司令官の誕生

二十五  スマホ 3.7インチ部分


 ほとんど、ひと月ぶりに、真昼間に外に出た。九月に入っていたが、日差しの強さもアスファルトの照り返しも、いまだ強かった。大輔の目に入るものすべてが黄みががっていた。毎日、扇風機だけで耐えていたのでからだは暑さに慣れているはずだったが、やはり、外の日差しは格別で、一度、日陰に入り、息を整える羽目になった。

 郵便局の二台のATMには人の列ができていて、自動ドアから外に伸びていた。今が昼休みの時間であることに大輔は気がついた。列にならぶ人間は揃いの入館証を首に下げていた。彼女たちは、線路の北側にある、健康食品を扱う会社のコールセンターに勤めているようだった。今日は彼女らの給料日らしい。彼女ら一人ひとりはATMでかなりの時間を要した。建物の中に入れた大輔が観察するに、どうやら彼女たちは金を下ろした先から、どこかに振り込むことをしていた。「だから、空気を読めないのよ」。「何を言っているかわかりません。って言おうかと思っちゃった」などと、前後で盛んに職場の愚痴をぶつけあっていた彼女らはATMを前にすると、きまって急に押し黙った。携帯電話や手書きのメモをたよりに、真剣に振り込み作業をはじめる姿を目の当たりにすると、嫌でも美希のことを思い出さずにはいれなかった。まともな職を探すことができない愚かな彼女らもまたきっと、自分では残額の計算もできないようなローン、月賦の返済をしているのだ。大輔は、自分が金を下ろす順番が回ってきた際に、彼女らの会話が止んだのは気のせいにはできなかった。そこにいる皆がだいたいのことはわかっていて、おまえのような子供がいるから、私らは誇りのない仕事をし、金を返さなければならなくなるのだと非難する声が耳に入ってきた。

 郵便局を出てから、大輔は、美希が送ってくれたこの三万円で土産を購い、実家に帰ることもできるのだと考える。はじめは罪悪感ゆえのわざとらしい思案だったが、次第に、現実的な選択肢になりかわってきた。「ただいま」と突然、顔を見せた際の美希と和哉の喜ぶ顔が目前に浮かんだ。大学が始まる九月二十一日まで、実家で親孝行に精を出そうか。和哉の看病を手伝い、美希の話しをきちんと聞こう。汚れたままになっている家の窓を掃除するだけでもよかった。美希はどこで聞いたのか、窓は拭くと余計に汚れるというのを頑なに信じ込んでいた。掃除のアルバイトで覚えたように窓を拭いて、光がよく入るようにすれば、家の中も明るくなり、雰囲気もだいぶ変わってくるだろう。帰省すると美希と和哉は決まって、大輔をマクドナルドに連れて行った。今度は自分が三万円のうちから美希にご馳走してやろうかと大輔は考える。

