定することはできないはずだ。憶測の領域を出ることはない。


 じゃあ、どうすればいいんだ。


「でもさ、妃乃里ねえ。俺、一応メンズやらせてもらってるんだけどさ」


「うん。一応ね」


 そこ言い直すポイントか?


「ここ、女性専門の店じゃん? 男の下着なんて一切無いわけよ。そんな中、'一応'男であるこの俺が店員と仲良く世間話をするなんていう堂々とした態度なんてとっていいのかなぁって」


「ん~お姉ちゃん、奏ちゃんが何を言ってるのかよくわからないけど~……じゃあいいの?お姉ちゃんが男の子に~、おっぱいをみーっちり、ねーっちり測られても。いいの?」


 ここぞとばかりに胸を寄せて上げる妃乃里。とりあえず、弟相手にその上目遣いは必要ないと思う。


 だいたい、こういうところの店員はおっぱいとおしりのプロなんだから大丈夫だろ。

 ってか、普通に考えて女だよ!店員!

 男だったら大変だわ。社会問題に発展するわ。きっと。


「男の子にお姉ちゃんのおっぱいを見られて、触られて、時には揉まれて……いいの?それで」


 なぜ店員が妃乃里のおっぱいを触られることについて俺に善し悪しを問いただされているのかよくわからないけど、少なくともやっぱ店員が男だった場合は良くはないのだろう。そんなことあるわけねーけど。


「奏ちゃんが測ってくれるのがいいかなぁ。いいんだろうな~」


 測れねぇ。。。どこを測ればいいかさっぱりわかんねーよ。今度覚えるか。おっぱいに最適なブラを着けることは結構重要って聞くし。でも測り方が分かったところでこのおっぱいにはこのブラがいいみたいなフィッティングなんてできねーぞ。それも覚えなきゃいけないのか?


 ……ちょっと待て。こうやって女性下着屋の男性店員は形成されていくんじゃないのか?俺、下着屋店員まっしぐらなんじゃないかこれ!店員への第一歩踏み出してるんじゃないかこれ!!!……いやだからそんなことあるわけないから。


「っていうか、奏ちゃん、毎日お姉ちゃんのおっぱい触ってるんだからサイズなんてわかるでしょ?!」


 なんでよりによってその台詞を一番でかい声で言うんだよ!!!


「触ってるとか人聞きの悪いことをそんな堂々と言うな! 洗ってるだけだろうが!」


 俺は妃乃里が暴走しないように、抱き寄せて妃乃里だけに聞こえるように小声で言った。


「なんでもいいけどさ~。どうする?」


 ……こういうときの俺の選択肢は一つに決まっているのだ。姉との会話をトレースし、そこから必然となることを言うのがベストなのだ。そうではないことを言うと、違う方法でそのベストに近づけられるか、不機嫌になるか、だ。つまり、今回のベストアンサーは決まっている。


 妃乃里から顔を離して、ボソッと言う。


「……店員と話してくる」


「いってらっしゃ~い」


 こうして満面の笑みの姉は生まれるのだ。


 さて、何をどう話せばいいのだ。どう切り込めばいいのだ。


 少し止まって考えていると、後ろでカーテンを開ける音がした。

 振り返ると、妃乃里が下着いっぱいの籠を持って試着室に入ろうとしていた。

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