第一〇話 念願の忍びたちを手に入れたぞ。
■天文一〇年(一五四一年)七月 甲斐国 躑躅ヶ崎館
とりあえず、信濃諏訪郡(長野県)への出兵は規定路線ということで、即出兵論を収めてはみたものの、出兵の名分を得るのが難しい。
この時代でもやはり、みんなを納得させる出兵理由というものは結構重要だからね。特に戦の後の統治の際に問題となってくる。
先に
山内上杉に佐久郡統治の確固とした名分があるかといえば、また微妙なところだけれど、北条氏に勢力を減らされたといっても、腐っても鯛の関東管領というネームバリューが強いのがまず第一番だろうな。あとは、今回簡単に降服してしまった、佐久郡の国人衆が密かに山内上杉家に出兵依頼をした可能性もあるぞ。
山梨県では、絶大な人気を誇る信玄公だが、平成のおれの時代にはそれほどは感じなかったけれども、信濃つまり長野県の人から見る信玄公はかなり微妙だったらしい。婆ちゃんは信玄公ラブだったから、口を濁していたけれど、信濃からみると、信玄公は
当然のことながら、侵略の過程では、重臣たちが欲していたような乱取りも相当数あっただろうし、占領地である信濃の内政も過酷だったかもしれない。
冷静に考えれば、今回の騒動は、佐久の国人衆が武田統治を嫌ったため生起した可能性も充分あるよな。
おれのライバルというか、『仮想敵』の上杉謙信が、史実ではたくさんの兵を引き連れて越冬する関東出兵をたびたび行なっていたのも、自国内での食糧不足を解消するための意味合いがあって、関東で乱取りして兵たちを潤わせて不満を和らげたという。当然ながら越後より貧しい甲斐でも同様に、略奪や口べらしの出兵がされてきたはずだ。
この時代だからやむを得ない面はあるにしても、やっぱり痛めつけるような戦や政はよくない。絶対に阻止してやる。英雄に暗い側面があるのは許しません。
佐久郡の国人衆だって、我が武田家に本当に心服していたら、山内上杉に必死に抵抗して、運がよければ追い払えたかもしれないだろ。
ともあれ、問題は諏訪郡への出兵名分だ。
諏訪大社は平成でも参拝者も多く有名だったし、この時代でも、いやこの時代のほうが存在感は大きいかもしれない。全国の諏訪神社の総本社でもあるし、日本最古の神社とも言われているしな。
諏訪大社は
諏訪郡の諏訪氏は諏訪大社の上社
領民からも慕われているだけに、今回の盟約違反だけを名分に諏訪に攻め入るのは、かなり無理があるので、もっと強い諏訪侵攻の名分が欲しいので頭を悩ませているんだ。
きっと情報が足りない。もっと情報があれば、よい策も見つかりそうなのだけれどな。もっと諏訪の情報が欲しいんだ。情報といえば忍びだよな。忍びはいないのか? そういえば、あまり聞いたことがないな。
「たろさ、忍びは雇っていないのか?」
「んー? 忍びぃ?」
くそ。間の抜けた返事だよ。
「ほ、ほら。物見(偵察)をしたりだな、敵城に潜入して調べたり、他国に密かに住んで偽りの風聞を流したり、左様な者たちだな」
「ああ、いるよ。
いるのなら、いるともっと早く言ってほしいです。お兄さま。どれだけ情報を得るのに苦労していると思っているんだよ。なるほど、甲斐では透破と呼ぶんだな。あー、なんかそんなこと書いてあったような気がするよ。ともあれ、忍びもとい透破さんの情報はぜひとも利用したい。
「ああ、おれが探しているのは透破だ。して、その透破はどこにいるんだ?」
「戦の物見に役立つからといって、駿河(板垣信方)と備前(甘利虎泰)と兵部(飯富虎昌)がそれぞれ抱えていたはずだよ」
全く盲点だったぞ。スルガビゼンヒョーブの爺三人衆が忍びを抱えているとはな。
駄目だ。きっと爺三人衆は戦のときだけ、透破さんを使っているに違いないぞ。特殊技術や情報はうまく使ってこそ、生きるってものだ。申し訳ないが、透破さん達はおれが管轄させてもらおう。
「たろさ、おれが透破を管理するぞ。戦のときだけ透破を利用しているのでは、せっかくの特殊技術がもったいないぞ。スルガやビゼンやヒョーブには、戦のときに物見の得意な透破を送ればいいんだろ?」
「特殊技術かあ。なるほど、じろさが何か考えているんだろうね。まあ、駿河や備前や兵部ならばじろさがやることは反対しないだろうね」
うん。なんとなく鬼典厩や悪典厩の異名が、気は進まないけれど、非常に効果的だというのがわかった気がするな。
ともあれ、透破さんたちにはこれからがんがん働いてもらおう。信玄公は確か諸国に透破を大勢派遣して、情報収集に努めていたから、『足長坊主』などと呼ばれたらしいしね。情報はすごく大事。
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