 ネットマネーを購入できるコンビニエンスストアの前を大輔は通り過ぎて行く。シャッターを下ろした店の前で、制服を着た女子高生たちがあぐらをかいている。大輔が目の前を通ると、汚らしい嬌声が上がった。「マジでマジでマジでマジで」。大輔は眼鏡にセロテープを巻いているのを忘れていた。靴をガムテープで巻いているのを忘れていた。ただ、彼女らはなにか違うことで笑っているのかもしれないとも思った。あいつらの考えることはよくわからないし、何かおかしな薬をやっている可能性だってあるのだ。どんな理由にしろ、その笑い声は不快に響いた。中年の男が自転車でベルを鳴らしながら前から突っ込んでくる。ギリギリのところで避けるが、向こうからは詑びの言葉は一切出てこない。舌打ちだけが残り、汗ばむ男の背中を大輔は凝視する。ロトたちとやりあったときに痛めた膝がうずく。死ねばいい。男の背中に向かってそう言葉を投げつける。また、女子高生たちの大きな笑い声が響いてくる。苛つかせることばかりが存在している。相変わらず、馴染まないものばかりが立ち並んでいる。大輔は歩みを速めた。窓を開けている家から、老夫婦が喧嘩する声が響いている。家の前の電信柱には人間ども、猫、犬、小便するな! 聖人のみを可と殴り書かれた張り紙が張られてあった。八百屋は開いているが店員はおらず、その隣の本屋はシャッターを下ろしている。LEDライトの掲示板が道にはみ出しながら、怪しげなマッサージの案内をしている。日差しがじりじりと背中をやく。いやなにおいが自分から放たれる。建物の影は短く、日差しをさえぎらない。やけっぱちな気分が高まり、鎮めてくれるものもない。俺が未来のない、愚か者だったら、「この世界」の方面長という重責がなかったら、この日のこの瞬間に、通り魔的な殺傷事件を引き起こしていたぜ。馬鹿野郎。大輔は立ち止まり、うっすら笑みを浮かべる。わざとらしい戯れは消えずに残る。ロトにナイフを刺すところを想像して、悦に入っている自分がいる。灯油の入ったポリタンクを持って、スーパーマーケットに乗り込んでやろうか。店長を出せ。店長を出せや。大輔はわたしを手にする。笑い、顔を歪める。何かの際に今、こいつは立っている。

 酒の自動販売機に大輔は目をやった。

 ゲームに金を払うぐらいならば、ビールでも呑むよ。その方が幸せになれると篠崎は言っていた。大輔は体質的にアルコールを受け付けないし、酔っ払うことにも興味をもてなかった。酔っぱらいを前にして楽しいと思ったことがなかった。

 大輔は壁ににじりよる。電信柱に手を当てて、からだを支える。えずくものをどうにか堪えている。顔が真っ青で、目玉は赤く充血している。歩き出すが、唐突に倒れこみ、地面に手をつき口を大きく開けるが、なにもでてはこなかった。ただだた、苦しかった。唾を吐き、アスファルトの上の白線が剥げたあとに視線を落とした。涙が浮かぶ瞳を拭った。だいたい、暑すぎるんだよと口にした。揺れている。確かに揺れている。だが、これが余震であるのか、勘違いなのかわからない。尋ねる相手がいない。

 ふいに誰かに名を呼ばれたかのように、大輔は頭を擡げる。じっと目を凝らし、一点をみつめる。目を見開き、奇妙な声をあげる、

 大輔は視線の先に敵の姿を認めていた。

 まさか……

 そいつはひとりだった。はっきりと人のかたちをしていた。大人の男であった。

 てめえが幸運か……

 大輔は思わずそうもらし、にじり寄ろうとする。男の姿が音もなく消えて見えなくなった。大輔の汗がひいていく。

 てめえが幸運だったのか。

 大輔はもう一度、口にする。姿の消えた相手の笑う声が残る。

 くそたっれ。完全にだまされたぜ。くそったれ、くそったれ。

 ――俺たちは、ずっと、幸運は集団だと決めてかかっていた。俺たちホワイト・ライオットは多くの、絶望した人間と戦っていることに恐れていた。それが、まったく、なんということなんだ。幸運が健康で、豊かな生活を送るたった一人の男だったとは! 奴はカフェの外の席に座り、女と笑っている。奴は女と海外旅行のパンフレットを見ている。こんなときに旅行だなんて我々は恵まれ過ぎている。少し募金をしよう。君の誕生日が10月20日だから、1020円を募金するなどとふざけたことを言って女と微笑みあっている。奴は一番の幸運は生まれないことなどとは考えていなかった。そう思う人間を蔑み、笑うだけだった。奴は、俺たちがどこかで楽しんだり、充足している姿が気に食わないし、どこか恐ろしさも感じている。絶対に赦すべきではないと密かに怒りに震えている。

