第二二話 高遠と諏訪の関係。歩き巫女を組織しよう。

 ■天文一〇年(一五四一年)八月 甲斐国 躑躅ヶ崎館


 真田弾正(幸隆)から、信濃(長野県)諏訪郡出兵の重要な名分になり得る情報の報告を受けたところだ。信濃南部伊那郡高遠たかとお城の高遠頼継に、諏訪郡の領土欲があるらしい。

 高遠頼継は諏訪家の分家とのことであるが、果たして武田出兵の大義名分となるのだろうか。詳しく吟味しなくてはならないな。


 ここで、おれはできる甲州透破の富田郷左衛門さんも同席させることにした。真田弾正さんもあづま衆を抱えているし、忍びを使い慣れているだろう。弾正さんから郷左衛門さんに指示をしてもらうケースもあるかもしれないし、今後、あづま衆も甲州透破の一員として甲府を本拠地にして活動してもらうほうが合理的であるから顔合わせの意味もある。

 いずれにしても、忍び衆の待遇改善や、人員増強の必要はあるだろうな。ただし、これは貧乏国の悲しいところで、徐々に改善といったところだろうね。


 それはさておき、高遠氏の件だ。優秀なあづま衆と真田弾正さんの情報を要約してみよう。高遠氏は二〇〇年ほど前の南北朝期に、諏訪本家の諏訪頼継の嫡男であり、高遠城主となった諏訪信員のぶかずを祖としている。当時諏訪神社は南朝側であり、高遠の地は諏訪領でもあり防御上重要拠点であるので、武勇に優れた嫡男信員が諏訪の地を離れ高遠を治めたのだそうだ。結局、諏訪本家は信員の弟が継ぐことになったので、高遠(諏訪)信員としては本家を弟に譲ったことになる。

 その由来のためだろうか、高遠氏は本来は本家であるとの矜持があるようで、現在の当主頼継も、本家の証ともいえる『諏訪姓』と『信濃守』を用いた、諏訪信濃守頼継と公然と自称しているとのことだ。


 諏訪領奪取に並々ならない意欲を燃やしているという、高遠頼継の正室は、現在諏訪本家当主である諏訪頼重の祖父故諏訪頼満よりみつの娘であるから、義理の叔父・甥の関係でもある。人間関係が大分ややこしくなってきたぞ。


 これまで、諏訪本家と呼んでいるのは、諏訪神社上社の大祝おおほうりを出す諏訪大祝家のことだ。大祝というのは、男子幼児を奉じた現人神といっていいだろう。

 諏訪大祝家は、祭政一致で諏訪神社周辺を伝統的に治めている。一門のショタを大祝として祭祀の頂点に奉じ、諏訪大祝家当主が領地を治める形式だな。


 諏訪の分家である高遠頼継が、諏訪郡を治める大義名分はなるほど充分あると言っていいだろう。ただし、名分があっても、諏訪郡の領民が高遠頼継を受け入れるか不明であるし、諏訪神社内での反発なども考えられるから、迂闊に乗るわけにはいかない。

 それに、武田家としてはまるまる諏訪郡を領有したいので、高遠頼継の勢力伸長は望ましくない。ここは、やはり真田弾正さんと富田郷左衛門さんの知恵を拝借してみよう。


「なあ、弾正、郷左衛門。高遠を利用して、諏訪をいただいてしまう策はあるかな?」


「左様。じきに女が戻ります。高遠頼継に近づけましょうか」


 普段あまり表情の変わらない、できる男郷左衛門さんの表情が変わった気がするぞ。


「女?」


「はっ。以前お話した女忍びが戻ります」


 ああ、そんな話もあったな。確か遠方に行っているとか言っていたくの一さんだな。どんな近づき方をするのか興味が湧いてしまうけれど、一人しかいないはずだし切り札ともいえるから危険は冒したくないよな。


「女の忍びは一人しかいないと言っていたよね? 唯一の人材を危険に晒すのは良くないと思うぞ。彼女に女忍びを育ててもらうのはどうだろう?」


「典厩様の気遣いさすがにございます。女も喜ぶことでしょう」


 確か、信玄公は歩き巫女という、巫女さんの格好をした女性に諜報活動をさせたと聞いたことがあるぞ。


「素質のある女子に忍びの技を教え込んで、巫女さんの格好をさせて諜報活動をさせるのはどうだ?」


「巫女の格好。実に名案です。他国に入るにも警戒が緩むでしょう。左様。素質のある女子でしたらどこぞでかどわかしてもよいでしょう」


 うわっ。さらっと拐かすとか恐いことを言ったね。さすが忍びだわ。


「郷左衛門、拐かすのは親のおらぬ女子にしような。さすがに気が咎めるぞ。それから金が足りぬようなら、用意するのでいつでも言ってくれ」


 親がいない孤児であれば、人助けの意味もあるぞ。


「はっ。委細承知」


 この短い返事ができる男っぽいけれど、郷左衛門さんへの頼み事が多くて無理をさせていないだろうか。


「弾正、あづま衆も甲府に呼ぶことはできないか? 忍びにも家族もいるだろうし、働きに見合う手当てをせねばな。それに見てのとおり郷左衛門以下甲州透破だけでは、手が足りぬこともあるだろうし」


「はっ。あづま衆ともはかってみますが生活は苦しいので、きっと喜んで参上するでしょう」


「ああ。頼むぞ弾正」


 特殊技術を要する人材はとても貴重だから優遇しないとね。それにきっと周りの大名や国人衆などは忍びを有効活用していないと思うんだ。爺三人衆だって戦の物見ぐらいにしか活用してなかったくらいだし。


「ええ。それにしても女忍びが有効な相手もおりますし、あづま衆にも素養のある女子を探させてみます。しかし、男に近づく技はいかなるものでありましょうかな。ぐっふっふ」

「弾正様、それはそれは、身も心もとろかす技ですよ、ふっふっ」


 弾正さんの笑い方がいつもと違ってるし、郷左衛門さんも普段と違うぞ。おれも身も心もとろかす技には興味を持ってしまうな。

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