一応、無意識らしい

「茜ー、トイレ行こうぜー。……って、あれ……茜がいない」


 放課後、姉川の呟きを間々田の耳は拾った。なにかいやな予感を感じ、彼は慌てて席を立とうとするが、折悪くクラスメイトの波が彼の進路を塞いだ。


「ね」


 姉川の声にぐいと間々田の肩が引かれる。


「間々田ぁ、茜知らない?」

「……山田ならさっき三年の男子に連れてかれてたぞ」

「なに? さては脅されてるな……?」

「いやなんでだよ」


 どうしてすぐそういう発想に持っていけるんだよ。間々田は呆れた表情を隠さずに溜め息を吐く。


「ほら、山田って外見だけ見れば可愛い部類だろ?」

「なに? 茜のことそんな目で見てたわけ? キモ……」

「なんでだよ!? 俺は客観的立場に基づいた意見をだな……」

「あーはいはい。それで? 茜が可愛いのと三年の男子に呼び出されたのと、どう関係があるわけ?」


 ……ツッコミ待ちか? 間々田は思わず、疑うような視線を姉川に向けてしまう。

 彼の視線の先で姉川はなにも考えてなさそうな顔で机をぱしぱし叩いていた。


「ほーらー、黙ってないで教えろよー」

「……あ、なるほどね」


 間々田は得心がいったように頷く。

 それの意味がわからないことが気に入らなかったのか、姉川は不満げに彼の頭を叩いた。


「痛っ。……え、なんで? なんで今叩かれたの俺?」

「そんなことどうでも良いからさー、早く茜がどこにどうして連れていかれたのか教えろよー。わたしがトイレ行けないだろー」

「いや、勝手に行けば良いだろ……」


 間々田が小さく呟くと、姉川は愉快そうに笑い、間々田の爪先を踵で踏みつけた。


「あっだ!」

「早くしなよ」

「いやだから、告白されてるんじゃないなかなってことだよ」

「なに? 茜誰か殺したの?」

「……んぁ? なんでそうなった?」

「なーんてね」


 なんてねじゃねえよ、意味わかんねえ。間々田は叫びたくなるのを堪え、机に突っ伏した。


「しっかし茜がねー。とうとうわたしも独り身かー」


 なにがとうとうなのだろうか。


「……て言うか、告白されてるとは限らないだろ。俺の推測だし。もしかしたら、委員会か部活の連絡かもだぞ」

「茜はわたしと同じ帰宅部の生徒会だよ」

「マジかよ……」


 こんなおっさんみたいなやつらが生徒会かよ、終わってんな。


「……ね、見に行こうぜ」


 そう言って間々田に顔を寄せる姉川は、悪戯好きのする表情を浮かべていた。

 彼女の穢れない純真さを伴った仕草に間々田はどきりとさせられるが、すぐに思い直して冷ややかな視線を姉川に向ける。


「は?」

「だから、告白されてる茜をからかいに行こうぜって」

「いや、そんなこと言ってなかっただろ」

「意訳だよ」


 意訳にしても、やめてやれ。などと思っても、間々田は口にしなかった。

 普段弄られてる仕返しに、こちらが弄ってやるのも悪くない。そんな悪い考えが、間々田を姉川の言葉に頷かせた。


「よっし。さあ、どこへ行ったか教えたまえ」

「えーと、確か旧校舎の三階だったかな」

「どこそこ」

「……実習室あるところ」

「あー、あの汚い建物ね」


 元本校舎だぞ。


「早く行こうぜ、遅れちまうよ!」


 そう言うや否や、姉川は間々田の学生服の首襟を掴んで小走りで駆け出した。


「おい、ちょっと!」

「ほらほら、遅いぞー」


 身長差から、中腰気味で走らされる間々田を彼女が気にする様子はない。

 間々田は周囲の視線に対して嫌なものを感じながら、旧校舎に連行された。




「ところで間々田ぁ」

「なんだよ、声落とせよ。部活中のところもあるんだぞ」

「いーよそんなの」

「えぇ……なんだこの生徒会役員様は……」

「そんなことより、なんで茜のことそんなに詳しかったんだよ。まさかやっぱり、茜のことをそう言う目で……」

「なんでだよ!?」

「声落としなよ」


 指摘され、間々田は慌てて口を両手で塞ぐ。それを姉川に笑われ、間々田は疲れたように肩と一緒に手を下ろした。


「……俺が伝言役だったんだよ」

「へえ、偶然かな? それとも最近茜とつるんでる間々田に牽制かな?」

「多分偶然だろ。朝教室に入ろうとしたら呼び止められただけだし」

「ふーん……」


 姉川は相変わらず面白がるような目付きで間々田の顔を覗き込む。


「……なんだよ」

「別にー? そんなことより、もうすぐ3階だぜ。えっへっへ……」


 悪い顔だなぁ。などと他人事のように考えている間々田も相当悪い顔をしていることに、姉川は若干引いていた。


 図らずも、二人して相手の人相の悪さを確認し合っていたためか、彼等は上階から降りてくる人影と足音に気が付かなかった。


「あれ、アネさん……と、間々田じゃん」

「あ、見つかっちゃった」

「早い」

「は?」

「ひえっ」


 山田は間々田を一睨みし、姉川に顔を向ける。


「なに? 私がここに呼び出されたって間々田から聞いたの?」

「さてー、なんのことやらー」


 今更隠しても意味ないだろ。


「はあ……、まあ、間々田に期待した私が間違ってたよ」

「なんだよ、悪かったな」


 間々田の反省の色がない言葉を受け、山田は侮蔑するような視線とともに彼の頭を平手で叩いた。


「あっだ!?」

「これで許してやるよ」

「えぇ……」


 山田の言動に不満を隠しきれない間々田に、姉川はいたずらっぽく笑いかける。


「お? 足りない感じ?」

「なにが!? て言うかその手怖いからやめろ!」


 両手の指をわきわきと運動させる姉川から間々田は逃げようとするが、しかし彼は階段の半ばで姉川と山田に挟まれて立っている。

 下手に逃げようとすれば思わぬ事故に巻き込まれることを察し、間々田は大人しく姉川の両手首を掴み上から抑え込んだ。


「あ、ちょっ……茜ー」

「あいよー」

「おい馬鹿やめ――!」


 人が転がり落ちる鈍い音が、一拍置いて発せられた悲鳴に掻き消された。

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