 大輔は私を強く握る。ほとんど外出をしなくなり、家でパソコンでやることになったとしても、今日このときのために私を購入してよかったと大輔は思った。

 大輔はこの世界に入った。ホワイト・ライオットの掲示板に「幸運をみた!」と書き込んだ。「この目でしっかりと俺は敵を捉えた。今から、幸運の陣営へ突撃する」とも書いた。自分の軍勢はプルトニウムのかたまりとなり、敵を未来永劫燃やし尽くすと高らかに宣言した。

 二、三人の同盟員からすぐに自分のところに来てくれとの要請があった。中央砂漠に移住した者以外では、もはや、十名程度の同盟員しか生きながらえていなかった。彼らさえも幸運に包囲され、殲滅されるのを待つ身だった。

 コンビニエンスストアに駆け戻り、大輔は三万円でネットマネーを購入した。レジでの処理にもたつく店員をはやくしろと怒鳴りつける大輔には、かつて細切れに千円を遣った際の躊躇はもうなかった。


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 ホワイト・ライオット内で、本当の敵の姿を捉えたのは自分だけであった。あの姿を頼りにこの世界での所在を突き止めて、抹殺しなければ、この戦争に勝利はなかった。大輔は眼鏡の弦にたまる汗をぬぐう。何かをしなければならないのに、今すぐ、動き出さなけれなならぬに、何からとりかかっていいかわからず、頭をかきむしる。

 奴、カフェ、男、一番の幸運は生まれなかったこと。滅茶苦茶な言葉で検索をかける大輔の手が止まる。篠崎が電話の会話の中で話題にしていた男が「奴」ではないかと思い当たった。その男は大手商社に勤めていて、結婚もしていれば、子供もいるのに、「この世界」を楽しんでいると聞いていた。その他もいくつかゲームをやっていて、そのうちの一つのオフ会で、篠崎はその男と出会った。いい奴だったよと篠崎はその男を評していた。

「だいたい、ゲームのコミュニティで知り合って、盛り上がって実際に会ってみても、まともな会話が成り立たないような奴でがっかりっていうのがパターンだ。だけど、そいつは、なんだか、風貌も爽やかで、会社でも頼りにされていそうだし、家庭でも、嫁さんや子供にも邪険にされずに、愛されていそうな感じだった。頭にくるけどな、ああいう奴っているんだよ」

 何事にもケチをつけなければ気が済まない篠崎にそんな印象を与えるのがいかにも怪しいと大輔は考えた。大輔はさっそく篠崎に電話をかけた。商社勤務の男の、この世界での名前と所属同盟を聞いた。篠崎は当然に、その人物のことを話題にしたのを忘れていたし、大輔の切羽詰まった調子に面食らったようだった。大輔は自分が何を言っているのか理解させるまで、何度も言葉を変えて辛抱強く説明しなければならなかった。

「で、端的にいうと、なんで、あいつの名前が知りたいんだ?」

「奴が幸運の指導者だ」

「あいつが幸運? 本当かよ。ちょっと信じられないな」

「俺は見たんだ」

「見た? どこで?」

「町でだ。おかしなことをいうようだが、俺にしか見えないかたちでだ」

「そうか。まあいいや。俺は誰かがゲームに魂を奪われていくのを見るのは嫌いじゃない。

 あいつのこの世界の名前は確か「ボルボパパ」だ。ツイッターのアカウントもそうだ」

「ありがとう。助かるよ」

「頑張れよ。しっかしさ、おまえはまだ、サーバー2でこの世界をやっていたのか。もう、誰もいないんじゃないか? 今はアーマーオブザアーツの時代だぜ」

 大輔は、この世界で索敵活動を行った。確かにボルボパパなる人物が南西地区にいて、十七の町を支配下においていた。所属同盟はスターライトアライアンスだった。SLAと呼ばれるスターライトアライアンスは、同盟順位五位の大手同盟であり、幸運の背後には大手同盟の存在があると主張していたハナゲバラの考えとも符合した。ボルボパパが幸運の指導者であるのは間違いがなかった。

