第七話 シェン討伐 -前編-
「お役に立てましたか?」
にっこりと微笑むベイルローシュに、サシェは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。とても助かりました」
ベイルローシュは満足げに頷くと、雨音に負けない声で会話を続けた。
「私がこの不祥事の責任を取るはめになることは、目に見えていますからな。少しでも名誉を挽回しておきたいところです。今の指示には、どういった意味が?」
サシェは、長引いている甲板の戦闘を見据えたまま答えた。
「ベッケルの計画は失敗しました。あのノートリアス・モンスターは、こんなところで暴れる予定じゃなかった。おそらく搬入中に、箱のどこかに穴でもあいたんでしょう」
サシェが国務代行代理を呼び捨てにしたことを、ベイルローシュは責めなかった。
「ベッケル殿の怪しい行動については、以前から密かに調査が進められています。彼もそれに気づき、王立騎士団には警戒しているようで――本来なら騎士団長が務める親善大使の任に、私のような下っ端を起用したのもそのためでしょう」
贈り物の箱から出てきた魔物を前にして、情報提供を惜しまなくなったベイルローシュの言葉にサシェは感謝した。
リタ家でベッケルが、ミサヨに玄関先で見張らせて警戒し、“やつら”と呼んでいたのは王立騎士団のことだったのだろうと思い当たる。
ベッケル支配の元、王国関係者がすべて敵にまわったように感じていたサシェには朗報だった。
「それで箱に穴があいていたとは、どういうことですか?」
話の先を促すベイルローシュ。
ジークと呼ばれた戦士の吐く白い息の間隔が、ずいぶん短くなっていた。
ベイルローシュとサシェが立つ後部プロペラ台。
そこへ上がる広い階段に腰掛けて尻尾を揺らしていた女シーフが、戦闘を見つめたまま、ゆっくりと腰を浮かせた。
その表情に、最初の余裕は見られない。
「えぇぇ、何なん? あの能力……」
モンクの打撃に、戦士の斬撃――それらすべてのダメージから高速に回復するノートリアス・モンスターの姿があった。
冒険者側に疲労が蓄積し、攻撃間隔が広がるにつれて、魔物の回復量が目立つようになってきていた。
「あのノートリアス・モンスターは、カムリナート大公の居る大公宮内で目覚める予定だったはずです。そのように調整されたダメージを与えられて、箱に詰められた」
ベイルローシュも、いつの間にか無傷になった魔物を見て唖然とした。
「やつの名は、“シェン”。水のある環境では、驚異的な再生能力を発揮するプルガノルガ島のノートリアス・モンスターです。箱に穴があいていたのだろうと言ったのは、そういうことです。この雨の中では、やつは無敵だ……」
女シーフが、甲板の出口に立ったままのミサヨに叫んだ。
「ミサヨ、何してん? アンタのど派手な黒魔法で沈めてや。ふたりともヤバイでっ」
ミサヨは黙ったままだった。
その表情が青ざめて見えるのは、雨のせいではないだろう。
「あとは頼む」
そうつぶやいた白魔道士の頭上に光の玉が輝き、甲板の上が白く暖かい光に包まれた。
〈
魔力が尽きた白魔道士の、一日に一度だけ使える奥の手だ。
ほぼ同時に戦士とモンクがシェンに挑発を仕掛けたが、巨大なムチと化した触手が狙ったのは、たった今もっとも不愉快な行動をした白魔道士だった。
その巨体が、プロペラ台の下にいる女シーフのところまで吹き飛んだ。
そのまま、巨漢の白魔道士が立ち上がることはなかった。
回復魔法を重ねていた彼は、すでに何度もシェンの注意を引きつけて攻撃を受けていたのだ。
ここまで耐えられたのは、ガドカ族の並外れた体力ゆえだろう。
「おい、ミサヨっ」
白魔道士にまだ意識があることを確認した女シーフがヒステリックに叫んだ。
だが、ミサヨには何もできない。
サシェと同様に、呪いの指輪によって冒険者レベルを制限されているからだ。
レベル15以下の魔法では、かすり傷ひとつ与えられないだろう。
そのことを知っているのは、どうやらサシェだけのようだった。
回復役がいなくなったパーティの末路は、火を見るよりも明らかである。
残された客と船員の運命も同様だ。
ベイルローシュの声が震えた。
「サ、サシェさんは、あの魔物を相手にしたことがあるのでしょう? 倒したこともあるのですよね?」
「相手をしたことは、あります。そのときは十八人で挑んで、三回全滅して逃げ帰りましたけどね」
そう言うとサシェは、呪いの指輪から白いパールをもぎ取って捨てた。
そして、胸ポケットに入れたダークグリーンのパールに意識を集中する。
集中したサシェの意識に、リンクスシェル名が見えた。
LS: Black-Lightning
ダークグリーンのパールに意識を集中したことで、リンクスシェル会話が次々とサシェの意識に流れてきた。
それは通常の会話とは別に、
ザヤグ: ミサヨ、ドラゴーニュ城で何があった?