 大規模な戦争に発展する危険性があるため、同盟に所属する者への攻撃は、ホワイト・ライオットの内規への重大違反行為となる。だが、大輔は独断で開戦することを決意した。九月末日まで、あと二週間を切り、同盟同士の戦争に発展することもないだろうと踏んだ。戦争になったとしても、SLAが幸運を操っていたことを暴けば、他の多くの同盟ホワイト・ライオット側で参戦してくれると信じた。

 三万円で購入した兵隊に加えて、大輔はさらに支配下にあった五十四の町で、ぎりぎりまで徴兵を行った。それから、ずいぶんと苦労して宣戦布告文を作成し、ボルボパパにメッセージで送った。不意打ちなどでこの戦争を汚したくはなかった。相手と同じレベルに堕ちるのではなく、あくまで正しさをもったまま戦い、勝利することを望んだ。

「拝啓 ボルボパパ殿 この度の「一番の幸運は生まれないこと」でのご暗躍、ご苦労様です。幸運に果敢に挑んだ我がホワイト・ライオットですが、貴軍ほ手ごわく、開戦からわずか二週間で壊滅状態となってしまいました。同盟員の八割は灰化され、彼らはサーバー4への移住も叶いません。もちろん、戦争に敗北はつきものですが、生きている者がいる限り、戦争が続くのもまた戦争の理なのでしょう。この戦争をはじめたときから、あなたはそのことを覚悟していたはずです。わたくし、相沢商業二組三番は、ボルボパパ殿に対して宣戦を布告します。降伏や謝罪、賠償の申し出などの機会を与えるために、十二時間と少しの猶予を設定します。この宣戦布告は九月十一日の十八時に貴殿に到達したみなし、九月十二日の六時に我が軍は貴殿への敵対行動を開始いたします。敬具」

 宣戦布告をしたのち、大輔は私の電源を落とした。私を休ませるともに、自分自身が休息を必要としていた。薄れる意識の中で、床に寝転がり、天井を仰ぎ見る大輔を私はみていた。その目が閉じられて、からだから力が抜けていくのをみていた。

 

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 目を覚まし、私で時間を確認したのちに、嘆きとも笑いともとれる妙な声を発していた。それから、仰向けになり、拳を握ったり、閉じたりしている。どうやら、寝過ごしてしまったらしいが、頭が働かないのか、即座に行動に移ろうとはしない。カーテンがない窓から光がさんざんと差し込んでいた。

 大輔は起き上がり、PCを立ち上げた。起動までの時間を待てずに、私からこの世界にログインした。何度も、リロードをしていたが、目当てのものは届いていないようだった。大輔は自分が送りつけたメッセージを改めて読み返している。どこにも趣旨が不明瞭なところはないはずであった。ボルボパパは降伏などしないにしても、幸運云々の部分についてはしらを切るだろうとみていた。それはボルボパパにとってあってはならぬ疑いのはずだった。自分が暴いた犯罪者がどんな風に言い逃れをするのか、大輔は暗くほくそ笑んで待っていた。そうであるのに、もはや言い訳など必要ないと判断したのか、あるいは、ごまかす言葉が思いつかないのかはわからぬが、ボルボパパは沈黙を通し、大輔の宣戦布告は黙殺されていた。

 調子がよいときの大輔は、この世界のマップを覗きこむ巨人のような感覚をもちえた。町と町がどの程度離れており、どの町が豊かでどの町が貧しく、兵隊はどれほどいるのか。兵隊はどの町からどの町に向かっているのか。それが瞬時に俯瞰できた。大輔がホワイト・ライオット内で天才呼ばわれされるまでに至ったのは、その感覚に負うところが大きかった。

 偉大な戦いがはじまるこの瞬間であるのに、プログラミング言語を俯瞰できる神の感覚を大輔は喪失していた。私の小さなディスプレイの中で、自分の町がどこであるのかを指し示すのさえ危うかった。このまま一世一代の大戦に臨むのは心もとないが、予め予告してあった開戦時刻の朝の六時はとうに過ぎてしまっている。このまま、何もしなければ、ただのはったりをかましただけとなった。大輔は起動したPCに向かう。首を廻し、腕を並行にあげて肩の筋肉を伸ばす。それから、私のカメラで自画像を撮る。ねぼけた目をした写真を何枚も撮り続ける。


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 大輔は兵隊を集めておいた中央砂漠の町から、当初の目標地へ第一陣を出発させた。ボルボパパが持つ一七の町のうち、みき、たくみと子供の名前をつけた町が二つあった。あとの町は、ボルボ1というふうに、自分の名に数字をつけてあるのみだった。ボルボパパがはじめに与えられた町、はじめに落とした町だけに子供の名前をつけ、あとは、大輔もそうしているように管理上の理由のみをもって数字だけにしたのは容易に想像がついた。

 子供の名がついた町を市民兵で急襲し、ボルボパパが他の町から応援の兵隊を送り込むタイミングに合わせて、元治安部隊を出兵し、他の町を一挙に奪いとるのが大輔の立案した作戦だった。子供の名前をつけた町は思い入れも強いはずで、そこに隙が生まれるだろうと考えた。

 大輔が兵を置く中央砂漠の町から、南西地区の二つの町「みき」、「たくみ」までの距離はそれぞれ五十一マスとなり、市民兵がたどり着くまでに一五三分かかる計算であった。ボルボパパは昼休みに一度この世界にログインするというのが、大輔の見立てだった。自分の子の名前をつけた町へ派兵があったことを知り、ボルボパパは子を守るべく、周辺の町から応援の兵隊を送るはずだ。それを待って、昼休みが終わるであろう一三時過ぎに手薄となった他の町に向けて兵を出す。南西地区のボルボパパ支配下にある他の町までは、だいたい、五十マスから六十マスの間で、足の早い元治安部隊であれば、七五分から八〇分でそれぞれの町に着く。そのころ、ボルボパパは午後の就業時間の真っ最中となる。これが、アルバイトや期間工相手であれば、仕事中にスマートフォンを盗み見て、場合によってはその後の仕事を休んで対応を練ることもありえるが、東証一部上場企業の正社員はそんな振る舞いはできないと大輔は考えていた。

 姑息で卑劣な作戦であることは大輔も認めていた。だが、巨大な相手と戦うために弱者は手段を選んではいられない。仮にボルボパパがプラグを購入し始めれば、資金力で叶うわけがなかった。さらに、戦争にルールもクソもないのだという思想をはじめに持ち込んだのは、ボルボパパ自身であった。その報いを奴は受けるだけだと大輔はみなした。結局のところ、大輔にとってボルボパパは罪人に過ぎなかった。

 出兵後、しばらく、震える手で、ひたすらアラーム画面をリロードしていた。SLAからの軍勢が大輔の北西ベース、中央砂漠の拠点に向かってくるのを待った。ボルボパパはいよいよ化けの皮を剥ぎ、幸運の死兵が押し寄せてくることも覚悟の上ではあった。肉を落として骨を断つ。いや、刺し違えるのも致し方なかった。まとめて炊いたご飯をレンジで解凍し、生卵と醤油をかけるいつもの朝飯兼昼飯も今日は口にしていない。のども渇いていたが、水道水をコップに入れる手間さえ惜しい。

 十二時を回り、昼休みの時間となったはずだが、ボルボパパからは相変わらずなんらの返答も届かなかった。大輔は不安を覚えながら予定通り、元治安部隊でボルボパパの各町を急襲させる。三万円で購入した三千人とそれに五十の町から集めた四千人をあわせた計七千の元治安部隊の大部隊が、この世界の諸悪の根源の抹殺に向かった。