ラカ・マイノーム: アンタ最近めっちゃ変やん
カロココ: もうだめだ~。ザヤグ~、〈
ジークヴァルト: こりゃ、全滅だな。むかつくッ
ザヤグ: 〈
ジークヴァルト: でもよ、ザヤグの〈
ラカ・マイノーム: ミサヨって、黙ってんと何か言うてや
心に届く声に名前を感じ取れるのはリンクスシェル会話のみならず、個人間の
リンクスシェル会話では無言の時間が続いていた。
全員がミサヨの言葉を待っている。
ミサヨ: みんな……
沈黙を破って流れ込んだミサヨの意識は、悲しみに沈んでいた。
ミサヨ: ごめん、今日まで黙っていて。そのせいで迷惑をかけてしまった。実は私、もうみんなとは一緒に冒険できな……い……
甲板の出口で口元を押さえ、震えるミサヨの姿がある。
ミサヨが事情を仲間に話していなかった理由を――話を切り出せなかった理由を、サシェはようやく理解した。
低レベルの冒険者は、高レベルの冒険者と一緒に冒険をすることができない。
なぜなら、求める冒険の質が全く異なってしまうからだ。見える世界が違う。
低レベル冒険者にとって大冒険となる魔物の巣窟は、高レベル冒険者にとって通り過ぎるだけの場所。
高レベル冒険者にとってちょっとした冒険になる
一緒にいても役に立てないことは、今の状況が証明していた。
この最悪の状況を、ミサヨは自分の責任だと感じている。
サシェは手袋のすそを引きながら、シェンを見据えた。
サシェ: あとは、任せろ
それだけ言って、パールから意識を外す。
ダークグリーンのパールをつけた全員が、サシェのほうに顔を向けた。
リンクスシェル会話では驚きの声が飛び交っているが、もうサシェには届かない。
「ベイルローシュさん、私に策があります。そのために白魔道士を除く全員を客室に避難させたい」
「わかった、私がしばらく盾になろう」
そう言うとベイルローシュは走りながら、神聖魔法〈
強烈な魔法の光が全員の注目を集める。魔物も含めて。
「全員、急いで客室に避難してくれ」
ベイルローシュが叫んだときには、すでに戦士のジークヴァルトと女モンクのカロココが甲板出口へと走っていた。
彼らがすでに体力の限界を感じていたのだとわかる。
魔物の近くで倒れると、いくら白魔法の〈
プロペラ台の階段を下りたサシェは、女シーフのラカ・マイノームに「あなたも行ってください」とだけ伝え、倒れた白魔道士ザヤグのそばにかがんだ。
「すぐに起きてください、ザヤグさん。あなたの力が必要です」
ザヤグの巨躯が白い光に包まれる。
〈
ザヤグが復活するのと、ほぼ同時だった。
世界が突然の霧に閉ざされ、静寂が訪れた。
サシェの指示で少しずつ上昇を続けていた飛空艇が、厚い雨雲に突入したのだ。
実際にはプロペラの回転音はいつも通りだったし、巨大な魔物シェンの重みで異常な負荷をかけられたエーテルクリスタル機関が、不気味な悲鳴をあげていた。
それでも、まるで音が失われたかのように錯覚したのは、それだけ先ほどまでの風雨が激しかったことを意味している。
「白魔道士の俺に、何を期待している?」
復活を終えてかがんだザヤグが、ガドカ族特有の険しい容貌でサシェを見つめた。
その向こうでは、戦闘で興奮したままのシェンが攻撃目標を失い、手当たり次第に周囲の物を破壊し始めている。
その近くに倒れているのはベイルローシュだ。
彼は騎士らしく、カロココとジークヴァルトが逃げ切るまでシェンの注意を引き続けたのだった。
「〈
ザヤグの目がサシェを値踏みするように厳しく見えるのは、蘇生直後の衰弱状態のせいばかりではないだろう。
こんな非常事態にこそ人の真価が問われることを、冒険者なら誰でも知っている。
「そのときは、船員や役人たちを見殺し……ということになりますね。彼らはゲート・エーテルクリスタルを持っていないでしょう」
その答えにザヤグが頷いた。
「そうだ。一度に跳べる人数も限られる」
〈
数人を同時に瞬間移動させる白魔法である。
ただし行き先は通称テレポート岩と呼ばれる、世界にいくつかある白い塔に限られる。
そして〈
中堅以上の冒険者なら、冒険の移動手段として発見済みのテレポート岩からゲート・エーテルクリスタルを入手しておくことは常識である。
しかしテレポート岩周辺は魔物や獣人の密集地帯であり、一般人が気軽に近づける場所ではない。
「そんな結論なら、私の言葉を信じて犠牲になったベイルローシュさんに許してもらえそうにありません」
そう言って表情を緩めたサシェは、すぐに言葉を続けた。
「私が期待しているのは、あなたのガドカ族としての腕力です」
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