 兵たちを送り出してしまえば、指揮官ができることは限られていた。あとは己の作戦と兵を信じるのみだった。

 幸運、あるいはSLAからの出兵があった場合、北西地区はもちろん、中央砂漠の町々も諦めるつもりだった。どの町にも、せいぜい、三十程度の僅かな市民兵しか守備として残していない。一度攻めこまれれば、彼らは瞬時に抹殺されるであろう。大輔は南の端に一つの町を持っている。町は荒れ果てたままで、生産力は低いが、実はここに多くの兵隊を残してあった。上京する際に持参した漫画にCD、それに教科書を売って作った金で徴兵した元治安部隊三百人と市民兵二千を駐屯させていた。この隠れ砦の存在はホワイト・ライオットの同盟員にさえも明かしていなかった。仮にSLAや幸運との全面戦争に突入した場合、この隠れ砦に身を潜めるつもりで大輔はいた。

 外でカラスが鳴いただけで、大輔は声をあげて驚き、机を叩き、壁を蹴飛ばした。このまま気を張り詰めたまま、画面をリロードして数十分を過ごすとすれば、発狂してしまうことは自分でも気がついていたようだ。こういう時に睡眠をまとめてとればいいのだが、あいにく、昨晩から寝すぎているうえに、興奮してとても寝つけられそうにはない。それで、一度、外に出ることにした。太陽の下にいけば、以前、敵であるボルボパパの姿を捉えられたように、新たな啓示を得られるかもしれなかった。


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 アパートの階段を降りて、細い道を通り、入り口に二軒のコンビニエンスストアが連なる商店街を歩いた。白い壁とガラスでできた美容室の前で休憩中の男の美容師がスマートフォンの画面を見ている。まわりにまわって、あの金髪の男が手にしているスマートフォンが自分のものである可能性を大輔は思いつく。美容師がこちらを見ているが、特に挨拶はない。向こうは大輔を覚えていないようだった。上京した直後の、入学式の前にあの美容院で一度だけ髪を切った。五八〇〇円という値段の高さと「っすか」という男の美容師の話し口調が耐え難く、以来一度も訪ねてはいない。あのときは空いているのに外から見えない奥の席に案内されたのは、店にとって好ましくない不細工の客だからだというのを後になって知った。通り魔事件を起こした犯人が、犯行前に世の中への怒りをぶちまけた書き込みに「美容室に行っても奥に案内され」とのフレーズがあったのだ。事件についての感想を述べたSNSのブログ記事の中で、大輔はこの犯人に共感を示していた。精一杯、自分がおしゃれだと思う服を着こんでいき、「いいっすね。大学生っすか」なんて言われて真に受けて、そんなことないですよ。手に職をもっている人を俺は尊敬しますなんて白々しい言葉を口にした自分を大輔は今さらながら強く恥じた。

商店街の端まで歩き、再び、ただ、戻ってくる。ベビーカーを押した若い母親二人とすれ違う。母親たちが同時に赤ん坊をあやす。スケートボードを手にした若い男の三人組が笑い、肩を組んで歩いて行く。小学生たちが歓声を上げながら自転車で通りすぎていった。

 大輔は私を見た。誰かの連絡もなかった。

 三月十一日の十四時四十六分、大輔は自分の部屋にいて、眠っているような、漫画を読んでいるような曖昧な時間を過ごしていた。二度目の揺れがおさまるとすぐさまアパートの階段を駆け下りていき、そのまま朝まで居場所を探し続けた。人知れず、アパートの屋根につぶされて死ぬことだけは避けたかった。実家に電話をするも携帯電話はつながらず、今、実際に何が起きているのか、誰かと話し、知りたかった。三駅分を歩いて向かった大学は門を閉ざしていた。アルバイト先のスーパーマーケットに向かうことにしたが道に迷い、余震に怯えながら、暗くなった見覚えのない道をさ迷った。職場から帰宅する人びとの群れも次第に消えていき、みな、自分の家に戻っていった。大輔は公園に行き着き、広場の中央でひざを抱えて座り、朝を待った。なぜ、誰も避難しようとしないのか。何が起きているのかみな知っているのか。どうして、自分には誰も何も教えてくれないのか、ここでこんなことをしていいのか、何もわからず、おぼつかなかった。やはり、今まで他人から散々に指摘されてきたように、自分は問題を抱えた人間であって、この孤独がその結果であるように思えて、涙が滲んだ。心もとないなかでも、うつらうつらとし、朝を迎えた。生暖かい風が吹き、雀や鳩が手の届く範囲に集まっていた、それがまるで食う食われるの関係など存在しない天国の証のようであって、ああ、俺は死んだのだと勘違いしたことを大輔は思い返している。

 ビルの一階に入居するモスバーガーの前で急激に空腹を覚えた。初老の男がコーヒーを呑みながら新聞を読んでいるのが見えた。あの男の余裕を大輔は憎んだ。わかっていながらも、財布の中身を一応確かめた。千円札どころか、五百円玉だって入っていない。嫌でも美希に電話をして、仕送りをしてもらわなければならない。家賃や電気代、ガス代の引き落としがある月末までにまとまった金が必要だった。

 いよいよ、ボルボパパから賠償金をせしめることを本気で大輔は考えはじめていた。そもそも、この世界に日本円を注ぎ込むことになったのは、ボルボパパが主謀者である幸運に対抗するために強いられたものだと大輔は考えていた。その原因を作ったものにそれ相応の犠牲を払わせるのは法的にもさほど根拠の乏しいものとも思えなかった。最後の一つの城まで追い詰めたのちに、賠償金の交渉に入ることを大輔は考えていた。篠原によれば、ボルボパパは一流商社に勤めているそうだ。影で幸運などといった不誠実な同盟を操っていたことが暴かれるのはよろしくないはずだった。そこを突いて、口止めと引き換えに賠償に応じるのが得策だと考えるように仕向けるのだ。相手が持てる者であることを逆に利用してやるのだ。

 幸運の首謀者をひそかに葬り、賠償金を手にしたうえで、サーバー4に伝説の男として移住をすることを大輔は夢想した。こちらの人の世では賠償金を元手に生活を立て直す。大学にももう一度行くようにして、アルバイトもきちんと探すつもりだった。今度はもう少し、時給のよい職場をみつけた方がいい。それと適性も軽視してはならない。自分は接客業には向かない。目つきがおかしいというだけで、クレームが入ったりする仕事はどう考えてもふさわしくない。肉体労働に適しているとは思わないが、滅茶苦茶にからだを酷使しては眠る日々がいいような気もしていた。

 ボルボパパを打ち負かすことがすべての始まりであることが見えてきた以上、商店街をただ往復することは無駄に過ぎなかった。結局は、こここでは自分は市民兵でさえもない。ただの一住民であり、この町をどうすることもできない。

 大輔は道の真ん中で足を止める。この世界にログインし、マップ上で、自分の支配下にある町を見て回る。――この世界の中で、俺が町を歩いたら、どうなるだろう。俺が姿を見せれば、多くの市民たちが集まってくることだろう。かつての善政で、俺は今でも少しは人気があるだろうか。それとも、正義を振りかざし、頻繁に徴兵しては戦地に送り込むようになった狂信者の俺には怨嗟の視線しか向けられないだろうか。将軍や幕僚たちは俺が町を歩くことに反対するかもしれない。この世界に将軍などというプラグラム上の設定はないが、俺の軍には備わっていることにしてある。俺の軍には参謀もいれば、良い兵隊、悪い兵隊もいる。彼らはプログラムなんかではないのだ。町の中には敵の刺客が潜んでいるかもしれないし、群衆が襲うかもしれない。だが、俺は、自分の町を歩くだろう。あれは俺の町なのだ。俺がいなければはじまらなかった町だった。終わりの時を見届けるのも俺だ。決して、幸運ではない。

 大輔は自分の部屋に戻ることにした。巨人になって、この世界を見下ろせるような、あの感覚が手足の隅々まで満ちはじめていた。昼も夜もなく、満足に食事もとらない生活の中で、手に入れた、孤独な戦士の感覚だった。それを大事に抱えるようにしながら、大輔はアパートへと急いだ。

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